金山城は仙台藩の要害の一つです。標高117mの山地を利用して築かれており、永禄年間に相馬氏の家臣、戸川将監・藤川紀伊によって築かれたとされています。天正4年(1576)に伊達氏と相馬氏の間で争いが有り、天正12年に伊達氏の城となりました。
伊達政宗は戦で功績のあった中島宗求に金山城と金山本郷・大内・伊手の三邑(三村)2千石を与え、天正16年には相馬氏に備えさらに強固な城に改修を施したそうです。
江戸時代も要害として維持されていましたが、これは立派な山城です。遺構も続百名城に近い規模の物が残されていて、広い山頂の本丸に立派な屋敷が築かれていたようです。これは仙台藩が良い度胸をしているのか、江戸幕府が思ったよりたいがいなのか。
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