唐・新羅の連合軍によって滅亡した百済を救う為、倭国軍は白村江にて戦うも敗れてしまう。
その後、大和朝廷は唐・新羅が来襲することに備える為、対馬・壱岐・筑紫国に防人設置し防塁や朝鮮式山城を築き、連絡体制を整えました。
筑紫に太宰府政庁を直接防衛するための水城、筑前に大野城、肥前に基肄城、肥後に鞠智城、対馬に金田城、長門に長門城、讃岐に屋島城、大和に高安城を築いたと日本書紀に書かれているそうです。
今回、初の為期待を膨らませ攻城しましたが、予想以上の石塁や石垣に感動を受けました😃
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