「鬼住みし 嶽が聳える 岸岳城(おにすみし たけがそびえる きしたけじょう)」
古来、この山は鬼子嶽と呼ばれ、中央の命令に従わない土豪が砦を築いていたとのことです。中世には松浦党の一族・波多氏の城となりますが、豊臣秀吉に非協力的な態度を続けたため改易されました。波多氏の改易後は寺沢広高が唐津城に入りましたが、唐津城の支城として一定期間機能していたようです。
この城も未訪です。九州の山城が四 つも無くなってしまったのは残念ですが、代替として九州以外の城が選定されているのは理由が有るのでしょうか? いつかまた九州を巡る機会が有ったら、この四城はぜひとも訪れてみたいですね。
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