からすやまじょう

烏山城

栃木県那須烏山市

別名 : 臥牛城
旧国名 : 下野

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

ホトトギス

烏山城 (2018/09/28 訪問)

烏山高校の西側

+ 続きを読む

モト

石垣、空堀の残る見事な城跡です!! (2019/09/05 訪問)

ちょっとした山を登ると現れるその城跡は曲輪、土塁、横堀などのしっかりとした縄張りが残っています。
また、わずかな範囲ではありまますが石垣も見事に残っています。
私は、今回で2回目の登城でありました。
皆様の投稿を見ますとやはり評価の高いお城ですね。私もお気に入りです。
また、色々と登城口があるようですが、2回とも私は十二曲り登城道より登りました。
15分くらい登りますと城跡に到着です。
北城、中城と周って本丸に向かいましたがその間も見事な曲輪、高い土塁や空堀が確認できてこれだけでも満足です。
本丸から吹貫門へ周っていく途中には2つのおすすめ所がありました。
まずは本丸石垣です。
残っている範囲は小さいですがはっきりとそれとわかる見事な石垣です。
さらに2つ目は足元にご注目です、石段の跡です。
かつてここに石段があったことが容易に想像することができる石段です。
石垣に加えて城跡の雰囲気を増すアイテムでございました。
そしていよいよ吹貫門跡に到着です。
ここでは再び、ほんとに見事なと言っていいか、かっこのよいと言うべきか迷う石垣です。
何度も眺めてしまいました。

この城跡は石垣、空堀、土塁から土橋に至るまであらゆる城跡の見所を備えた素晴らしい所だと思います。
栃木県では絶対、おすすめの城跡だと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

カーナビ登城大失敗で麓の三之丸探訪 (2016/03/02 訪問)

 大田原市の黒羽城を終えて時間もまだ少し有り登城口事前調査して無かったのですがカーナビに烏山城目的地にして地道を南下、近くまで来てナビの示すまま林道に入り城跡に近づいてるのですが道が狭くなりおかしいと気付きましたがUターン出来ず、バックしUターン出来そうな所で何回か切り返し両路肩はぬかるんで居りスリップし後輪前輪泥だらけ。
 やっとの思いで抜け出し、近くの那須烏山市文化振興課を訪ね烏山城の登城路情報、資料、小冊子を聞き頂く。暮れては来るし今回の疲労で比高100m少しだそうですが七曲り急登で登る気力も湧かず登城口確認とその近くに在る三の丸エリアを探訪して終わる。
 烏山城は関東エリアで石垣造り、石垣の残ってる城跡として有名なので何時か体力的に充実してるタイミングを狙って再挑戦したい城です。

 資料によると烏山城は那須一族沢村資重の築城応永24年(1417年)、沢村資晴の時小田原合戦参陣遅れで改易、小田原征伐後織田信雄が国替えに従わず一時2万石で居城も後秋田に流罪、成田氏、松下氏、堀氏と移り堀親昌の時東山麓に三の丸(居館)を築く万治2年(1659年)以後板倉氏那須氏永井氏稲垣氏大久保氏と代わり大久保氏約140年で明治と成る。

 三の丸と七曲り登城口は那須烏山市役所から北に約500m程案内看板が有る西山麓に入り寿亀山神社下に駐車場、駐車場を南に谷筋に入ると七曲り登城口と成る。三の丸は神社及び神社下から市道まで曲輪が段丘的に連なってる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

BUGTI

織田信雄も城主だった城 (2019/12/07 訪問)

江戸時代には麓に政庁が移ったようだが、山上の遺構は非常に良く残っている。一部に残っている石垣は崩れそうになっているが、空堀や土塁などは見ごたえがある。百名城に選ばれてもおかしくないほどの城跡だと思います。それぞれの曲輪は空堀や土塁でしっかり守られており、特に本丸や古本丸の西側の空堀が良い。北城へは発掘調査中で入れませんでした。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 那須資重
築城年 応永25年(1418)
主な改修者 堀親昌
主な城主 那須氏、成田氏、板倉氏、堀氏、大久保氏
廃城年 明治2年(1869)
遺構 曲輪、石垣、土塁
指定文化財 市史跡
再建造物 説明板
住所 栃木県那須烏山市城山
問い合わせ先 那須烏山市教育委員会事務局
問い合わせ先電話番号 0287-88-6223