余部城は西岸寺付近の台地の上に築かれていました。築城時期は不明で、応仁の乱の時に東軍の野田泰忠や安富又次郎が入ったらしいです。天正年間には八上の波多野氏が丹波をほぼ手中に収め、配下の福井貞政がこの城を守ったとされています。
天正6年6月3日、明智光秀の軍勢に攻められ落城しました。西岸寺のあたりには天守閣も建てられていたそうです。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2025/07/28 20:21
2025/06/19 04:54
(東海&関西)遠征9日目:余部城 (2025/05/23 訪問)
宿泊先のホテルの朝食前に、余部城と亀山城関連(移築城門&聖隣寺&南郷公園)を見学しました。
ホテルから徒歩15分くらいで、城址碑前の階段(35.018644、135.571986)に着きました。
築城年代や築城者については定かでないようですが、1467年頃(応仁文明の乱の頃)には、中沢正綱(中沢因幡守正綱)が丹波・丸岡城主だったそうです。
1578年(天正6年)明智光秀が丹波へと兵を進めると、八上城主波多野氏に属していた城主福井貞政は、光秀に降らず余部城を攻められ自刃したそうです。
現在の西岸寺境内から西側の住宅地一帯が城跡で、西岸寺に至る坂道に大手門があったといわれています。
亀山城の移築城門(保津大五区会議所)に行く途中(宿泊ホテルの目の前です)、サンガスタジアムがありました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=亀山城関連(移築城門)に徒歩で向かいました。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2024/06/22 16:43
2023/11/15 20:10
余部城 (2023/10/21 訪問)
【余部城】
<駐車場他>西岸寺の駐車場を利用(御城印購入したので)しました。
<交通手段>車
<感想>余部城の築城時期は定かではありませんが、応仁の乱の頃東軍方の野田泰忠という武士の軍忠状に「余部之城」という記述が残されています。戦国時代には波多野氏の傘下である福井貞政が城主となります。天正年間の初めころ明智光秀の丹波攻略によって落城しました。光秀は亀山城築城までの期間はこの余部を拠点としていたようです。
城跡は西側の台地状から東方向へ一部が長く突き出た、西側以外からは東西に長い丘陵地のようになっています。最東の西岸寺辺りが本丸跡で西岸寺さんで御城印を購入した際に非常に丁寧にご説明いただきました。パンフレットも頂けます。説明によると、本丸跡の東側は数メートルの切岸の名残が見られます。二の丸と三の丸の堀切跡が僅かではありますが宅地の下に残っているそうで、地図と照し合せながらこれかと思うポイントを見つけました。三の丸跡の北側の畑が弓場跡だそうです。西岸寺さんの庭から丹波富士、その奥に愛宕山を望むことができます。たぶん説明を受けなかったら、ちゃちゃっと流し見終わっていたと思います。説明後散策して残る遺構は少ないですが城跡の地形を認識して楽しむことができました。
<満足度>◆◇◇
+ 続きを読む
♥ いいね
23人が「いいね」しています。
分類・構造 | 丘城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 野田泰忠、長尾大和守、中沢氏、福井氏、明智氏、能勢氏 |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑(丸岡城跡)、説明板 |
住所 | 京都府亀岡市余部町古城、榿又、下条 |
問い合わせ先 | 亀岡市役所商工観光課 |
問い合わせ先電話番号 | 0771-25-5034 |