下河辺 政義さんが築いた「志筑城」。
お名前は"しもこうべ" と、お読みします。
下河辺さんは、源 頼朝さんに地頭職を任じられた方です。
南北朝時代に「志筑城」は廃城しましたが、江戸時代には陣屋があったそうです。
廃藩置県の後は、平成23年まで小学校でした。
田畑が広がる道をドライブし、坂を上がると、案内された場所には2本の門柱がありました。
「志筑城」跡と言うより、小学校の跡のような感じが強いです。
この門を、車で進入するのが心苦しいのですが、元校庭(?)に駐車しました。
でこぼこした地面には、霜が降りたようで、ぬかるむ時間にはタイヤがはまってしまうのではないかと心配です。
郭に学校があったのでしょう。広い空地には土塁が囲ってます。
郭の中央に説明板があります。近くに石碑があります。こちらは幕末に活躍した、伊東 甲子太郎さんの物です。資料も扉つきのケースに用意してありましたが、伊東さんの物でした。
あと、赤いポストがあります。
資料を読み、なんだか小学校で勉強している気持ちになった「志筑城」攻めでした。
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