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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2021/06/11 訪問)

「船倉の 遺構は奇跡 玖島城(ふなぐらの いこうはきせき くしまじょう)」

ここの船倉遺構は奇跡と言っていいと思います。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2024/07/06 訪問)

「最寄り駅 厳木読めない 獅子ヶ城(もよりえき きゅうらぎよめない ししがじょう)」

厳木駅は難読駅名で有名です。その厳木駅が読めないと致命的です…。唐津線の本数は少ないし,厳木駅からの路線バスは廃線となっています。

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しんちゃん

新田さん、居たんですか? (2016/01/01 訪問)

反町館は照明寺のあたりに築かれていました。周囲には土塁や堀が残っています。特に水堀の幅は10~12mもあり城郭の雰囲気が良く出ています。築城は鎌倉時代から南北朝の頃とされ、戦国時代に三重の堀を巡らす城郭に拡張されたようです。
かつては新田義貞がここに移住し、その後は大舘氏明、新田義興、矢内時英が住んだという伝承もあるようです。

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しんちゃん

波多野氏の地域支配の拠点 (2019/10/26 訪問)

余部城は西岸寺付近の台地の上に築かれていました。築城時期は不明で、応仁の乱の時に東軍の野田泰忠や安富又次郎が入ったらしいです。天正年間には八上の波多野氏が丹波をほぼ手中に収め、配下の福井貞政がこの城を守ったとされています。
天正6年6月3日、明智光秀の軍勢に攻められ落城しました。西岸寺のあたりには天守閣も建てられていたそうです。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2024/02/11 訪問)

「お姫井戸 落城伝説 河村城(おひめいど らくじょうでんせつ かわむらじょう)」

落城時,城主のお姫さまが身を投げたという伝承のあるお姫井戸。しかし,井戸の遺構は見つかっていない。現在も水を湛えているのに…。

まずは一発目,あまり考えずに投稿します。

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首里城公園

首里城公園 夏休み体験イベント 2025

📣【夏休み限定🌞✨首里城公園で自由研究&体験ざんまい!】
\今年の夏は、首里城で「つくって学ぶ」特別な体験をしよう!/

しかも❗対象プログラムに参加すると、入場料が20%OFFになるキャンペーンも実施✨
沖縄の文化を体験して、お得に首里城もめぐろう!

🗓️開催期間:8月1日(金)~24日(日)
📍場所:首里城公園(首里杜館・系図座・用物座ほか)

📘自由研究におすすめ!
🔸夏休み自由研究帳(無料配布)
首里城の歴史や文化を学べるオリジナルワークブック📖✨
配布場所:首里杜館、系図座・用物座
7/19(土)~配布スタート!

🎨工作・文化体験も充実!(一部要予約)
🆕赤土でシーサー作り体験(8/2・3/¥3,500/要予約)
赤瓦の原料である赤土を使ってオリジナルシーサーを作ろう🦁✨
場所:首里杜館1階レビューホール

🆕紅型タペストリー染付け体験(8/9・10/¥4,000/要予約)
沖縄の伝統工芸の紅型でタペストリーづくり。当日お持ち帰りOK🎨
場所:首里杜館1階レビューホール

🎐オリジナルちょうちん作り体験(8/16・17/¥1,200/随時受付)
作ったちょうちんを持って夜の首里城を歩くのも◎
場所:系図座・用物座

🍪琉球お菓子作り体験(ちんすこう)(8/23・24/¥1,200/要予約)
琉球の歴史を学びながらちんすこう作りに挑戦しよう!※小麦使用
場所:系図座・用物座
「満員御礼」

🌅サンセットガイドツアー(8/2・9・16・23/¥1,000※別途要入場料/要予約)
夕日に染まる首里城をスタッフがご案内します🌇
集合場所:系図座・用物座

🎨首里城ぬり絵体験(8/1、6~8、13~15、20~22/無料)
正殿をカラフルに塗ってみよう!🖍️
場所:系図座・用物座
10:00~16:00(随時受付 ※受付終了15:30)

👘こども御開門式(ウケージョー)(8/3、10、17、24/無料)
毎週日曜の朝に開催!歴史衣装で儀式に参加しよう✨(要申込・無料)
参加者募集中!
場所:奉神門
8:25~8:35
「満員御礼」

🎶琉球音楽演奏会(観覧無料)(8/3・10・17・24/無料)
沖縄の豊かな文化を感じる贅沢なひととき
①10:00~10:30 ②11:00~11:30 ③14:00~14:30 ④16:00~16:30
場所:首里杜館1階 無料休憩所

🏝海洋博(EXPO75)50周年記念展(6/6~9/28/無料)
海洋博覧会当時の貴重な資料を展示!
場所:首里杜館1階レビューホール

📞申込開始日:7月21日(月)〜(一部プログラムは28日〜)
☎予約&お問合せ:098-886-2279(受付 9:00〜18:00)
※定員制プログラムはお早めに!

