本丸は地震の影響で入れません。途中の駐車場までは車で上がれるようですが、私には道が分かりませんでした。
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2024/07/16 23:35
本丸 (2024/07/13 訪問)
本丸は地震の影響で入れません。途中の駐車場までは車で上がれるようですが、私には道が分かりませんでした。
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2024/01/14 15:31
城への交通手段実践レポート (2022/07/15 訪問)
※福井城、越前大野城、一乗谷城と共に登場
※前日金沢駅前泊
7:40金沢(JR)、9:19七尾 (駅構内観光案内所)レンタサクルななりん
(3km)七尾城資料館(百名城スタンプ 9:00-16:30月休)
(雨天時)6:57金沢(JR)、8:26,9:00七尾、9:13歴史資料館前
(帰路 9:40歴史史料館前、10:00ミナ・クル)
10:20七尾(JRサンダーバード)、12:07福井
(徒歩5分)福井県庁(続百名城スタンプ)
12:50福井、13:45,13:50越前大野、13:54結ステーション
(徒歩9分)越前大野城(続百名城スタンプ 9:00-16:30※12-3月休館、旧武家田村屋敷へ))
土日(徒歩13分)14:40大野六間(14:43水落)、15:12,15:24朝倉資料館前、15:28復原街並
平日(徒歩13分)14:40大野六間(14:43水落)、15:11前波、(徒歩6分)15:23あさくら水の駅、15:28復原街並
(徒歩1分)復原町入口(百名城スタンプ 9:00-16:30) +一乗谷朝倉氏遺跡散策
(徒歩28分)17:45一乗谷(JR)、18:03福井
福井城散策
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2024/01/12 09:38
七尾城被害状況(※写真は被災前) (2019/08/21 訪問)
まずは被災された方々の生活が1日も早く再建されることを切に願います。その上で、またいつかあの絶景を眺められる日が戻ってくるよう、微力ながら応援したいと思います。
被害状況〈北國新聞記事〉→ https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1285926
以下、過去投稿の再掲です(*写真は2019年8月撮影)
【戦国最強決定戦 -序-】
1年に及ぶ包囲戦の末にようやく七尾城(石川県七尾市)を落とした上杉謙信は、本丸のある山頂からの絶景に感動して漢詩を詠んだそうです。軍神と謳われた男の、一風変わった喜びの表現だったのでしょうか。裏を返せば、この城攻めがいかに難しかったかを物語っているのかもしれません。
石動山系に位置する城山の7つの尾根に築かれた能登畠山氏の大要塞。格式高い三管領家の分家にふさわしく、当時は三の丸手前の曲輪で衣服を整えることが求められたとか。各曲輪は大小の堀切で遮断され独立性が高く、至る所に大がかりな石垣が積み上げられています。注目すべきは本丸前面。2mほどの野面積の石垣を階段状に積み上げることで、当時はまだ未発達だった高石垣の代わりとしたようです。本丸最高部は標高300m。謙信が眺めたであろう七尾湾を一望できます。
アクセスには市内循環バスが便利。JR七尾駅から15分ほどで山麓の資料館まで行けます。また、駅構内にはレンタルサイクルもあります。
さて、この城攻めに際し、一度は兵を引くことを余儀なくされた謙信。その後、力攻めは諦め、彼にとっては珍しく、調略で仕留めたそうです。能登を押さえることで、越中から加賀に侵攻していた上杉勢は後顧の憂いなく越前の織田方と対峙。武田信玄はすでにこの世を去っており、ここに戦国最強決定戦の舞台が整ったのです。
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能登守護畠山氏が山上に築いた巨大な居城。本丸と長屋敷との間の大堀切や、野面積の石垣が見どころ。本丸へと続く道や、調度丸と桜馬場間に残っている石垣は、低い石垣を段々に築くことで高石垣のような威圧感を与えている。桜馬場の西の曲輪にある石垣に積まれた、巨大な九尺石も圧巻。
城地種類 | 連郭式山城 |
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築城年代 | 正長年間(1428〜1429) |
築城者 | 畠山満慶 |
主要城主 | 能登畠山氏、上杉氏、前田氏 |
文化財史跡区分 | 国史跡(七尾城跡) |
近年の主な復元・整備 | 畠山義綱、上杉謙信 |
主な関連施設 | 石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切 |
住所 | 石川県七尾市古府町、古屋敷町、竹町他 |
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問い合わせ先 | 七尾市教育委員会文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0767-53-8437 |