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国指定史跡 日本遺産 日根荘 (2025/01/13 訪問)

JRが和歌山行きと関空行きに分かれる、日根野駅。変わった名前と思い調べると、五摂家の一つ、九条家が開墾したという日根荘があり、現在にも遺構が残り、土地の利用も当時とあまり変わっていないとされています。ずいぶん前から、気になっており、土丸城、雨山城登城とセットにして訪問しました。
 日根野の少し北を流れる近木川畔の積善寺城を訪れたときにも驚いたのですが、山中でもないのに、川が激しく台地を侵食して川面がかなり下の方にあります。日根荘の樫井川も川面がかなり下にあり、水利に使えません(写真1)。代わりに溜池がたくさん作られています。高野山が開拓に失敗したあと、1234年、九条家に開拓を請け負わせました(命じたのはだれ?)。樫井川から取水し、5mほどの高低差で3km程を流す、用水路:井川(ゆかわ)を作るなどをして開拓に成功し、自家の荘園にしました。九条家最大の荘園であり、また、荘園は寄進による所有が通常なのに、自ら開拓したところが貴重とのことです。1501~1504年には、京都の戦乱を避けて当主がここに滞在していました。また、土丸城、雨山城は、住民が戦から避難する「山入り」「山上がり」に利用されていました。その関連性がみとめられ、雨山城、土丸城も日本遺産に指定されました。
 樫井川の川面と台地の高低差が小さくなった所に堰を設けて取水口にしています(写真2~3)。堰は近代化してますが、機構そのものは昔と変わらず田畑を潤しています。日根荘散策後、土丸バス停から土丸城にアプローチしていきます。

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半布里コミッティ

「とみか歩け歩け大会」~加治田城攻略編~ を開催します!

『加治田城跡』を目的地に歩け歩け大会を開催します。
富加町B&G海洋センターから出発し、清水寺を通り加治田城を目指します。
加治田城跡からの眺めを楽しみながら堂洞合戦などの歴史を解説します。
山城の竪堀では「城攻め攻防戦」の実演を行います!


令和7年2月23日(日)午前8時30分~正午ごろ


★全行程約8km(山道・急傾斜・階段があります)

   富加町B&G海洋センター 8時30分集合
    ↓
   清水寺
    ↓
   加治田城跡(解説)
    ↓
   加治田城竪堀群にて関高校地域研究部による城攻め実演
    ↓
   清水寺へ下山
    ↓
   富加町B&G海洋センター 解散

★持ち物    水筒・ティッシュ・手袋 (双眼鏡などがあればお持ちください)

★参加料    100円 当日に受付でお支払いください。

★参加対象   先着60人。どなたでも。 
        小学3年生以下は大人が同伴してください。

★その他    雨天(雪)中止
         ※中止の場合、当日午前7時30分に富加町広報無線で放送します。
         ※前日までの雨、雪の状況で中止する場合があります。

<申し込み先・問い合わせ>
令和7年2月16日(日)までに、富加町B&G海洋センターに、電話・FAX・直接窓口でお申し込みください。
また、添付しました二次元コードからもお申込みいただけます。

富加町B&G海洋センター 富加町夕田238番地
電話:0574‐54‐2886  FAX:0574‐54‐2928

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イオ

別城一郭の城 (2024/10/20 訪問)

築城時期等は不明ながら在地土豪の米原氏が築いたとされ、東側を東山道、西側を北国街道が通る交通の要衝だったことから、美濃の斎藤妙椿の侵攻を受けたり、京極氏・浅井氏と六角氏の境目の城として争奪戦が繰り広げられたりしましたが、織田信長の近江攻めで佐和山城が開城すると、太尾山城も開城し廃城となりました。

お城EXPOの後、米原市役所駐車場(120分無料)から登城開始。太尾山城は北城と南城からなる別城一郭の城で、湯谷神社の登城口から10分あまりで南城北端の堀切に到着。堀切の東側は竪堀となって落ちていました。堀切から南城に入ると、北辺を土塁で囲んだ曲輪(副郭)があり、北東隅は櫓台だったようです。副郭から東にのびる尾根にも堀切があるようなので行ってみましたが、藪に沈んでいてよくわかりませんでした。南城の最高所が主郭で、説明板によれば主郭の土壇からは礎石建物が検出されているそうです。主郭から南西方向に下りて行った先には堀切を設け、尾根筋からの侵攻を遮断しています。

