日本100名城

おおずじょう

大洲城

愛媛県大洲市

別名 : 比志城、地蔵ヶ嶽城、地蔵岳城、大津城、亀ヶ城
旧国名 : 伊予

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大洲城
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刑部

カフェのある城址 (2021/05/04 訪問)

駐車場から登城して行くと城址の入口に洒落たカフェがあります、ここは外で飲めるので大洲城がよく見える位置にありとても良いですね。雰囲気も最高でした。城でいただくティータイム!

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こうちゃん

期待以上❗️ (2021/04/26 訪問)

大洲城パーキングを目指し、スタートが二の丸そして本丸と手軽に到着!数少ない復興木造天守に期待を持って行きましたが期待以上!肱川の景色も抜群!1番の見どころは、天守と連立している重要無形文化財の櫓、実は門から本丸全体に廊下櫓が連なっていて、実は連結天守だった!それを想像して天守での一時を楽しもう!

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昌官忠

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日」② (2017/02/16 訪問)

次男と二人で行くクラブツーリズム「四国名城ハイライト4日間」の2城目は大洲城です。宇和島城からの転戦です。
2回目の攻城を2020/11に攻城予定でしたが、新型コロナの影響でキャンセルしました。

元弘元年(1331) 宇都宮豊房が地蔵ケ岳に城を築きます。
永禄11年(1568)宇都宮は河野・毛利連合軍に敗れ、城は河野の武将大野直昌が預かるところとなりました。
天正13年(1585) 羽柴秀吉の四国平定後、道後湯築城を本拠とする小早川隆景の枝城となります。
天正15年(1587)隆景が九州に転封となった際、 戸田勝隆が16万石で大洲に入城。
文禄3年(1594)朝鮮で病死した勝隆の後を受け、文禄4年(1595) 藤堂高虎7万石で板島に入城。大洲は蔵入り地となり高虎が代官となるが、すぐに大洲を居城とします。
慶長14年(1609) 脇坂安治が洲本より大洲に入城。
元和3年(1617) 加藤貞泰が米子より大洲に入城。版籍奉還まで加藤氏の治世が続きます。

時間はあったのに、苧綿櫓(二の丸)には近づけず、南隅櫓(三の丸)は見落とし。
心残りばかりの攻城でした。もう一度チャレンジしたい。攻城時間は90分くらいでした。

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 9城目 (2020/11/19 訪問)

明けましておめでとうございます。  昨年の夏からお仲間に加えていただき半年が経ちました。
それまでは城を巡り写真を撮っても見返すこともせず、ただHDに保存しておくだけでしたが
ボチボチながらも投稿を始めるようにしてからは、そのために勉強をするようになりました。
文才は望むべくもないので、歩いた順、見たこと、感じたことを書くことしかできません。
なので、どうでもよいことが多くなると思いますが、今後ともよろしくお願いします。

さて、この稿のために大洲市のHPを調べたら、無料の観光駐車場がありました。
そんなことも知らずに市民会館前の有料駐車場に停めました。

すぐに櫓下御門跡の大きな縦石が迎えてくれ、通りには外国の方が好みそうな風情のある
ゲストハウスが並んで建ってます。  ライトアップされた天守を眺めながらのワインが似合いそう。

二の丸のほとんどが市民会館に、そして表御殿跡は私有地になっています。
下台所の説明板には建物が残っているのは珍しく一時期監獄所としても使われたこともあると。
二の丸奥御殿跡は石垣工事の資材置き場となっており、入れず。
玉櫓跡から見える流路に沿った大きな肱川堤防は近代の付け替えのようで、生じた土地には
住宅が立ち並び、ちょうど遠州二俣城の天竜川と二俣川を想起されられる。

ここまでさほどの技巧的な防御は感じられないまま本丸にきてしまった。  チョット拍子抜け。
暗り門跡の説明をみても、イメージできず ピンとこない。

本丸から周囲を見渡すと、小高い山々に囲まれた小さな盆地。
西と北には川が流れ、南には山が連なっている。
東側も川に山が急に迫って狭くなり、袋小路的なこじんまりとした城下である。

二の丸へ下りかかると、オリエンテーション中の5、6人の高校生のグループと行き会う。
皆々が 「コンニチハ!」 「コンニチハ!」 「コンニチハ!」 と挨拶を投げかけてくれるので、
こちらも 「こんにちは」、 「こんにちは」、 「こんにちは」  と応えるのだが、多勢に無勢。 
声を発する回数は、圧倒的にこちらが多い。
しかも何組ものグループと行き会うので、ちょっと マイッタ。

三の丸南隅櫓に面する外堀は高校のテニスコートやグラウンドになっている。
南隅櫓内部は、太鼓壁で造られており隠狭間もあった。
大手門跡横の水門をくぐり川面に出ると、5、6艙の鵜飼い船が係留されていた。
ここ大洲は岐阜や日田とならぶ鵜飼いで有名なところである。
苧綿櫓の石垣の上部は昭和34年に2.6m積み上げられており、私が見ても境目がよくわかる。
2018年の豪雨の際は、どこまで水がきたのだろうか?  積み上げが功を奏したってことだろう。
市民会館裏手の川沿いの道を回り込むと、本丸北側下の”水の手櫓・水の手御門跡”に出た。

ふたたび二の丸を降り街中を歩いていると、またオリエンテーションのグループと遭遇。
「コンニチハ!」 の連呼のあと、背中の後ろの方で 「あの人、まだ歩いてるよ」 の声が・・・。

「迷子じゃないよ」    おもわず口から出たつぶやきに、自分で笑ってしまった。

スーパーで買った弁当を食べながらの、対岸の公園からの夕景がステキでした。

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概要

14世紀前半に宇都宮豊房が築いた居城・地蔵ヶ嶽城を、築城名人の藤堂高虎が近世城郭に改造したという。慶長年間に天守が築かれ、発掘調査や資料を元に四重四階の層塔型天守を木造で復元。肱川を堀とし、川に面した二の丸東側には二重櫓の苧綿櫓が天保期に再建されている。

城郭情報

城地種類 梯郭式平山城
築城年代 元徳3年(1331)
築城者 宇都宮豊房
主要城主 宇都宮氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏
文化財史跡区分 国重要文化財(台所櫓・南隅櫓・高欄櫓・苧綿櫓)、県史跡(大洲城跡)
近年の主な復元・整備 藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰
天守の現況・形態 複合連結式層塔型[4重4階/1609年築/破却]、複合連結式層塔型[4重4階/2004年再/木造復元]
主な関連施設 天守、塀、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、石垣、横堀
住所 愛媛県大洲市大洲903
問い合わせ先 大洲市商工観光課
問い合わせ先電話番号 0893-24-2111