総構えと言えば、TVで最も紹介される小峯御鐘ノ台大堀切東堀。「総構えに来た!」という感覚になる。見落としがちなポイントではあるが、城内側のかき揚げ土塁が高くなっていることを確認し、その計算された防御性に関心する。また、横矢掛け用のクランクで堀が蛇行しているのも見どころである。その他土橋跡や中堀との連絡部分が逆方向から確認できるのも有意義。南口の目の前に無料駐車場があるので、時間がない人はここだけ見るだけでもよい。とにかく必見であり、天守よりもこっちを見るべし。
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2025/05/05 03:30
天守よりもこっちを見るべし (2025/03/09 訪問)
総構えと言えば、TVで最も紹介される小峯御鐘ノ台大堀切東堀。「総構えに来た!」という感覚になる。見落としがちなポイントではあるが、城内側のかき揚げ土塁が高くなっていることを確認し、その計算された防御性に関心する。また、横矢掛け用のクランクで堀が蛇行しているのも見どころである。その他土橋跡や中堀との連絡部分が逆方向から確認できるのも有意義。南口の目の前に無料駐車場があるので、時間がない人はここだけ見るだけでもよい。とにかく必見であり、天守よりもこっちを見るべし。
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2025/05/04 22:47
「コ」の字形の枡形陣地、壮大な空堀に感動! (2025/05/02 訪問)
GW後半の初日は久々に地元の中世城館を探訪しました。宮城県北の黒川郡大衡村大瓜にある折口館(大瓜古城)です。大瓜は大衡村の西部に位置しており、鎌倉時代以降この地を支配した渋谷氏の一族、福田氏の居城とのこと。仙台藩の「仙台領古城書上」には黒川郡大瓜村の項に「一古城 東西四十四間 南北二十四間 城主福田太郎左衛門。永禄年中迄居住。曲輪長卅間幅四間ノ掘有。 二之丸 二十間 八間」との記載があります。
この城の縄張りの特色は、地形を利用して「コ」の字形に陣を構え、守りが手薄となる後背部を空堀で守る、桝形陣地というもの。藤ノ沢地区の東に突き出た標高50m程の丘陵上にあります。
攻城にあたり登城口の確認のため麓の民家にご挨拶。近年この地区ではイノシシの被害が大きく、民家と裏山の境にはイノシシ除けの金網が隙間なく設置されており、作業用の入口からしか山に入れないようになっています。お尋ねした家が地権者の方であったため、入山のお許しを頂き、金網の入口を教えていただくことができました。
道路から20mほど北に入った城址の東南側から攻城開始。雑木と竹藪になった帯曲輪とおぼしき段々を登り、途中では虎口らしき高まりも観ながら最上段の曲輪に到着できました。
主曲輪の規模は東西80m、南北48mの広さ、南東端部に東西17m、南北5m、高さ5m程の細長い土壇(物見か)を置きます。そして主曲輪の東側と西側には南に延びる脇の曲輪(二ノ丸か)が取付き、「コ」の字型の曲輪群が形成されています。後背部となる北端部には、西側から幅10m程の空堀が巡り主曲輪と西の脇曲輪を防御します。空堀は西側ではクランク状となり、対岸上に小規模な平場を設けて横矢を意識しているようにも感じられます。当地方の郡部に多い、領地支配のための「村の城」をイメージして訪問しましたが、舛形陣地、特に壮大な空堀に感動しました。
東北自動車道大和ICより10.7km、16分
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2025/05/04 19:28
ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑨ (2025/04/27 訪問)
渕牛館からの転戦です。今回、初めて「行った」をポチッたのですが、実は、20年前、岩出山町だった時代に一度、訪れています。そのときも今回も有備館とセットでした。本丸の伊達政宗像は戦時供出で撤去された仙台城の伊達政宗像に代わって建てられたもので、今のかっこいい伊達政宗像ができたときに仙台市より譲り受けたものだそうです。現在、BSプレミアムで大河ドラマ「独眼竜政宗」が放映されていますが、岩出山城も大きく取り上げられていますね。
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2025/05/04 18:42
2025/05/04 18:28
2025/05/04 18:19
2025/05/04 18:07
石見城リベンジ攻城の巻1️⃣ (2025/05/04 訪問)
三度目の正直でやっと主郭に到着。独りでは危険と言われましたが、運良く登る方々に遭遇したので、登ることが出来ました。
バス停から左手の民家前の道路を約30mすすむと登城口(写真⑤) 民家跡の2か所目の石積⑦。ここを左折直ぐに右折するのが登城道。スイッチバックのように通ります。貴重な道標⑨
