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しんちゃん

舘跡(たてあと)・衣河関跡 奥州市

衣河の東岸・小松柵跡の北西に舘(山口館)跡があります。現在は田畑になっておるようですが、周囲の土盛りが土塁かどうかはあやしい。舘跡は安倍頼時とその子・貞任の居館の跡とされています。安倍氏は頼時の祖父・忠頼のころから上衣川の安倍舘を本拠としたが、頼良の代にここに本拠を移したとされています。康平5年(1062)9月に貞任がここを撤退するまで、短期間ながらも「前九年の役」の舞台にもなりました。
舘跡から南へ500mほど行った先に衣河関跡があります。永正元年(1046)安倍頼良が本拠をこの地域に移した際に、関所もここに移されたようです。難関として知られる場所でしたが、前九年の役で源氏方についた清原武則の家来・久清が衣川に縄を渡して、それを頼りに大軍が一気になだれ込んだため安倍氏の撤退につながったという伝承があるようです。

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しんちゃん

和賀・稗貫一揆 (2025/01/05 訪問)

二子城は和賀氏の城で北上川の南の丘陵や平地を利用して築かれています。和賀氏が奥州仕置で所領を没収されると、旧領の回復を求めて挙兵し二子城を奪還しますが(和賀・稗貫一揆)蒲生氏郷ら再仕置軍の攻撃を受け和賀義忠は逃亡の途中で土民(野伏か)に討たれました。北上川沿いの丘地が平時の居館(主郭)とされ、二子八幡神社のある丘陵が詰の城とされ、複数の郭があり、詰城の主郭の北端には展望台が建ち、周囲を良く見渡せます。
西にある秋葉神社のある丘陵も郭とされ、二子城の名前の由来になっています。詰の城のある丘陵の周囲には家臣団の屋敷が広がり、和賀郡でも最大の規模を誇っていたようです。

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しんちゃん

水沢伊達家の町をブラタモリ (2025/01/05 訪問)

市庁舎や合同庁舎のあるあたりが城址とされ冠木門(黒門)が立っています。室町将軍足利義持の元禁衛士佐々木繁綱は葛西氏を頼って奥州まで来て水沢城に居住したとされています。佐々木氏は葛西氏の下で幾度となく合戦に参加し武勇を誇りましたが、豊臣秀吉の奥州仕置により葛西氏と共に衰退しました。
関ヶ原の合戦の後、仙台藩に組み込まれると、水沢要害となり伊達政宗の従兄弟である留守宗利が入ると水沢伊達家として明治維新まで続きました。市役所のある場所は三の丸の跡とされ、北に二の丸、北西に本丸、本丸の南に南の曲輪が配され、周囲は水堀や土塁で囲まれていたようです。市役所の南側には後藤新平旧宅(江藤じゃなくて後藤)や奥州武家住宅資料館(内田家住宅)があり、公開がされています。城址と合わせて訪問すると気軽にブラタモリの気分にひたれます。

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小城小次郎

文覚上人の子孫とか (2024/11/30 訪問)

茂庭氏が17世紀半ばまで使っていただけあってエッジの効いた遺構が残る。もともとここにいた遠藤氏はかの文覚上人の子孫だとか。三の丸を中心とする公園は御本丸公園というのだが字名が本丸なのであながち間違ってはいないかも。

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ダイエティシャン

雲海松江城2️⃣ (2025/07/12 訪問)

馬溜の石垣のプロジェクションマッピングも素晴らしい

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ダイエティシャン

雲海松江城1️⃣国宝松江城の七変化、光の協奏曲 (2025/07/12 訪問)

雲海松江城開催中。国宝松江城の七変化、光の協奏曲、写真では言い表せない美しさ。詳細は城びとのイベント情報より。

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朝田 辰兵衛

じっと凝視されました…👀 (2025/03/23 訪問)

