城主片山伊賀は前田利家の遺言で粛清。
(2021/11/18 訪問)
安田城は井田川の左側に位置し、長らく畑地として使用されてきましたが、現在は
城址公園として、整備されています。二の丸から城域に入り、北に本丸、西に右郭が
存在し、周囲を水堀が取り囲んでいます。各郭の周囲に土塁が配され、特に本丸の
土塁は非常に分厚く、まるで土塁自体が一つの郭であるようです。
訪問した時間が遅かったので、写真は暗いです。月まで出てます。申し訳ないのですが
今はこれが精いっぱい。(ルパン風に)
安田城の築城年代は不明ですが、豊臣秀吉の軍勢が佐々成政を討つため白鳥城に陣を構えた時に
前田氏家臣、岡嶋一吉が安田城に移ったとあります。後に前田利長家臣、片山伊賀と岡嶋一吉が
白鳥城に置かれた時、片山らは生活の不便から利長に請うて安田城に下りてきたと有り、
その際に、白鳥城は安田城の詰めの城として位置付けられたと考えられています。
これらは戦国から時代が移るにつけ、城の主役が山城から平城に替わってきたことを感じます。
ちなみに片山伊賀は片山延高のことで、前田利家に家康との内通を疑われ、遺言には片山伊賀には
油断するなとあり、利家死後の7日後に利長の命で石川源太、松田直憲に殺害されています。
親というのはいつの時代も変わらないようです。
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