針ヶ谷陣屋は高力清長の家来中村弥右衛門吉照によって築かれ、浦和郷1万石を任されたとされています。周囲は住宅地やマンションで使えそうな写真はありません。坂を下ってすぐの北浦和東公園にある案内板に針ヶ谷の文字が見られます。
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2025/01/15 19:14
中村弥右衛門吉照 (2024/12/23 訪問)
針ヶ谷陣屋は高力清長の家来中村弥右衛門吉照によって築かれ、浦和郷1万石を任されたとされています。周囲は住宅地やマンションで使えそうな写真はありません。坂を下ってすぐの北浦和東公園にある案内板に針ヶ谷の文字が見られます。
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2025/01/15 18:06
あさん、コメントありがとうございます
なるほど言われてみれば中国の石像は確かにあんな感じですね。丹波亀山城の明智光秀と見比べてついあんなふうに言ってしまいました(写真①)。
保存方法の例ですが、同じ場所に保存するなら、例えば指月伏見城では、マンション工事中にこんな物が出てきましたと、開発業者や住民の好意で、マンションの一角に発掘当時の写真と見つかった石垣の一部が展示されています(写真②)。
また住民の反対で、どうしてもその場所に保存できないというのであれば、いっそ坂本城址公園に移築再現し、三の丸から出てきた光秀の石垣をここに移築しました、と発掘写真と解説を付けて保存するという方法もあります。
この他にもアイデアを出し合えば、まだいろいろと策はあると思うので、完全でなくてもいいので何とか一部でも見える形で残してほしい、少なくとも永遠に埋め戻したままというのだけはやめてほしいなという気がします。
P.S そういえば坂本城址公園の前に、なぜか博多ラーメンの店がオープンしていました。ぜひ御賞味あれ!(笑)。
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2025/01/15 12:46
立ち入り禁止なんです (2025/01/13 訪問)
城びと先人の「和泉の国最大級」などの投稿を見て、行きたい城にノミネート。雨山城から6キロほど歩いて、根福寺城登城口に到着。パイプの手すり付き階段を登ると、道を竹でふさぎ、立ち入り禁止の黄色テープが。下調べで、貝塚市/貝塚の文化財/根福寺城で、「城趾は私有地のため立ち入ることはできませんのでご注意ください」とあったのを見てたので、驚きはしませんでしたが。
帰宅後さらに調べると、地権者に連絡すると案内してくれる(2024.11.10)との情報あり。
todo94さんが2014年に一番槍をつけた際には、大川バス停近くの登り口は整備されておらず、登城道に出会うまで直登されたとあります。その後、おそらく、保存会の方々が階段とパイプの手摺を設置されたものと思います。どういう経緯がわからないですが、そのような次第です。ご注意ください。
追伸 トクさん中心に。
昨年秋に、膳所城跡へ徒歩5分の場所から、坂本城跡まで車で5分の場所に引っ越しました。所用あり、坂本城石垣発掘の現地説明会にはいけませんでしたので、当日早朝に柵の外から眺めました。県知事が「保存する」と宣言したので、公園にでもすると思ってたのですが、騙された感じ。
トクさんが石川町バス停近くで撮影された変わった形の鳥居は、比叡山麓の日吉大社の独特の 山王鳥居 です。鳥居は「山」と「王」が組み合わされた形とか。祭りでは、琵琶湖岸のこの鳥居をくぐって神輿が舟に載せられ、琵琶湖に漕ぎ出します。
明智光秀像が足太なのは気になりますよね。赤穂の大石神社の赤穂浪士像も皆、足太です。大石神社の像は、中国に発注したので、こんなになったと聞いたことが。兵馬俑もこんな感じですよね。
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2025/01/15 10:07
二の曲輪馬出散歩 (2025/01/10 訪問)
二の曲輪北馬出で遠く富士山を遠望しいろいろの角度から写真撮影もして堪能しました、風も有り寒くも有りで諏訪原城の探訪もショートカットして二の曲輪馬出散歩して東馬出からの富士山遠望を狙い目としました。
