日本100名城

おおずじょう

大洲城

愛媛県大洲市

別名 : 比志城、地蔵ヶ嶽城、地蔵岳城、大津城、亀ヶ城
旧国名 : 伊予

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大洲城
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にのまる

⑤三の丸南隅櫓 (2023/05/27 訪問)

大洲城に現存する4櫓のうち最も古い三の丸南隅櫓に足を延ばしました。
広い三の丸の南の隅、外堀に面した場所で「三の丸南隅櫓公園(通称:お殿様公園)」の敷地内です。
隅櫓は国の重要文化財ですが、公園内のためか扉は開いており椅子も並べてあって中で休憩してもよさそうでした。(開園時間は8:30~17:00)
すっきりした外観は袴腰型の石落としがいいアクセントになっています。石落としは内側から塞がれているようでした。
敷地内にある加藤家住宅主屋はNIPPONIA HOTELとして整備され、宿泊できるそうです。一階は見学可能でした。
外堀側から公園を見ると、バックに天守が顔をのぞかせています。その絵面が堪らなくよかったです。
1888年に取り壊されてから2004年に復元されるまでの百余年の間は見ることのできなかった景色だと思うと感慨深く、天守復元は城下の印象も一変させるほんとうにすてきな試みだと思いました。ここからこんな風に天守が望めたんだなぁと周りの家々をモノクロームにして往時の景色を脳内再現してみました。

公園南側の道路がクランクしているところも古地図のとおりで外堀の痕跡のようですが、もっと萌えてしまったのが「枡形」です。
お殿様公園に向かう途中、最初にお城に向かった時も通ったところですが、「枡形」のバス停が数本まとめて立っていました。城跡を示す地名は今でも各地で見ることができますが、名前だけではなく形状も残っていて、自動車が溜まったりゆっくり曲がったりする様子は眺めているだけでもいいものでした。
<おわり>


朝田さん、雨の中、我が故郷へようこそおいでくださいました。
山口は地震はあまり起きないですが台風はバンバン来ます。壇ノ浦の国道9号線を走っていて大波をかぶったり、駅が水没したりとかもありました。雨男のせいではないかもしれません(^^)/

ICカード使用可はうれしいです。私の実家の最寄り駅は下関駅の隣の幡生駅なのですが、小倉からピッ!とSuicaで入ってしまって精算できず、ということを何度繰り返したことか。。。
そのかわり(?)新幹線の駅でもみどりの窓口がなくなってきたりもしているようで、電車移動派としてはいろいろ心配です。

高嶺城は山口大神宮ルートで見られる石垣を一箇所見落としているので私もまだ制覇した気にはなっていないです(◞‸◟)

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にのまる

④本丸 (2023/05/27 訪問)

本丸下段には大きな井戸がありました。直径3.8m、本丸唯一の井戸で、井戸丸と呼ばれていたそうです。
坂の右側に残る石垣は本丸にいたる最後の門、暗り門の石垣です。
<かつては門の正面に石垣が立ちはだかり、左に折れて石段を登ると台所櫓の前に出るようになっていました。>
と説明にあります。
現在は見晴らしのよい本丸広場が目前に広がっていますが、かつては石垣で視界が遮られ、曲がり角に覆いかぶさるように渡櫓があった。台所櫓へとつながる石段は今はこの足元、地面の下に……と、写真や絵図の力を借りながらかつての様子を思い描いてみます。目の前の“何もないところ”にその姿を想像再建できた瞬間のうれしさといったら!
来てよかったー!の一言に尽きます。

そしていよいよ本丸へ。
肱川を渡るときから天守はチラチラと見えていたけれど、最後にくるっとまわって対面した時の嬉しさは格別でした。早朝に家を出てからひたすら陸路で10時間。(この長さがまた良いのです。)
台所櫓・復元天守・高欄櫓の揃った壮麗さは唯一無二の宝物。奇跡の復活と言えるのではないかと感じました。
台所櫓から中に入ります。現存の渋さと重みがあります。
天守は後まわしにして高欄櫓へ。こちらは二階へ上がれました。時代を感じる木組みの露わな姿を見ながら、木造建築だから解体修理も移築も可能で、百数十年経た現在でも見ることができるのだと今さらながら気づきました。木造復元は過去を現代によみがえらせるだけではなく、生きた歴史史料を未来へ伝える大切な役割を持っているのだなぁと。
キャッスルステイで一躍有名になった復元天守内は吹き抜けの開放感が印象的で、階段も当然急傾斜。木造天守の醍醐味を十分に堪能しました。

