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天守無しがアツい

佐白山 (2025/04/13 訪問)

大石邸跡や大黒石を通り過ぎて…やがて駐車場に着きました。舗装されてる箇所…車で行き来できる場所はここまで🚘ここから先は歩きのみの…舗装されてない道のみ🚶‍♂️

大手門を抜けて…木々の枝に葉だらけの道をひたすら歩き……雰囲気的に何か出そうな階段😅でも近道できそうだから我慢…して登り…本丸まで辿り着きました⛰️

本丸の様子(1枚目)…その標高は180mほど…確かに、井筒屋からここまで坂を上り続ける感じで歩いてきたから…それくらいの場所になってもおかしくはない気がします

雨がパラパラ降る悪天候☔️のせいか…日曜日にも関わらず、ここにいるのは私だけでした。続日本100名城に選ばれるほどの場所なので、もし天気に恵まれていたら…もっと人は多かったのではないでしょうか?

井筒屋の店員は「今日は雨なので足場が悪いから登りづらいかも…」的な事を口にしていました。けれど私は遠くからここまで来ている。チャンスは(現時点では)他にない

「スタンプと御城印だけもらってサヨナラなんてしたくない!」「現地を納得行くまで巡ってこその御城印、100名城スタンプ!」「今やらずにいつやる?」「たとえ頂上まで行けなくても…行けるところまで…この足で行きたい🤩」という考えがあって…ここまで私は来たのです

本丸の中に小高い丘(佐白山)があり…その手前に、(2枚目の)「笠間城について」という案内板がありました。ここ笠間城は…鎌倉時代に笠間領主の笠間時朝によって…16年もの歳月をかけて造られた山城だそうです

天然の地形を巧みに利用した…守るに易く攻めるに難しな…堅固な山城。しかし現在はわずかな痕跡のみが昔を偲ぶ

階段を上がって…佐白山のてっぺんに。そこには「笠間城八幡台櫓跡」と彫られた石碑(3枚目)がありました。この反対側には屋根付きの休憩所(ボロいけど長椅子あり)もあり…ここで本丸到着および笠間城制覇の余韻に浸りながら数分を過ごしました。石碑に手を当てて「ここまで来れた事に感謝いたします🙏」と呟いたりもしたな

空腹と尿意に我慢できなくなったのもあり撤退…帰りは遊歩道経由で…(行きとは異なる、大黒石を通らないコースで)麓まで🚶‍♂️治功神社という小さな神社がそこにあったので、軽くお詣りもしました

笠間城下屋敷跡(4枚目)…つまりこの辺りに江戸時代…笠間藩主の屋敷があったそうです。それから(行きに左手に見えたけど笠間城優先のためにスルーした)正福寺に寄り、御朱印を求めました

「笠間城に先ほど行ってきたので、それ関連のありますか?」と尋ねたら、百鬼夜行と文字の書かれたバージョン(5枚目)のを渡してくれたので、それを授与

職員が語るには…(そこから1kmほど離れた場所に)真浄寺という寺があり、そこに佐白山から移築した八幡台櫓の建物があるそうです。我慢すれば行けたかも…ですが、まず昼飯食べたい&雨のためチャリ移動しづらい…理由により飲食店探しを優先したから…ここは行きませんでした

さらに…笠間駅に戻って帰路についてから…(井筒屋で店員からもらった)笠間城の地図を読んでみると…なんと本丸のさらに奥に…天守跡があるじゃあーりませんか…「えっ、さらに先があったの?😅」みたいな…寝耳に水でした

その天守跡(天守曲輪)に石垣(東日本大地震により部分的に崩れた)そして佐志能神社というのがあるそう。つまり今回の笠間城巡り…全体の半分以上は巡れたけど…天守と八幡台櫓の移築場所は未訪問となってしまった

けれど…本丸までは辿り着けた…だいたい巡れたからいいよね☺️「御城印を買い100名城スタンプを押下し、実地見学もした」と見做せる範囲の事はできたと思うから…

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まさお

沖縄城巡りツアー1城目 今帰仁城 (2025/04/15 訪問)

