日本100名城

ごりょうかく

五稜郭

北海道函館市

別名 : 亀田御役所土塁、柳野城

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五稜郭
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カルビン

【平成30年】平成ネタシリーズのラストはここで (2018/07/27 訪問)

自分のお城巡り歴年数分、平成シリーズ各1年ずつ投稿して来ましたが・・・
ラストの平成30年は個人的に歳三さんの地元近くに住んでいると言う事で、五稜郭を選びました。
(小中学生の時には同級生にひじかた君がいましたので。。。確か歳さんと遠からずの血縁だったと伺ってました)

この日新幹線で大宮から新幹線で木古内、そこからバスで松前往復、さらに漁火鉄道で五稜郭駅・・・そこから五稜郭まで歩きましたが、タワーに到着したのが17:30頃・・・ほぼ移動だけで1日過ぎてしまいました。。。
北海道は遠くて広いです(汗)


時間は圧してましたが、何はともあれまずはスタンプ入手も兼ねてタワーに登りました。

高い所苦手なのにこういう所勢いで登ってしまうんですよ・・・しかも展望台ってインバースしていて真下が見えるんですよね(lll=Д=lll)
なので基本中心の柱沿いに移動しw、そこから五稜郭全容を撮影。
五稜郭だけに目が行きがちですが、反対側には海も函館山も見れます。

五稜郭は近代城郭で、星型要塞というのは火砲対策としてイタリアで発生した築城術で、幕末の時期は火器が充実していた事で星型に造られたものです。
でも実は本来の設計に対し、予算が足りずに5ヶ所設置するハズだった半月堡が1ヶ所しか造られなかったんですねww

まだ明るかった事もあり、そのまま五稜郭公園の見学へ。
時間にまだ余裕あると勘違いしてまして、唯一あった半月堡の見学に時間を使い過ぎ、いざ五稜郭に入ろうと入口見たら、19:00に閉まってしまうとの事・・・やばい、今18:30分過ぎてるw

もうそこからは解説版をじっくり読む時間も無く、ただひたすら小走りに進んでは目ぼしい場所を撮影・・・の繰り返しw
今写真見て、「こんなところ行ったっけ?」って場所がある体たらくでorz

次の日も早朝から予定入っていた為次の日に回す事も出来ず・・・もっと余裕を持って予定立てないとな~。(いつもこうですww)


皆様におきましては、タワーと公園内見学(公園内の奉行所跡も含め)で3時間は確保されておいた方が良いと思います(;ω;)/
(なぜ「ひじかた」の漢字が不適切ワードに???ww)

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あきおこ

夏の五稜郭 (2004/08/10 訪問)

奉行所が復元される前に訪れた際の写真です。

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孔明

五稜郭 (2007/08/27 訪問)

2度目の登城。タワーからの眺めは素晴らしかったです。

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たかりん

幻の蝦夷共和国 (2011/07/24 訪問)

国内のお城としては完全に異色の存在である西洋式の稜堡要塞。19世紀における火力の急速な進歩により、本場の西洋では既に時代遅れの存在だったようですが、西洋の知識が入るにもタイムラグがあった時代でしたからね。箱館戦争により、予想もしない形で実戦の機会を得たわけですが、新政府軍の優勢な火力(艦砲含む)、兵力を前に結果は周知のとおり。でも、石垣の高さ、堀の広さ、死角のない縄張りなど防御の基本は地味に抑えており、薩軍に対し熊本城が通用したように、無意味な仮定ながら一時代前の火器相手であれば相当強靭な防御力を発揮できたと思います。なお、大手口に残る半月堡は本来、各稜堡の間に設ける予定が、予算の都合で元々ここだけしかなかったそうです。中央の箱館奉行所は2010年の復元で、建物が何もないと「お城がない」という一般の観光客にも取りつき易くなったとか。

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概要

蝦夷地の管理と箱館防御を目的とする徳川幕府の命令で、ヨーロッパで考案された稜堡式の城塞として日本で初めて築城。空からだときれいな星形状に見える構造で、石垣と土塁によって構築された本塁と低塁が5つの角に配されている。さらに1ヵ所だけ突き出た場所に、防御と出撃の拠点となった半月堡がある。

城郭情報

城地種類 平城
築城年代 安政4年(1857)
築城者 江戸幕府
主要城主 (箱館奉行)
文化財史跡区分 国指定特別史跡
近年の主な復元・整備 箱館奉行を復元
天守の現況・形態 -
主な関連施設 弁天岬台場、史跡四稜郭
主な遺構 兵糧庫、堀、土塁、石垣、井戸跡
住所 北海道函館市五稜郭町本通1
問い合わせ先 函館市教育委員会生涯学習部文化財課
問い合わせ先電話番号 0138-21-3456