木田範宗の墓は木田余城跡の一角に設けられています。木田余城は範宗によって築かれたとされ範宗は主君・小田氏治と対立し、氏治の命を受けた菅谷氏に誘殺されたと書物に記載があるようです。
時期は手這坂の戦(1569)の後とされますが、被疑者にも被害者にも諸説あるようです。結局謎につつまれているのだけど、歴史の真否に関しては、なかなか断言できることではないですね。大事なのは考えることだと思います。
常に新しい情報を入れて、考えまくることが重要だと思います。私は、城人ならではの形で様々な歴史に対しての「気づき」が有るのではと考えています。実際に自分の目で見て考えねば解らないことがあると思いますね。
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