大円寺本堂内から,じっと凝視されました。ぺこりと頭を下げ,「日比津城の散策です」と言っても信用してもらえませんでした…<泣>。
後味が悪かったですが,こういうところもあるということは想定内(ビジュアルがビジュアルなんで…)。愛知県に別れを告げ,越後に帰還しました。

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イオ

南朝の悲哀… (2025/04/26 訪問)

南北朝期に阿瀬川氏が築いた城で、吉野賀名生から逃れてきた後村上天皇が一時在城したことから天子山城とも呼ばれます。戦国期には保田氏の城となり、清水城の支城として機能したようです。

大きく蛇行する有田川に三方を囲まれた丘陵頂部に位置し、頂部まで車で行けるようですが、道幅が狭そうなので国道から杉野原集落に入ったあたりに路駐して、徒歩にて登城開始。集落の奥に見える丘陵を目指して進み、荒神社への案内表示に従って民家の間に入っていきます。民家の間を抜けて舗装された山道を5分ほど登ると荒神社境内に到達。

頂部は境内としてよく整備されている分、明瞭な城郭遺構は見られません。境内北辺に土塁っぽいスロープがありますが、遺構ではなさそうです。鳥居の手前には阿瀬川入道の墓があるようですが、見落としてしまいました…。主郭跡と思われる境内東奥の一段高くなったところに天子山三宝大荒神の社殿が建てられ、主郭の周囲は帯曲輪状の削平地がめぐっています(境内地としての改変かもしれませんが)。境内の東辺には防獣柵が張りめぐらされ、主郭から北にのびる尾根沿いに続いています。この北尾根に堀切があるようなので下りて行ってみましたが、浅くなっているのかよくわかりませんでした。

荒神社として改変されてしまっていて、城としての見どころはほとんどありませんが、こんな山深い地にまで後村上天皇が落ち延びてきていたのか…と考えると、しみじみ南朝の悲哀を感じました。
 

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橋吉

鳥羽城 (2025/07/09 訪問)

鳥羽水族館のすぐ西には国道42号線・近鉄志摩線が通っており、その向こうに見える丘が鳥羽城本丸です。
鳥羽水族館駐車場から歩いても行けそうでしたが、熱中症警戒アラートが発令されていたこともあり、クルマで鳥羽市役所駐車場までワープしました。

家老屋敷跡・本丸さらに二の丸旧鳥羽小学校校舎と見学しました。
また、西側には十数段の段々石垣があり、その下に三の丸があります。
所要時間 45分

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しんちゃん

比与鳥柵跡 岩手県奥州市 (2025/01/05 訪問)

前九年の役を記録した「陸奥話記」に記載のある比与鳥柵は正源寺から北の台地に築かれていたとされています。
安倍則任の守護した城館とされ「前太平記」や、白鳥村、稲瀬村の伝説にある「則任の恋物語」発祥の地ともされています(案内板より)。
慶長10年(1605)ごろより仙台城普請総奉行を歴任した後藤肥前守信康の居館となり、五藤寿庵隠棲の地とも伝えられています。
柵跡は北上川の東岸に位地し南の正源寺・墓地あたりが兵部舘、北の田畑になっているあたりが俵岩城とされています。厨川柵も北上川沿いに築かれていたし、北上川沿いに築かれている城郭は結構多いです。

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しんちゃん

黒沢尻柵 岩手県北上市 (2025/01/05 訪問)

黒沢尻柵は平安時代後期に築かれた安倍一族の柵とされています。案内板のある個所に「黒澤尻柵」が設けられ安倍頼良の五男・正任が置かれ「安倍舘」とも呼ばれていたようです。
永承6年(1051)前九年の役のさい安倍氏の勢力が強かったため陸奥守兼鎮守府将軍・源頼義は出羽の清原氏に援軍を頼み、康平5年(1062)の秋、安倍氏は源氏・清原氏の連合軍と厨川で最後の戦いを行い敗れ、黒澤尻柵も落ちますが、正任は出羽に逃れ、後に投稿し伊予に配流されたとされています。

