例年6月第二土曜日に開催のチャグチャグ馬コを見に岩手県滝沢市を訪問した。このお祭りは滝沢市の鬼越蒼前神社から盛岡八幡宮までの14kmを60頭の馬コが鈴の音を響かせて行進する。馬体に約700個の鈴を付けた馬コに、きれいな装束を身にまとった子供さんたちが跨り観客に手を振る光景には心が癒されます。
今回の盛岡近隣への訪問はチャグチャグ馬コと、昨年クマ出没により攻城中止を余儀なくされた紫波町の高水寺城が目的でした。昨年は5月と6月の二回訪問しましたが、地元で城山と呼ばれる城址は入山禁止が解除されず空振りでした。先週紫波町役場に状況を確認し現在のところは大丈夫との回答を得ての攻城となりました。
この城は中世(14世紀後半か?)に斯波氏が本拠地とした城(築城年月は不明)であり、城域は城山の全域に及んでいる。天正16(1586)年に南部信直の攻撃により斯波氏は滅亡する。その後は南部氏の支城として中野氏が城代となるが、寛永6(1629)年には補修され郡山城と呼ばれるようになり、築城中の盛岡城へ寛永10(1633)年に重直が入城するまでは南部氏の本拠地であったという。その後、寛文7(1668)年に廃城になった。
北上川右岸の独立丘陵の最高所に主曲輪を置き、周囲に大小の曲輪を配置して防御する典型的な中世山城の姿だったのだろうが、近世初頭の改修では石垣が積まれる(廃城後北上川の橋建設のため撤去されたらしい)など近世城館へ改変されているようだ。
現在は公園化にともない車道、駐車場、階段などが設置され、桜の名所として多くの方々の利便性は高まったと考えますが、中世山城ファンにとっては少しばかり残念な状態と感じました。
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