南城南西端の堀切で引き返して北城へ。南城から北城への尾根筋は自然地形であり、少々藪化している堀切からが北城になります。階段状に設けられた曲輪群を抜けた最高所が主郭で、北辺を土塁で囲んでいます。主郭には説明板が立てられ、その脇からは琵琶湖方面を見渡すことができました。主郭から東にのびる尾根にはいくつかの腰曲輪と堀切があり、東尾根から北側に回り込むと、主郭直下に土塁囲みの小曲輪がありました。この小曲輪からも礎石建物が検出していて、櫓もしくは倉庫と考えられるようです。そして北城から北側に下りて行き、盗人岩からの眺望を堪能したりしつつ、青岸寺に下山しました。

米原駅からも徒歩圏内であり、随所に説明板や案内表示が設けられて登城しやすい城でした。あとはもう少し藪が刈られていれば、もっと見応えがあるんでしょうけど…。
 

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todo94

星ヶ城攻城前日の観光 (2024/01/11 訪問)

直島城から地中美術館へは徒歩でアプローチしましたが、地中美術館から宮ノ浦港へも徒歩で向かいます。直島パヴィリオン、赤かぼちゃ、宮浦ギャラリー六区、I♥湯と巡って昼食をとり、宮ノ浦港から豊島へと渡りました。家浦港から豊島美術館へも徒歩。豊島美術館は美術館自体が作品そのものという感じで、しばし、水の動きに見とれていました。道すがら、アート作品を鑑賞しつつ、心臓音のアーカイブ迄、豊島を味わってから唐櫃港へ。そこから小豆島にわたって土庄にて泊をとりました。

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小城小次郎

じょうじょうじょう (2024/04/27 訪問)

全国にちょいちょい存在する「じょうじょうじょう」のひとつ。越後守護・上杉房定や関東管領・上杉顕定をも輩出した上条上杉家は上条政繁の代に上杉景勝から離れて幕臣になっている。相当プライドの高い家柄だったのだろう。

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しんちゃん

江戸城夜景 (2024/12/30 訪問)

茨城に向かう前に江戸城の夜景を拝んでいきました。夜の江戸城もなかなか良い味出しています。台東区浅草橋三丁目にある甚内神社は武田家家臣・高坂弾正の子・甚内を祀っています。宮本武蔵に師事し、奥義を極めるも武田家再興のために幕府開府早々に治安を乱したため、瘧(おこり=マラリア)にかかって苦しんでいるところを捕縛され鳥越の刑場で処刑されたようです。
現在は病の治癒を望む人々の信仰を集めているとされ、8月12日の命日は多くの参拝客が集まるようです。

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しんちゃん

目黒 (2024/12/30 訪問)

目黒氏館は目黒川の西側の台地状に築かれていて、現在は東京都立目黒高等学校になっています。目黒氏は武蔵七党の一つ横山党の一族とされますが江戸氏の勢力拡大により会津に移ったのではないかとされています。目黒氏は承久の乱の後の、ある時期に移住をしたとみられるため、目黒氏に関わる伝承は当地には残っていないようですが、地名にはしっかりと痕跡が残されています。
どうせ遺構もないからと夜襲にて済ませてしまっていますが、写真で見るとなんとも味気ない。代わりと言ってはなんですが、美しい東京の夜景と、遅めの晩御飯にいただいた横浜系醬油とんこつラーメンの写真を投稿します。

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宗春

年末年始に帰省先でちょいと城攻めしよう その⑤(おまけ)犬山城 (2024/12/09 訪問)

年末年始は開いていない城も多かったのですが、何とか訪問出来るところを探して攻めてみました。

訪問時期が年末年始ではないのでオマケで犬山城。JR東海のEX会員限定の御城印が目的で訪問しました。

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しんちゃん

伊達与兵衛房実 (2024/12/23 訪問)

大和田陣屋の跡地は宅地開発されて見る影もないようです。かつては高さ3mほどの土塁があったようですが、時代の流れを感じます。
岩槻城主太田市の重臣・伊達与兵衛房実は豊臣秀吉による小田原攻めの後は徳川氏に仕え、武蔵国足立郡に250石を与えられ大和田陣屋を構えたとされます。後に450石で常陸国鹿島郡に加増転封となったようです。

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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/15 訪問)