午前中、沖縄美ら海水族館に行きジンベイザメ水槽やイルカショーを観覧後、今帰仁城跡までドライブしました。
登城前に今帰仁村歴史文化センターで村の歴史を学習し城跡に向いました。
歴史文化センターの入り口には、東日本大震災で津波に流され7年間かけて村に流れ着いた岩手県の漁船が展示してあり驚愕しました。
今帰仁城では外郭を通り平郎門から大庭・御内原・主郭・志慶真門郭まで見学しました。
各郭からの石積みの城郭と周辺の青い海の光景は素晴らしいものでした。帰路に寄った外郭にはアンモナイトの化石が発見されたそうです。 

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カズサン

小浜城2/2-寺内町小濱宿編 (2025/04/26 訪問)

 小浜城1/2-城郭寺院編の続です。

 小浜城の中心毫攝寺参拝し南門跡北門跡東門跡を廻ると小濱宿の内部が観て廻れます、丘陵地の上で道は狭いですが時代を感じる趣が在り中々のものです。ルートは小浜城1/2-城郭寺院編をご参照ください。
 全体で約1時間強過ごしました。
 写真を投稿致します。
 

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カズサン

小浜城1/2-城郭寺院編 (2025/04/26 訪問)

 喜寿の祝い郷里の中学校卒関西地区在住同窓(同級)会の翌日、未踏に成って居た阪急宝塚線沿線の城郭を廻る事にしました、小浜城は一昨年の11月播磨、摂津未踏の城廻で時間切れと成り断念した寺院城郭です。
 朝早くホテルを出発しJR伊丹駅傍の有岡城を探訪の後JR中山寺駅からタクシーで小浜城である毫攝寺(ゴウショウジ)へ移動(@1,300)。

 小浜城は一向一揆衆によって築かれてと言う、現在は浄土真宗本願寺派毫攝寺と成って居ます。西に張り出した丘陵先端に北西南に大堀川が囲み、西は崖状態、北は大堀川の渓谷、南北東に門を構えてる、寺内町、城郭寺院と成っており地形を活かした堅固な構えです。
 各門跡には愛宕神社が祀られていました。
 探訪散策ルートは毫攝寺参拝して南の車通用門小浜小学校側より出て、閉まってる東側山門を表より見学、戻って西側の小濱宿大標柱の在る南門跡、愛宕神社、北に向かって、時間制パーキングエリアから毫攝寺西側の石垣が見える、皇太神社を過ぎて北へ大堀川の渓谷に着く、国府橋が架かり覗くとゾッとする深さ、愛宕神社、北門跡と成って居る厳重な護りです、戻って皇太神社を東へ、毫攝寺の北通用門から覗き庫裏、庫裏の屋根の煙り抜け確認、小浜宿資料館朝早く閉まってる、小浜山中家住宅、菊仁井川家住宅、小浜宿代官所跡、高札場、二回クランクして東の中国道の西手前に東門跡、愛宕神社が祀られている。
 毫攝寺に戻って北門近くのトイレを借りる。境内を掃除してる方に話を伺って聞く処では参詣者の方の駐車場は境内の東山門側に駐められいるとの事でした。

帰りも同じタクシー会社を呼び、阪急売布神社駅へ(@1,500)

 小浜城2/2-寺内町小浜宿編に続く。
 

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チェブ

今回はオシャレ城攻め? (2025/04/27 訪問)

本日、お城から脱線していきますのでご注意下さい。
先日、私の相棒が変わりました。
小さな車から、更に小さな車になりました。
ウサギのマークの可愛い車です。
で、『津久井湖』までドライブです。
前回2019年の冬に、ふらっと来て「津久井城」攻めをしました。私にとっては大変な山城で、クサリを使って登る場所があったりで白旗、早目に掲げました。

今回は整備された遊歩道を歩いてきました。
まー、これも城内っちゃー城内。
写真②のような気持ちの良い遊歩道が続きます。途中「津久井城主郭」へ誘う階段が。ちょっと登りたい、、、。
『ヒルに注意!』との注意喚起に、すぐ白旗を揚げます。
前回、登城した場所は通行止めになってましたが、登城口はいくつかありました。