詳細は、首里城HPをチェック!
🔗https://oki-park.jp/shurijo/events/detail/10120

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ヒロケン

にのまるさん 100名城制覇おめでとうございます。 (2025/07/26 訪問)

にのまるさん 100名城制覇おめでとうございます。(祝辞のご挨拶が遅くなり申し訳ございません。)

私が「城びと」に投稿を始めた頃、にのまるさんと攻城数があまり変らなかった事から、勝手にライバル視しておりました。私が「城びと」に投稿し始めてもう7年になります。その間、にのまるさんの投稿を読んで、画像を見て、色々と勉強させていただきました。(勿論、他の先達の方たちの投稿も勉強をさせていただいております。)
お城に対する情熱、文章の構成力、ユーモアセンス等々、勝手にライバル視して意識していたのが今となってはお恥ずかしい限りです。
いつの間にか、ライバルから目標に代わっております。これからも、体調に気を付けて、無理し過ぎない様頑張って下さい。

ところで、赤い城さんがにのまるさんへ出された ご祝儀のおめでとうクイズ の中で、岡山城二の丸伊木長門屋敷内櫓跡の石垣ですが、岡山出身の自分は知りませんでした(´;ω;`)ウッ… 今回、帰省したついでに、事前調査無しで尹木長門屋敷内櫓跡の石垣を探しに岡山城に出向きましたが、結局見つける事が出来ませんでした。
岡山城二の丸伊木長門屋敷内櫓跡の石垣を知っていた、赤い城さんも凄いがそれを答えたにのまるさんも凄い‼‼(私が知らないだけ!)
という事で今回、徒労に終わった岡山城を投稿いたします。やっぱ岡山城は恰好がイイや

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イオ

見応えある遺構をお手軽に (2025/05/04 訪問)

青地氏代々の居城で、築城時期は鎌倉期とも室町期ともいわれます。青地氏は六角氏の有力家臣として郡奉行を務めましたが、織田信長の近江侵攻では信長に従い、本能寺の変の後は明智光秀に与したとの疑惑により青地城を追われ、廃城となりました。

小槻神社の駐車場から登城開始。青地城は南北に続く丘陵に三つの曲輪が連なる縄張で、小槻神社から北に少し行ったところから右手の丘陵に取り付くと、中郭と南郭間の堀切に至ります。幅も高さもある巨大な堀切で、思わず声が出てしまいました。堀切の東端では丘陵の東麓を流れる小川を水堀としています。堀切を南側によじ登ったところが南郭です。北側が一段高く、南半分を土塁がめぐっています。

堀切に戻って今度は中郭へ。中郭は東~南~西の三方を分厚く高い土塁で囲んでいて、青地城の石碑や青地城主(青地氏)の墓所がありました。中郭の北には主郭があったようですが、小学校の敷地になっていて遺構はなさそうです(立ち入りもできませんが)。主郭の北から北東にかけては城池と呼ばれる二つのため池を堀代わりにしていたようで、北側の城池はおおむね遺っていますが、北東側の城池は埋め立てられて小学校の駐車場になっています。二つの城池の間の土橋は現在も小学校への道として活用されていて、門の手前に青地城跡の説明板が掲示されていました。

城跡の半分以上は失われているものの、見応えのある堀切や土塁を30分あまりでお手軽に見て回れるのは魅力ですね。
 

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todo94

三連休2日目の攻城① (2025/07/20 訪問)

今回、熊本のホテルに連泊にしたため、荷物はホテルに置いておいたのですが、カメラまで置いてきてしまいました。レンタカーの中で気が付いたので後の祭り。仕方なくスマホで撮影した次第です。スマホは熱を持つと動作が不安定になるし液晶画面でシャッターを切るというのもどうにも慣れません。おまけに、設定をきちんとしていなかったのでHEIC画像で撮影してしまったため、変換の必要まで生じてしまいました。岩野嶽道祖城は城に関する表示類は見当たりませんでした。ひらくち神社入口の立て札が目印です。登城してすぐに薮蚊の大群の襲撃に遭ってしまいました。山城ではなかったのですが、夏の攻城は、街中の方が安心だなと感じました。

