本丸の案内板には「この城は、堀と土塁で防備をかためる「掻上げ(かきあげ)城」で・・」と書いてある。なんじゃ? 掻上げって?
スーパーの特売でうってるやつか?(それは掻揚)
土塁はよくわからなかったが、周囲の堀は確認できました。文亀年間(1501~1504)には小山田氏の有力な家臣・菅谷隠岐守貞次が城主でした。菅谷氏は天正元年(1573)7月佐竹氏の攻撃を受け佐竹氏の家臣となり、慶長7年(1602)佐竹氏の秋田国替えによって廃城になったようです。
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2025/09/12 17:44
掻上げ? (2024/12/31 訪問)
本丸の案内板には「この城は、堀と土塁で防備をかためる「掻上げ(かきあげ)城」で・・」と書いてある。なんじゃ? 掻上げって?
スーパーの特売でうってるやつか?(それは掻揚)
土塁はよくわからなかったが、周囲の堀は確認できました。文亀年間(1501~1504)には小山田氏の有力な家臣・菅谷隠岐守貞次が城主でした。菅谷氏は天正元年(1573)7月佐竹氏の攻撃を受け佐竹氏の家臣となり、慶長7年(1602)佐竹氏の秋田国替えによって廃城になったようです。
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2024/03/09 10:47
狭い道からの 広い本丸ファーム。 (2024/02/10 訪問)
「戸崎城」から「穴倉城」に向かいました。
こちらの「穴倉城」も、佐竹氏の秋田移封後、廃城しました。
県道118号をドライブしていると、ナビは左折を案内しました。すると『穴倉城 本丸入口』の案内板が現れ、左折。(これが、その後 大変な事になりました。)
細い道の先に『道が狭い為 車が進入できません』の立て札があり、そのまま駐車しました。
目の前には土橋が本丸へと続きます。
藪の中に空堀。別れ道の右手は高くなり本丸方面。左手は更に奥に進めます。
先ずは本丸に上ると、「戸崎城」と同様に広い本丸ファームでした。「穴倉城」の説明板があります。
別れ道の左手の奥は、郭が広がります。耕されてはいません。
さて、次は何処に向かおうかと車に戻ると、この場所では方向転換できません!
細い道を、ひたすらバックで退陣しました。150m位だったと思います。小さな軽自動車なのに壁スレスレです。写真②です。
何事もなく「穴倉城」を脱出した時は、2月なのに汗びっしょりでした。
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2023/01/03 18:39
主郭には稲荷神社 (2022/12/25 訪問)
県道118号線沿いにあり案内板があるものの駐車場はありません。
駐禁エリアではなさそうなので路駐し登城しました。
細い道を進むと主郭への土橋があり、両側に空堀がありました。
この時季でも藪でした。
主郭は畑になっていて石碑と説明板がありました。
奥に進むと城山稲荷神社が鎮座、その奥に深い空堀がありました。
迷わず降りて見ましたが整備はされてなく、やや藪となっています。
南側は畑になっていました。
主郭脇の畑の奥にも空堀がありましたがここも藪化していました。
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分類・構造 | 丘城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 野田遠江守、菅谷氏、大山田刑部(佐竹氏家臣) |
廃城年 | 慶長7年(1602) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市史跡(宍倉城本丸跡) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 茨城県かすみがうら市宍倉 |
問い合わせ先 | かすみがうら市教育委員会生涯学習課 |
問い合わせ先電話番号 | 029-897-1111 |