いわつきじょう

岩槻城

埼玉県さいたま市

別名 : 岩付城、白鶴城、浮城
旧国名 : 武蔵

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黒門
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城址公園編 〜豆腐ラーメンを食べ、いざ出陣!!〜 (2023/12/22 訪問)

 本丸跡から南へ進み、城址公園へ移動。
 城址公園は岩槻城の新曲輪と鍛冶曲輪の部分にあたります。
 城址公園の散策前にランチは城址公園内の さいたま市民会館いわつき の中にある レストラン大手門 で、岩槻の名物 豆腐ラーメンをいただきました。見た目は辛そうですが、麻婆とは異なり、辛さは控えめで、とてもおいしかったです!! ラーメンで腹ごしらえをして、いざ出陣。
 市民会館前の道路を南に少し歩くと、黒門と裏門が移築されています。この二つの門は城内のどこに元々あったのかはわかっていないようです。
 移築門からさらに道なりに南に進むと、一部藪になっていますが、新曲輪の馬出跡が残っています。そこから南に少し歩くと新曲輪の石碑が立っており、そこで左に曲がって進むと、鍛冶曲輪の馬出と虎口、堀底道の入り口があります。
 鍛冶曲輪には、周囲に土塁が良好に残っており、白鶴城址碑が設置されています。
 鍛冶曲輪を見学後、堀底道へ移動。ここの堀はかなり深く迫力がありました。鍛冶曲輪側から堀底道を北に進むと堀障子の跡もあり、堀障子の東側には、菖蒲池が広がっていました。
 12月終盤の訪問だったため、菖蒲池の日陰部分は若干凍っていました。

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町なか散策編 〜大構・本丸跡などなど〜 (2023/12/22 訪問)

 東武アーバンパークライン(野田線) 岩槻駅から散策開始。
 岩槻城の一部は城址公園となり整備されていますが、本丸などの主要部は市街地の中に埋もれている状況になっています。今回は城址公園以外の周辺スポットもぐるぐる散策してきました。
① 芳林寺
 岩槻駅から城址公園とは逆の西側に少し進んだところにあります。ここには太田道灌の騎馬像、太田氏資の銅像、「太田道灌公築城550年記念」で作られた岩槻城の復元図があります。岩槻城を築いた太田氏は、江戸城を築いたことでも有名ですが、岩付(岩槻)が北条氏の支配下になったのちは、常陸の佐竹氏のもとに行き、小田氏治の小田城を攻めたり、最終的には結城氏に従い越前へ移るなどなど、茨城の武将たちと、がっつり絡んでいて驚きです。

② 愛宕神社(岩槻城大構)
 芳林寺から東へ移動し、東武野田線沿いにあります。ここには岩槻城大構の土塁が神社の本殿の部分に現在も残っており、説明板も設置されていました。

③ 浄安寺(岩槻城下 田中口木戸門)
 愛宕神社から住宅地を東へ進み、旧日光街道沿いに浄安寺があります。浄安寺には、岩槻城下の田中口の木戸門(槍がえし門)が移築されています。

④ 時の鐘
 浄安寺から南に進み、交差点を過ぎてしばらく歩くと、岩槻城のシンボル的存在の時の鐘があります。ここには岩槻城の説明板も設置されています。

⑤ 岩槻城主要部(大手口跡・本丸跡・二の丸跡)
 時の鐘から大通り方面へむかうと、途中に大手口跡があり、石碑が立っています。大手口跡から道なりに進み、大通りに出る五差路があります。ここが三の丸跡にあたるらしく、五差路の所に石碑が立っていました。(三の丸跡の石碑周辺は、交通量があるので、見学される際は気を付けてください。)
 三の丸跡から県道2号を東へ進むと銀行前の所に本丸跡の石碑と説明板が設置されていました。
 本丸からさらに道なりに東へ進むと、クリーニング店の少し先の歩道の所に「二の丸跡」の碑が建っています。本丸跡と二の丸跡間は若干下りの坂になっていました。当時の雰囲気がどことなく感じられました。

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洸(あきら)

静かな公園 (2024/03/03 訪問)

本丸周辺は何も無く、新曲輪と鍛治曲輪周辺が公園になっていて、ゆったりできました。
黒門や裏門もよい佇まい。

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にのまる

城友さんたちと3城めぐりの1 (2024/01/07 訪問)

6年ぶりの再訪です。
公園内に静態保存されている東武特急「きぬ」車内でしばし昭和にひたってから城址散策に繰り出しました。

新春の青空に映える八つ橋の朱色に目を奪われつつ、確かこのあたりに堀障子があったはず……と記憶をたどります。堀の中にある犬走りのような渡り板の上を歩いていると、嬉しい反面、見えない遺構を踏みつけているようで申しわけない気持ちになってしまいました。

深い堀の中を感動とともに歩き、鍛冶曲輪から住宅街に抜け出ました。
道路の両側に残る堀跡に歓喜し、ここが馬出なのかと確認しながら野球場へ。新曲輪の跡を生かして作られたのだろうなと思うと感慨深いものがあります。
裏門や黒門を鑑賞し終了としました。

大構えを実感しようと時の鐘や愛宕神社を目標にひたすら歩いた前回はかつての城域の広さや市街地化の現状を足で知りました。
今回は歩きは控えめでしたが、その分じっくりと観察し、楽しむことができました。
「きぬ」は公開曜日・時間が限られていますのでお気をつけください。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 不明
築城主 成田正等
築城年 文明10年(1478)
主な改修者 北条氏
主な城主 成田氏、太田氏、後北条氏、大岡氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 門、曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 埼玉県さいたま市岩槻区太田3-4他
問い合わせ先 さいたま市教育委員会事務局生涯学習部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 048-829-1723