直方陣屋は直方氏体育館から北の多賀公園一帯にかけて築かれており、丘地の先端に築かれていて東側より高地になっています。、東蓮寺四代藩主(後の直方藩)・黒田長清の居館跡とされています。元禄5年(1691)長清が5万石に加増されたのを機に、平地にあった東蓮寺陣屋を廃して、現在の御館山周辺に陣屋を築いたとされています。
当地にあった「妙見社」を北側に移して多賀神社とし、北の守りと城下の鎮守としました。城の規模は一辺53間半(約91m)の方形で周囲に築地塀を巡らし、南に門を配置しました。西側には溜池を配し、南から東にかけて水路を巡らし、堀として活用したようです。櫓は無く、石垣もあったようです。公園と神社の間は堀切のようになっていて橋が架かっています。
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