【城域2:曲輪群[2-1]】
<登城路>麓からは曲輪群[2-2]と同じ経路で、曲輪群[2-2]の登り口が城域2全体の西の虎口となっており、枡形と土塁が残されています。そこからハイキングコースを少し進むと京都一周トレイル東山61番の札があります。そこからコースから外れて右手の尾根を進むと主郭に到ります。

<見所>腰曲輪・連段の曲輪群
<感想>城域2には4つの曲輪群があり、かつて東山新城という別城であった説もありますが西隣の城域1に非常に近く、足利義晴・義藤父子が近江坂本へ避難するにはここを通るルート上にあることから最終的には将軍山城に吸収されていたと考えます。この曲輪群
[2-1]が城域2の最大の曲輪群で、中心部であったろうと思われます。主郭に説明板があり説明板には北白川城(将軍山城)の出丸と書かれています。
 城跡は尾根に沿って削平された曲輪群がTの字のように配されています。前述の西端の虎口は枡形や▢状土塁、尾根土塁等の遺構が残り見応えがあります。最高所の主郭から東方向は細かい連段になっていて、土塁が食い違いに配されてジグザグに動かされます。東端に堀切があります。主郭から南方向には綺麗に削平された腰曲輪が数段取り巻いてあり、そこから南方向に細かい連段が9段程連なっていて最下段に主郭より広い曲輪があります。規模も大きく十分に1つの城塞の規模のある城跡です。なかなかの見応えでした。次の投稿は曲輪群[2-4]です。

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しんちゃん

初鹿野伝右衛門 (2024/12/23 訪問)

土呂陣屋は彩の国大宮メディカルセンターが跡地になるようです。地蔵堂はそこから南西150mあたりにあるようです。徳川家康に仕えた武田家遺臣の初鹿野伝右衛門信昌が土呂にて700石にて開いた陣屋のようです。

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しんちゃん

中村弥右衛門吉照 (2024/12/23 訪問)

針ヶ谷陣屋は高力清長の家来中村弥右衛門吉照によって築かれ、浦和郷1万石を任されたとされています。周囲は住宅地やマンションで使えそうな写真はありません。坂を下ってすぐの北浦和東公園にある案内板に針ヶ谷の文字が見られます。

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トク

あさん、コメントありがとうございます

なるほど言われてみれば中国の石像は確かにあんな感じですね。丹波亀山城の明智光秀と見比べてついあんなふうに言ってしまいました(写真①)。

保存方法の例ですが、同じ場所に保存するなら、例えば指月伏見城では、マンション工事中にこんな物が出てきましたと、開発業者や住民の好意で、マンションの一角に発掘当時の写真と見つかった石垣の一部が展示されています(写真②)。

また住民の反対で、どうしてもその場所に保存できないというのであれば、いっそ坂本城址公園に移築再現し、三の丸から出てきた光秀の石垣をここに移築しました、と発掘写真と解説を付けて保存するという方法もあります。

この他にもアイデアを出し合えば、まだいろいろと策はあると思うので、完全でなくてもいいので何とか一部でも見える形で残してほしい、少なくとも永遠に埋め戻したままというのだけはやめてほしいなという気がします。

P.S そういえば坂本城址公園の前に、なぜか博多ラーメンの店がオープンしていました。ぜひ御賞味あれ!(笑)。
 

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立ち入り禁止なんです (2025/01/13 訪問)

 城びと先人の「和泉の国最大級」などの投稿を見て、行きたい城にノミネート。雨山城から6キロほど歩いて、根福寺城登城口に到着。パイプの手すり付き階段を登ると、道を竹でふさぎ、立ち入り禁止の黄色テープが。下調べで、貝塚市/貝塚の文化財/根福寺城で、「城趾は私有地のため立ち入ることはできませんのでご注意ください」とあったのを見てたので、驚きはしませんでしたが。
 帰宅後さらに調べると、地権者に連絡すると案内してくれる(2024.11.10)との情報あり。
 todo94さんが2014年に一番槍をつけた際には、大川バス停近くの登り口は整備されておらず、登城道に出会うまで直登されたとあります。その後、おそらく、保存会の方々が階段とパイプの手摺を設置されたものと思います。どういう経緯がわからないですが、そのような次第です。ご注意ください。
 
