JRが和歌山行きと関空行きに分かれる、日根野駅。変わった名前と思い調べると、五摂家の一つ、九条家が開墾したという日根荘があり、現在にも遺構が残り、土地の利用も当時とあまり変わっていないとされています。ずいぶん前から、気になっており、土丸城、雨山城登城とセットにして訪問しました。
日根野の少し北を流れる近木川畔の積善寺城を訪れたときにも驚いたのですが、山中でもないのに、川が激しく台地を侵食して川面がかなり下の方にあります。日根荘の樫井川も川面がかなり下にあり、水利に使えません(写真1)。代わりに溜池がたくさん作られています。高野山が開拓に失敗したあと、1234年、九条家に開拓を請け負わせました(命じたのはだれ?)。樫井川から取水し、5mほどの高低差で3km程を流す、用水路:井川(ゆかわ)を作るなどをして開拓に成功し、自家の荘園にしました。九条家最大の荘園であり、また、荘園は寄進による所有が通常なのに、自ら開拓したところが貴重とのことです。1501~1504年には、京都の戦乱を避けて当主がここに滞在していました。また、土丸城、雨山城は、住民が戦から避難する「山入り」「山上がり」に利用されていました。その関連性がみとめられ、雨山城、土丸城も日本遺産に指定されました。
樫井川の川面と台地の高低差が小さくなった所に堰を設けて取水口にしています(写真2~3)。堰は近代化してますが、機構そのものは昔と変わらず田畑を潤しています。日根荘散策後、土丸バス停から土丸城にアプローチしていきます。
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