続日本100名城

かねだじょう/かねたのき

金田城

長崎県対馬市


旧国名 : 対馬

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金田城
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トク

【対馬4城を巡る】(4)金田城(4/4) (2025/03/23 訪問)

(4城目)金田城の続き(4/4)です。

一の城戸から海岸沿いを5分程歩くと大吉戸神社と船着場がありました(写真①②③④)。きど(城戸)→(吉戸)と地元の黒瀬の村人たちが読み替えて城戸の守り神としていたようです。神社にお参りし、波の音を聞きながらしばらく休憩しました。登城し始めてから4時間が過ぎたのでもう足がパンパンになってきましたが、帰りの船の時間も気になってきたので、さあここからまた気合を入れ直し、今まで下って来た道を今度は逆に登って行き、最後の三ノ城戸を目指そうと思います。

大吉戸神社から再び一の城戸・二ノ城戸まで登って戻り、そこから沢ルートで下って三ノ城戸へ向かいました。道が荒れていたのでちょっと歩きにくかったです。

三ノ城戸はいちばん高い6.7mでしかも垂直の石塁で積み上げられていました。今ではかなり崩落していますが、下から見ると排水口がよく見えて、よく考えて造られているのが分かります(写真⑥⑦⑧)。

そして三ノ城戸から最後の力をふりしぼって南東角石塁までの急坂を登り、石塁を再び下から見上げながら軍道に出て、そこから下って登山口まで戻りました。私は健脚ではないので、じっくり見ながらかつ休憩しながら回っていたら、結局合計5時間もかかってしまいました。

でも最後になって、なぜ三つの城戸をあの位置に築いたのか? それがやっと分かりました。城戸は三つある沢(谷川の河口)の場所に、それぞれ城門のように立てられています。つまり敵(唐・新羅連合軍)が船を着け易い、ここに上陸するであろうという地点に築かれているという事です。南東角石塁や南西部石塁は、陸上の側面から攻撃された場合に備えたものだと思います。そして兵士はそれらの中央(ピングシ山)に待機していて、どこから攻められても、その方向に行く事ができる位置にいます(なるほど~🤔)。防人たちはどうやって戦おうとしていたのか? 最後にやっとその構図が見えてきました。

金田城は訪れるには大変不便な場所ですが、しかし苦労してでも絶対に訪れる価値のある城だと思います。予想以上に規模が大きく、この連続する石塁や城戸は迫力満点です。海を見ながら歩くので眺めもよく、とても爽快な気分になれます。そして何よりもタイムスリップしたような古代へのロマンをかき立ててくれる場所でした。NHKの最強の城スペシャルで最強に選ばれた理由がよく分かりました。Todo94さんや辰兵衛さんも、次はぜひ1泊してゆっくり回られて下さい(必ず天気のいい日を選んで下さいね!😊)。

レンタカーを返却し、帰りは15:25発の博多行のフェリー「きずな」でのんびりと4時間50分かけて福岡へ帰りました(写真⑨)。最後に壱岐島沖を航行中に、船上から見えた夕陽がとてもきれいでした(写真⑩)。

【対馬4城を巡る】はこれで終了です。全8回読んでいただき有難うございました。次も長崎の旅シリーズをしばらく続ける予定にしていますので、またよろしくお願いします。
 

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トク

【対馬4城を巡る】(4)金田城(3/4) (2025/03/23 訪問)

(4城目)金田城の続き(3/4)です。

山頂から東家まで下った分岐点まで戻り、今度はそこから左に折れピングシ方向に向かいました(写真①)。(ピングシ山)→(二ノ城戸)→(一ノ城戸)→(大吉戸神社)→(三ノ城戸)→(登山口)のルートで帰ろうと思います。

東屋から15分程下ったピングシ山には、掘立柱建物跡群がありました。という事は、かなり多くの防人たちがここで暮らしていたようです。その建物の回りは土塁や門で固められていました(写真②③)。

ピングシ山から15分程下ると、二ノ城戸がありました。高さは5m程あります。真ん中にはおそらく門がありました。発掘調査後、再び積み直して再現されたようですが、昨年の豪雨でまた崩れてしまったようです。城戸の下は立ち入り禁止になっていました(写真④⑤⑥)。下から見上げてみたかったのですが残念です。

さらに10分程下り一ノ城戸に着きました。櫓台のように張り出して積まれた巨大な石塁がありました。そしてこの石塁の特徴は上段と下段で積み方が異なっているところです(写真⑦⑧⑨)。上段は平たく削った石を布積のように積んでいるので、後世のものと思われます。金石城もこのような積み方だったので、おそらく幕末に積まれた(積み直された)ものではないかと言われているそうです。異国船監視のためにこのように補強されたのでしょう。

