日本100名城

ななおじょう

七尾城

石川県七尾市

別名 : 松尾城、末尾城
旧国名 : 能登

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七尾城
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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/07/15 訪問)

※福井城、越前大野城、一乗谷城と共に登場
※前日金沢駅前泊
7:40金沢(JR)、9:19七尾 (駅構内観光案内所)レンタサクルななりん
 (3km)七尾城資料館(百名城スタンプ 9:00-16:30月休)
 (雨天時)6:57金沢(JR)、8:26,9:00七尾、9:13歴史資料館前
    (帰路 9:40歴史史料館前、10:00ミナ・クル)
10:20七尾(JRサンダーバード)、12:07福井
 (徒歩5分)福井県庁(続百名城スタンプ)
12:50福井、13:45,13:50越前大野、13:54結ステーション
 (徒歩9分)越前大野城(続百名城スタンプ 9:00-16:30※12-3月休館、旧武家田村屋敷へ))
土日(徒歩13分)14:40大野六間(14:43水落)、15:12,15:24朝倉資料館前、15:28復原街並
平日(徒歩13分)14:40大野六間(14:43水落)、15:11前波、(徒歩6分)15:23あさくら水の駅、15:28復原街並
 (徒歩1分)復原町入口(百名城スタンプ 9:00-16:30) +一乗谷朝倉氏遺跡散策
(徒歩28分)17:45一乗谷(JR)、18:03福井
 福井城散策

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AJ

七尾城被害状況(※写真は被災前) (2019/08/21 訪問)

まずは被災された方々の生活が1日も早く再建されることを切に願います。その上で、またいつかあの絶景を眺められる日が戻ってくるよう、微力ながら応援したいと思います。

被害状況〈北國新聞記事〉→ https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1285926

以下、過去投稿の再掲です(*写真は2019年8月撮影)

【戦国最強決定戦 -序-】

1年に及ぶ包囲戦の末にようやく七尾城(石川県七尾市)を落とした上杉謙信は、本丸のある山頂からの絶景に感動して漢詩を詠んだそうです。軍神と謳われた男の、一風変わった喜びの表現だったのでしょうか。裏を返せば、この城攻めがいかに難しかったかを物語っているのかもしれません。

石動山系に位置する城山の7つの尾根に築かれた能登畠山氏の大要塞。格式高い三管領家の分家にふさわしく、当時は三の丸手前の曲輪で衣服を整えることが求められたとか。各曲輪は大小の堀切で遮断され独立性が高く、至る所に大がかりな石垣が積み上げられています。注目すべきは本丸前面。2mほどの野面積の石垣を階段状に積み上げることで、当時はまだ未発達だった高石垣の代わりとしたようです。本丸最高部は標高300m。謙信が眺めたであろう七尾湾を一望できます。

アクセスには市内循環バスが便利。JR七尾駅から15分ほどで山麓の資料館まで行けます。また、駅構内にはレンタルサイクルもあります。

さて、この城攻めに際し、一度は兵を引くことを余儀なくされた謙信。その後、力攻めは諦め、彼にとっては珍しく、調略で仕留めたそうです。能登を押さえることで、越中から加賀に侵攻していた上杉勢は後顧の憂いなく越前の織田方と対峙。武田信玄はすでにこの世を去っており、ここに戦国最強決定戦の舞台が整ったのです。

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くうくう

七つの尾根に広がる戦国山城の威容が髣髴される名城

能登守護畠山満慶が正長年間(1428-29)に築く。最初は砦程度のものであったが政庁も移され天宮と称される程の威容を誇る拠点城郭となった。今では日本五大山城に数えられる。天正5年(1577)上杉謙信により落城。畠山氏の治世は終わり、その後織田信長の侵攻により、前田利家が入城するも、小丸山城築城により廃城した。曲輪・石垣など遺構は良好。散策コースが整備され、調度丸、遊佐屋敷、本丸、桜馬場、二の丸、温井屋敷、九尺石、三の丸、安寧寺、沓掛場、とよの水、寺屋敷、と主要部を見学できる。眺望も素晴らしい。七尾の市街と能登島が正面に見える。

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WEST

七尾城探訪 (2023/10/04 訪問)

石川県の七尾城を訪問しました。時間の関係で麓の登山口からではなく、本丸駐車場から登城しました。
散策途中で出現する桜馬場及び本丸の石垣は壮観です。
お城は名前の通り、七つの尾根に曲輪が跨って展開しているとのこと。今回は調度丸、本丸、桜馬場、二の丸、三の丸、袴腰、寺屋敷と回りましたが、アップダウンがあり少々きつい散策となりました。
その中で本丸からの眺望は素晴らしく、七尾城下が見渡せます。
なお、麓の七尾城史資料館は月曜日(祝日の場合は翌日)が休館ですので注意が必要です。

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概要

能登守護畠山氏が山上に築いた巨大な居城。本丸と長屋敷との間の大堀切や、野面積の石垣が見どころ。本丸へと続く道や、調度丸と桜馬場間に残っている石垣は、低い石垣を段々に築くことで高石垣のような威圧感を与えている。桜馬場の西の曲輪にある石垣に積まれた、巨大な九尺石も圧巻。

城郭情報

城地種類 連郭式山城
築城年代 正長年間(1428〜1429)
築城者 畠山満慶
主要城主 能登畠山氏、上杉氏、前田氏
文化財史跡区分 国史跡(七尾城跡)
近年の主な復元・整備 畠山義綱、上杉謙信
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
住所 石川県七尾市古府町、古屋敷町、竹町他
問い合わせ先 七尾市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0767-53-8437