近くの『Huckleberry』でランチをしました。
こちら、看板に『シチューと冒険の店』と書いてあります。
冒険?扉は重厚でギイって引きます。ジャズの生演奏もしてました。
ビーフシチューと菜の花のパスタ、パエリアにピザと平らげてきました。
もちろん、1人ではないですよ。
半分位食べて写真を写してない事に気が付きました。
で、最後にアイスカフェラテ。『見て見て、ストローがガラスだよ』と、はしゃぎ改めてSDGsを考えます。

前の車は、小枝でキズだらけ。車でお城攻めしている城びとオールスターの方々だったら、お分かりだと思います。

まだ、可愛いこの車にはキズを付けたくない!
駐車場完備を条件に『お城を探す』を広げる今日このごろです。

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小城小次郎

神がかり的な退却劇 (2024/08/18 訪問)

迷路のような茨城県のあれではなく名古屋市守山区にある小幡城は長久手の戦いで家康が小牧に引き上げる過程で立ち寄った重要な場所。龍泉寺城まで出張っていた秀吉を出し抜く見事な退却劇は神がかっていると言ってよいのでは。

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり④ (2025/04/26 訪問)

津谷館からの転戦です。遺構はほとんど残っていないようですが、日和山の説明板によると、鹿島御児神社拝殿の北側から空堀跡が見つかったとのことです。東日本大震災の折には市民の皆さんの避難場所になったとのこと。眼下に南浜津波復興祈念公園を望むことができます。チリ地震津波碑なんかもあって、三陸の地は津波なしには語れないと痛感しました。この後、イオンモールにて昼食をとり、サンファン館へと向かいました。

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Tokyobay

大石内蔵助の潜伏地&平賀源内が出入りしていた「新日本橋」 (2025/04/19 訪問)

神田八丁堀跡は現在超狭い路地になっており、ここが首都中心部の中央区と千代田区の区界になっているというのも不思議。これも江戸時代の名残か。で、日本橋室町方面に進み「時の鐘」があった場所へ。現在天ぷら屋の場所は大石内蔵助・主税が討入りまで潜伏した所とか。と思うと結構目立つところに居たようにも思うが、逆に人の出入りが激しくて目立たないという説もあるようで。ちなみに吉良邸のある両国までは2駅なので、近いと言えば近い。
近隣には与謝蕪村住居跡や現在は十思公園にある「時の鐘」跡地、オランダ商館員の定宿だった長崎屋跡地などがあり、ここには最近話題の平賀源内も出入りしていたとかナントカ。それにしても、「新日本橋」という旧国鉄のネーミングセンスのなさはなんだろう。堂々と「日本橋室町」にすればよかったのにと思うが。

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しんちゃん

詰の城 岩瀬山城 (2024/09/15 訪問)

岩瀬山城は須賀川二階堂氏の初期の居城であったとされ、二階堂氏が須賀川城を築いて移った後も支城(詰めの城)として機能していたようです。二階堂氏が伊達政宗によって滅ばされた後、奥州仕置が成され、蒲生氏、続いて上杉氏の城になりました。岩瀬山城には上杉氏の家臣・栗田刑部が置かれ鶴ヶ城(会津若松城)ひいては神指城を守る支城になったと注目しています。
本丸跡には愛宕神社があり、周囲に土塁が良く残っており南東側に虎口が付いています。南方には南館があり、周囲の五老山、妙見山などを含めた総称として岩瀬山城と呼ばれ、城域はなかなか広いです。

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しんちゃん

野口英世記念館・野口英世生家 (2024/09/16 訪問)

