多治見国長は、美濃守護土岐頼貞の一族で、多治見郷に在住したことにより多治見氏と称しました。正中元年後醍醐天皇の密旨を奉じて、鎌倉幕府討伐を計画しますが、この密事が密告により露見し国長の宿所京都錦小路高倉の邸が六波羅探題の将小串三郎左右衛門尉範行に襲撃され国長は36歳で非業な最期を遂げました。鎌倉時代末期の地味な武将ですが、多治見まつりでは「多治見国長公を中心とした美濃ゆかりの武将と華やかな奥方による武者行列」(多治見市HPより)が行われる有名な武将です。
遺構がなく石碑だけの城址などは2度行くことはほとんどないのですが、近くを通ったので寄ってきました。JR多治見駅から徒歩約15分多治見銀座商店街に石碑と説明板があります。
余談
多治見市の名物は鰻だそうです。市内には鰻屋が多く20軒以上の店があります。老舗の多くは土岐川の近くにありますが、かつて川をいけす代わりに使っていた名残ということです。昔から窯業が盛んで陶工たちが体力回復のためよく食べられていました。また内陸なので新鮮な海の魚は食べられないかわりに陶器商人の商談成立などの祝い事で寿司の代わりに鰻が食べられるようになったという説もあります。自分は多治見国長館石碑から徒歩5分くらいの場所にあるその名も「うなぎや」さんという店でうな丼をいただきました。
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