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しんちゃん

椎名康胤 (2015/10/23 訪問)

松倉城は通称「城山」に築かれた連郭式山城で越中三大山城の一つとされています。建武2年(1335)頃の築城とされ、室町時代は椎名氏の居城となりました。戦国時代に椎名康胤は上杉謙信に従い、神保氏に対抗しますが永禄11年(1568)武田氏に内通し上杉謙信の越中挙兵を招きました。
永禄12年に謙信に松倉城を包囲されますが落城はせず、上杉氏と和睦するも元亀3年(1572)再び上杉氏に反抗する動きを見せたために再び松倉城を包囲されました。翌年降伏開城しますが、康胤は後に一揆方として上杉氏と戦い自害したとも言われています。

城址には車道が通じていて複数の駐車場があるようです。八幡堂平付近から大見城平を経て主郭まで訪問しました。二郭との間に堀切があり、その先にも複数の郭があり、かなりの規模があるようです。

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HKISD

志布志城散策 (2025/07/19 訪問)

ここは歴史資料館から遠く、登る所も非常に見つけにくかったです。
でも行って良かったです。

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HKISD

飫肥城散策 (2025/07/19 訪問)

見事でした。杉の木の風景。街並み。
行って良かったです。

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HKISD

佐土原城散策 (2025/07/19 訪問)

前の日が雨だったのでぬかるみが多かったけど本丸迄行きました。
ただ、草が多くて天守閣があった場所迄は行けませんでした。(泣)

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しんちゃん

立花宗茂 (2014/10/09 訪問)

柳川城は文亀年間に蒲池治久によって築かれたとされています。戦国時代に龍造寺隆信や鍋島直茂の攻撃に耐え抜きますが、天正9年に蒲池鑑並が龍造寺隆信によって謀殺されると柳川城は龍造寺氏の支城になりました。その後、大友氏の将・立花道雪と高橋紹運が柳川城を攻めるも落城させることは出来なかったようです。
豊臣秀吉の九州征伐後は立花宗茂の居城になりますが、関ヶ原の合戦後は田中吉政が筑後一国32万5千石で入り、城を全面改修しました。
元和6年(1620)に田中忠政が後嗣なく病没し田中家が改易になると立花宗茂が10万石で再び柳川城主となりました。

現在は柳川中学校と高等学校の敷地内にあり、石垣や天守台跡が残っています。

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T-Shionoya

資料館もオススメな安田城 (2025/04/29 訪問)

富山の城の縄張図入手を兼ねて訪れた富山県富山市の安田城。

富山平野を東西に二分する呉羽丘陵の東麓、井田川の西岸で水堀に囲まれた3つの曲輪からなる平城。

1585年に豊臣秀吉が富山城の佐々成政を征伐する際、呉羽丘陵上の白鳥城が本陣となり、安田城はその支城の1つとして前田家臣の岡嶋一吉が配置されたとのこと。
成政降伏後の城主は不確かなところもあるが、最近ではこの時期に本丸が築かれたとの説がある様子。
1599年の前田利家の死去に伴い岡嶋一吉が金沢へ移ると、家臣の平野三郎左衛門に引き継がれ、間もなくして廃城になったと伝わります。

現在は水堀と土塁がほぼ全域復元され、小さな資料館も建つ国指定の史跡公園。

訪問時は雨が降ったり日が射したりの忙しい空模様。
本来は右郭が唯一の入城口だそうで、L字型の曲輪レイアウトは横矢を意識したものでしょうか。
他とは異なる直線を基調とした本丸は、幅の広~い土塁を装備し、土塁の上がまるで1つの曲輪の様。

滞在時間は約1時間。
県内60以上の城の縄張図を配布する資料館もオススメな、私の城郭巡りの206城目でした。

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トク

宇土櫓(素屋根内部特別公開) (2025/07/13 訪問)

宇土櫓の素屋根内部の特別公開があったので見に行ってきました。素屋根の中には初めて入るので、ちょっとドキドキです。しかし中に入ると、現在はちょうど解体工事が完全に終わったところのようでした(ガク!)。解体中の様子が見たかったので、もっと早い時期にも来ればよかったと後悔です(写真①②③)。