 追伸 トクさん中心に。
 昨年秋に、膳所城跡へ徒歩5分の場所から、坂本城跡まで車で5分の場所に引っ越しました。所用あり、坂本城石垣発掘の現地説明会にはいけませんでしたので、当日早朝に柵の外から眺めました。県知事が「保存する」と宣言したので、公園にでもすると思ってたのですが、騙された感じ。
 トクさんが石川町バス停近くで撮影された変わった形の鳥居は、比叡山麓の日吉大社の独特の 山王鳥居 です。鳥居は「山」と「王」が組み合わされた形とか。祭りでは、琵琶湖岸のこの鳥居をくぐって神輿が舟に載せられ、琵琶湖に漕ぎ出します。
 明智光秀像が足太なのは気になりますよね。赤穂の大石神社の赤穂浪士像も皆、足太です。大石神社の像は、中国に発注したので、こんなになったと聞いたことが。兵馬俑もこんな感じですよね。

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カズサン

二の曲輪馬出散歩 (2025/01/10 訪問)

 二の曲輪北馬出で遠く富士山を遠望しいろいろの角度から写真撮影もして堪能しました、風も有り寒くも有りで諏訪原城の探訪もショートカットして二の曲輪馬出散歩して東馬出からの富士山遠望を狙い目としました。
 
 ビジターセンター➡大手南外堀➡二の曲輪大手馬出・三日月堀➡外堀外側➡大手北外堀➡二の曲輪中馬出・三日月堀➡北馬出・復元薬医門、富士山遠望➡二の曲輪中馬出、外堀土橋➡外堀内側➡二の曲輪大手馬出・土橋➡外堀内側➡二の曲輪東内馬出➡外堀土橋・二の曲輪南馬出・三日月堀➡土橋、東内馬出三日月堀➡二の曲輪東馬出、東端で富士山を遠望➡南馬出➡外堀外側➡二の曲輪大手馬出・諏訪神社参拝➡二の曲輪三日月堀外側➡大手南外堀経由ビジターセンターへ戻るルートを廻りました。
 探訪散歩時間は約30分、令和7年登城始めニ城目の諏訪原城を終了しました。

 正月明けの今回雪を被りスッキリした富士山を遠くからですが晴天下眺める事が出来ました。
 

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トク

城下町の遺構がまた一つ・・・ (2024/11/12 訪問)

昨年秋ですが佐和山城を訪れました(昨年春以来3度目です)。今回は搦手側の龍潭寺からではなく、大手側の大手門があった場所(大手口)を目指しました。彦根駅から近江鉄道に乗り(写真①)1駅目の「鳥居本」で下車しそこから歩きました。

昨年8月に、工事中に石田三成時代の遺構が見つかったというニュースで気になっていたので、イオさんに続き私も遅ればせながら訪れてみると、イオさんの投稿の写真の時からさらに工事は進んだようで、遺構が見つかった付近だけではなく、内堀からその外側のほとんどは埋立られていました。三成時代の城下町があったと思われるこの一帯は、国道8号バイパス工事がすでに大規模に行われていて、重機やダンプがたくさん入り立入禁止でした(写真⑤⑥⑦:写真②の地図に撮影場所を書いています)。

こんな大きな道路ができてしまえば、沿線には必ず商業施設やマンションや工場などが立ち並んで行くので、わずかに残っている外堀跡などの遺構(写真⑧の小野川付近)も、あと数年後にはだんだんと無くなっていくかもしれませんね。三成時代の城下町の全貌が解き明かされる事も、今後は難しくなりそうな気がします。

大手口(大手門跡)前がちょうどダンプの出入口になっていて、工事の方がいたので断って入りました(写真③)。三成の時代はここがメインの登城路で、ここに大手門が建っていて、その前の場所には侍屋敷があったようです。大手口のこの橋から先は龍潭寺の私有地なのでこの写真③の光景は、今後も残り続けると思います(たぶん)。そしてこの右側、内堀から外堀までの一帯が商人や足軽などが住む城下町で、鳥居本駅から国道の向かい側一帯が江戸時代の宿場町であったと思われます。東海道「鳥居本宿」の跡碑もありました(写真⑨)。

関ケ原で戦いがあった翌日、三成の父正継と兄正澄の2,800の軍勢が守るも、小早川秀秋ら15,000の大軍に攻められ、佐和山城と侍屋敷とこの城下町一帯は全て焼き払われてしまいます。ならばその後に入った井伊直政は、いったいどこで政務を執っていたのか🤔? それはよくわかりませんでした。

