多摩丘陵の東端に緑ヶ丘霊園内があり、作延城はそこに築かれていました。鎌倉時代に稲毛三郎重成が築いたとされ、小沢城、枡形城と共に鎌倉の外側を守る防衛線で有ったようです。さすがに遺構はのこっておりません。
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2025/09/02 23:24
合掌 (2024/12/30 訪問)
多摩丘陵の東端に緑ヶ丘霊園内があり、作延城はそこに築かれていました。鎌倉時代に稲毛三郎重成が築いたとされ、小沢城、枡形城と共に鎌倉の外側を守る防衛線で有ったようです。さすがに遺構はのこっておりません。
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2025/09/02 20:30
2025/09/02 20:22
大手門 (2025/09/02 訪問)
見所は三の門や石垣になりますが.水の手展望台から景色を見ればこの城の堅固さが分かるというものです。
懐古園の入り口から少し離れていますが大手門も江戸時代の姿として残っているので忘れずに見てほしいです。
他にも児童遊園地・動物園もあるので小さなお子様も楽しめると思います。
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2025/09/02 20:00
多田神社「清和源氏発祥の地」 (2016/05/22 訪問)
兵庫県川西市多田院多田所町にある多田神社は源義仲から曾孫の源義家までの五代を祀っていて「清和源氏発祥の地」と呼ばれています。
かつては清和源氏の祖・源満仲が居館を構えていたとされ、満仲の子・源賢により天台宗寺院・多田院が建立されました。
多田院は清和源氏の祖廟とされ、鎌倉幕府や室町幕府の崇敬を受けました。戦国時代に焼失し一時衰退しますが、江戸時代には徳川将軍家や姫路藩主らにより寄進や修復が行われ寛文7年(1667)には四代将軍・家綱により本殿、拝殿、随神門などが再建されました。
明治時代には神仏分離令により源氏五代を祀る神社になりました。祭神の一柱・源頼光は酒呑童子討伐などの伝説で有名で、彼の従えた四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)にも様々な逸話が残っており、中には神様として祀られている人もいます。
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2025/09/02 17:41
2025/09/02 14:21
【赤色立体地図かるた】
「天下取ったどー! 叫んでみたよ 山崎城」
(てんかとったどー! さけんでみたよ やまざきじょう)
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2025/09/02 14:18
【赤色立体地図かるた】
「破城痕 逞しく在り 周山城」
(はじょうこん たくましくあり しゅうざんじょう)
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2025/09/02 12:47
歴史のまちを歩こう!「しずれきガイドツアー」のご案内
皆さん、「しずれきガイドツアー」をご存知ですか?
「しずれきガイドツアー」は、静岡市歴史博物館を出発点に、専門ガイドと一緒に静岡の歴史スポットを歩いて巡るガイド付きツアーです。毎週土日と祝・休日の開館日に開催しています。
全5コースをご用意しており、それぞれ2キロ・約90分程度。ゆったり歩きながら歴史の息づかいを感じられるので、観光で訪れた方はもちろん、地元の方にも「新しい静岡」を発見していただけます♪
夏場はお休みしていましたが、令和7年9月20日(土)より再開いたします!
秋の爽やかな風を感じながら、静岡の歴史散策を楽しんでみませんか?
◆開催時間:
午前のツアー(10:00~11:30)
午後のツアー(13:30~15:00)
◆集合場所:静岡市歴史博物館1階 インフォメーションデスク周辺
◆参加対象:どなたでも 各回15人
◆申込方法:前月最初の開館日9:00~
静岡市歴史博物館(054-204-1005)にて電話受付開始(申込順)
※空きがあれば当日参加もOK!!