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しんちゃん

金ヶ崎要害、古くは坂上田村麻呂。 (2025/01/05 訪問)

朝田さん、九州攻めてますね。というか九州コンプしたものだと思ってましたよ。このまま勢いでエリアコンプ達成しながら全国暴れまわってください。私はしばらくのあいだお休みの予定です。まあ同居人の体調次第なので、こればっかりはね~(暑いし)
でも熱中症にはお気をつけて。
古い伝承だと延暦21年(802)坂上田村麻呂が蝦夷討伐時に城を築いたとされています。前九年の役の頃、安倍貞任の叔父金為行が居城し、その後貞任の娘・白絲前が住んだと伝わります。
天正19年(1591)伊達氏により南部領の境目に金ヶ崎要害が置かれ桑折氏や留守氏が納治めましたが寛永21年(1644)伊達氏の一族大町氏が入り明治まで当地を治めたとのことです。
北上川に接する丘陵に築かれ北より二の丸・蔵丸・本丸・東館・観音館と連なっていました。余湖さんの縄張図を見ると西に枡形を備え、土塁や堀切を多用した面白そうな城だったようですが、宅地化が進み本丸らしき広い曲輪と土塁ぐらいしか印象に残っていません。でも北上川を見下ろしての眺望はなかなか良かったです。

後ろ三枚の写真は花巻市の宮沢賢治記念館の写真です。金ヶ崎城に行ってもこんな建物はありませんよっ(汗)。

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Taroken83

品川台場 (2025/03/04 訪問)

レイボーブリッジ徒歩で渡りました。
少しずつ全体が見えてくるのがワクワクします。

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朝田 辰兵衛

曲輪はみかん畑…🍊 (2025/03/22 訪問)

JR蒲郡駅より,徒歩約30分。パンフレットが赤日子神社にあります。「どうする家康」で,気になったので訪れました。紹介がなければ訪れていたかはビミョーです。曲輪はみかん畑となっていました。

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筑紫虎党

百間石垣に感動 (2024/07/15 訪問)

昨年夏、避暑を兼ねて訪れました。
山の中の壮大の石垣は最高でした

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筑紫虎党

暑いなかの感動 (2025/07/12 訪問)

7月11日、12日に訪れました。
復興天守、小天守に感動しました。
宇土櫓も早く復興してほしい

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ぴーかる

江戸城内部編 (2025/05/18 訪問)

【江戸城内部編】
2日目。朝、川崎のホテルから作延城跡に行ってから、東急に乗って大手町駅で下車し1日目始めの和田倉門跡からスタート、午前中に内濠の外側を時計回りで1周し、午後から内部観察する予定でオール徒歩、1日頑張るぞー。
 桔梗壕・巽櫓外観⇒桔梗門⇒坂下門、知らなかったのですが、それぞれ門に警察が立っていて本丸に入れない、皇居警察があるからなんですネ。この時「下調べでは本丸天守台行けたのに今日は入れない、」残念だと思ってました。⇒皇居前広場から正門・二重橋・伏見櫓外観を撮影⇒桜田門を抜けて⇒桜田壕を北上、日曜日もあって、皇居ランの人々がマラソン大会か!というくらい多くの人が、桜田門の皇居前広場(スタート地点のよう)に集まっていました。変な疑問で、マラソン経験者からすると、この人達って東京ど真ん中の皇居から走って自宅に帰るのか、わざわざお金かけて地下鉄等で帰るのか、と思いました。横道逸れました。⇒半蔵門前・半蔵壕⇒代官町通りから北の丸へ。北の丸公園・日本武道館・田安門・清水門(内枡形の石垣・門からの石段の遺構がよく残っていて門の中では1番良かった)⇒清水門から外に出て清水壕⇒竹橋御門跡⇒本丸に入れるが分かり、やったー、北桔橋門から本丸へ。
 天守台⇒富士見多聞⇒富士見櫓⇒中朱雀門跡・大番所⇒中之門跡・百人番所⇒同心番所・三之門跡⇒戻って白鳥壕⇒二の丸庭園⇒汐見坂・梅林坂⇒平川門から出ました。⇒和気清麻呂像のある内濠通りから大手壕⇒大手門前で終了しました。
 