ひたすら20~30m間隔の木の枝の赤い印を辿って登ります。
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2025/05/04 18:06
畑城だじょ〜 (2025/05/04 訪問)
畑城の投稿です。福岡県の城は、トクさんの代行(自称)で攻略させていただきたいと思います。ご容赦下さいませ。
源平合戦の際に香月氏によって詰城として使われたとされますが、詳細は不明です。主郭は採石によって失われたとされ、二郭の1段高くなった場所に祠が祀られています。また、二郭西側の1段低くなった場所にも腰郭がありますが、他に遺構らしいものはありません。
畑ダムの駐車場を借りて、案内板のある場所から登りましたが、なかなか危ないです。坂が急で、落ち葉が積もっているので足元が滑りやすいです。一部フェンスの無い場所もあり、コンクリの絶壁になっているので、雨の日は登城を控えるか傾斜の緩い西側から攻めたほうが良いと思います。
あとストックもあった方が良いと思います。
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2025/05/04 17:51
攻城ならず (2025/05/04 訪問)
ネットや石見銀山遺産センターのガイドさんのお話で予習しましたが、攻城ならず(今にも熊が出そうだったので)
登城口等載せます。ここに至るまでの林道は、軽自動車でやっと通れる位の幅。見通しが悪いので、対向車の為に、ライト点灯の運転がおすすめ。
石見銀山遺産センターで【穴子】入りおむすびで昼食。大田市は【穴子】が名産。
石見銀山遺産センターは駐車場から長蛇の列。車道まで車が待機していました。
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2025/05/04 11:47
唐沢山241m (2025/04/20 訪問)
押さえたいものを押さえてから…手を清めて階段を上り…本堂(1枚目)へ🚶♂️入口にてご奉賛として200円を納めていたので…ここでは「少額でもいいよね」という事で10円を賽銭箱に入れました
ここまで来れた事への感謝…御朱印・御城印・100名城スタンプをいただけた事への感謝…これからも各地の寺社を参拝し御賽銭をその度に納めるつもりなので、ご加護をいただければ幸いです…という内容を祈りながら呟いた私
この右手に「唐沢山241m」という表記が足元にある石碑(2枚目)があり…「あのクネクネした急な坂はマジきつかった😓あれだけ登っても…海抜241mしかないのか…長野県にある標高1000mレベルの山々に比べたら小さな丘に過ぎないのか⛰️」と思わざるを得ませんでした
本堂の参拝を終えて…(三の丸を巡るコースもありましたが、なるべく迷わないために)往路と同じコースを歩いて戻ることにした私。その最中に巨大石垣(3枚目)を目にしました
日本100名城スタンプ帳に付随してるガイドブックの唐沢山城のページに…この石垣が写っていた記憶あります。クネクネした坂ではそれは目にできなかったので…「どこにあれはあるのかな?」と思う部分があったのですが…神社の下にあったとは予想外でした🫢
この日、境内には南アジア系(?)と思われる外国人の参拝者が何人もおり、私の前方を歩いてました。この城跡…この神社がどれだけの知名度を保ってるのかは知りませんが、その外国人の方々はどうやってここの存在を知り、そして訪れてみたくなったのか…その経緯や理由が少し気になるところでもあります
もう少しで駐車場およびレストハウス…という場所にて「よつ目堀(4枚目)」というのを見つけました。西城域と帯曲輪以東…つまり駐車場と神社に該当する場所を分断する堀切。もし敵軍にこの近くまで侵入された際には、橋を落として敵軍がその先に攻め込めないようにする…役割を果たしていたそう
(唐沢山城の御城印URL)
https://www.mattsuntabi.com/entry/2019/07/09/203919
社務所で購入した御城印(5枚目)…帰宅後にそれを御城印帳にしまおうとしたのですが…何と入り切れませんでした…入れようとすると窮屈な状態となり…端を少し折れば入ったのかもしれませんが、せっかくいただいたものを痛めたくはなかったから…
以前いただいた規格外サイズの御朱印と御城印を収めたクリアファイルの中に…加える事としました
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2025/05/04 11:38
豊臣石垣館公開され見学しました (2025/04/26 訪問)
今回は前日、郷里の中学校卒関西地区在住喜寿の祝い同窓会(同級会)に参加し、翌日は阪急宝塚線沿線の未踏の城探訪と大坂城に新しく開設された「豊臣石垣館」を見学したいとの目的で出掛けました。
