日本100名城

ごりょうかく

五稜郭

北海道函館市

別名 : 柳野城
旧国名 : 蝦夷

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五稜郭
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T-Shionoya

幕末の要塞 五稜郭 (2022/10/13 訪問)

10月の函館旅行で寄った幕末の城を、築城順で振り返り。
3つ目は北海道函館市の五稜郭。

江戸期終盤の1803年、箱館港に面した箱館山の麓に築かれたのが箱館奉行所の始まり。
時は流れて幕末の箱館開港決定後、防衛の観点から奉行所を移転することに。

海からは当時の大砲の射程外となる3kmの位置。
東には赤川(現亀田川)が流れ、周囲は沼地だったとのこと。
箱館港からも遠すぎないその場所に、西洋式土塁の五稜郭は築かれました。

十字砲火を可能とする稜堡を5つ持ち、正面出入口には半月堡(馬出塁)を設置。
出入口の内側に見隠塁を置くのは日本の特徴でしょうか?

現在は五稜郭公園として函館のシンボルに。
建物では兵糧庫が現存し、2010年に奉行所庁舎の1/3を復元。

訪問時、その庁舎に入る時間はありませんでしたが、郭内・土塁上・水堀を回り、そして五稜郭タワーに上り滞在時間は2時間半。
幕末を代表する城郭が、私の城巡りの133城目となりました。

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カズサン

桜満開のウキウキ五稜郭 (2003/05/03 訪問)

 五稜郭は幕末江戸幕府にて築城された西洋式稜堡城郭です、北方防衛、海防の要として造られましたが、戊辰戦争最後に幕府軍と新政府軍の激戦地と成り星形の稜堡を良く残しています。
 19年前の5月連休に弘前城、松前城、五稜郭廻り、前日の松前城に次いで函館山からの函館夜景を堪能した翌日五稜郭に初登城しました。

 時期は丁度桜の満開で桜の植わってる土塁上をグルーと回り、先代の五稜郭タワーからも五稜郭を眺めました、まだフィルムカメラ主体の時代でしたので予備のコンパクトデジカメで残っていた桜満開の土塁上の写真を2枚ですが投稿します。
 弘前城は桜が散った時期、松前城は八重桜主体でしたので五稜郭の桜は見事な満開を堪能しました、一番ウキウキした探訪の様で桜ばかり撮って居たようです。雪と風の関係か桜の木は全般に低かったよでした。
 函館空港から羽田空港へと帰路を取りました。

 五稜郭の次の探訪は函館奉行所が復元された平成22年(2010年)7月31日で復元公開3日目でした。次は平成28年(2016年)5月25日で北海道新幹線が開通して兄弟夫婦とのフルームパス利用でした。
 

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AJ

北の要塞 (2019/05/19 訪問)

ある域に達すると必要以上に華美なものが抜け落ちるのはヒトも城も同じようです。

函館・五稜郭。幕末動乱期に「見せる城」の需要は皆無で、求められたのは砲撃への耐久性。真っ先に標的になる天守は無用の長物でしかなく、土塁が多いのも石垣より衝撃を吸収しやすいため。

一方で対人戦への備えもあります。星形の縄張りは、常に横矢を意識して塁線をことごとく曲げた中世の山城を体系的に発展させた形と言えるかもしれません。

1869年5月12日。箱館(函館)湾に侵入していた新政府軍の艦砲射撃が五稜郭に着弾。それまで射撃角度を決めあぐねていたとのことですが、最後は郭内の奉行所屋上にあった太鼓櫓が標的に。

旧幕府軍は慌てて櫓を取り外したようですが、一度着弾してしまえば要塞としての機能は著しく低下したとみられ、その後、戦況はいよいよ不利になったとのこと。

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マル

初めての五稜郭 (2022/07/22 訪問)

日本100名城 やっと行けました。

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概要

蝦夷地の管理と箱館防御を目的とする徳川幕府の命令で、ヨーロッパで考案された稜堡式の城塞として日本で初めて築城。空からだときれいな星形状に見える構造で、石垣と土塁によって構築された本塁と低塁が5つの角に配されている。さらに1ヵ所だけ突き出た場所に、防御と出撃の拠点となった半月堡がある。

城郭情報

城地種類 稜堡式
築城年代 元治元年(1864)
築城者 徳川幕府
主要城主 旧幕府軍(蝦夷共和国)
文化財史跡区分 特別史跡(五稜郭跡)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 箱館奉行所、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
住所 北海道函館市五稜郭町本通1
問い合わせ先 函館市教育委員会生涯学習部文化財課
問い合わせ先電話番号 0138-21-3456