厨川柵を終えて南下約12km程、途中に盛岡城がナビに出てチョイ寄りしたい気持ちを抑えて徳丹城跡北西の広い砂利駐車場に駐める。志波城が水害により南東の北上川段丘に遷立徳丹城を造営(弘仁3年812年の頃)、征夷将軍文室綿麻呂(フンヤノワタマロ)によりおよそ1200年前。
駐車場:矢巾町歴史民俗資料館の駐車場(此処がベター)
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
徳丹城西側の駐車場に駐めたので、城名石碑、幅広の国史徳丹城跡の地図付きガイドを確認して、あまりにも広い(城域は南北約350m東西約350m)ので散策Mapを求めて、矢巾町歴史民俗資料館へ、前に駐車場、北隣に佐々木家曲家(茅葺)、係りの方に散策ルート、Mapを訪ねましたが親切に教えて頂き且つ沢山資料を頂きました。
本来はゆっくり館内見学、ビデオ視聴、勉強して城域を探訪観察するのがよいのですが、時間に余裕なく、マップ片手に城域見学、先ずは陸橋を通り、東の政庁跡を眺め、西の官衙一帯を眺め、遠くに岩手山を望み、天気も良く長閑な眺めです。
草が茂っているので徳田小学校校門よりグランド沿いを通って徳丹城政庁跡へ掘立柱建物なのか半柱列で正殿、西脇殿、東脇殿、南門、両脇建物、板塀跡が地面表示されている、正殿横に政庁の解説盤がある、全体草に覆われているが半柱で良く分かる。
陸橋を通って西側の北官衙地面表示を見学、最近設置されたらしく地面はモルタル表示と半柱、解説板も真新しい、「木製冑」出土井戸跡も確認、徳丹城西門跡続く板塀跡の微高地表示を確認して初徳丹城を終了。
矢巾町歴史民俗資料館の方にお礼申し上げます。
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