日本100名城

まつまえじょう

松前城

北海道松前郡

別名 : 福山城、(福山館)
旧国名 : 蝦夷

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松前城
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ryu

松前城 (2024/09/13 訪問)

大雪山旭岳に登山後、函館に移動、函館を起点にレンタカーで松前城、上ノ国勝山館、志苔館と巡る。

函館から95km、約2時間で松前に着く。
天神坂門→七番台場→搦手二ノ門→天守→本丸御門→本丸表御殿玄関→隅櫓跡→本丸表御殿跡と見てまわる。
城址からは津軽海峡の先に岩木山も望むことができる。

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HARU

北海道旅行 (1988/05/02 訪問)

北海道函館方面の旅行の折に、松前城を訪れました。

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しんちゃん

海防に特化した近世城郭。 (2017/05/04 訪問)

松前城の前身は慶長5~11年(1600~1606)に松前慶広氏によって築かれた福山館とされています。福山館は堀や石垣を有し本丸以外にも二の丸など複数の郭を有する城と呼べるものだったそうですが松前氏が城持ち大名の待遇では無かったため館名義で通されたようです。
嘉永2年(1849)松前崇広の代に異国船に対抗して海防を強化するため幕府から築城を命じられ、縄張りは高崎藩の市川一学(当時78歳)に協力を依頼しました。築城は福山館を拡張する方式で決定がなされ安政元年(1855)に完成したとのことです。
南側に7台の砲台を配置した海防に特化した近世城郭でしたが、明治元年(1868)ひじ方歳三を指揮官とする旧幕府軍の攻撃を受け南側では門が開くのを待っていた敵方がなだれ込み、北方では敵方が堀や塀を乗り込んで来て、城内にいた兵力では支えきれず落城したとのことです。翌年には官軍が「甲鉄」「春日」などの軍艦とともに松前城を奪還しましたが城中は廃墟と化してしまったようです。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/06/26 訪問)

※志苔館城、上ノ山勝山館と共に登城、前日青森駅近く宿泊
7:34青森(JR)、7:39,7:56新青森(新幹線)、8:45木古内 ※9:00-14:00駅レンタカー
 木古内駅-車60分-松前城(百名城スタンプ 9:00-16:30休館12月下旬-3月上旬)
 松前城-車60分-上ノ山勝山館(続百名城スタンプ 10:00-16:00月休))※スタンプは閉館時総合福祉センター
 上ノ山勝山館-車45分-木古内
14:19木古内(新幹線)、15:01,15:11新函館北斗(JR),15:28函館、15:33(路線バス6番乗場)函館駅前、16:08志海苔
(徒歩2分)志苔館(続百名城スタンプは東屋 24HOK)
17:30志海苔(路線バス)、18:06函館駅前

※JR東日本+JR北海道フリーパス利用

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概要

江戸幕府が松前氏に築城を命じ、日本式城郭として安政元年(1854)に完成。海防のため城の内外に37基の大砲が備えられていた。日本式に造られた最後のものだった国宝の三重天守は昭和24年(1949)に焼失し、その後外観復元された。本丸脇の櫓門「本丸御門」は築城時から現存し、国の重要文化財に指定されている。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 慶長11年(1606)(福山館)
築城者 松前崇広(福山館)
主要城主 松前(蠣崎)氏
文化財史跡区分 国史跡(松前氏城跡)、国重要文化財(本丸御門)、道有形文化財(御殿玄関)
天守の現況・形態 独立式層塔型[3重3階/1849年築/焼失(火災)]、独立式層塔型[3重3階/1960年再/RC造外観復元]
主な関連施設 外観復元天守、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、本丸御門、御殿玄関、石垣、土塁、横堀
住所 北海道松前郡松前町字松城144
問い合わせ先 松前町役場
問い合わせ先電話番号 0139-42-2275