くみはまじんや

久美浜陣屋

京都府京丹後市

別名 : 久美浜代官所、久美浜代官陣屋
旧国名 : 丹後

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久美浜小学校前の案内板
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カズサン

天領久美浜代官所 (2020/11/29 訪問)

 豊岡城、京極陣屋を終えて北東約10km程の久美浜陣屋を目指す、今回の九州未踏の城廻り累計39城目、ナビは久美浜小学校校門(京都府京丹後市久美浜町3366)に合わせ走行、駐車場は有りません丁度日曜日で職員駐車場が浜側に空いてましたので利用させて頂きました、車は久美浜公園駐車場が宜しいかと約500m程離れてます。
 遺構は小学校前に在る陣屋橋、堀、表に在る説明板、校庭裏に在る城山が松倉城(久美浜城)跡です、北側は久美浜湾で日本海に繋がってまおり風光明媚な景観です、町屋が残り城下町の風情が良く残ってます。

 松倉城には細川氏の武将松井氏が居城、後に細川氏肥後に転封後、松井氏は八代城代として明治まで続く。
 代官所は元禄10年(1697年)久美浜に設置、陣屋は大津・京都にあったが享保20年(1735年)陣屋をこの地に移し明治まで続く、天領所領は丹後、但馬7万石であった。現在陣屋門は豊岡図書館の前に薬医門として移設保存されている。

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ぴーかる

久美浜代官所 (2020/08/29 訪問)

【久美浜代官所】
<駐車場他>駐車場はなし。車は久美浜公園に駐車し徒歩がよいかと。
<交通手段>バイク

<感想>久美浜の地は京極家が改易になった後は天領→宮津藩領→天領とめまぐるしく変わり、享保年間、従来あった湊宮船見番所を陣屋と改め、享保20年に海上弥兵衛が代官の時に陣屋をこの地に移した。明治維新まで丹後・但馬7万石を管轄した。
 維新後は久美浜県が設置され、丹後・但馬・丹波・播磨・美作の23万石を管轄した。1871年(明治4年)に第一次府県統合により豊岡県が設置された為に久美浜県は廃止された。現在は陣屋跡は久美浜小学校となっている。
 久美浜県庁の表門が豊岡市立図書館に現存、正面玄関棟が陣屋跡ちかくの神谷太刀宮の社内に残っています。

出石城・有子山城の御城印購入を目的として山城以外を選定してツーリング旅、この日は日帰りで結局、城びと登録2城攻めに終わった。猛暑日の中で大阪までの往復は齢もあって翌日、体が相当ガタピシになった。374㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 代官所
天守構造 なし
築城主 徳川幕府
築城年 享保20年(1735)
主な城主 海上弥兵衛(代官)
遺構 移築門(豊岡市立図書館)
再建造物 説明板
住所 京都府京丹後市久美浜町西本町