ビジターセンター➡大手南外堀➡二の曲輪大手馬出・三日月堀➡外堀外側➡大手北外堀➡二の曲輪中馬出・三日月堀➡北馬出・復元薬医門、富士山遠望➡二の曲輪中馬出、外堀土橋➡外堀内側➡二の曲輪大手馬出・土橋➡外堀内側➡二の曲輪東内馬出➡外堀土橋・二の曲輪南馬出・三日月堀➡土橋、東内馬出三日月堀➡二の曲輪東馬出、東端で富士山を遠望➡南馬出➡外堀外側➡二の曲輪大手馬出・諏訪神社参拝➡二の曲輪三日月堀外側➡大手南外堀経由ビジターセンターへ戻るルートを廻りました。
探訪散歩時間は約30分、令和7年登城始めニ城目の諏訪原城を終了しました。
正月明けの今回雪を被りスッキリした富士山を遠くからですが晴天下眺める事が出来ました。
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2025/01/15 09:54
城下町の遺構がまた一つ・・・ (2024/11/12 訪問)
昨年秋ですが佐和山城を訪れました(昨年春以来3度目です)。今回は搦手側の龍潭寺からではなく、大手側の大手門があった場所(大手口)を目指しました。彦根駅から近江鉄道に乗り(写真①)1駅目の「鳥居本」で下車しそこから歩きました。
昨年8月に、工事中に石田三成時代の遺構が見つかったというニュースで気になっていたので、イオさんに続き私も遅ればせながら訪れてみると、イオさんの投稿の写真の時からさらに工事は進んだようで、遺構が見つかった付近だけではなく、内堀からその外側のほとんどは埋立られていました。三成時代の城下町があったと思われるこの一帯は、国道8号バイパス工事がすでに大規模に行われていて、重機やダンプがたくさん入り立入禁止でした(写真⑤⑥⑦:写真②の地図に撮影場所を書いています)。
こんな大きな道路ができてしまえば、沿線には必ず商業施設やマンションや工場などが立ち並んで行くので、わずかに残っている外堀跡などの遺構(写真⑧の小野川付近)も、あと数年後にはだんだんと無くなっていくかもしれませんね。三成時代の城下町の全貌が解き明かされる事も、今後は難しくなりそうな気がします。
大手口(大手門跡)前がちょうどダンプの出入口になっていて、工事の方がいたので断って入りました(写真③)。三成の時代はここがメインの登城路で、ここに大手門が建っていて、その前の場所には侍屋敷があったようです。大手口のこの橋から先は龍潭寺の私有地なのでこの写真③の光景は、今後も残り続けると思います(たぶん)。そしてこの右側、内堀から外堀までの一帯が商人や足軽などが住む城下町で、鳥居本駅から国道の向かい側一帯が江戸時代の宿場町であったと思われます。東海道「鳥居本宿」の跡碑もありました(写真⑨)。
関ケ原で戦いがあった翌日、三成の父正継と兄正澄の2,800の軍勢が守るも、小早川秀秋ら15,000の大軍に攻められ、佐和山城と侍屋敷とこの城下町一帯は全て焼き払われてしまいます。ならばその後に入った井伊直政は、いったいどこで政務を執っていたのか🤔? それはよくわかりませんでした。
城下町の遺構が、また一つ解明されないまま消えて行く・・・、これも時代の流れで仕方ないのかな。帰りに近江鉄道のドアに描かれていた「ひこにゃん」に癒されたのが、せめてもの救いでした(写真⑩)。
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2025/01/15 08:03
須川山砦(滋賀県米原市須川) (2024/10/20 訪問)
須川山砦(城びと未登録)は長比城の北西約250mの尾根上に位置し、詳細は不明ながら長比城と類似した構造をしていることから、ひとつの城砦群と考えられています(長比城の北曲輪ともいわれるようです)。
(続き)
長比城から案内表示に従って竪堀を越えて北へ進むと、10分弱で須川山砦に至ります。南端の虎口は左右から分厚く高い土塁が張り出していて、砦内も周囲に高い土塁をめぐらせています。説明板や案内表示はありませんが、北端の虎口脇の土塁上に須川山砦遺跡の石碑が立てられていました。北端の虎口は外枡形状になっている上に、虎口の北側と西下に土塁を設けて侵攻を遮断しています。さらに北側の土塁の外側からは東方向に2条の竪堀、北方向には3条の畝状竪堀を落としていました(私の拙い写真ではわかりづらいですが…)。