 日本最大の巨城、全部の遺構を2日間で見るのはとても無理なのですが、ある程度の見所は計画通り見ることができました。見附跡を巡ることによって、江戸城周辺の有名な地名、どこがどの辺か少し覚える事もできたし、自分なりに十分満喫できました。1日目は大雨、この2日目はかなり蒸し暑かったのですが、昼食に丸の内のタンメンを調べていて行ったのですが、ビルごと停電中で休業、食事は2日間ともついていなかった。
 13時頃見終えて、19時の新幹線の予定でしたので、選択枝として、①東京競馬場と城びと6城 ②渋谷スクランブル交差点と城びと3城 ③百名城千葉県佐倉城の3択で、①は競馬場は行けてももう歩けない。②はすぐ見終えて時間余す。で③をチョイス。京成電車に飛び乗る。これにて東京の百・続百名城制覇。

<満足度>★★★★★

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ぴーかる

ありがとうございます🐤

朝田辰兵衛さん、祝辞ありがとうございます。着々と未登城のお城攻略されておりますネ。楽しく拝読させて頂いています。怪我・事故無くあることを祈っています。私は9月頃まで休養かもしれません。

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にのまる

登呂遺跡のあとで。 (2025/06/19 訪問)

静岡市にある登呂遺跡に行ってみたくて小田急線と東海道本線をちょこちょこと5本乗り継いで出かけてきました。

登呂遺跡は第二次世界大戦中、軍需工場建設の際に発見されたのだそうです。登呂公園自体はそこまで広くはありませんが、弥生時代の建物がここまで復元されて暮らしがわかるなんてすごいなぁ!と思いながら見学しました。

行きは静岡駅からバスに乗りましたが、この距離なら歩けるなと思ったので、登呂遺跡から駿府城までは歩いてみました。

『どうする松潤』以来2年ぶりの駿府城です。
まずは歴史博物館へ。「蔦重と一九展」は開催前でした。

東御門橋を渡り駿府城公園へ。
久しぶりに東御門と巽櫓内を見学しました。ジオラマに金箔瓦に竹千代手習いの間など、惹きつけられるものがたくさんで楽しかったです。

続いて駿府城天守台発掘調査現場へ。
ここを見るのは2度目ですが、ものすごくすすんでいてびっくりでした。暑い中作業をされている方々がお体壊されませんように。
きゃっしるのスタッフさんと金箔瓦のナゾ談義などお話ができたのも楽しかったです。
発掘によってできた大きな土の山は、発掘現場を上から見られる展望台のようなものを造る案もあるそうで、すごくいい!と思ったのですが、実現には予算とかいろいろ……あるみたいです。

園内をぐるっとまわって坤櫓、家康像、お手植えの蜜柑の木、二の丸水路、紅葉山庭園と見学しました。庭園の池の水が水路を循環していることなども教えていただき、駿府城について少し詳しくなれて、来てよかったなと思いました。

帰りはJR東海の優待券を使って小田原までこだまで帰りました。新幹線、やっぱり速い!

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村殿の城館 (2025/06/17 訪問)

 昌官忠さんの連続25日間の(東海&関西)遠征は、城びと史上の偉業ですなあ。綿密な計画作りもさることながら、そのとおりにならぬときの踏ん張りにも感服いたしました。
 佐渡ヶ島の新穂城です。説明板の地図に掲載されている多くの城館に驚きました。城主の村殿は、小さな村長さん。本間一族を中心とした、島内の争いが激しかったのでしょうか。

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