「城郭に お台場付けた 松前城(じょうかくに おだいばつけた まつまえじょう)」
逆説で
「お台場に お城が付いてる? 松前城(おだいばに おしろがついてる まつまえじょう)」
松前城は新しい城で、完成は安政元年(1855)になります。津軽海峡を通過する異国船を監視するのが目的と見られ、幕命で福山館を拡張する方針で築城がされています。海岸には16砲台、33門が置かれ、松前城の三の丸にも7門の大砲が設置されていました。
近世と近代が混じりあったような城で、三の丸には石垣ではなく土塁が据えられていたと思いますが、城郭の主要部は石垣で築かれ、三重の層塔型の天守が置かれています。
砲撃戦だと・・・
天守は本丸を狙う時の的になると思う・・
石垣は砲撃が直撃すると、破片で周囲の兵士を傷つけてしまう・・
いろいろ思う所はありますが、五稜郭よりはだいぶマシか・・
歳三さんたちが松前城を攻めた時は、幕府軍艦・蟠竜丸が津軽藩の旗を掲げて松前湾に侵入し、松前城に砲撃を加えるも、松前城側は海岸の砲台と三の丸の砲台で反撃をし、蟠竜丸は沖に逃れたそうです。ひょっとしてこれは日本初の軍艦と城郭の砲撃戦ではなかろうか・・
五稜郭はかなり正確な五芒星(ペンタグラム)の形状をしているので、稜角の位置が三箇所わかれば、全体の正確な形状と位置が把握できると思います。砲撃戦が進化したこの時代に、これは無いな・・と思います。
着弾計測の技術も進化していると思うし、名人だったら思ったところに砲弾を降らして来そうだし、相手の好きな所へ砲弾を落とせるのってヤバいと思う。しかも石垣で囲まれているし、砲台に大砲が乗っかっていないし・・
正直 歳三さん達も「ハズレだ・・」と思ったかもしれません。
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