日本100名城

ななおじょう

七尾城

石川県七尾市

別名 : 松尾城、末尾城
旧国名 : 能登

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七尾城
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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「見上ぐれば 頂遥か 七尾城」

みあぐれば いただきはるか ななおじょう

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

七尾城 攻めたあとには 温泉に♨
(ななおじょう せめたあとには おんせんに)

未訪です。
能登畠山氏の居城で七つの尾根伝いに築かれたことから七尾城と呼ばれるそうです。
近くには和倉温泉があります。
能登の震災で大きなダメージを受けましたが、現在はだいぶ復興しているようですね。

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2011/06/04 訪問)

 「圧巻の 五段石垣 七尾城」(あっかんの ごだんいしがき ななおじょう)

 14年前の平成23年6月4日、東海北陸道を夜走行し朝一番で富山城登城開館時間を待って復興天守の富山市郷土博物館へ入場、展示閲覧と情報収集、安田城を紹介されて安田城初登城。その後七尾城へ初登城、小丸山城初登城、能登白米千枚田、能登輪島へ郷土料理とスナックカラオケ、1時間1万発の圧巻輪島大花火を見学堪能した思い出の日でした。

 先に車で山頂の駐車場へ、調度丸では写真で良く紹介されている、野面積み五段の石垣に圧倒されました、長年探訪を願って居た七尾城の五段石垣にやっと巡り合った瞬間で感激一入、寺屋敷からの登城虎口に当たるのか石垣群、虎口の間から五段石垣を望むと視界一面に石垣群が溢れて何とも言えません、五段石垣を登って桜馬場、遊佐氏屋敷跡、本丸へ虎口登り石垣階段、三段の本丸石垣、本丸内部へ、神社鳥居と祠は土壇に在り天守台の跡なのか?裏を廻って遊佐屋敷、九尺石の巨石、城門の鏡石に相当かな?温井屋敷跡、二之丸跡で探訪終了。資料館へは時間を過ぎて居り入れず、感激の探訪でした。
 

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2013/12/15 訪問)

「謙信の 心を奪った 七尾城(けんしんの こころをうばった ななおじょう)」
「漂わす 守護の品格 七尾城(ただよわす しゅごのひんかく ななおじょう)」
とりあえず二発いきます。 
朝田さん早いな~ 謙信公は譲れないってやつですか・・ちょっとかぶったかな。。
上杉謙信が9月13日に陣中で作った漢詩があります。
霜満軍営秋気清
数行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷憶遠征
このときの謙信の気分を一言で表すと「ひゃっはー」ではないでしょうか・・もしくは「ひゃっほー」超ハイテンションです!
三行目は「越中・越後に併せて能登の景色をも得たぞ」と読むのでしょか。
四行目の遮莫(さもあらばあれ)は「もはやどうでもよい」といった意味らしいです。あの謙信が春日山のことを「どうでもいい」と言っているんですね、一時的に気分が高まったからとはいえ、びっくりです。
確かに、七尾城からの日本海と能登半島を見渡す絶景も、気品高く積まれた石垣も(技術がまだ発達してなかったからだけど)春日山城には無い物です。
山城とはいえ、守護の城だけあって実用性に加え風格まで備えていたのではと思います。

「段だ壇 石垣重なる 七尾城(ダンダダン いしがきかさなる ななおじょう)」だんだだんだんだだんだんだだん・・・・

※一つ目の内容を 掴んだ→奪った に修正。ますますカブってしまう気がするけど、一時とはいえ謙信公の心をわし掴みにした絶景は破壊力ありますわ。

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概要

能登守護畠山氏が山上に築いた巨大な居城。本丸と長屋敷との間の大堀切や、野面積の石垣が見どころ。本丸へと続く道や、調度丸と桜馬場間に残っている石垣は、低い石垣を段々に築くことで高石垣のような威圧感を与えている。桜馬場の西の曲輪にある石垣に積まれた、巨大な九尺石も圧巻。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 正長年間(1428〜1429)
築城者 畠山満慶
主要城主 能登畠山氏、上杉氏、前田氏
文化財史跡区分 国史跡(七尾城跡)
近年の主な復元・整備 畠山義綱、上杉謙信
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
住所 石川県七尾市古府町、古屋敷町、竹町他
問い合わせ先 七尾市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0767-53-8437