こうすいじじょう

高水寺城

岩手県紫波郡

別名 : 斯波館、郡山城
旧国名 : 陸奥

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最高所の主曲輪(御殿)の現状
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ぎりょう

公園化による改変で残念な状態に・・・・・ (2023/06/10 訪問)

例年6月第二土曜日に開催のチャグチャグ馬コを見に岩手県滝沢市を訪問した。このお祭りは滝沢市の鬼越蒼前神社から盛岡八幡宮までの14kmを60頭の馬コが鈴の音を響かせて行進する。馬体に約700個の鈴を付けた馬コに、きれいな装束を身にまとった子供さんたちが跨り観客に手を振る光景には心が癒されます。
今回の盛岡近隣への訪問はチャグチャグ馬コと、昨年クマ出没により攻城中止を余儀なくされた紫波町の高水寺城が目的でした。昨年は5月と6月の二回訪問しましたが、地元で城山と呼ばれる城址は入山禁止が解除されず空振りでした。先週紫波町役場に状況を確認し現在のところは大丈夫との回答を得ての攻城となりました。
この城は中世(14世紀後半か?)に斯波氏が本拠地とした城(築城年月は不明)であり、城域は城山の全域に及んでいる。天正16(1586)年に南部信直の攻撃により斯波氏は滅亡する。その後は南部氏の支城として中野氏が城代となるが、寛永6(1629)年には補修され郡山城と呼ばれるようになり、築城中の盛岡城へ寛永10(1633)年に重直が入城するまでは南部氏の本拠地であったという。その後、寛文7(1668)年に廃城になった。
北上川右岸の独立丘陵の最高所に主曲輪を置き、周囲に大小の曲輪を配置して防御する典型的な中世山城の姿だったのだろうが、近世初頭の改修では石垣が積まれる(廃城後北上川の橋建設のため撤去されたらしい)など近世城館へ改変されているようだ。
現在は公園化にともない車道、駐車場、階段などが設置され、桜の名所として多くの方々の利便性は高まったと考えますが、中世山城ファンにとっては少しばかり残念な状態と感じました。

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ぎりょう

盛岡歴史探訪二日目「雨は晴れたけど・・・・」 (2022/05/28 訪問)

盛岡二日目は盛岡城址や原敬の墓所が有る福聚山大慈寺へ。ちょっと特徴のある鐘楼が乗った山門をくぐると正面に本堂、左側に原家の墓所があり手を合わせることができた。ほど近い場所に地元酒蔵「あさ開」の地酒物産館があり、お土産用(自分への)の清酒を購入(笑)一路、紫波町の高水寺城を目指す。
高水寺城は紫波町の北上川右岸の台地に位置する山城。比高は60mほどで地元では城山と呼ばれ公園化されている。この城は南北朝時代に足利一門の斯波氏によって築かれ、山全体に多くの曲輪を配した中世城郭であったが、盛岡城完成前は南部氏の居城「郡山城」として利用されていたと云う。
「いざ攻城」と勇んで城山を目指すと、麓の駐車場と登り道がバリケードで塞がれ「あぶない!熊出没注意」の看板が・・・・。
紫波町では今年4月中旬以降、ツキノワグマの目撃情報が相次ぐとともに、畑仕事に連れて行った飼い犬がクマに襲われる被害もあり、花見の名所でもある城山は立ち入り禁止となっていた。後日、紫波町役場に問い合わせたところ、クマ出没情報が続いており、当面解除の見込みは無いという。
日頃地元の中世山城を探訪する際は「クマ鈴」を付けており、この日も持参してはいたのだが、城歩きに慣れない同行者も居り断念した。ざっ、残念(涙)

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昌官忠

東北遠征 (2020/07/02 訪問)

第1駐車場(39.565883、141.172559)に駐車し攻城。平場の郭と堀切跡以外、印象がありません。写真を整理していると1郭に「愛の神社」愛宕神社があったことを思い出しました。攻城時間は30分位でした。

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にのまる

熊看板はあるけれど。 (2019/12/07 訪問)

 志波中央駅から徒歩30分くらい。「吉兵衛館遺跡入口」が手前にあり、危うく勘違いして潜入するところでした。(それはそれでよかったかもしれない。)もう少し奥に進んだ城山公園が城址でした。入口に熊看板がありましたが、見通しのいい整備された公園だし、いても冬眠しているだろうし…ということで登っていくと橋の手前に最後通牒的に熊看板がもう一枚。季節によっては注意が必要なようです。
 いくつもの段郭が連なる形の整ったきれいな山でした。当時のままということはないでしょうが、見た目にもこだわって築城したのかもしれません。登りきったところの平場が御殿(斯波氏の居城)跡で、二段構成でした。
真っ先に目に入ったのは愛宕神社の傍らのピンクの…これは何?ストレッチ用の健康器具(公園によくあるあれ)の類かと思ったら、どうやら♡のオブジェのようで(愛宕神社≒愛の神社と説明板にあり。)、恋人の聖地的パワースポットなのかもしれません…が、♡が歪んで折れていたのが気になる(-_-;)
宮沢賢治と縁がある地(祖母の出身地)だそうで、文語詩「丘」の碑もありました。詩だけだと難しいのですが解説があったので助かりました。

 麓にあった「吉兵衛館」の吉兵衛は九戸政実の実弟、中野康実(南部氏側についた)で、高水寺城から改称された郡山城の城代を務めていたのだそうです。(←ここWikipedia)

 写真1枚目に熊看板を貼りたくなかったけれど、撮った順に並べました。(登城口など撮った順に貼るか、ベストショットを1枚目にするか悩むこと2年…)

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 斯波家長
築城年 建武2年(1335)
主な城主 斯波氏
廃城年 寛文7年(1667)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、門跡、建物跡
指定文化財 町史跡(高水寺城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘21-2
問い合わせ先 紫波町教育部生涯学習課学習推進室
問い合わせ先電話番号 019-672-5243