とくたんじょう

徳丹城

岩手県紫波郡


旧国名 : 陸奥

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ぎりょう

再訪したいと思います! (2026/11/01 訪問)

じいさん仲間の歴史ツアー、秋の陣は盛岡方面へ。
 途中でこれまで国道四号線で何度も通り過ぎながら訪問していなかった徳丹城跡に初めて立ち寄ることができました。
 数年前に興味をもった古代城柵・官衙跡巡りですが、「律令国家最後の城柵」として造営された徳丹城の成り立ちを知ると、古代城柵探訪のまとめにふさわしい遺跡と感じました。
ここより12km北にあった志波城が北上川の度重なる水害により移転を余儀なくされていたことと、それまでの征夷政策から融和政策へ国家政策の転換が徳丹城造営に繋がったなったようです。
 志波城は坂上田村麻呂によって延暦22年(803)に造営されました。徳丹城は弘仁3年(812)に征夷将軍文室綿麻呂により造営されますが、9世紀半ばにはその機能を終えたとのことです。
 今回の訪問で、徳丹城は城柵・官衙の完成形なのかと感じました。また、城地には「先行する官衙」や、旧北上川に向う運河の遺跡などもあり、大変興味深く感じました。
 城地跡西に矢巾町歴史民俗資料館があり、発掘調査結果や出土物などが展示されいます。開館直後の訪問でしたが女性職員さんからたくさんの資料をいただき、質問にも親切にお答えいただきました。盛岡市に向う途中で、短時間の訪問となってしまいましたのでぜひ再訪したいと思います。



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たか

志波城に影響を受け立ち寄り (2026/08/10 訪問)

南部家御城印プロジェクトに戻らなければと花巻へ移動していたら途中で徳丹城を発見。
志波城がしばしば水害に合うとのことでこの徳丹城へ移ったという事を先程の志波城で確認していたので立ち寄ることとしました。
ちなみにここも月曜日は休館でした。

徳丹城も志波城と同様に綺麗に整地されていて気持ちが良いです。
ちょうど奥州街道を渡って徳田小学校のあたりが正殿跡らしいです。
木製冑が井戸から発掘されたらしく、この冑で水をくみ上げていた記述がありました。
その冑は7世紀に作られたものらしいです。
大化の改新とかくらいだな凄い!とやはり浅い知識で攻城しました^^;

後日、なんと攻城した2日後から御城印を始めたらしく…
志波城がラッキーだった分しょうがないです。
また攻城しに来よう!

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文室綿麻呂 (2025/09/26 訪問)

 平安時代初期の弘仁3年(812年)頃に、文室綿麻呂によって造られた律令制最後の 城柵です。志波城がしばしば水害を被るため移転したと伝わります。整備されていて散策しやすくなっています。

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しんちゃん

丹沢城の支城? (2025/01/04 訪問)

徳丹城は胆沢城の築造後の弘仁3年(812)ごろに征夷将軍・文室綿麻呂によって築かれたとされています。30年以上続いた蝦夷との和平を目的として築かれたと現地案内板には書かれています。前年の10月には蝦夷を攻撃し、多数を殺害・降伏させたので戦後処理と統治を目的に築かれたということでしょうか。正規軍では無く中央政権に協力的な蝦夷の軍が配備されていたと考えられています。こうやって取り込まれていったわけですね。
現在は国道4号が縦断し、主要部や政庁跡は徳田小学校の敷地になっているようですが、見学は可能です。

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城郭情報

分類・構造 古代城柵
天守構造 なし
築城主 文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)
築城年 弘仁2年(811)
主な城主 文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)
遺構 (発掘調査:建物跡、築地塀跡)
指定文化財 国史跡(徳丹城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岩手県紫波郡矢巾町西徳田
問い合わせ先 矢巾町歴史民俗資料館
問い合わせ先電話番号 019-697-3704