脇坂安治陣跡の石碑と案内板は小早川秀秋陣跡である松尾山の北の麓にあります。林道がついていますが道の状態はあまり良くない。
車が大事な人は歩いて行った方がいいですよ。
Wikiに出て来る布陣図だと脇坂安治陣(1000)から北西に朽木元綱(600)小川祐忠(2100)赤座直保(600)と西軍(のち東軍)の陣所が連なっています。参謀本部の日本戦史関原役の布陣を基準にしていると思いますが、これだと自害岡(自害ヶ峰)も陣所に含まれることになりそうです。なぜ脇坂の陣跡だけこんな低地にあるのか?
神谷氏の関ヶ原合戦図志だと四将の陣は岡の上に配されているように見えます。ただ、神谷氏の挿絵は今一つ正確では無く、黒血川の形状も異なるし自害岡の位置も微妙です。参謀本部の作成した「日本戦史関原役」の附図「関原本戦之図」の地形図はさすがに正確です。
参謀本部の正確な地形図に神谷氏が布陣を書き込んでいたらどのような配陣になっていたか。
参謀本部の配陣は軍事利用も考慮に入っていると思うので、公平な視点における信憑性は神谷氏の方が上だと思います。論文で白峰教授が指摘していた武家事記の矛盾箇所も神谷氏は修正してあるみたいですね。記憶で書いているので正確な場所を忘れてしまった・・また確認しておこう。
ちなみに参謀本部の「関原本戦之図」だと四将の陣は岡からわずかに東にずれた場所に配されているように見える。意図的だろうか?
それほど高くない丘陵だけど利用価値があると考えたのだろうか?
現在「自害岡」は東海道新幹線によって真っ二つにされています。
+ 続きを読む