最後の三津屋城を終えて、阪急神崎川駅からJR大坂城公園駅で下車、大阪城ホールは長蛇の列、何かイベントがあるみたい、大勢の人で賑わい混んでいました。
青屋門から入り極楽橋、天守閣横、金蔵隣の新しく出来た豊臣石垣館へ直行、しかし天守閣の入場券が無いと入館出来ないとの事、急いで天守閣入場券購入の列へ並ぶが40分待ちの辺り、入場券(@1,200)を購入して天守閣へ、又エレベーターへの順番を待つ長蛇の列、空いてる階段歩きのの列へ、英語でエレベーターの列では無い事を伝える係員、兎に角日本人以外が多いい、階段を登って各階を見学して展望階へ、さらっと展望見学してまた階段を降りて行く。
2時半に入って3時半に成って居ました。
やっと今回目的の豊臣期石垣との対面へ、本丸金蔵の東隣が新しく4月に公開が始まった「大阪城豊臣石垣館」が在ります、受付をして、ガイダンスルームへ、地下に降りて、豊臣期の詰の丸石垣角を見る事が出来ます、角は算木積の初期、ライトアップされて、古墳石棺、焼石の痕を見る事が出来ます。ただこれだけですが400年前の石垣を発掘調査の上見学展示出来る事は素晴らしくありがたい、徳川期に土を盛られて地中深く眠って居たものが見学できる施設です、石垣は撮影できるということで石垣のみ2枚撮影しました。上がってシアタールームで纏め映像を見て感動を新たにして終了。
豊臣石垣館を見るのに天守閣の入場券が必要の為、1時間も費やしてしまいました、係りの方に豊臣石垣館だけの入場券扱いは出来ないものかと訴えたりしましたが、どうなるでしょうか?
今日の目的は達成、時間が有ったら西の丸乾櫓の特別公開を見たいと思っていましたが、西の丸入場券受付で16時を過ぎて今日は終了と告げられて残念。海外の観光客が兎に角多い。
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2025/05/04 11:33
自転車でも一応行けます (2025/04/20 訪問)
(唐沢山神社HP)
http://karasawayama.com/area/
栃木県佐野市…佐野駅から7kmほど離れた場所に…続日本100名城に認定されている唐沢山城という城跡があります。ここは田沼駅から徒歩45分(唐沢山神社のある本丸まで)と遠く、直通しているバスも無いようなので…佐野市観光物産館という場所で手続きしたレンタサイクルで…向かいました🚲
電動アシスト機能なので…背中を押してくれるように道を進んだ私。しかし本丸に続く坂道…右に行っては左へ行く…のクネクネした道(いろは坂?)の傾斜が急で…アシスト機能を強にしてようやく進める状態
山頂に着いた時…少し離れた場所にいた子供が「自転車で来てる人がいる👦」と口にしてました。駐車場を見る限り…車で来てる人が多め🚘バイクも少しいるけど…自転車で来た人間は…私だけだったかも…しれませんね🚴♂️
「1人あたり200円以上のご奉賛をよろしくお願いします」という案内板(1枚目)が駐車場の近くにあり…拝観料代わりというか御賽銭代わりというか…ともかく200円を箱に納めました
入口をしばらく進むと…社務所が見えました。本堂で参拝する前に、御朱印・御城印・100名城スタンプは押さえておきたかったから、まずそこへ
御朱印は直書きを希望したので、描き上がるまでに多少の時間がかかりました。その間に100名城スタンプを指定欄に押印(2枚目)。インクの濃すぎず、ちょうどよい濃さで押せましたね
やがて私の御朱印帳に描かれた御朱印が出てきて…渡されました(3枚目右 ちなみにその左のは(笠間城近くにある)正福寺)。ここの御朱印は8種類あり…今までのセオリーどおり、1番スタンダードそうな…①を選びました
御朱印帳…御城印…100名城スタンプ帳をしまうために…椅子とテーブルのある場所に腰を下ろしました(4枚目)そこで荷物整理をしたり…小休憩したり…スマホのメモ機能における「今まで集めた御朱印」「今まで集めた御城印」「今まで集めた100名城スタンプ」のデータ更新をおこないました
その近くには南城跡(4枚目)があり、ここは南北18m・東西36mあり、周囲には柵をめぐらし東側には堀を設ける堅固な防御施設だったそう
天気の良い日にはここから東京の高層ビルが見える…との説明文に惹かれて…撮影してしまった次第。佐野市観光物産館で流れていた地元PR番組によると、佐野⇆新宿まで90分で行けるそう🚌 だから意外とそんなに遠くないから…見えるのでしょうね🌃
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2025/05/04 11:24
エターナルな「不発弾」になってしまった。 (2025/05/04 訪問)
花房城は岩尾山の山頂に築かれていますが、登城道はNTTの敷地になっていて立ち入ることが出来ません。NTTの無線中継施設は南側の頂部にあり、城址は北側の頂部にあるのですが道路が城址を縦断しているのでいずれにせよ現状はお手上げです。とりあえず穴掘って「不発弾」を埋めて立去ります。NTTにはいずれ確認を取りますが、あまり期待しない方が良さそう。