旧千円札の肖像でおなじみの野口英世博士は、磐梯山の麓、猪苗代湖畔の三ツ和村(猪苗代町)で生まれました。野口英世博士は米国に留学しロックフェラー医学研究所を拠点に世界で活躍する細菌学者となりました。惜しくも昭和3年、西アフリカ・アクラで黄熱病の研究中に感染し亡くなっています。
野口英世記念館には野口博士の業績や、ゆかりの品の展示がなされ、野口英世生家も見学することが出来ます。生家には野口博士が幼いころに左手に大やけどを負った運命の囲炉裏や、米国に出立する際にその決意を刻んだ柱も残っています。近くには「野口英世博士誕生地の碑」があり、妻メリーさんから納められた遺髪が埋められています。

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天守無しがアツい

井筒屋で過ごすひととき (2025/04/13 訪問)

(かさま交流館 井筒屋)
https://www.kasamaidutsuya.com/kasamacastle

笠間城へ向かうために…笠間駅からレンタサイクルを使いました。ここのバスは1時間1本…しかも午前中しかやっておらず、全くアテにならないからです🚲

「もちろん城跡は見物したい…けれどその前に100名城スタンプと御城印の確保は必須」「かさま交流館 井筒屋という場所で扱われてるのか…城の前にまずはそこに寄ろう」と考えて、城跡の前にまずそこを訪問

まず受付で御城印を購入…家紋入りの一番スタンダードな種類を選びました。館内ではWi-Fiが(パスワードさえ入力すれば)使えたので、トリマのゲージ消費…せっかくここのWi-Fiを利用させていただく…ある程度の時間いそうだったので、紅茶と少し硬めの菓子セット(2枚目)を注文

注文してからテーブルに出されるまで、10分以上の待ち時間があったので、その間に100名城スタンプを押しにいきました。井筒屋の喫茶店と反対側の建物の入口手前にスタンプは置いてあり、押してみるとインクが濃かった(1枚目右の青いスタンプ

試し押ししてからスタンプ帳にも押した…のですが、明らかに濃くなってたインク…なのでスタンプ帳の笠間城ページと隣のページに御城印帳を挟み、少しでも早く乾くようにしました

それから…(2枚目の)注文した品が提供されました。紅茶の葉は笠間オリジナルのを使ってるそうで、今まで飲んだ紅茶と少し異なる味わいがしました

オリジナル紅茶本来の味を感じるため…砂糖は敢えて入れない。ミルクは(紅茶を)半分飲んでから入れました

あくまでおやつの範囲…硬めのお菓子が程よい甘さと硬さで…紅茶は独特の味わいがして…(値段こそ750円しましたが)損した気分にはなりませんでしたね

1時間ほど井筒屋で過ごして…それから城跡へ向かいました。すぐの場所に「大石邸跡」(3枚目)という場所があり、つまり忠臣蔵で有名な大石内蔵助の祖父(良欽:よしたか)の邸宅跡。ちなみに仕えていた浅野家も赤穂転封の前は、ここ笠間に…笠間藩主をしていた

(笠間市HPより)https://www.city.kasama.lg.jp/sp/page/page000777.html

ちなみに…吉良邸討ち入りに加わった赤穂浪士の中に3人…笠間生まれがいたそう。吉田忠左衛門・小野寺十内・堀部弥兵衛…中でも堀部は最年長の76歳の爺さん…彼らもあの雪の日☃️護衛を次々に斬り倒し…吉良上野介の首をあげて…そして切腹して果てたと😭

この辺りの道は舗装されており、奥に進むとデカい石(4枚目)がありました🪨大黒石と言って、佐白山と徳蔵寺…つまりこの辺りの僧兵同士が勢力を争って戦となり、佐白山の僧兵が敗走する際に佐白山の山頂からこの石を転がして徳蔵寺側に多大な損害を出させたそう

転げ落ちた際にこの場所で止まった…と伝えられてるそうです。殺人石🪨💀😱とでも呼ぶべきこの巨大石…そもそも転がした側もよくこんな重くてデカいのを動かせたなと思えます…1人では絶対不可能にしか思えないので、大勢の僧兵が「せーの✊」して転がした…のでしょうか?にしても…すごい🫢

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しんちゃん

御薬園 会津松平氏庭園 (2024/09/17 訪問)