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にのまる

③本丸への道 (2023/05/27 訪問)

左手に御殿跡(一部工事中)を見ながら本丸へ向かいます。
本丸石垣は除草作業をしてくださっている最中でした(写真①)。写真②は帰りに撮ったものです。美しい石垣を見せてくださってありがたいです。

石垣の上にはためく幟と天守群が見えますが(写真③)、先に二の丸へまわりました。
④北東隅・鉄炮櫓跡
⑤西隅・玉櫓跡
など、二の丸の役目を果たした痕跡を見ることができました。

ですが、いちばん印象に残ったのは⑥のお手洗いです。
景観への配慮が素晴らしいです。
天守を背にする絶好のフォトスポット。外観もこだわらないわけにはいかなかったのでしょう。
石垣と天守の景観を邪魔しないどころか、お見事!と言わせてくれる見た目に、普段であればお手洗いなどはなるべく写り込まないようにと思うのですが、ここは寧ろ櫓っぽくかっこよく撮りたい、などと思ってしまいました(^^)

……せっかくなので、大洲城のお手洗いの写真をUPします(・∀・)/ 

⑦昨日の投稿で二の丸大手門の説明板があると載せた市民会館駐車場のお手洗いを正面から。石垣一体型で、鉄砲撃てそうな格子窓付きです。右側のOをよく見ると🙂を描いたような跡が?
⑧二の丸へ向かう坂を登ったところのお手洗い。白漆喰に下見板張りのモダンな天守を意識した外観です(多分)。♿︎付き。自動販売機も設置。
⑨↑のすぐそば。これはお手洗いではなくて倉庫のようでした。
⑩本丸下段にありました。最初、何なのかよくわからなかったのですが、よく見ると「大洲市トイレCAR」と。この日はイベントもあったので来ていたのかも知れませんが、移動式は災害時などでも便利そうでいいなぁと思いました。

以上、大洲城お手洗いコレクションでした。

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にのまる

②下台所 (2023/05/27 訪問)

①二の丸大手門は平櫓っぽいお手洗いのあるところ。説明板も立っていますが、お手洗いの中に人がいると立ち止まって読むのは遠慮した方がよさそうです。内堀は埋められていますがかつては土橋がかかり、櫓下御門のへと続いていたとのこと。

②櫓下御門跡。左に折れる内枡形。今でも充分にその面影を感じられます。

③ 枡形を曲がると左手にあるNIPPONIA HOTELは歴史と由緒ある邸宅をリノベーションしたものだそうです。ここのほかにもありました。キャッスルステイだけではなく、非日常をコンセプトに大洲のまちづくりをすすめているようです。

④~⑧県指定有形文化財の下台所。これでもかというくらい真っ白に塗りこめられています。往時は城内の食糧庫、明治以降は監獄所や製紙工場の倉庫として利用されていたそうですが、床下の建物の基礎部分が外からしっかり観察できる!こうやって支えているんだなぁと勉強になりました。

⑨背後の石垣は小さめの石がびっしりでした。

⑩この坂を登って本丸に向かいます。

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概要

14世紀前半に宇都宮豊房が築いた居城・地蔵ヶ嶽城を、築城名人の藤堂高虎が近世城郭に改造したという。慶長年間に天守が築かれ、発掘調査や資料を元に四重四階の層塔型天守を木造で復元。肱川を堀とし、川に面した二の丸東側には二重櫓の苧綿櫓が天保期に再建されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 元徳3年(1331)
築城者 宇都宮豊房
主要城主 宇都宮氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏
文化財史跡区分 国重要文化財(台所櫓・南隅櫓・高欄櫓・苧綿櫓)、県史跡(大洲城跡)
近年の主な復元・整備 藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰
天守の現況・形態 複合連結式層塔型[4重4階/1609年築/破却]、複合連結式層塔型[4重4階/2004年再/木造復元]
主な関連施設 天守、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、石垣、横堀
住所 愛媛県大洲市大洲903
問い合わせ先 大洲市商工観光課
問い合わせ先電話番号 0893-24-2111