宇土櫓は昭和2年にも一度解体修理されていたようです。私も初めて知りました。完全な現存櫓とばかり思っていたのですが・・・。現在その昭和2年当時の補修部分を見る事ができます。礎石の上にあった土間に、コンクリートを敷き詰め鉄筋で補強していたようです。また筋かいの鉄筋も発見されたそうで八幡製鉄所の文字が刻まれていたとか。その当時の様子が100年経った今になって現れ、初めて明らかになったそうです。現在は当時の床面の古いコンクリートがはがされた状態で、その下から江戸期の土間の石垣と間詰石が現れ、礎石の上には昭和2年のコンクリと鉄筋がまだ残っている状態になっています(写真③)。

また江戸時代にも、宇土櫓は何度か災害などで補修工事がなされていたようです。初期の加藤時代の瓦と、修復に使われた細川時代の瓦が発見されたとの事で展示されていました(写真④)。また鯱も左右対称ではない事が分かり、左の口を開けている阿形は雄で、右の口を閉じている呼形は雌だそうです(写真⑤)。

解体工事は今月で終了したので、次回8月10日(日)の公開がとりあえず最後で、一旦公開は休止するとの事でした。また来年から2年間かけて始まる、宇土櫓の土台部分を補強し、保存されている高石垣の石を積み直す工事や(写真①下の足場部分)、この間に解体した建材を補修し、それらを使った櫓の再建工事(三重五階)が3年後から始まります。その再建工事の途中に特別公開がまたなされると思うので、その時にまた様子を見に行こうと思っています。これまでの解体の様子は、熊本城公式HPに動画で公開されていますので、そちらを御覧下さいとの事でした(写真⑥)。

また未着手だった天守北面も新たに足場が組まれ、やっと北面の石垣復旧工事もが始まったようです。少しずつですが着実に復興が進んでいると感じました(写真⑦⑧)。暑い中、工事関係者の方々には、本当に頭が下がる思いです。

熊本城全体の完全復旧は2052年の予定なので、まだ気が遠くなるくらい先ですが、でもせめて宇土櫓が完成する2032年までは、私も何とか健康でいて見届けたいなと思いました(写真⑥宇土櫓行程表)。

猛暑の中を歩き回り疲れたので、帰りに熊本ラーメン(焦がしにんにくたっぷりの濃厚豚骨)を注文して食べました(写真⑩)。これは・・・かなり効きました!(笑)。
 

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元離宮 (2025/07/26 訪問)

 近くまで来たので寄ってきました。最初の予定にはなかったのですが、外から西南隅櫓や堀を見ていたら素通りはできなくなりました。時間もなく暑かったこともあり二ノ丸御殿、本丸御殿はパスしてさらりと散策しました。
 前回来た時は新型コロナウィルス感染症の流行期で出張で京都へ来たときに空いた時間を利用して登城しましたが、観光客も少なかったのですが、今回は多くの人が見学してみえました。

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豊臣秀吉妙顕寺城 (2025/07/26 訪問)

 二条城東大手門から東へ徒歩約10分の場所に石碑と説明板がありました。城びとには未登録の城址です。豊臣秀吉が聚楽第を築くまで京都における拠点となった城と伝わります。普段は前田玄以が在城して政務を執り、秀吉が上洛したときには宿舎となりました。堀に囲まれ天守もあったと伝わりますが、実態はまだわかっていないようです。

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出雲大神宮 (2025/07/26 訪問)

 出雲大神宮背後の神体山である御影山の頂にある城址です。御影山は出雲大神宮の御神体で入山は禁止となっています。出雲大神宮に参拝して山を見上げて撤退しました。二重堀切などそれなりに良い遺構はあるようです。

 

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しんちゃん

居館から平城に (2016/01/01 訪問)

江田館の主郭は東西約80m、南北約100mの広さを持ち、周囲に土塁と堀を巡らせていました。本丸の西と南をカギ状に囲んで二の丸が配されていたようです。古くは新田義重の子孫である江田行義の館跡(平城)とされ、行義は新田義貞の北条氏討伐に参加し軍功を立てました。文禄年間に子孫の守下大膳が祖先の居住していた、この地に戻ってきたとされています。
戦国期には金山城の出城としての役割を与えられ、由良氏の四天王の一人とされる矢内四郎左衛門の居城となりました。土塁上には新田義貞を祭る石宮があります。

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