御薬園は旧会津藩主松平氏の別荘で国の名勝に指定されています。もと藩の薬園のあったことから「御薬園」の名で親しまれており、江戸時代中期の作庭手法を今に伝えています。中央に池を取り、中島が置かれ茶亭「楽寿亭」が設けられています。池の奥に滝が二つあり、右側が男滝、左側を女滝と称するようです。庭園にはさまざまな薬草が植えられ、効能なども記されています。
実は幕末の動乱にも一役買っており、この御薬園で試植された薬用人参(朝鮮人参。オタネ人参)が広く民間で栽培され「人参役所」なる物を設けて管理をしていたようです。天保3年(1832)には幕府の許可を得て海外に輸出されるまでになり、松平容保が京都守護職を拝命し、京都に赴く際には、この「人参方」が調達した3万両が大いに役に立ったようです。

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カズサン

【摂津 海軍操練所】兵庫県神戸市 幕末海舟・龍馬の息吹を感じる (2025/04/25 訪問)

 喜寿の祝い、郷里中学校卒関西地区の同窓(同級)の集まりの前に、浜松始発2本目乗り空き時間を2時間設けて2度目の花隈城の後、海軍操練所跡を目指す。今回の探訪は最近肉球さんが投稿されて居り今回の機会に是非訪ねたいと企画した。
 住所:兵庫県神戸市中央区新港町17

 花隈城から南に約350m程で国道2号線に出る、2号線を東に進み約400m程で2号線の南側に「みなと公園」(住所:兵庫県神戸市中央区波止場町1-5)に在る、「神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑」を見て、更に東にハーバー沿いを約250m程の角に「網屋吉兵衛顕彰碑」が在る、東通り対面のビル前に錨のモニュメントと面に「史蹟旧海軍操練所跡」と黒色鋳込まれており横のブック状石盤に碑文が在る、覗き込んで観るが設置面が高く良く読めない写せない。

 更に南に約50m程にグーグルマップ史跡マーク「神戸海軍操練所遺構」(住所:兵庫県神戸市中央区新港町16-3)と有り訪ねる、京橋エリアで阪神高速を潜った先に在り、肉球さん投稿の写真で良く分かりました、発掘で出土した石垣の残石が二ヶ所に分けて地表展示されている、周りを覆っている金網フェンスの南面に3枚の解説板(京橋エリアに残る石碑たち)(発見された海軍操練所跡・初期神戸港)(絵図・古写真で見る京橋エリア)が写真と文章で設置されている。

 喜寿の会の時間に迫っておりあまり海舟・龍馬の余韻に慕って折れませんでしたが、司馬遼太郎の龍馬がゆく、大河ドラマなどで良く見聞きした事でもあり、肉球さんのお陰で訪ねる事が出来ました、感謝です。
 
 この後は西に2号線を約1.5km程歩いて神戸駅近くのハーバーランド18階の会場へ時間前到着、郷里から、関東から、地元関西在住中学同級会を「喜寿の祝い」で約30名弱。老いを感じながら楽しく愉快に酒量は少々、近況と郷里を語り合いました。

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ぎりょう

藩政時代をとおして使われた中世城館に驚き! (2025/04/19 訪問)

歴史好き仲間とのツアー、この春も「おくのほそ道」の足跡を訪ね、「芭蕉十四泊の地」栃木県大田原市の黒羽地区に向いました。
東北自動車道を白川ICで降り、先ずは那須町芦野の「遊行柳」へ。西行が詠んだ「清水流るるの柳」は若葉を輝かせ旅人を歓迎しているようです。その後は、臨済宗妙心寺派の古刹雲巌寺、玉藻稲荷神社、那須神社、鹿子畑翆桃邸跡、展示施設「芭蕉の館」、黒羽藩主大関家・城代家老浄法寺家の菩提寺曹洞宗永平寺派大雄寺(だいおうじ)等々、当時芭蕉が訪れた名所・旧跡をくまなく訪ねることができました。
黒羽城については、三ノ丸跡にある芭蕉の館に展示されている黒羽城鳥瞰図(江戸期作)に曲輪や建物の様子、家臣屋敷、城下町まで描かれておりとても感心しました。この芭蕉の館からは二重の堀切を挟んですぐ馬出曲輪、本丸と続き、主要な遺構を確認することができます。
詳細は皆さんの過去の投稿を参照頂ければ判ると思いますが、南北1500m、東西250mは栃木県北最大規模の山城です。それが藩政時代をとおして黒羽藩一万八千石の居城としてと使われたことにも驚きを感じます。
また、前述の大雄寺には芭蕉を歓待した城代家老浄法寺図書高勝(俳号は桃雪)夫妻の墓があり、その説明書きによれば高勝の祖母月桂院殿は徳川家康の娘「シャン姫」の娘とのことにも驚きました。

