(続き)
医王寺背後の医王寺山(新城市長篠碁石)には、武田勝頼が3千の兵で長篠城包囲戦の本陣を布きました。医王寺の駐車場から見上げると山頂部に物見櫓が覗いています。駐車場の南西側には山縣三郎兵衛息継ぎの井戸なんてのも見られました。本陣に出向く前に井戸水で一息入れたということでしょうか。医王寺をひとめぐりすると医王寺山武田勝頼本陣跡の説明板の絵図を参考に、東側の登城口から登城開始。
整備された山道を登ること5分で東曲輪に到達。南北に広がる大きな曲輪で駐屯地だったと思われます。東曲輪の南西辺には土塁が設けられ、西側の土橋を進んだ先が本曲輪です。本曲輪は南側と北側を切岸と帯曲輪で守っています。本曲輪の北東隅部はわずかに高く、南側には麓から見えた物見櫓が建てられています。物見櫓に上ってみると、右手前に天神山陣地、左奥に大通寺山陣地、二つの陣地の奥に長篠城を見渡すことができました。大通寺山の向こうがこの後に行く予定の武田五砦でしょうか。なるほど長篠城包囲戦の本陣を置くには絶好の地ですね。本曲輪西側の虎口を出ると北側に竪堀が落ち、西曲輪東辺の土塁の上に出ます。スロープ状になった土塁上を下りて行くと南側に西曲輪が広がり、登城道はそのまま西側の登城口に続いていました。
土塁も切岸も帯曲輪も竪堀も時季的に藪に覆われていたのは残念でしたが、長篠城包囲戦の全容が手に取るようにわかる眺望だけでも訪れる価値は大いにありました。さて、続いては宇連川対岸に展開する武田軍の陣地、武田五砦に向かいます。
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