鎌倉後期に多治見国長が築いたとされる城館で、国長は後醍醐天皇の倒幕計画に参加して上洛しましたが、密告により京の宿所は六波羅探題の軍勢に包囲され、勇戦するも非業の最期を遂げました。
産業文化センターの駐車場(最初の1時間無料)から登城。昔ながらの商店街の一角に石碑と説明板があるくらいで遺構は消滅しています。墓標のような石碑に手を合わせて多治見国長邸を後にしました。
…ところで、多治見国長邸とは全く関係ありませんが、金森長近は現在の多治見市大畑町の生まれであり、生誕500年の昨年には多治見市で生誕500年まつりや記念講演会などが開催されていたようです。私が金森長近に興味を持ったのがイベント終了後の12月なので仕方ないんですが、参加したかった…。せめて生誕地だけでも訪れようと思っていろいろ調べるも場所が特定されていないのかよくわからず、とりあえず大畑公民館に行き、このあたりで生まれたのかな~という雰囲気だけを感じてきました。
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