※詳細は静岡市歴史博物館公式ホームページ(https://scmh.jp)をご覧ください。
「しずれきガイドツアー」で、静岡のまちをもっと好きになりませんか?ぜひご活用ください。
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2025/09/02 12:08
桜の時期がオススメです (1998/06/13 訪問)
南海電車「大阪狭山市駅」から歩いて5分、府道に沿ってひっそり佇んでいるので、うっかりすると見逃します。すぐ近くには日本最古のため池・狭山池もあるのでぜひ一緒に行かれることをオススメします。池のほとりには博物館https://sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/もあり地域の歴史もついでに勉強できます。この辺りにはご飯が食べられるお店がないので、少し時間をかけて回る人は駅前のコンビニで🍙を買って行くことをオススメします。
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2025/09/02 11:21
【赤色立体地図かるた】
「高石垣 頂めぐる 観音寺城」
(たかいしがき いただきめぐる かんのんじじょう)
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2025/09/02 11:18
【赤色立体地図かるた】
「蜂起せよ! 鬨の声聞く 鳥越城」
(ほうきせよ! ときのこえきく とりごえじょう)
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2025/09/02 10:54
西の丸Ⅱと西の丸Ⅰ探訪 (2025/02/25 訪問)
二俣城の西の丸は二の丸、本丸天守台の西側下へ旧二俣川と天竜川の合流地点へ突出た尾根筋の下に在ります。二の丸と南の丸Ⅰ間の堀切3号堀を西に降りる登城路より入り、南の丸Ⅰ西下に在る2号竪堀が確認されて、上に西の丸Ⅱ続いて西の丸Ⅰと成って居ます。
現在は旧二俣川は河川改修されて二俣橋より南に直進して天竜川へ流れる様に成り、旧二俣川は塞がれて堤防に成っており、堤防道を進むと鳥羽山城への山坂道登城路で鳥羽山城への近道です。
西の丸Ⅰの南側と西側には2014年2015年の発掘調査で土に埋まっていた石垣を発掘発見されました。丁度探訪日は草刈、落ち葉掃除で整備されて見易く、護岸コンクリートへの落ち葉も掃かれて滑る事も無く石垣に近づく事が出来ました、但し近づくにはやや危険の為慎重な歩行が求められます、現地には石垣への案内は有りません。
石垣探訪は歩行に気を付けてご確認ください。
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2025/09/02 09:30
不等辺五角形がカッコいい (2025/08/24 訪問)
姫路城の外観が白くて白鷺城といわれるのに対し、岡山城は外観が黒く、烏城と呼ばれます。明治時代、御殿や櫓、門の大半が取り壊され、さらに二次大戦の空襲で天守等が焼失しました。設計図や戦前の写真が残っており戦後、外観を復元した内部コンクリートづくりの外観復元天守です。月見櫓、西の丸西手櫓が焼失を免れ現存しており、国の重文に指定されています。また一帯は城址公園として整備されています。
地形に沿った形での不等辺五角形の形がかっこいいと思います。まず6階に上がって順に下る形でそれぞれの階の展示を見ることで、築城当時の宇喜多秀家、小早川秀秋の関ヶ原の戦い前後、池田氏の江戸時代、幕末、そして明治以降の岡山城を取り巻く歴史が体系的に理解できるくふうがされています。展示の監修はテレビの歴史番組にも多数出演されている、岡山出身の歴史学者磯田先生で、展示の所々に磯田先生の深い洞察ややちょっとした豆知識が書かれていて面白くわかりやすく理解できました。復元とはいえ岡山城は市のランドマークにしてシンボルなんですね。
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2025/09/02 08:02
【赤色立体地図かるた】 (2018/06/23 訪問)
鳥越城 雑賀の一族 抵抗す
(とりごえじょう さいかのいちぞく ていこうす)
城主の鈴木出羽守は本願寺から派遣された鈴木重秀(雑賀孫一)ら鈴木氏の一族とされ、発掘調査では鉄砲玉の鉛なども発見されているそうで、鳥越城が最後まで抵抗を続けられたのも、雑賀衆の鉄砲隊の力によるものなのかもしれませんね。
そういえば、来週末の山城サミット白山大会は鳥越城(と二曲城)でしたっけ。久しぶりに行きたいけれど…ちょっと難しいかなぁ。
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2025/09/02 06:56
北海道&東日本パスで青森の城めぐり⑤ (2025/08/17 訪問)
聖寿寺館からの転戦です。廃校となっている剣吉小学校の裏手に剣吉城址公園として整備されていますが、草刈りなどの手入れはあまり行われていないようです。相撲王国青森だけあって土俵なんかもあるのですが、草が生えてしまっていました。小学校が廃校となって訪れる人も殆どいないように感じられました。この城の城主は高橋克彦の「天を衝く」にも登場する北信愛(きたのぶちか)。九戸政実と対立し、見事に南部利直を南部家の跡目に据えることに成功した北信愛は、南部家にとっては最高の忠臣と言えるでしょう。「天を衝く」を読み進めているときには九戸サイドに立っていた私にとって、にっくき敵役だったのではありますが。
