水野を本拠としていた平姓水野氏(徳川と親しいあの水野とは別系統)が新たに開いた(新居)土地に築いたのがこのお城。公園化による改変も大きいが土塁にも堀にも切岸にも十分な趣がある。公園内には模擬天守「旭城」も建つ。
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2024/09/17 22:47
あの水野ではない水野氏のお城 (2024/08/02 訪問)
水野を本拠としていた平姓水野氏(徳川と親しいあの水野とは別系統)が新たに開いた(新居)土地に築いたのがこのお城。公園化による改変も大きいが土塁にも堀にも切岸にも十分な趣がある。公園内には模擬天守「旭城」も建つ。
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2024/09/17 22:24
2024/09/17 17:10
【近江・4徳川氏御殿】滋賀県 (2024/06/24 訪問)
近江の国滋賀県には4ヶ所の徳川氏御茶屋御殿が有りました、家康、秀忠、家光3代が上洛下向の折りに宿泊休憩に使用した御殿です。
4ヶ所は水口城、永原城、伊庭御殿、柏原御殿を指します。
【水口城】 滋賀県甲賀市水口町本丸4ー80 駐車場:北側の水口公民館裏駐車場
最終訪問日:令和5年8月6日
外枡形の水口城資料館に復元水口城立体模型が展示されて、方形の本丸石垣造り四方に平櫓、内側四方に雁木石垣、外枡
門と内枡形門が構えて、一部多聞櫓、土塀が囲っていました、本丸御殿は格式高い杮葺きでした。
現在は水口高校のグラウンド、四方の石垣は近江鉄道に売却されて、土手土塁上です、唯一乾櫓台の石垣が残って居り四
方は濠です。
【永原城】 滋賀県野洲市永原1093 駐車場:東側本丸堀埋立地砂利駐車場
最終訪問日:令和6年6月24日
野洲市歴史民俗博物館に永原御茶屋復元立体模型が展示されています(滋賀県野洲市辻町57-1)、本丸四方角に平櫓が建
ち、腰巻石垣上に土塁を盛土塀で囲っています、南と東に平虎口櫓門、二の丸、三の丸が控えて居ました。
現在は本丸は私有地で真竹で覆われており、令和4年3月に「史跡永原御殿跡」整備計画書が作成されて、概ね6年程で
第一期の本丸と本丸外周堀の復元整備が行われる予定です、整備と発掘調査が並行して行われて時々には発掘調査現地説
明会行われて居るようです、ただ真竹の伐採、地下茎の根絶が大変でしょう。
楽しみに待ちたいところです、年齢的にギリギリかも?
【伊庭御殿】滋賀県東近江市能登川町(御殿地広場) 駐車場:御殿地広場南前路駐
最終訪問日:令和6年6月24日
現在発掘調査で発見されて石垣などが地表展示されています。域内進入禁止中。
【柏原御殿】滋賀県米原市柏原2137(小公園) 駐車場:柏原宿観光駐車場
最終訪問日:令和6年6月24日
小公園として整備されていますが、案内板と石碑のみ。
残暑といえど酷暑で厳しい日々、城探訪もままなりません、秋の彼岸が過ぎれば涼しさも増し城廻もそろそろと言った感じですが、足腰は鈍ったままです。まだ城探訪の企画は出来て居ません。
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2024/09/17 13:18
門司城と関門海峡の潮風 (2024/09/16 訪問)
JR鹿児島本線に乗り終点の地「門司港駅」に着きました、降りてホームからふと見上げると今日の目的地「門司城」が見えました(意外と高い😯)(写真①)。
門司港駅前から「和布刈(めかり)」行きのバスに乗り15分、「和布刈公園」で下車しました(写真②)。ここが登山口です(車もここから入れます)。そして舗装されているとはいえ、かなりの傾斜の道を登ること25分、駐車場のある所に着きました(写真③)。9月も後半というのに気温36度の酷暑の中もう汗ダクです。しかもこの傾斜で足もけいれん気味。さらにそこから最後の力を振り絞り遊歩道を5分程登ると山頂の「門司城」到着しました(写真④)。
ここから関門海峡を眺めた景色は実に気持ちがよかったです(写真⑤)。ここで30分間、汗が引いて足が回復するまで、石碑にもたれて潮風に吹かれながら、この景色をずっと眺めていました(誰も来なかった)。
しかしこの美しい景色とは裏腹に、ここは「毛利VS大友」が何度も争奪戦を繰り広げたという激戦の地でもあります。特に1556~1562年6度に渡って繰り広げられた「門司城の戦い」は壮絶だったようです。鎌倉室町時代から続く貿易商人の町「博多」を何としても大友氏から奪いたい毛利元就、そのためにはこの関門海峡の制海権を得なければなりません。元就は小早川水軍全軍をもってこの門司城を攻めるよう命じます。そして5度目の戦いでついに小早川軍が勝利しました。その勢いで吉川元春も合流し毛利軍は博多に迫ります。それに対する大友宗麟も自ら全軍を率いて豊後を出陣、両軍合わせ8万の軍勢が、博多と立花山城との間の多々良川で対峙しました。しかしその時、何と尼子家再興を計る尼子勝久・山中鹿之助が月山富田城を攻め落とし、毛利は背後をつかれます。もはや大友氏どころではなくなり、体制を立て直すべく吉田郡山城へと撤退しました。
