松前城は幕末に築城された五島列島石田城(福江城)と共に日本式の城郭として福山館改修築城されてた城郭です、幕命で安政元年(1855年)築城し北方防備の任を担う、戊辰の役函館攻防では幕府軍と新政府軍との攻防がりました。
松前氏の悲願の築城でしたが翌安政2年松前領は幕府領となり陸奥梁川に3万石で転封。維新後三階櫓と本丸御殿、本丸御門が残されましたが昭和24年(1949年)類焼に三階櫓は焼失、昭和35年に三階櫓は外観復元再建されています。
19年前の5月連休、青森弘前城初探訪の後の翌日、弘前より特急北斗に乗り初の青函トンネル通過し函館駅へ、レンタカーで松前城へ直行し1日費やしました。
車はその当時松前城3の丸辺りの駐車場に駐めた様に思います。
探訪は二の丸より本丸御門、三階櫓見学探訪撮影、三階櫓登閣、本丸御殿の唐破風屋根玄関、内堀からの三階櫓探訪、復元されていた台場、搦手二ノ門、三本松土居辺り、二の丸三の丸の堀と土塁と回り、桜も満開、多品種の桜が咲いてる桜園も見学、見事なりものです、後松前藩屋敷、郷土資料館と回りました。
松前城は中学時代に認識し北海道の松前城を何時か行きたいと思って居りながら40年後の50代の半ばに家内と飛行機を使って弘前城、松前城、五稜郭廻りで松前城初登城叶う事が出来ました。遠いので中々行けません。
松前城、満開の桜を充分堪能して函館へ途中には小学校時代の横綱千代の山(その当時横綱は鏡里、吉葉山、千代の山、栃錦の4横綱、後に若乃花が入れ替わり、栃若時代の小学生でした)の記念館が有り寄り、トラピスト修道院にも寄り、夜は赤レンガ倉庫街散策と夕食、ファイナルに函館山で函館の夜景を眺める、写真で見てましたが臨場感も有り絶景に大満足でした。
投稿写真はフィルムカメラ主体の時代でしたので予備のコンパクトデジカメに残っていたわずかな写真を投稿します。
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