関ヶ原古戦場の黒田長政陣は岡山烽火場とも呼ばれています。また竹長重門の陣もあったとされています。
黒田長政は幼いころ豊臣秀吉・竹中半兵衛に命を救われたことがあるので旧知の仲であったと思います。その際に長政の遊び相手の少年が身代わりとなって首が織田信長の所へ送られたと何かの媒体で見ましたが、一般にはあまり知られていないようです。
「美談」の裏側と言うのはあまり覗かない方が良さそうですな。
標高164mの岡山の上からは関ヶ原が良く見えます。案内板にはここに5000の兵が東軍の最右翼として布陣していたとある。小早川秀秋や吉川広家を調略・・と言うよりは向こうの方が東軍に付きたかった気配はありますが、合戦前の長政の働きは戦場での武功以上のものがあったと思います。
関ヶ原に関しては既に多くの人のライフワークとなっています。次々と新説が出てきますが、とりあえず「新旧」まとめて取り込んで自分なりの「歴史」を自分の中で育てていきたいですね。「城びと」ってそれが出来る立ち位置にいると思うんですよ。
自由ですからね・・しがらみ無いし。
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