長比城といい須川山砦といい、コンパクトな城砦ながら周囲に分厚く高い土塁をめぐらせた造りは、小谷城の福寿丸や山崎丸、中島城を想起させ、朝倉氏の支援を受けて築かれたというのも頷ける縄張の城でした。
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2025/01/15 07:16
香川県コンプリートの前に (2025/01/11 訪問)
成人の日の三連休は、直島、豊島、小豆島へ赴きました。先月に続いての香川県です。勿論目的は星ヶ城ですが、攻城したとはとても言えない直島城にまずは攻め入ります。10日から11日にかけての深夜、名神高速の通行止めをかいくぐって無事、早朝に宇野港にたどり着くことができました。24時間500円の三井のリパークに車をとめ、19年ぶりの直島へ。本村港から護王神社はすぐ近くです。護王神社社殿の裏手に想像以上に立派な土塁と空堀(横堀)が控えていました。主郭は住吉神社で説明板もありました。私の最初の投稿は詐欺のようなものですね。直島城の投稿はまだ私のみですが、近々、赤い城さんが攻略されることと思います。
そこから草間彌生の黄色いカボチャを経て地中美術館にも行ってきました。かつては携帯の持ち込みが禁止されていて預けなくてはならなかったのですが、事前に購入したチケットはQRコード表示なのでスマホを美術館内に持ち込むことができるようになっていて、屋外を始め、撮影できる場所があったのはうれしい限りでした。ここは私が最も感銘を受けた美術館なのですが、メインコンテンツのモネの睡蓮の絵の印象が全く変わっていました。19年前はもっと青く見えたのですが、紫っぽく感じてしまいました。おそらく19年の間に私の老化が進行して青色が見えにくくなってきているのかと思います。19年の歳月で床の白い石タイルもだいぶくすんできていて、こちらは齢を重ねた味わいを感じました。
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2025/01/14 22:42
2025/01/14 21:31
南西側(ナイスの森入口)から見城へ… (2024/12/23 訪問)
伊勢原駅北口から「伊34」系統のバスで,広沢寺温泉入口バス停下車。ここは,見城の北東側となります。ここから反時計回りに歩き,南西側(ナイスの森入口)へ。途中,滑岩や大釜弁財天という厚木の名所を通り過ぎると登城口があります。下山は南東側で。亀石という名所から碑&パネルへと。ほぼほぼ見城の周囲を歩き尽くした感があります。
さて,みなさんが警戒されていたヒルがいそうな場所は見当たりませんでした。あえて…なら,見城南東側から亀石までのルートかなって思いました。ま,赤い城さんが攻城されたであろう,北側登城ルートは進入しておりませんが…。
残念なことに,亀石の画像がボケてしまいました…<泣>。
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2025/01/14 21:29
行方弾正直清 (2024/12/22 訪問)
行方氏館は小田原北条氏の家臣・行方弾正直清の居館跡で現在は円頓寺の境内になっています。遺構は残っていませんが境内には直清の供養塔があります。直清は天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に討死したとされ、直清の弟の日芸が屋敷跡を寺院として円頓寺の中興開祖となり、供養塔を建立したとされています。
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2025/01/14 20:54
お台場の一角獣 (2024/12/22 訪問)
横浜のお城EXPOに行った翌日は、お台場のガンダムベースに行きました。この日は休日なのと新製品の発売が重なってメチャクチャ混んでいます。すごい密ですね・・ウイルスをもらっちゃ大変ですよ。