城下町の遺構が、また一つ解明されないまま消えて行く・・・、これも時代の流れで仕方ないのかな。帰りに近江鉄道のドアに描かれていた「ひこにゃん」に癒されたのが、せめてもの救いでした(写真⑩)。
 

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イオ

須川山砦(滋賀県米原市須川) (2024/10/20 訪問)

須川山砦(城びと未登録)は長比城の北西約250mの尾根上に位置し、詳細は不明ながら長比城と類似した構造をしていることから、ひとつの城砦群と考えられています(長比城の北曲輪ともいわれるようです)。

(続き)

長比城から案内表示に従って竪堀を越えて北へ進むと、10分弱で須川山砦に至ります。南端の虎口は左右から分厚く高い土塁が張り出していて、砦内も周囲に高い土塁をめぐらせています。説明板や案内表示はありませんが、北端の虎口脇の土塁上に須川山砦遺跡の石碑が立てられていました。北端の虎口は外枡形状になっている上に、虎口の北側と西下に土塁を設けて侵攻を遮断しています。さらに北側の土塁の外側からは東方向に2条の竪堀、北方向には3条の畝状竪堀を落としていました(私の拙い写真ではわかりづらいですが…)。

長比城といい須川山砦といい、コンパクトな城砦ながら周囲に分厚く高い土塁をめぐらせた造りは、小谷城の福寿丸や山崎丸、中島城を想起させ、朝倉氏の支援を受けて築かれたというのも頷ける縄張の城でした。
 

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todo94

香川県コンプリートの前に (2025/01/11 訪問)

成人の日の三連休は、直島、豊島、小豆島へ赴きました。先月に続いての香川県です。勿論目的は星ヶ城ですが、攻城したとはとても言えない直島城にまずは攻め入ります。10日から11日にかけての深夜、名神高速の通行止めをかいくぐって無事、早朝に宇野港にたどり着くことができました。24時間500円の三井のリパークに車をとめ、19年ぶりの直島へ。本村港から護王神社はすぐ近くです。護王神社社殿の裏手に想像以上に立派な土塁と空堀(横堀)が控えていました。主郭は住吉神社で説明板もありました。私の最初の投稿は詐欺のようなものですね。直島城の投稿はまだ私のみですが、近々、赤い城さんが攻略されることと思います。

そこから草間彌生の黄色いカボチャを経て地中美術館にも行ってきました。かつては携帯の持ち込みが禁止されていて預けなくてはならなかったのですが、事前に購入したチケットはQRコード表示なのでスマホを美術館内に持ち込むことができるようになっていて、屋外を始め、撮影できる場所があったのはうれしい限りでした。ここは私が最も感銘を受けた美術館なのですが、メインコンテンツのモネの睡蓮の絵の印象が全く変わっていました。19年前はもっと青く見えたのですが、紫っぽく感じてしまいました。おそらく19年の間に私の老化が進行して青色が見えにくくなってきているのかと思います。19年の歳月で床の白い石タイルもだいぶくすんできていて、こちらは齢を重ねた味わいを感じました。

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はまけん

加久見上城跡、加久見下城跡 (2025/01/12 訪問)

加久見氏の居館のあった谷を挟んで、加久見上城と加久見下城があります。土塁、堀切がよく残っています。上城跡は道が無く集会所の裏からひたすら登りました。下城跡は津波避難場所の手前か道があります。

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朝田 辰兵衛

南西側(ナイスの森入口)から見城へ… (2024/12/23 訪問)

伊勢原駅北口から「伊34」系統のバスで,広沢寺温泉入口バス停下車。ここは,見城の北東側となります。ここから反時計回りに歩き,南西側(ナイスの森入口)へ。途中,滑岩や大釜弁財天という厚木の名所を通り過ぎると登城口があります。下山は南東側で。亀石という名所から碑&パネルへと。ほぼほぼ見城の周囲を歩き尽くした感があります。
さて,みなさんが警戒されていたヒルがいそうな場所は見当たりませんでした。あえて…なら,見城南東側から亀石までのルートかなって思いました。ま,赤い城さんが攻城されたであろう,北側登城ルートは進入しておりませんが…。
残念なことに,亀石の画像がボケてしまいました…<泣>。

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