列車旅の楽しみの一つ、『車窓からお城🏯をパチッ📷』
今回乗車したのは福山駅通過ののぞみ号だったので緊張しました。
新高山城と高山城もチャレンジしてみたのですが全然無理でした😭
列車に乗っていても、写真を撮ったり、最近城びと界隈でも話題の“ニッポン城めぐり”をポチったり、忙しくて(そして楽しくて)寝ている暇はありません!
※三増峠は当然武田軍参戦します🫡
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2025/02/12 18:59
車窓から📷 (2024/12/24 訪問)
列車旅の楽しみの一つ、『車窓からお城🏯をパチッ📷』
今回乗車したのは福山駅通過ののぞみ号だったので緊張しました。
新高山城と高山城もチャレンジしてみたのですが全然無理でした😭
列車に乗っていても、写真を撮ったり、最近城びと界隈でも話題の“ニッポン城めぐり”をポチったり、忙しくて(そして楽しくて)寝ている暇はありません!
※三増峠は当然武田軍参戦します🫡
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2025/02/12 17:58
🏯城攻略〜土佐国 高知城〜 グルメ・ナイトイベント編 (2025/01/07 訪問)
ひろめ市場
https://hirome.co.jp/
高知城から歩いてすぐ2-3分のところにあります。
高知県の名産品の物販と食事ができます。
明神丸
私は2回ともここでいただきました。今回は藁焼き鰹たたき(ビール込みで2,200円)
食後高知城に戻ってライトアップを少し見て、ちょうど日本初のシャドウアップイベント(https://kochipark.jp/kochijyo/shadowup-kochi/)が開催されていましたがチケット1500円と極寒だったので退散してホテルの展望露天風呂♨(小さいけど)で癒されました。
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2025/02/12 17:17
🏯城攻略〜土佐国 高知城〜 旧国宝 唯一の現存本丸(天守・本丸御殿内部編) (2025/01/07 訪問)
現存天守・本丸御殿内部を巡ります。
御殿は二条城や名古屋城の本丸御殿のような煌びやかさはありませんが書院造の質素かつ本物の持つ迫力があります。
入館料:420円(18歳以上、JAF割引あり)
開館時間:9:00~17:00
休館日:12月26日~1月1日
駐車場:高知公園駐車場他周辺に有料複数あり
日本100名城スタンプ:天守内
御城印:あり(天守内)
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2025/02/12 16:19
🏯城攻略〜土佐国 高知城〜 旧国宝 唯一の現存本丸(外回り編) (2025/01/07 訪問)
高知城
国指定史跡
現存十二天守
築城年 慶長6年(1601)
築城者 山内一豊
主な城主 山内氏
日本100名城No.84
現存御殿(本丸)
約2年前(2023/3/29)に攻城しており2度目です。
望楼型天守、野面積み石垣、枡形虎口大好物の私としてすべてが揃っている高知城は何度見ても見飽きません。
旧国宝、国指定史跡、日本100名城にも選出されているだけあって見どころたっぷりの城ですが、なんといっても日本で唯一、本丸の建物群(天守、御殿、門、櫓)がすべて現存する城郭は素晴らしいです。
追手門 寛文4年(1664)再建
天守閣 慶長6年(1601)創建 享保12年(1727)焼失 寛延2年(1749)再建
本丸御殿 同上
黒鉄門 同上 享保15年(1730)再建
高知城は山内一豊の城でありますが長宗我部元親ファンの私としては三の丸にある長宗我部元親時代(大高坂城)の石垣は見逃せません。
天守内部は別途投稿します。
P.S.
