こうすいじじょう

高水寺城

岩手県紫波郡

別名 : 斯波館、郡山城
旧国名 : 陸奥

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たか

南部家御城印プロジェクト⑦ (2026/08/10 訪問)

さあ南部家御城印プロジェクト再開です。
意気揚々とナビに従い駐車場に車を停めていざ出陣!
と、ここまでは良かったんですがあちこちに立て看板が…

調べてみると4月頃に熊の被害が出たところでした。
(そういわれればそんなニュースを見たような)

熊には勝てません。
ましてや通行止めを搔い潜ってまでは行けません。
御城印は別のところにあるのでここは撤退です、残念。

そのあと初めて盛岡じゃじゃ麺食べました!
なかなかの人気店だったらしくわたしのすぐ後で売り切れ終了でした。
とても美味しくてさっきまでの無念も消えてしまいました(笑)

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南部利直 (2025/09/26 訪問)

 斯波氏の居城で北上川右岸標高180mの段丘に築かれており、範囲は東西550m、南北700mに及び、縄張り図を見るとそれなりに大きな城であったようです。城址は城山公園として整備されています。曲輪跡はわかりますが、どこまで当時の状況を反映しているかはわかりません。「東北の名城を歩く 北東北編」(吉川弘文館)によると江戸時代まで本丸の法面には石垣が残存していたようですが、南部利済の時に南東側の北上川に承慶橋を架ける中島を構築するために石材を取り崩したようです。本丸南西部にある石垣は後世の公園整備のときに積まれた新しいものと記載がありました。

 登城時には熊出没の看板はありませんでした。地元の方によると時々熊出没により公園が閉鎖になることもあるとのことでした。

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しんちゃん

高水寺斯波氏 (2025/01/04 訪問)

高水寺城は北上川の西に位置する独立丘陵の上に築かれていました。建武2年(1335)足利尊氏が斯波高経の長子・家長を奥州管領として下向させ、北朝方の勢力の拡大を狙いました。元々、斯波氏は足利泰氏の長男。家氏が斯波郡へ下向し、斯波氏を称したことに始まるとされています。家長以降に本格的な城郭化が進んだと見られ、最頂部が本丸とされています。
本丸には土塁が残り、南部の運動公園周辺が二の丸(若殿屋敷)とされ、本丸の北東が天王平(駐車場)とされ、さらにその先に姫御殿があります。本丸には御殿跡の標識があり、愛宕神社が祀られ、かなりの広さが有りました。
家長以降の斯波氏は7代~10代続いたとされ、足利氏の支流として斯波66郷を支配し「斯波御所」と呼ばれますが、室町時代後期には三戸南部氏との対立が激しくなり、九戸政実の弟弥五郎を入婿に入れるなどして、平静を保ちましたが、やがて家臣の離反が相次ぎ天正16年の石清水右京の訪叛を機に南部信直の攻撃を受け、斯波詮直は大崎氏の下へ逃亡し、戦国大名高水寺斯波氏は消滅しました。

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dougen

2017.11.5登城 (2017/11/05 訪問)

志波中央駅の北東にある小山が、高水寺城址となります。現在は城山公園となっています。
公園として整備されていることにより、遺構は不明確になっており、残念なところです。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 斯波家長
築城年 建武2年(1335)
主な城主 斯波氏
廃城年 寛文7年(1667)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、門跡、建物跡
指定文化財 町史跡(高水寺城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岩手県紫波郡紫波町二日町字古舘21-2
問い合わせ先 紫波町教育部生涯学習課学習推進室
問い合わせ先電話番号 019-672-5243