かねやまじょう

金山城

宮城県伊具郡

別名 : 金山要害
旧国名 : 陸奥

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本丸よりの眺望
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しんちゃん

本丸からの眺望も良好。 (2025/01/01 訪問)

実はこの投稿、デジカメとスマホの両方の写真が混じっています。デジカメorスマホ論争、盛り上がって来てますが、私ときどき「二刀流」です。あるあるですね。調子の悪かったデジカメを分解して組み立てたら、一時モニターが移らなくなりましたが、フレキケーブルのコネクタのロックを外して、しっかりはめ込んだら写るようになりました。動作も以前よりは好くなったようです。まだいける・・?

金山城は山頂に本丸が築かれ、石垣も良く残っています。地震で崩壊したと見られる部分の修復は行われてはいないようですが、今の状態でも十分見ごたえはあります。登城道は北に付いており、米蔵・煙硝蔵・出丸等を経て二の丸に至ります。石垣の下には馬場が配され、石垣の脇を登って本丸に至ります。どう見ても立派な城ですね。
本丸からの眺望も素晴らしく、地元の人にとっても良いトレーニングになっているようです。

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しんちゃん

続百名城に近い城郭でも「要害」扱い (2025/01/01 訪問)

金山城は仙台藩の要害の一つです。標高117mの山地を利用して築かれており、永禄年間に相馬氏の家臣、戸川将監・藤川紀伊によって築かれたとされています。天正4年(1576)に伊達氏と相馬氏の間で争いが有り、天正12年に伊達氏の城となりました。
伊達政宗は戦で功績のあった中島宗求に金山城と金山本郷・大内・伊手の三邑(三村)2千石を与え、天正16年には相馬氏に備えさらに強固な城に改修を施したそうです。
江戸時代も要害として維持されていましたが、これは立派な山城です。遺構も続百名城に近い規模の物が残されていて、広い山頂の本丸に立派な屋敷が築かれていたようです。これは仙台藩が良い度胸をしているのか、江戸幕府が思ったよりたいがいなのか。

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仙臺むすび丸。

【悲報】金山城の高石垣が崩落していた (2022/04/10 訪問)

先月3月の地震の被害を確認するために、阿武隈急行が運休中だったので城友さんの車に同乗させてもらい、約11か月ぶりに訪れる 。約2年半前の台風19号による豪雨と、2021年2月からの3か月連続の地震で以前にも増していた孕んでいた本丸北西側の広範囲で、先月の3月16日の地震で本丸北西側の高石垣が崩落したと考えられる。
(2022年4月10日撮影)

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モト

現れた石垣に感動です (2021/08/10 訪問)

小高い山にある城跡を本丸を目指して登ります。
神社の脇にある登城口から入り、ある程度階段など整備された道へ合流して登っていきます。
この時点でかなりの城跡の雰囲気が漂います。
途中、門跡であろう所に残る若干の石に心躍らせながら進みます。
土塁跡、出丸跡、兵具蔵跡も残っております。
道はハイキング程度の登りです。
いよいよ本丸までは後少し、そして本丸の入り口に現れます見事な石垣です!!
綺麗な石垣に思わず感動して声が出てしましました。
石垣の角の綺麗な角張にも感動です。
大手門跡を通って本丸に上がりそこからの眺めを楽しみましたが、やはり石垣が良い。
帰りにも何度も石垣を眺めて帰りました。

金山城という名前の城跡は結構数ありますが名城が多いというような気がします。
ここもかなり満足な城跡だと思います。
おすすめです。

神社の入り口と反対側にも駐車できるようになっておりました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 井戸川将監、藤橋紀伊
築城年 永禄9年(1566)
主な城主 井戸川氏(相馬氏家臣)、中島氏(伊達氏家臣)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡
再建造物 碑、説明板
住所 宮城県伊具郡丸森町金山字黒森
問い合わせ先 丸森町観光物産協会
問い合わせ先電話番号 0224-72-6663