関西から高知までの道中山間部は意外と雪が降る場所があり、今回も寒波襲来の前で天気予報では高知市は全く大丈夫だったのですがノーマルタイヤの私はあやうく通行止めとなるところでした。
高知県「舐めたらいかんぜよ」が今回の教訓でした。
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2025/02/12 14:20
2017.11.5登城 (2017/11/05 訪問)
志波中央駅の北東にある小山が、高水寺城址となります。現在は城山公園となっています。
公園として整備されていることにより、遺構は不明確になっており、残念なところです。
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2025/02/12 07:17
日向亀山城 (2025/02/09 訪問)
中崎城からの転戦です。吉川弘文館の「九州の名城を歩く~宮崎鹿児島編」に所収の城です。本書と現地での表記は亀山城となっています。岩戸精米の脇の道を進み、獣除けフェンスをあけて城内へと入っていきます。主郭には落城四百年碑が建っていました。高千穂町の天岩戸神社や高千穂峡は訪れたことがあるのでスルーしてこの日は初めて平家の郷・椎葉村へと向かいました。途中の五ヶ瀬町の道は圧雪路でノーマルタイヤのレンタカーでの運転には細心の注意を払って椎葉村にアクセスしました。十根川の重伝建の集落を散策し、平家本陣で本陣そば定食の昼食を堪能。そして椎葉民俗芸能博物館、鶴富屋敷、上椎葉ダムと見て回りました。博物館の焼畑の展示、今月のニュートンにも焼畑について触れられており、非常に興味深く拝見させていただきました。アマゾンあたりの環境破壊にしかならない焼畑と違い、持続可能な焼畑、世界農業遺産に選定されているだけのことはあると思いました。
現在、椎葉村から南に向かう国道265号と東に向かう国道327号が通行止めでこの日の宿泊地・小林市に向かうために、来た道を戻って熊本に入り、八代、人吉経由というとんでもない迂回を余儀なくされてしまったのでこの日の攻城は大野原城が締めとなってしまいました。
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2025/02/12 07:06
郡家城 兵庫県淡路市 (2025/02/08 訪問)
この日は四国でも雪予報、讃岐は大丈夫なんですが他の三国に行くには不安だったので淡路島を攻めることにしました。
強風の大鳴門橋をゆっくり走り、まずは城びと未登録の郡家城です。
淡路国一宮の伊弉諾神社から徒歩で攻めます。
郡家川に架かる橋を渡った先から藪の中に入って行きます。
竹に掴まりながら切岸を直登すると広い曲輪に到着、土塁も残っています。
さらに天守と呼ばれる主郭が最高所に位置しています。
さらに先を降りると竪堀、回り込んで主郭背後に行くと竹藪にまみれた堀切がありました。
倒竹に埋もれる堀切、なんとなく懐かしく感じました。
下山は北西部より、降りるとここにも堀切、竪堀となって落ちていました。
室町時代に田村氏が築いた城で戦国時代に秀吉の淡路侵攻で落城しました。
ほぼ未整備ですが見ごたえのある城でした。
【見どころ】
・主郭背後、竹藪の中の堀切
・北西部の堀切
・広い曲輪にある土塁
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2025/02/11 23:47
2025/02/11 22:38
曲輪など散策 (2025/02/11 訪問)
各曲輪は藪も少なく見学しやすくなっています。猿掛城跡へ登る会実行委員会の縄張り図を参考に散策しました。
大手道平林口から登城される方が多いと思いますが、自分は真備町方面の猿掛口から登城しました。案内標識もあり登城路は整備されていています。このルートだと寺丸は経由せずに大夫丸に出ます。帰りは大手道を寺丸経由で下りて来ました。他の方も経験されているように犬が吠える道に出てきます。
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2025/02/11 22:29
毛利元清 (2025/02/11 訪問)
鎌倉時代に庄氏によって築かれたとされている城です。戦国時代には三村氏の所有となりました。三村氏が毛利氏に滅ぼされてからは毛利元就の四男の毛利(穂井田)元清が城主となっています。高松城水攻めのときには毛利輝元の本陣が置かれたことでも知られています。
本丸から六の丸の6つの郭からなる主要部と、中腹に築かれた寺丸、大夫丸の2ヶ所の郭によって構成されています。最大の見どころは本丸南側にある大堀切だと思います。ただ写真にすると今一つ迫力が伝わりません。急峻なため大堀切へはロープが2本垂れていて、それを利用して昇降することになります。自分は堀底から帰るときにはその場所を登ることなく巽の出丸へ廻ろうとしましたが、道もなく難渋しました。結果として竪堀を下から見ることができたのはよかった。
井原鉄道三谷駅から徒歩20分くらいで登城口に行くことができます。
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2025/02/11 21:49
里見北条古戦場 (2025/02/08 訪問)