またさらに5分程下ると海岸に出ました。海水は透き通っていてとてもきれいだったのですが、ハングル文字の入ったゴミが多数漂着していてちょっと残念な光景でした(写真⑩)。金石城にいた韓国の観光客たちに持って帰ってほしいくらいですね。

(4/4)に続きます。
 

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todo94

【城びと未登録】結石山(ゆいしやま)城(長崎県対馬市) (2025/03/30 訪問)

グーグルマップで撃方山城を検索した際に目に入った城です。頂上付近まで車で登れて駐車場も整えられているということでしたので、対馬滞在の最後に立ち寄ることにいたしました。豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して築いた城で、国道を挟んで撃方山城と向かい合っています。主郭からは朝鮮半島を望むことができました。日本人にとっては韓国人が大挙して押し寄せてくる韓国展望所より、おすすめの穴場スポットといえそうです。

今回の対馬は、金田城、黒瀬観音堂、韓国展望所、撃方山城、結石山城をめぐって終了となりました。移動距離が長く、対馬に泊を取らない場合はこれで精いっぱいという感じです。本当は厳原の対馬藩お船江跡にも行きたかったんですけれどもね。トクさんのように、いつかは対馬に泊を取ってみたいなあと思っています。「対馬トレッキングガイドブック」もいただいてあることですし。九州百名山の白嶽に興味津々です。

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トク

【対馬4城を巡る】(4)金田城(2/4) (2025/03/23 訪問)

(4城目)金田城の続き(2/4)です。

東南部石塁から10分ほど登ると東屋(あずまや)がありました。いったんここで休憩します(写真①)。ここはピングシ経由で、一ノ城戸・二ノ城戸・三ノ城戸へ行く道との分岐点です。しかしそちらは後回しとし、城山山頂を先に目指す事にします。

金田城は登城前に地形をよく頭に入れ、自分が滞在できる時間から見たいポイントと体力などを考えて、よく計画を練ってから登城され方がいいと思います。やみくもに行き当たりばったりで行くと、軍道以外はこの広大な山は分かりにくく、道に迷ったり予想外に時間がかかったりします。携帯の電波もつながりにくいので迷うと大変です。これは観光情報館でもらったパンフレットの地図と私の通ったルートです。よければ参考にして下さい(写真⑩)。

東屋から続けて軍道を登る事30分、山頂近くには明治時代に築かれた砲台と基地の跡がありました。ここも石塁の内側なので何かしらのものはあったと思いますが、明治時代に大規模に改修されたようで、砲台や弾薬庫や兵員宿舎跡などがあり、古代の遺跡は残っていませんでした(写真②③)。

ここには28cm口径の大砲が2基4門あったそうです(写真④)。砲台の観測所から海を眺めてみました(写真⑤)。浅茅湾の先には朝鮮海峡が見えました。二つの半島の間の水平線上です。あそこには普段なら韓国(釜山)がはっきり見えるはずですが、この日は黄砂が多く、かすかにしか見えなかったのが残念です。ここからあの海峡を通過するロシア艦隊を砲撃しようとしていたようです。ドラマ「坂の上の雲」の最後のシーンだった日本海海戦を思い出してしまいました。ここから釜山まではもうわずか40kmです(福岡までは130km)。まさに国境ですね!

さらに砲台から山頂まで登ります。わずか5分の道ですが険しい山道です(写真⑥)。そしてやっと山頂に到着しました!(写真⑦)。登山口をスタートしてからここまで、私は健脚ではなく、休み休みでじっくり見ながらゆっくり登るタイプなので、2時間もかかりました。でももう最高の眺めです! 浅芽湾がきれいに見えました(写真⑧)。はるばるここまで登ってきてよかったと思う瞬間です。しかし風がとても強く下は断崖絶壁!(写真⑨)。必死に木や岩にしがみついて写真を撮りました。吹き飛ばされると命はないので注意して下さい。

そして砲台の観測所(写真⑤)まで下り、コンビニで買ったおにぎりとお茶で20分昼食休憩をとりました。この雄大な景色を眺めながら食べたおにぎりは、とても美味しかったです😊。飲物・食物は厳原市内で買って来た方がいいです。市街地を出るとコンビニどころか自販機すらありませんので(東横インの裏にファミマがありました)。

次は東屋まで下り、ここからは後半戦。ピングシ山から城戸へ向かって進もうと思います。(3/4)に続きます。
 

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城郭情報

城地種類 古代山城
築城年代 天智天皇6年(667)
築城者 天智天皇
主要城主 不明
文化財史跡区分 国特別史跡(金田城跡)
天守の現況・形態 なし
主な遺構 石塁、土塁、一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸、掘立柱穴、水門
住所 長崎県対馬市美津島町黒瀬
問い合わせ先 対馬市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0920-54-2341