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たか

駅からすぐ (2025/04/04 訪問)

奥沢城からついでに荏原氏館へ。
徳川家斉さんと和尚さんの相撲の話が説明板にありました。
和尚さんあっぱれです!

旗岡八幡神社にもお参りして説明板を読んで帰路へ。
帰りは桜並木を下りながら気分よく帰りました。

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たか

読めなかった… (2025/04/04 訪問)

九品仏(クホンブツ)駅からほどなくにある浄真寺。
もともと世良氏が小田原征伐後に廃城となって寺地としてもらい受けたと書いてあった。
仁王門の向かって左にちょこんと城址碑がありました。

わたしはあまり仏閣的なことは知らないのですが九品仏って9体の仏像がそれぞれの位があるのですね。
資料をもらい読ませてもらいました。
上品、中品、下品、さらに上生、中生、下生でそれぞれ手の形が違うんですね。
なんか興味がわいてきました。

ちなみに余談ですが閻魔様がいましたが、大人のわたしでも怖かった…

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フカチャンマン

津城復元の会 歴史講演会 「築城の名手 藤堂高虎の城づくり」

「お城博士」千田嘉博先生による講演会のお知らせです⋆͛📢⋆

日時:7月13日(日)14:00~16:00

場所:津リージョンプラザ3階お城ホール(三重県津市丸之内23-1)

参加料:無料

千田先生より、築城の名手「藤堂高虎」の城づくりの魅力をたっぷりとお話していただきます。
2部構成でシンポジウムも開催いたします。

画像を参考にして、往復はがきにて申し込みください。
皆様のご参加をお待ちしております🙇

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たか

これは麓に着くなり圧倒! (2025/03/25 訪問)

車で向かって何げなく見ると右手にそびえたつ石垣!
駐車場を通り過ぎてしまいぐるっと回って駐車場へ。
いま綺麗な資料館が出来ているんですね。
まだこれからも整備していくようなことを書かれていました。
チケットを購入して施設内を抜けていざ攻城!

横断歩道を待つのももどかしくこの石垣に早くいきたい!
遠景の写真だけ撮ったらすぐにカートで送ってくれました。
降ろしてもらったところから石段を登っていざ石垣の上へ。

さすが天空の城とか言われていますが絶景です。
下からの圧倒感もそうですがこれは絶対に見に行くべき城に間違いなしです。
しばし天守部分で遠くを眺め風を受けて最高の気分でした。
沖縄に来たらまた行こうと思います。

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たか

階段が急ではあるが整備されている (2025/03/25 訪問)

下に駐車場がありそこから登城開始。
コンクリートの階段があって急ではありましたがなんとか頂上へ。
しかし何もない。。。
なにかすこしがっかりしながら下山しました。
ただどんなところでも道の整備はしっかりとされているなと感心しました。

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たか

日本最強の城 (2025/03/25 訪問)

タイトル通り日本最強の城スペシャルで選定されました。
これは行かねばと思い、仕事の時間を調整して行ってきました。

やはり琉球のお城は石垣が凄い!
また空が青ければ石垣の白さも映えるというものです。

イベントの用意をしていたり地元の方々がお城を大事にされているのがとてもよく伝わります。
御城印もゴジラのコラボがここにはまだ残っているとのことでとてもラッキーでした。
また山城ではありますが上の方までカートで送ってもらえるので利用すると楽ちんです。

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