久留里城は室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれたとされます。戦国時代は信長の子孫である真里谷氏の城でしたが、やがて里見氏の支配する城となり天文23年(1554)に北条綱成の攻撃を受けています。
薬師曲輪からの眺望は良く、三の丸跡や里見・北条古戦場跡を眺めることができます。この先の、二の丸跡は資料館になっていて新井白石の像が有りました。山肌はとにかく急峻で、竪堀なども複数存在します。
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2025/02/11 21:09
雪の日の彦根城。 (2025/02/09 訪問)
彦根に雪が降りました。9日の朝に高速の通行規制が解除。というわけで雪の彦根城を見に行ってきました。彦根の街は一面真っ白です。新潟や白川村に比べるとそれほどでもないようですが、思ったより雪が積もっていて、皆さん雪かきに忙しそうでした。
登山用の靴を履いていますが、すぐに足が水浸しになります。長靴を持ってくるべきでしたね。暖かい博物館でゆっくりしたかったのですが、この日は休みでした。雪の中のひこにゃんを見たかったのですが、博物館のシャッターの周辺からでてきません。まあ着ぐるみ・・もとい猫だから仕方がないかな。雪で濡れるのはNGということで。
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2025/02/11 21:06
天神山城・裏天神山城 (2024/12/28 訪問)
【天神山城・裏天神山城】(岐阜県瑞浪市)
<駐車場他><35.390969, 137.270798>の場所が城跡駐車場になっています。そこから北の道を奥まで進むと登城口があります。
<交通手段>車
<見所>堀切・尾根曲輪
<感想>日帰り小里城攻め旅2城目。城びと未登録の天神山城・裏天神山城は瑞浪市観光協会のホームページによると、2012年に発見された城跡で1582年に鶴ヶ城に入城した織田軍が武田攻めの際、北東の守りを固める支城として築城されたと考えられているそうです。
天神山城のさらに北側背後の上方、山のピークに裏天神山城がありますが両城とも山のピークといった感じで主郭を含めて広い曲輪は備えていません。天神山城の主郭南西部の堀切は大きく、また切岸が急峻なので人の手が加わった事が良く分かります。天神山城の主郭背後の2重堀切もなかなかの見応え、裏天神山城の南側登城路の導入部も人手で削った感じが分かり、虎口曲輪であったろうと思われます。
鶴ヶ城からハイキングコースで迂回したから分かったのですが、裏天神山城の西側一帯が広い平坦地が広がっていて、武者だまりの表示版があります。もし大軍が詰めていたとすれば、この高原に詰めて東部から南にかけての尾根に防御の設備を構築していたと納得はできますが、信長は武田攻めの時は東にある岩村城で待機していて、瓦解した武田家臣団のバタバタで一気に侵攻したので自国領の山城にわざわざ駐屯するとは考えにくい。この城跡の次に行った小里城の現地説明板に「1572年に岩村城が武田方に属してしまい、1574年武田勝頼が明智城を攻撃すると、織田信長は小里城と神篦城(鶴ヶ城)の改修を命じ‥‥」とあります。私的な考えとしては鶴ヶ城は比較的小さな城跡なので、天神山城・裏天神山城を含めての、ここら一帯を構築して小里城とともに岩村城攻めの拠点城としたのではないかと思います。
登城口の東側に土岐頼兼公の墓碑があります。途中で柴犬にめちゃ吠えられます。
<満足度>◆◆◇
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2025/02/11 19:33
ハート形の城門のある城 (2024/12/30 訪問)
知念城から車で15分、城址正面の駐車スペースから登城開始。
三の郭から二の郭へ後付けで設置された階段で進むと、見どころであるハート型の一の郭の城門前へ到達。自然の岩をくりぬいた城門は、東北東を向いていて夏至の日の出は城門からまっすぐ朝日が差し込むらしい。
一の郭は布積みっぽい石垣で囲われていて内部には御嶽がある。20分の攻城。
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2025/02/11 13:51
2025/02/11 12:10
インパクトのある外観 (2025/02/09 訪問)
攻城にあたっていつも拝見させていただいてお世話になっている城郭放浪記さんも驚かれたようですが、なかなかインパクトのある岩山です。こんなの登れるのだろうかと不安にもなりますが、裏手には狭いけれども舗装された車道が通じていてさほどの困難もなく主郭にたどり着くことができました。
と思っていたのですが、標柱の建つ主郭に私はたどり着けていませんでした。いつかリベンジを果たさなければならないですね。
この城は日之影町に所在していますので、市区町村訪問ポイント・7ポイントは獲得することができました。
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2025/02/11 10:16
碧海を 望み岩屋を 直歩く 凪ぐ朝どこか 蕭条たりし (2025/02/08 訪問)
