とくたんじょう

徳丹城

岩手県紫波郡


旧国名 : 陸奥

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しんちゃん

丹沢城の支城? (2025/01/04 訪問)

徳丹城は胆沢城の築造後の弘仁3年(812)ごろに征夷将軍・文室綿麻呂によって築かれたとされています。30年以上続いた蝦夷との和平を目的として築かれたと現地案内板には書かれています。前年の10月には蝦夷を攻撃し、多数を殺害・降伏させたので戦後処理と統治を目的に築かれたということでしょうか。正規軍では無く中央政権に協力的な蝦夷の軍が配備されていたと考えられています。こうやって取り込まれていったわけですね。
現在は国道4号が縦断し、主要部や政庁跡は徳田小学校の敷地になっているようですが、見学は可能です。

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カズサン

広大な徳丹城初探訪 (2024/05/22 訪問)

 厨川柵を終えて南下約12km程、途中に盛岡城がナビに出てチョイ寄りしたい気持ちを抑えて徳丹城跡北西の広い砂利駐車場に駐める。志波城が水害により南東の北上川段丘に遷立徳丹城を造営(弘仁3年812年の頃)、征夷将軍文室綿麻呂(フンヤノワタマロ)によりおよそ1200年前。
 
 駐車場:矢巾町歴史民俗資料館の駐車場(此処がベター)
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 徳丹城西側の駐車場に駐めたので、城名石碑、幅広の国史徳丹城跡の地図付きガイドを確認して、あまりにも広い(城域は南北約350m東西約350m)ので散策Mapを求めて、矢巾町歴史民俗資料館へ、前に駐車場、北隣に佐々木家曲家(茅葺)、係りの方に散策ルート、Mapを訪ねましたが親切に教えて頂き且つ沢山資料を頂きました。
 本来はゆっくり館内見学、ビデオ視聴、勉強して城域を探訪観察するのがよいのですが、時間に余裕なく、マップ片手に城域見学、先ずは陸橋を通り、東の政庁跡を眺め、西の官衙一帯を眺め、遠くに岩手山を望み、天気も良く長閑な眺めです。
 草が茂っているので徳田小学校校門よりグランド沿いを通って徳丹城政庁跡へ掘立柱建物なのか半柱列で正殿、西脇殿、東脇殿、南門、両脇建物、板塀跡が地面表示されている、正殿横に政庁の解説盤がある、全体草に覆われているが半柱で良く分かる。
 陸橋を通って西側の北官衙地面表示を見学、最近設置されたらしく地面はモルタル表示と半柱、解説板も真新しい、「木製冑」出土井戸跡も確認、徳丹城西門跡続く板塀跡の微高地表示を確認して初徳丹城を終了。

 矢巾町歴史民俗資料館の方にお礼申し上げます。
   

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小城小次郎

官衙と重なる古代城柵 (2023/05/04 訪問)

志波城の水害を受け文屋綿麻呂の進言でもともと別の官衙があった場所に急遽移転したという経緯が示す通り軸線の異なる官衙が徳丹城と重なる形で見つかっている。そして他の古代城柵と同じように徳丹城もやたらと広い。

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三浦の晃ちゃん

律令制度最後の城柵 (2024/01/08 訪問)

律令制度最後の城柵です。最初の征夷大将軍、坂上田村麻呂の後継者が、建設したようです。今は、広場になっています。隣接の矢巾町歴史民俗資料館に、詳しい説明があります。が

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城郭情報

分類・構造 古代城柵
天守構造 なし
築城主 文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)
築城年 弘仁2年(811)
主な城主 文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)
遺構 (発掘調査:建物跡、築地塀跡)
指定文化財 国史跡(徳丹城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岩手県紫波郡矢巾町西徳田
問い合わせ先 矢巾町歴史民俗資料館
問い合わせ先電話番号 019-697-3704