日本100名城

おおずじょう

大洲城

愛媛県大洲市

別名 : -

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大洲城
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小城小次郎

大洲城

昨年、台風で大きな被害を受けた直後の訪問だったが、大洲城は暖かく迎えてくれた。訪問することも支援だと、強く実感させられた。城下の力強い復興を心からお祈りする次第。

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再訪▪城廻りvol.2 大洲城③ (1987/08/01 訪問)



(1987.8.1訪問▪2018.8.31再訪)

37年前の下台所と整備修繕された現在の様子です。

大洲城には、二の丸に下台所という、食糧庫として使われていたた当時の建物が現存しています。

大洲城には、重要文化財の4つの櫓が現存してますが、この下台所は指定されていなかったためか、当時最初訪れた時には写真のようにあれ放題。
屋根は草ボウボウ、外壁に張られた板も方々で外れて隙間だらけ。
よく見ると、右上に高欄櫓の二階の屋根がみえています。

現在では、修繕整備され、保護のためおおっていた下見板も取り外され、綺麗な漆喰の外壁の元の姿に戻っています。


昔と今の写真をよく見てみると、下台所のある二の丸と、本丸の間の中段にあった数件の民家がなくなっています。高欄櫓の右側には復元された天守の4重目が写っています。
城跡整備のため、城内にあった民家が、城外に移転されたのでしょう。赤穂城でも、この様なことを感じました。たぶん、他のお城でもあるんでしょうね。

このような方々の協力のお陰で、現在では自分達が綺麗に整備された城趾公園を訪れることができているんだなと感じた大洲城の訪問でした。

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再訪▪城廻りvol.2 大洲城② (1987/08/01 訪問)

本丸に現存する2つの櫓の昔と今の写真です。

(1987.8.1訪問 2018.8.31再訪)


最初は1987年の台所櫓です。天守と繋がっていた渡櫓は途中で切断されたがたちでほんのわずか残っています。本丸内は沢山の樹木で覆われ、なかなかいい写真が撮れませんてした。

2枚目は現在の台所櫓。復元された天守と渡櫓で連結されました。本丸内にあった樹木も伐採されて見通しがきくようになりました。

3枚目は1987年の高欄櫓です。同じく、渡櫓が途中で切断されています。

4枚目は現在の高欄櫓。渡櫓が延長され天守と繋がっています。

余談ですが、広島城も大洲城のようにかつては2つの小天守が現在復元されている天守と渡櫓で連結されていました。

広島城も2つの小天守復元されないかなぁ😊

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再訪▪城廻りvol.2 大洲城① (1987/08/01 訪問)

(1987.8.1訪問 2018.8.31再訪)

モノクロは36年前、二の丸から本丸を見上げたものです。奥に現存する台所櫓が樹木の中に見えています。

2枚目はほぼ同じアングルの現在の様子です。復元された天守と渡り櫓で連結されています。

本丸の樹木も伐採され、見通しがきくようになり、遠方から本丸を見ると、昔は木が生い茂った山の中に台所櫓や高覧櫓がみえていたのですが、今では天守などの建物群や石垣が見えるようになり、とてもきれいな城趾に生まれ変わっていました。

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概要

14世紀前半に宇都宮豊房が築いた居城・地蔵ヶ嶽城を、築城名人の藤堂高虎が近世城郭に改造したという。慶長年間に天守が築かれ、発掘調査や資料を元に四重四階の層塔型天守を木造で復元。肱川を堀とし、川に面した二の丸東側には二重櫓の苧綿櫓が天保期に再建されている。

城郭情報

城地種類 平山城
築城年代 14世紀前半、慶長15年(1610)ころ
築城者 宇都宮豊房、脇坂安治
主要城主 宇都宮氏、戸田氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏
文化財史跡区分 県指定史跡、重要文化財4件
近年の主な復元・整備 平成16年に天守を再建
天守の現況・形態 層塔型 四重四階 木造
主な関連施設 -
主な遺構 台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓、下台所、本丸、石垣
住所 愛媛県大洲市大洲903
問い合わせ先 大洲市商工観光課
問い合わせ先電話番号 0893-24-2111