現地に着くまで知りませんでした。
名作アニメの聖地だったとは、、
当初は熊野市の名城 赤木城跡も訪れる予定でしたが、時間がなかったため断念。
長い年月をかけ、自然の力によって造られた巨大な岩壁は
“鬼ヶ城”の名称で世界遺産として大衆に知られていますが、
もともと“鬼の岩屋”と呼ばれていた山上に城が築かれたことからその名がついたそう。
城の遺構はわずかで、その存在は岩壁の陰に隠れてしまったといえますが、
史実はしっかりと残っているようです。
一碧万頃を望みつつ、約1km続く順路を歩いたのちにメインの城跡へ。
登城路の要所に遺構と思しき石垣(石積)が見られますが
いろいろ調べた感じ、往時のものではなさそうですね、、
山頂には土塁で構成された郭(連郭式)が良好な状態で残っています。
鬼の見晴らし台からの眺めは絶景。
近くの宿泊施設で1泊し、翌早朝に外に出て、朝日射す凪いだ海を眺めているときに
幻想的で美しいとともに、森閑としていてどこかもの寂しくも感じました。
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2025/02/11 10:04
②【護佐丸と沖縄6城】:(1)山田城(2/2) (2025/02/04 訪問)
山田城の続き(2/2)です。石積の前に着きました。
1390年護佐丸は山田城按司の三男としてここで生まれます(写真①②③④)。そして幼少の頃を、ここで過ごしました。ちょうど京都では足利義満が権勢を振るっている頃でした。
後に護佐丸は、ここ恩納村から西へ8km程の読谷村の座喜味の丘に城を移しますが、その時にこの山田城の石を座喜味へ運んだそうです。そのせいか遺構はわずかで、あまり残っていませんでした。本丸の西側崖地には、先祖代々の墓が埋め込まれる形でありました(写真⑤⑥⑦)。
曾祖父は今帰仁城の按司でしたが、「怕尼芝」(はねじ)に滅ぼされ、怕尼芝は北山王を名乗るようになります。曾祖父の子(=護佐丸の祖父)は中山王尚氏の家臣となり、恩納村の地が与えられ、標高90mの山田に平山城を築きました(写真⑧山田城全景)。よって護佐丸はこの山田城の三代目という事になります。
ここで1416年、護佐丸26才になった時、ついに彼に大きな転機が訪れます。当時の主君、中山王の「尚巴志」(しょうはし)は、敵対する当時の北山王「攀安知」(はんあんち)を滅ぼすため討伐の兵を上げたのです。これは琉球を統一するための戦いでした。そこで護佐丸は、「これは念願の曾祖父の仇を討つ絶好のチャンスだ!」と討伐軍に加わります。
山田城の石積の場所からは、恩納の海岸越しに北山(名護・本部半島)が見えました(写真⑨と前回写真②)。護佐丸はどんな思いで尚巴志とともに、ここから今帰仁城を目指して北上したのでしょうか?
次は、その今帰仁城を訪れます。
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2025/02/11 08:30
足代城 徳島県三好郡東みよし町 (2025/01/26 訪問)
この日は山城3本で程よい疲労感。
少し早めに大返しとすることにしました。
粟井城から下道で、途中大歩危の道の駅で休憩しているとアナウンスが。
対岸の土讃線を観光列車、四国まんなか千年ものがたりが通過するとのこと。
これを見てから帰路につくことに。
紅葉シーズンはほぼ満席になる結構人気の観光列車です。
休憩をとったので少し復活、城びと未登録ですが足代城に寄って帰ることに。
県道12号線に案内板があり、そこを曲がります。
城跡まで車でいけますが折角なので古道を登ります。
古道は整備されているものの倒竹を越えながら進みます。
しばらく登ると神社があり、そこからは通常の道路を登りました。
城址前には説明板が立っています。
主郭部は畑になっていてかなり改変されているようです。
道路を挟んだところの民家が建つところにも郭があり、当時は同じくらいの高さがあったそうです。
城主は三好備前守でしたが長宗我部氏に攻められ落城しました。
帰りは神社までの古道を降ります。
途中切通っぽいところもありますが遺構なのかな?
【見どころ】
・主郭からの眺望
・麓から城跡までの古道
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2025/02/11 00:04
股関節と腰への負担がエグッ❢ (2025/01/12 訪問)
土質は岩殿山城に近いです。そこに大量の落ち葉が…。股関節と腰への負担がハンパないです。todo94さんも苦労されたご様子ですね…。
登城口ゲートは複数ありますが,普門寺墓地奥から目指しました。まさにこれから登城というタイミングで,下山されてきた管理人の方と遭遇しました。70代後半かな…という印象。手入れが行き届かないのを憂いておられました。下山時は,脚力低下でお尻で滑っているとも…。
塩山駅南口から窪平まで路線バス。窪平バス停から徒歩約45分で登城口到着。このウォーミングアップがなければ,股関節か腰に異変が生じていたかもしれません。
天然石を利用した防御施設はかなり有効だったのではないかと思います。
この城の登城者数が少ない理由がわかりました…。
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