関ヶ原古戦場の安国寺恵瓊陣跡は南宮山ハイキングコースの入り口あたりにあります。恵瓊は小西行長や石田三成らと同様に関ヶ原の戦いの責任を押し付けられた感が有りますね。高橋陽一氏の「シン・関ヶ原」を参考にさせていただくと毛利輝元もかなりやる気で望んでいたようですが、西軍の敗戦後は恵瓊は毛利家の格好のスケープゴートにされてしまったようです。神谷氏の「関ヶ原合戦図志」の挿絵でも吉川や福原らの毛利家諸将が南宮山(栗原山も?)に布陣しているのに恵瓊だけは麓に置き去りにされたままです。
毛利の軍勢から締め出されてしまった感じですね・・気の毒に。
実際に麓に布陣していたかは不明で、陣跡には遺構などは見当たりません。毛利勢が南宮山一帯に布陣していたのであれば、それを追って山腹の扁平地に駐屯していた可能性もあるけど断言はできない。
関ヶ原に関しては信頼のおける資料が今の所ないので陣所の比定が難しい。関ヶ原の平地は広いし、山中・松尾山とその周辺・南宮山・栗原山などの山の中にもいくらでも兵を駐屯できる場所があります。平地・山地を問わず大軍を駐屯できるのが「関ヶ原」なんですわ。。
毛利秀元陣跡への道中には南宮十坊「千手院」跡や多くの扁平地があります。ただしこれだけでは万単位の大軍を駐屯できるほどのスペースは無いと感じました。
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