九州に入って、引地山城、若松城とハズレが続いています。
※NTT西日本と交渉した結果、改めて「不発弾」確定になってしまいました。今後はNTTの方針の変更を期待するしかなさそうです。
正直、入り口にはダルダルのチェーンがぶら下がっているだけなので、悪さをしようとする者はいくらでも入れてしまう状況なのですが・・。このあと大三岳城攻略で3時間半の時間を消費したので代替の城は勘弁してください。ちょうど良い城跡も思いつかないし。
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2025/05/04 10:19
大坂城の櫓2025特別公開 (2025/05/02 訪問)
久しぶりの投稿です。
「大坂城の櫓2025年特別公開」へ行ってきました。※人が多くて天守入場せず。
今回は、多門櫓、千貫櫓、乾櫓の3棟公開で滅多にない乾櫓の公開もあり、今だと思い計画。
5月2日(金)の9時過ぎ、西の丸庭園に行きましたが、櫓公開は10時から..(庭園開門の時間しか見てなかった)。
西の丸庭園のチケット売り場の前で雨宿りさせてもらい、約1時間待って入場。
天守へ行く観光客は多いものの、西の丸庭園へ来る人は皆無で、3櫓の中をゆっくりと見て回ることが出来、満足です。
特に珍しい「L字型」の櫓、乾櫓の内部を見て、感激。
スタッフさんから「明治の時代、陸軍が中で宴会していた。」など逸話も聞かせていただきました。
櫓の拝観が終わると雨も小降りになり、外堀を一周して終了。良い1日となりました。
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2025/05/04 10:16
文殊の森付近の城址群(山口城、法林寺城、祐向山城、掛洞城)総括と周辺観光 (2025/05/03 訪問)
岐阜県本巣市にある山口城、法林寺城、祐向山城、掛洞城、この4つの山城は、権現山から祐向山付近の尾根沿いに並んで存在しています。尾根を歩いて行けば4つの城址を観ることができると知り、以前から気になっていた城址群です。ゴールデンウィークですが、まとまった休みも取れないので、ぶらりと散策していきました。山口城は戦国時代の武将で茶人としても高名な古田織部生誕の城、祐向山城は斎藤龍興が竹中半兵衛に稲葉山城を追われた時に逃れてきた城で興味がありました。散策路はハイキングコースとして整備されていて歩きやすかったですね。文殊の森公園駐車場からスタートして山口城→法林寺城→祐向山城→掛洞城と散策した後、法林寺城まで戻り文殊の森公園へ下山しました。4時間くらいかかりました。樽見鉄道織部駅の西側には山口城主居館跡があります。土塁、堀跡が残っていると説明板にありましたが、柵があり内部は散策していません。
古田織部正重然は利休七哲ひとりであり茶人として有名な武将です。漫画「へうげもの」の主人公でも知られるようになりました。地元では織部生誕の地としてアピールしています。
「道の駅織部の里もとす」は、道の駅と鉄道の駅が併設された全国でも珍しい施設です。城門を模した山門ギャラリーや織部展示館があります。昼食はジビエ料理工房「風の蛍」さんで鹿肉のインドカリーをいただきました。
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2025/05/04 09:57
風鈴が綺麗でした (2025/05/02 訪問)
復原町並では風鈴が飾られていました
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2025/05/04 09:48
2025/05/04 09:33
急階段が近道 (2025/05/02 訪問)
西口の急階段が近道です。天守内の階段は装飾されてフォトスポットになってます
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2025/05/04 09:30
祐向山城(岐阜県本巣市) (2025/05/03 訪問)
竹中半兵衛に稲葉山城を追われた斎藤龍興が逃れた城と伝わる城です。城びとには未登録の城址です。法林寺城から尾根伝いに登城しました。途中に堀内障壁を伴う2本の堀切があります。その先に曲輪跡を観ることができます。
なぜ、斎藤龍興はこの城へ逃げ込んだのかと思っていました。大永七年、斎藤道三(当時は長井新九郎利政)は土岐政頼を追って頼芸が美濃守護となりました。その恩賞で斎藤道三は祐向山城主となっています。今は面影があまり感じられませんが、当時はそれなりに整備された城であったと思われます。
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