斯波氏の居城で北上川右岸標高180mの段丘に築かれており、範囲は東西550m、南北700mに及び、縄張り図を見るとそれなりに大きな城であったようです。城址は城山公園として整備されています。曲輪跡はわかりますが、どこまで当時の状況を反映しているかはわかりません。「東北の名城を歩く 北東北編」(吉川弘文館)によると江戸時代まで本丸の法面には石垣が残存していたようですが、南部利済の時に南東側の北上川に承慶橋を架ける中島を構築するために石材を取り崩したようです。本丸南西部にある石垣は後世の公園整備のときに積まれた新しいものと記載がありました。
登城時には熊出没の看板はありませんでした。地元の方によると時々熊出没により公園が閉鎖になることもあるとのことでした。
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