織田信秀はその子信勝とともにこの城にあったのだが自身の死後の信長と信勝との相克を想像し得ていたのだろうか。地下鉄東山線沿線にありながらよく遺構を残すが堀の大半が草木に埋もれているのが何とも惜しい。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/08/15 11:05
2025/09/14 12:30
織田家本城 (2025/08/07 訪問)
名古屋へ出張、仕事前の空き時間で登城しました。
地下鉄東山線の覚王山駅から徒歩で12分。
城山八幡宮を目指し、武道場の養心殿から二の丸の昭和塾堂を経て本丸へ。
本丸は城山八幡宮の駐車場になっています。
端の方に石碑も立っていました。
本丸の北側の曲輪に八幡宮が鎮座します。
お参りをして東側の女坂へ。
立派な空堀が横たわります。
この時季なので草ぼうぼうですが一部草が刈ってあり堀底に降りることができました。
街中なのにこれが残っているのは素晴らしいです😊
南側の堀には赤い橋も架かっています。
こちらが八幡宮の表参道ですね。
ご存知のように織田信秀が築いた城で案内板にも「織田本城」と書かれています。
信秀死後は織田信勝(信行)に譲られましたが、信勝が信長に謀殺されたあとに一旦廃城に。
後に織田信雄が小牧・長久手の戦いに備えて入っています。
現存する遺構はその際に整備されたもののようです。
【見どころ】
・八幡宮を囲む深い空堀
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2025/01/26 20:01
街中に残る土の末森城 (2024/12/15 訪問)
昨年12月中旬に訪れた愛知県名古屋市の末森城。
那古野城や古渡城から東へ約5km、比高20mほどの尾張丘陵の縁に築かれた城。
1548年に織田信秀(信長の父)が築城し、古渡城から移転。北の守山城と共に尾張の防衛ラインを担ったとのこと。
間もなくして信秀が亡くなると、信長の弟信行が引き継ぐが、1558年に信行が亡くなると共に廃城。
しかし末森村古城図に丸馬出が描かれているため、小牧長久手の戦いの際に織田信雄方が改修したと推測されています。
現在はほぼ全域が城山八幡宮の敷地となり、二ノ丸跡には近代建築の昭和塾堂、本丸跡は駐車場、本丸北側の曲輪には本殿が建つ。
訪問して最も印象深かったのは、丘陵の中腹部に築かれた本丸南から東に掛けての空堀だが、本殿西側の土橋を構成する空堀も巨大。更に金網に遮られるが、本殿が建つ曲輪の周りの空堀も確認可能。
本丸跡の稲荷社部分は西へ小さく膨らんでおり、二ノ丸と本丸を繋いだ通路に横矢を掛けているでしょうか。
そして神門付近で丸馬出の位置を想像するなどしていると、滞在時間は約2時間。
城としての整備状況はやや粗いものの、逆に土の遺構の武骨さを感じた、私の城郭巡りの191城目でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2024/08/17 22:39
城山八幡宮 (2024/08/17 訪問)
久しぶりの末森城です。近くへ来たので立ち寄りました。城山八幡宮が跡地です。織田信秀が築き、死後は信長の弟、信勝(信行)が城主となりました。信勝が謀反を起こして殺された後は廃城となりますが、小牧長久手の戦いにおいて織田信雄が使用したと伝わっています。空堀が広範囲に残っています。南側の空堀は容易に観ることも散策することもできますが、他は藪になっている所も多く、また北側はフェンスに囲まれていて近づけません。それでも街中にこれだけの遺構があることに感謝です。
地下鉄本山駅から徒歩10分くらいです。
昼飯に末森城とは少し離れていますが、伏見にあるスパゲティハウスチャオ 錦通伏見交差点店さんで名古屋飯のひとつである「あんかけスパ」(ミラカン)をいただきました。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 平山城 |
|---|---|
| 築城主 | 織田信秀 |
| 築城年 | 天文17年(1548) |
| 主な城主 | 織田氏 |
| 廃城年 | 不明 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 愛知県名古屋市千種区城山町2(城山八幡宮) |
| 問い合わせ先 | 名古屋市千種区役所区民生活部まちづくり推進室まちづくり推進係 |
| 問い合わせ先電話番号 | 052-753-1821 |