南に天の川が流れ、北東に御館川が流れる大字中佐谷の台地上に笠松城は築かれていました。西以外を河川で守られた要害の地にあります。北側に土塁が有るようですが確認はできていません。案内板によれば正元年間に常陸大掾資幹の孫の佐谷郷の地頭・佐谷左衛門尉実幹によって築かれたとのこと。案内に沿って台地を登って行くと城址碑のある扁平地にたどり着き、そこが主郭のようです。
民家の石垣らしきものがあるけど、当然城址とは無関係です。城の石垣なら良かったんだけどねえ・・
慶長7年(1602)から約40年、志筑藩主本堂氏が居住し笠松城を称したようです。とはいえ本堂氏は8000~8500石の大身旗本で志筑藩はかすみがうら市中志筑あたりになるので、あくまで居住していただけらしい。正保2年(1645)に志筑陣屋が築かれ、寛文8年(1668)本堂玄親の代でようやく本領に引越すことが出来たようです。
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