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2025/09/01 21:52
【赤色立体地図かるた】 (2013/12/25 訪問)
「さんじゅーろー 其の名の由来 新選組(さんじゅーろー そのなのゆらい しんせんぐみ)」
城名はどうしたって? さんじゅーろー=松山城なので・・むしろ猫城主の方が有名だったりして。
猫城主さんじゅーろーの名前は備中松山出身の新選組七番隊組長・谷 三十郎に由来しています。といっても、あまり有名じゃない。さんじゅろーのおかげで谷 三十郎の名を覚えた人も多いのではなかろうか。
イラストは新選組コスのさんじゅーろーをイメージしています。断じて仕事ネコではありませんぞ(汗)いやマジで・・
「さんじゅーろー 漫画くまみね(先生) 松山城」
「さんじゅーろー 天下一品 仕事猫」
・・大丈夫だよね めっちゃリスペクトしてますよ。
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2025/09/01 19:55
千々石ミゲルと橘中佐 (2025/01/26 訪問)
釜蓋城(長崎県)を掲載。天正遣欧使節千々石ミゲルの生誕地である千々和にある釜蓋城は「かまぶた」が正しい読み方。天守風の模擬建築が辛うじて城跡感を醸し出す。千々石はまた軍神橘中佐を生んだ土地でもあり中佐を祀る橘神社が釜蓋城の麓に鎮座する。
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2025/09/01 19:47
日新館 (2024/09/17 訪問)
会津若松城の西側に史跡・日新館天文台跡がありますが、現在公開されている日新館の中にも展望台があり、周囲を良く眺望できます。
日新館は元々、若松城の西隣にあったとされるので、今公開されているものは少し離れた場所に復元されたものになりますかね。
実際、若松城の周辺は開発が進んでいるので、やむを得ないですね。おかげで集客に苦労しているようですが、訪れて絶対に損は無いと思います。白虎隊の団結の強さを見ると、日新館での生活は厳しいながらも充実し、楽しいものであったと思います。
明治2年(1869)9月、旧会津藩松平家に家名再興が許され、松平容保の嗣子の幼少の容大を伴って斗南3万石で封じられました。
藩領は青森県下北半島の一帯・十和田湖の東側と、北海道の後志支庁瀬棚町のあたりで実質7千石程度であったようです。そんな僻地に17327人もの人が移り住んだので、非常に苦労したそうです。
正直、明治政府って陰湿だと思うんですよ。石高詐欺とかありえんし。
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2025/09/01 18:47
得意の途中下車で…🚉 (2025/06/28 訪問)
JR笠岡駅で途中下車。ところが,コインロッカーは「小」のみ…<泣>。猛暑の中,キャリーバッグ持ちはキツイな…と思って,周囲を見渡したら「笠岡市観光協会」を発見❢
早速,キャリーバッグを預かってもらえないか交渉…。結果,レンタサイクル利用で預かってもらえることとなりました。1日単位の貸し出しで,電動は【1,500円】,普通は【700円】。暑かったので,少々高額と思いつつも電動をチョイスしました。
あっという間に山頂にたどり着いたので,少々拍子抜け状態でした。
ま,熱中症回避のための出費ととらえました。
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2025/09/01 15:30
会津藩校日新館 (2024/09/17 訪問)
日新館は享和3年に完成した会津藩の藩校です。広い敷地内に日本最古と言われる水練場も備えていました。会津藩の子弟に対しエリート教育を行い、白虎隊の隊士達もここで教えを受けました。彼らは十歳になってから日新館に通いますが、六歳から九歳までの男子は十人前後で「什(じゅう)」と呼ばれるグループを作り、リーダーである什長によって「什の掟」などを教え込まれたようです。
最後には例の「ならぬことはならぬものです」で締めくくるのですが、ちょっと危ないですな。
敷地内の幕末慶事記念室には会津落城時の展示も有り、砲撃でぼろぼろになった若松城の模型もあります。小田山(城)は若松城を砲撃できる好所にあり、ここを官軍に奪われたことで若松城に砲弾が降り注ぎました。小田山城は元は蘆名氏の本城でしたが廃城後は蘆名氏や会津藩の家老の墓地になっていました。「小田山とられて戦はするな」という伝承が残っていたようですが、結果その通りになってしまいました。
幕末から明治にかけては高所から敵地に砲撃を仕掛けることは有効と見られ、旅順攻囲戦における203高地もそれに当たると思います。
私の考えでは関ヶ原の南宮山周辺や自害ヶ嶺のあたりも砲撃戦の陣地を想定していたのではと考えます。
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