続日本100名城

つちうらじょう

土浦城

茨城県土浦市

別名 : 亀城
旧国名 : 常陸

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土浦城
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Tokyobay

市街地城址あるある? (2024/02/19 訪問)

「土浦」と言えば、最近は渋谷の事故で話題になり、イメージ悪化した印象もあるが、実際に行ってみるとそれなりに風情のある歴史を感じる城下町が残っていたのはチョット意外。大手門跡は現在は小中学校の門になっていて、これもなんだか不思議な感じ。
城内に入ると夕暮れ時の「市街地城址あるある?」なのかカップルがいて、フラッシュONでバチバチ写真を撮ってるとちょっと嫌な顔をされる。城郭自体は思ったよりもこじんまりしていたが、現存・復元含めて街のシンボルとして存在しつつも、市民の憩いの場?としても上手い具合に活用されているように思えた。ただし、逆に言えば観光客と市民との「目的」の違いがコンフリクトすることもあるのかと。それが所謂「オーバーツーリズム」ってことになるのかもしれないが。

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しんしんちゃん

小田城が奪われた際の避難場所であったが江戸期の縄張りは非常に固い。 (2019/01/05 訪問)

土浦城は永禄3年(1495)に和泉(今泉)三郎が築いたとされ工期は3年ほどかかったとされています。永正13年(1516)に小田氏の城となり小田氏家臣の信太範貞が城主となり、その後は菅谷勝貞が居城したとあります。勝貞は小田氏治の腹心で小田氏が勢力を縮小していく中でも子・政貞、孫・範政と三代に渡って良く小田氏を支えたとあります。
小田氏の本城は小田城ですが小田城が落城するたびに土浦城に逃れ、勢力を建てなおしては本城を奪還するといったことを繰り返していましたが永禄12年(1569)の手這坂の戦で真壁軍に敗れて本城まで奪われ、勢いを失った小田氏治は佐竹氏に降ったとのことです。
徳川家康の関東移封後は結城秀康の支配下に入り、秀康の越前北庄への移封後は松平信一が3万5千石で入り、西尾氏、朽木氏、土屋氏と続き土屋氏の時代に明治維新を迎えました。
土浦城は霞ケ浦の西に築かれ南は桜川が霞ケ浦に注ぎ、南東と南西は沼地になっていたようです。本丸を中心に二の丸と三の丸が囲む標準的な構造で周囲を堀に囲まれた寺院や郭で囲まれ防御は固かったと思われます。北側の浄真寺の郭のさらに北側に二重の馬出しが見て取れ寺社仏閣もしっかり城の防御に取り込んでいたようです。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/11/17 訪問)

※水戸城、笠間城とともに登城
7:30上野(JR)、8:49水戸
 (徒歩15分)水戸城(百名城スタンプ 弘道館(9:00-16:30))
11:05水戸(JR)、11:20,11:23友部(JR)、11:31笠間 ※駅前観光案内所でレンタサイクル
 (1.6km)笠間歴史交流館井筒館(続百名城スタンプ 9:00-22:00)
      + (700m)真浄寺 +(2km)笠間城跡散策 + 菊祭り
14:05笠間(JR)、14:14,14:21水戸(JR)、15:00土浦
 (徒歩16分)土浦城(続百名城スタンプ 9:00-16:30) +霞ヶ浦総合公園(霞浦の湯)
19:24土浦(JR特急)、20:23品川

※霞ヶ浦総合公園はおまけの訪問

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天守無しがアツい

初めての御城印 (2023/08/18 訪問)

入口はいってすぐの場所に戦の絵があり、よく見るとそこには武田軍と徳川軍の戦いが描かれてました…天正十年(1582年)武田勝頼率いる武田軍は織田徳川連合軍に攻められて、勝頼は自害して果てるわけですが、その際に時間を稼いだのが土屋昌恒

彼の奮戦が敵味方問わず評価され、家康は昌恒の子を側室の養子として迎え入れ、やがて忠直という名前が与えられ、そして大名に取り立てられ、それが土浦藩として成立したそう

茨城…当時は常陸国ですが、水戸藩(桜田門外の変の参加者の多くの出身、徳川慶喜を輩出)は聞いた事あっても、土浦藩は初めて聞いたので少し驚きました

櫓は二階建て…一階と二階にそれぞれ木製パズルがあり、二階の簡単そうなのだけチャレンジ。しかし(おそらく子供向けなのに)途中からどれを当てはめてよいか分からなくなり、隣にある見本を見ないとできませんでした…侮るなかれ…の一例?😅

二階の窓からはかつて霞ヶ浦が見えたそうです。けれど今はもう見えない…周辺の建物の高層化が原因ですね🌆 これも一つの時代の流れでしょうか?

見学は終わり、受付にて御城印というものが販売されていました。「せっかくだから記念に一枚買っておくか」と考えた私は購入。旅のちょっとした記念にはなったことでしょう

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城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 永享年間(1429〜1441)
築城者 若泉三郎
主要城主 若泉氏、小田氏、松平氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏
文化財史跡区分 県史跡(土浦城跡及び櫓門)
近年の主な復元・整備 松平信一、信吉、西尾忠照、朽木稙綱、種昌
主な関連施設 東櫓、西櫓、石碑、説明板
主な遺構 太鼓櫓門、曲輪、土塁、堀
住所 茨城県土浦市中央1-13
問い合わせ先 土浦市文化生涯学習課文化振興室
問い合わせ先電話番号 029-893-5505