この後、大友宗麟は耳川の戦いで島津に敗れ衰退。門司城は南下した豊臣秀吉により占領されます。さらに関ケ原の戦い後には、領主となった細川忠興が小倉城を築城し拠点を小倉にしたため、一国一城令で門司城は廃城となりました。今では大友時代の石垣が少しだけ残り、当時の面影をわずかに見る事ができます(写真⑥)。まぎらわしい感じの新しい石垣が多々ありますが、それは太平洋戦争時、日本軍がここに砲台を築いたためその時のものと思われます。その砲台跡と火薬庫が山頂にありました。
帰りは山を反対側(東側)から下りました。すると壇ノ浦の戦いの最後の決戦地「田野浦海岸」が眼下に見え、その展望台には壁画がありました(写真⑦)。そして下りた場所は、壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水したという場所で、その石碑がありました(写真⑧)。そしてそこから3分程歩いた場所は関門橋の真下にあたり(写真⑨)、関門トンネル人道口と和布刈神社がありました。神社にお参りした後バスで戻ろうかとも思いましたが、次のバスまで時間が30分もあり1つ手前の始発のバス停(和布刈)まで海沿いの遊歩道がきれいに整備されていたので(写真⑧)、潮風に吹かれながら歩きました。するとそこはトロッコ列車の駅(和布刈駅)もあり、発車時間にまだ間に合い乗れそうだったので、トロッコ列車に乗って門司港駅に戻りました(写真⑩)。
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2024/09/17 13:07
駿府城夏まつりに出店しました!
8月17日(土曜日)・18日(日曜日)に駿府城公園で開催された「駿府城夏まつり」に皆さん足を運ばれたでしょうか?
今年の駿府城夏まつりは「若者と作る静岡の未来」をテーマに、県内の大学生や企業などが連携し、音楽ライブやお笑い芸人のステージ、夏らしい屋台などが出店しました。
駿府城公園エリア活性化連絡会(注)では、楽しく歴史に触れることができるブースとして、スタンプラリーや甲冑(かっちゅう)体験などを実施しました。
(注)駿府城公園エリア活性化連絡会:歴史文化課・歴史博物館・駿府城公園3施設・葵舟・駿府ウエイブ・するが企画観光局が連携して、エリア周辺の賑わいと活性化を図る団体
両日とても暑い日でしたが、多くの方々がスタンプラリーに参加されました。
現在、スタンプラリーは行われていませんが、発掘情報館「きゃっしる」では、スタンプを重ねてしおりになる金箔瓦のスタンプを置いています。
金箔瓦には金色のインクが使われているため、本物さながらにキラキラ輝きます。
駿府城跡天守台発掘調査現場を訪れた思い出になりますので、お越しの際はぜひご利用ください。
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2024/09/17 10:10
2024/09/17 10:06
2024/09/17 10:03
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2024/09/17 09:17
2024/09/17 07:15
2024/09/17 06:57
天神山城 香川県三豊市 (2024/09/08 訪問)
仁尾マリーナそばの天神山山頂にあり、港の監視機能を持った城とされます。
登城口の鳥居横に石碑が立っています。
ここから登っていくと天満宮がありますがちょっと脇に入ってみると石積が数段。
城のものなのか神社ののものなのかはわかりません。
元の道に戻り天満宮にお参り、背後の山頂部まで登ってみました。
神社右側には石垣があり、天神山城城郭遺構と書かれた石碑が立っています。
主郭虎口の石垣なのか?
山頂には朽ちた東屋があり、瀬戸内海を見下ろすこともできました。
ここの近くには日本のウユニ塩湖と呼ばれる父母ヶ浜があります。
インスタ映えスポットなので結構有名かも。
最後の写真は以前訪問した時のものですが讃岐屈指の絶景ポイントかと思います。
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2024/09/17 00:27
20240914鳥羽城 (2024/09/14 訪問)
曇気味で若干雨も降りましたが、景色は良かったです。
御城印4種も入手しました。
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