欲しかった品は有りませんでしたが、いろいろと予期せぬ収穫が有りました。会計は一回しかできないので、両手にいっぱい抱え込んでレジに並びました。年甲斐もありませんが、ここでは皆大きな子供です。だいぶ時間を食ってしまいましたが、午後5時のユニコーンガンダムの変身には間に合いました。横浜にあったガンダムのように歩くことは出来ませんが、通常のユニコーンからデストロイモードに変身します。角が割れて、ガンダムの顔が出てくる所なんか、ちょっと感動しましたね。
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2025/01/14 20:32
2025/01/14 19:47
まるごと将軍山城 (2024/12/08 訪問)
【城域2:曲輪群[2-3]】
<登城路>曲輪群[2-2]の東側の緩やかな谷を南下して右手の並行して南下している尾根に適当な場所で取り付きます。尾根を進むと堀切にぶつかります。
<見所>堀切
<感想>ここも小さな城塞で3・4つの曲輪があり南北に小曲輪があったようですが現在は藪化しています。上記北側の尾根から進むと堀切が数条あり北からの防御もあります。曲輪群[2-2]と連携しているといえばそうだし、城域2の南西方向の出城といえばそうなのかもしれない位置関係にある。南西方向の尾根以外に周囲が崖で改修時のあとから防御を固める為に築造された感じはあります。南端の西寄りの斜面に尾根が見えているので斜面を降りて尾根伝いに南下していくと前投稿した城域3に行けます。次の投稿は曲輪群
[2-1]です。
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2025/01/14 18:46
湯島聖堂のシャチホコの巻。 (2025/01/11 訪問)
前回投稿した、『今川焼は何と呼ばれているのか案件』で神田明神を訪ね、たくさんの人の流れに乗り湯島聖堂に流れ着きました。
以前、受験シーズンに湯島天神と間違えて来た事があります。
罰当たりな表現ですが、またしても不本意に門をくぐってしまいました。
『湯島聖堂』は林羅山が上野に建てた孔子廟を、1690年に5代将軍徳川綱吉さんが、こちらに移転しました。
1797年、幕府直轄の昌平坂学問所となりました。
ふっと屋根を見ると、お城のシャチホコより縦長のシャチホコが守っていました。
写真を写して拡大すると、シャチホコの頭から水が噴き出てます。鬼犾頭と言うシャチホコの一種です。
お城は、虎頭魚尾。
湯島聖堂は、龍頭魚尾なんだそうです。
威勢がいいシャチホコ、絶対に火事は出しません。
その前には鬼龍子(想像上の霊獣)が睨みつけてます。
この辺りは江戸城の名残を伝える説明板が沢山ありました。
2025年大河ドラマ『べらぼう』で、蔦重、この辺りも走り回ってくれないかなーと楽しみが増えた『湯島聖堂』訪問でした。
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2025/01/14 18:25
守谷城 (2024/12/31 訪問)
最近、噂を聞いて行ってみた。堀切や桝形が良く残っており、一度見に行く価値はあります。個人的には小机城よりも面白いと思った。
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2025/01/14 12:55
お城EXPO2024に静岡市が出展しました!
12月21日(土)・22日(日)にパシフィコ横浜ノースで開催された「お城EXPO2024」に、静岡市が駿府城ブースとして出展しました。
2日間で2万人以上の来場者が訪れ、日本各地のお城に関する展示や講演、イベントステージが行われ、大いに盛り上がりました。
駿府城ブースでは、最新の発掘調査成果の紹介に加えて「駿府城天守の見える化事業」の紹介や寄附の募集を行ったほか、駿府城のグッズ販売やパンフレットの配布を通じて、たくさんの方に駿府城の歴史や取り組みを知っていただきました。ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました。
これからも駿府城の魅力を発信していきますので、引き続き応援をよろしくお願いいたします!
