昨年12月中旬に訪れた愛知県名古屋市の末森城。
那古野城や古渡城から東へ約5km、比高20mほどの尾張丘陵の縁に築かれた城。
1548年に織田信秀(信長の父)が築城し、古渡城から移転。北の守山城と共に尾張の防衛ラインを担ったとのこと。
間もなくして信秀が亡くなると、信長の弟信行が引き継ぐが、1558年に信行が亡くなると共に廃城。
しかし末森村古城図に丸馬出が描かれているため、小牧長久手の戦いの際に織田信雄方が改修したと推測されています。
現在はほぼ全域が城山八幡宮の敷地となり、二ノ丸跡には近代建築の昭和塾堂、本丸跡は駐車場、本丸北側の曲輪には本殿が建つ。
訪問して最も印象深かったのは、丘陵の中腹部に築かれた本丸南から東に掛けての空堀だが、本殿西側の土橋を構成する空堀も巨大。更に金網に遮られるが、本殿が建つ曲輪の周りの空堀も確認可能。
本丸跡の稲荷社部分は西へ小さく膨らんでおり、二ノ丸と本丸を繋いだ通路に横矢を掛けているでしょうか。
そして神門付近で丸馬出の位置を想像するなどしていると、滞在時間は約2時間。
城としての整備状況はやや粗いものの、逆に土の遺構の武骨さを感じた、私の城郭巡りの191城目でした。
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