高水寺城を終えて南下約4km程の国道4号線沿い明石小学校、薬師神社、五郎沼辺りが樋爪館跡全体に成るようです。
樋爪館は東北城探訪3日目岩手県4城目で初登城。
駐車場:五郎沼古代蓮南のジャリ駐車場は有る、私は橋爪館跡史跡マーク地に路駐、箱清水公民館の東前道幅寄せ路駐。
参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
箱清水公民館と薬師神社参道がグーグルマップの樋爪館跡史跡マーク地、同じエリアに薬師神社由緒と大荘厳寺跡の石碑、明石小学校北東角に樋爪館跡案内板、五郎沼の蓮池に平泉から株分けされた古代蓮が植わってる、更に南に砂利道の公園駐車場、東は五郎沼、五郎沼駐車場の北側に樋爪館跡周辺の想像歴史絵図、橋爪館の解説板、五郎沼の蓮のいわれパネルが掲示されている。
想像絵図を見ると平泉の館を小型にした古代ロマンあふれる館跡の様でした、政庁、御殿、寺社、五郎沼と周辺の町屋、五郎沼から北上川を介して平泉への河川交通が容易に考えられます。
案内板によると
樋爪館は奥州藤原氏初代清衡の4男で清綱、樋爪氏を名乗り拠点とした、平泉北方の砂金や馬、漆、米などの物産を流通する要所としてと街道、北上川を使い平泉へと繋がっていた。
頼朝の奥州討伐に樋爪氏も抵抗するも抗いがたく館に火を放ち北の逃亡した。清綱の子太郎俊衡が頼朝に奥州藤原家中唯一一人許されて、この地の戻って寺の住職に成ったという。
想像絵図を見ると栄華の頃が偲ばれ、史跡は標柱に案内板で830年前の流れを感じる樋爪館跡探訪でした。
この後は、東北城探訪岩手県5城目寺林城、6城目毒沢城へ登城移動し、先の5月26日と27日に投稿済です。
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