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2025/01/14 10:52
北馬出より富士山遠望 (2025/01/10 訪問)
島田市諏訪原城を令和7年登城始め駿府城の帰路約30km程の所、1号線BP島田より降りて旧1号線の現県道381号線を浜松方向約6km程で諏訪原城到着、駿府城に次いで諏訪原城も平成7年の登城始め。
諏訪原城ビジターセンターで休憩、情報収集し散策開始、風も冷たく吹き荒む中でまず見所の二の曲輪中馬出へ、中程まで進むと諏訪原城の幟旗が三日月堀沿いに並び、遠く雪を被った富士山を遠望する事が出来る、今日は駿府城と同じく富士山が良く観える、スッキリした富士山を諏訪原城から見るのは久しぶり、また感激です。
北馬出で更に大井川越しの富士山、北馬出薬医門越しの富士山、薬医門内に富士山を入れてといろいろの角度で眺めてまた撮影、北馬出で富士山を戯れ遊んでしまいました。寒さの中訪問者登城者は私だけの独占諏訪原城でした。
次は寒いのでショートカットし外堀周遊して二の曲輪馬出散歩し東馬出からの富士山遠望を目指す。
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2025/01/14 08:11
江濃境目の城 (2024/10/20 訪問)
織田信長の侵攻に備えて、浅井長政が近江・美濃国境の野瀬山に朝倉氏の支援を受けて築いた城で、堀秀村と樋口直房が守将となりましたが、竹中半兵衛の調略により開城しています。
朝イチで向かった八講師城への林道がまさかの車両通行止だったので、お城EXPO後に行く予定だった長比城に転戦しました。登城口の駐車場近くに備え置かれているリーフレットをもらって登城開始。リーフレットを補充しておられた野瀬山会の方の話では、神明神社の麓から東側に登って行くルートのほうが歩きやすいとのことだったので、そちらから20分弱登って東曲輪に到着。
長比城は東と西の二つの曲輪からなり、東曲輪のほうがひと回り大きく高い位置にあります。東曲輪の南端には浅い堀切があり、堀切の内側に内枡形状の虎口を設けています。東曲輪は土塁で囲まれていますが、東辺の土塁は特に分厚く高く、美濃側への防備が窺えます。北東隅には喰違い虎口が開口していて、北西辺の土塁上からは南に東山道(柏原宿)を見下ろし、北に伊吹山(上平寺城と弥高寺)、北西に小谷城を見渡し、要衝の地に築かれた城であることを実感します。東曲輪を一周すると西端の虎口を出て西曲輪へ。
西曲輪も周囲を分厚く高い土塁で囲み、東端には喰違い虎口が、南西部には平入りの虎口が開口しています。南西部の虎口を出たところには二条の竪堀が南方向と西方向に落ちていて、虎口への侵入ルートを制限しています。西方向への竪堀を越えて北側に下りて行くと、長比城の北曲輪ともいわれる須川山砦に至ります(続く)。
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2025/01/14 07:07
タイガースファンの聖地? (2024/12/30 訪問)
2024年の城納めで登城しました。
弘海寺跡が駐車場になっていてここから登ります。
竹の杖も置いてありました。
舗装された道をしばらく進むと登城口に。
険しいですが整備されていて歩きやすいです。
しばらく登ると石が転がっているエリアへ、その先に北尾根の曲輪がありました。
堀切も見られます。
さらに登っていきます。
三角点のある曲輪を経て進むと主郭下に。
ここから主郭までがかなり急、ロープも頼りにしながら登ります。
主郭には新宮大社が鎮座します。
もちろん眺望も良いですよ。
虎にちなんでなのか主郭の小屋の中には阪神タイガースの旗が飾られています。
かなり色褪せていますが・・・。
訪問ノートにサインし、南西側の尾根に降りていきます。
大きめの堀切が施されていてここも見どころ。
主郭に戻り南側に下りるとこちらは藪、浅くなった堀切は確認できました。
新鮮な空気を吸って下山しますが主郭下の畝状竪堀は見逃せません。
寒川氏が築城、その後安富氏が入りました。
その後十河存保が入り、土佐の長宗我部氏との攻防を繰り広げました。
十河氏撤退後は長宗我部氏により利用されたようで先述の畝状竪堀群はそれを示すものとなります。
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2025/01/14 06:55
1月2日の攻城 その2 (2024/01/02 訪問)
奥平城からの転戦です。駐車場と登城口は城の南側にあります。赤い城さんの投稿を事前に拝見していなかったので、私は主郭には足を踏み込めていません。鉄塔方面に向かうには民家の前を通らねばならず、住人の方がいらっしゃったので躊躇してしまったということもあります。狼煙台跡あたりからの眺望は富岡市内や妙義山、クレヨンしんちゃんの作者が転落死してしまった荒船山などが望め、とても良かったです。主郭には踏み込めていませんが、とりあえず、西毛地域の城びと登録物件はこれでコンプリートとなりました。国峰城や松井田城など、再訪したい城はたくさんありますけれども。
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