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トク

【春の長崎天草を巡る⑧】(6)島原城 (2025/03/30 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(6城目)は「島原城」です。

白漆喰と桜のコントラストはとても綺麗でした。ちょうど桜祭りが行われていて、琴の演奏や茶会も行われていました。何やら女武者も見参!

今の島原城は具雑煮で有名な姫松屋の前から直接本丸へ車で入る道(駐車場)があるので、大部分の方(ほぼ99%の方)はそこから入り直接天守のある本丸へ行かれると思います。しかし当時はそのような道は無く、島原城は本丸から北へ二ノ丸、三ノ丸と続く連郭式の縄張りで、それらは一本の廊下橋でのみつながれていました。三ノ丸から進むと、この廊下橋があった場所や、深くて大きな堀、見事な高石垣や桝形門の迫力が堪能でき、連郭式の縄張りだった事がよく分かります。

そして、島原城は難攻不落の城でした。それを実証したのが島原の乱です。一揆軍は圧倒的に優勢だったにもかかわらず、この島原城を落とす事ができませんでした。それはなぜだったのでしょうか? 三ノ丸から本丸へ向かって歩くと、なるほどそれがよく分かります。そして堀底を歩きながら、ゆっくりと廊下橋跡を渡り、迫力ある高石垣や桝形虎口を見て、本丸への階段を登り、それから天守に入って島原の歴史を学び、最上階に登って普賢岳と有明海を眺めて爽快な気分になり、お腹を十分空かしてから具雑煮を食べに行くと(ああ美味しい)😊。

次は(7城目)日野江城へ向かいます。
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり① (2025/04/26 訪問)

金曜の夜19時過ぎに家を出発、佐久インターから上信越道に入ったところですぐに仮眠。その後も結構、頻繁に仮眠をとって石巻に到着しました。すき家にて朝食をとってまず向かったのが横浦館。県道で分断されているとのことですが、結構、遺構が残っているようにも見えました。この館のかなり上の方には、女川いのちの石碑が建っていました。ということは、この館は東日本大震災の津波で完全に水没したということになりますね。

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遠州

観桜 上田城 (2025/04/19 訪問)

04/19 上田城を訪れました
桜の満開は過ぎていましたが、枝垂れ桜など見頃の桜もあり楽しめました。
個人的には「けやき並木遊歩道」の雰囲気が好みでしたが、桜を交えての櫓の撮影など満喫しました。

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しんちゃん

夜討ち (2024/12/30 訪問)

「新編武蔵国風土記稿」に「荏原義宗日蓮を崇信の余、ついに其子を薙染せしめて日朗の門に入しめしなり、後に義宗館地を捨てて寺とし、八幡社を作り郎慶をして別当職を務めしとぞ」と記載があるようです。
この薙染せしめたこと言うのが二子徳次郎とされ、名を郎慶と改めたとの事。義宗が居館を捨て、寺を建てた場所が法蓮寺と郷社旗岡八幡神社周辺とされています。
旗岡八幡神社の由緒には長元3年(1030)平忠常の乱を平定すべく、朝命を奉じた甲斐守・源頼信甲が下総へ赴く際、この地に宿営した折、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉斎し戦勝を祈願したのが、その発祥と記載がされています。

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しんちゃん

夜討ち (2024/12/30 訪問)

品川氏館は小高い場所に有る貴船神社が館跡とされていますが、ここも推定地です。大井氏の庶流・品川氏の館跡ではないかと伝わり、近くを鎌倉街道が通っていたことが根拠の一つになっているようです。推定値で神社仏閣の城であるとはいえ、夜討ちの時の写真ではどうかなと思っていましたが、もういいや、載せてしまいましょう。

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しんちゃん

夜景 (2024/12/30 訪問)

御殿山城は東京マリオットホテルの南にある、御殿山庭園が推定地とされています。遺構は全く残っていませんが、庭園の滝が独特の雰囲気を出しています。「城郭大系」によれば「新編武蔵国風土記稿」は「道灌日記」を引用して、長禄の頃、太田道灌がこの地に居住していたが、夢のお告げで江戸城を築いて移り、この地には宇多川和泉守長清を置いたとのことです。
徳川家康の関東移封の後は、この地を鷹狩りの仮御殿としたことから御殿山の名が付いたとのことです。東京の城址の大多数は旧態を留めていない城が大多数ですが、城郭大系には記載がされています。これも都市部の城の特徴でしょうか。大阪、名古屋でも同じことが言えますが。

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WEST

本證寺探訪 (2025/04/19 訪問)

本證寺を訪問しました。三河一向一揆で有名なお寺で、国の史跡にも指定されています。
駐車場は境内にあり、大門を通って入ります。訪問日は平日のためか自動車は少なめでした。
本堂にてお参りをしてから寺内にある経蔵、鐘楼、鼓楼、裏門を巡りました。鼓楼は太鼓にて時を知らせる機能の他に物見櫓の機能を有しているそうで、まさにお城にある櫓そのものですね。
その後、裏門から出て、北側の現存する土塁と堀を見学しました。近年史跡として整備を進めているため、一部の木が伐採されており、その姿が良く分かりました。
最後に境内を出て、外堀の一部である場所まで足を運びました。
見どころ満載ですので徳川家康関連の史跡巡りにお勧めですよ。

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WEST

桜井城探訪 (2025/04/19 訪問)

安城市にある桜井城を訪問しました。この城は桜井松平家の居城となります。現在は城山公園として整備されており、公園入口に駐車場(3台程度駐車可)があります。
城内を散策してみましたが、城址碑のある土塁のようなところが遺構となるのでしょうか。
また、隣接して桜井松平家歴代の墓所があります。

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しんちゃん

可能性の獣 (2025/03/10 訪問)

今日は休日ですが「城攻め」はお休みです。珍しいですよね・・でもたまには休まないと倒れます。2024年にいっぱい未投稿の城を残しているのですが、ついつい最近訪問した城を投稿してしまいます。なんというか、申し訳ないとしか言えない。順番に投稿して行けばいいんだけど、テンションがあがらないんですよ。
百名城・高岡城の投稿です。個人的には地味な百名城だと思います。近年発掘調査などで株価馬鹿上がりの小牧山城のほうが百名城に相応しいのではないかと内心思っていたりします。そう思いながらも、高岡城に来るのは楽しみだったりする。以前にも来たけど久々に来ると、以前無かった感動を味わえるかもと、ちょっぴり期待。
入り口付近に大きな案内板があるのですが
「富山県内唯一の日本100名城」「城の魅力は天守だけじゃない!」「城郭考古学者も絶賛!」正規の案内板なのに、なんか痛い見出しがズラリ・・。ゴメン、俺が悪かった。高岡城はまさしく百名城に相応しい城です。県内唯一って微妙に不満そうな・・しょうがないじゃん、富山城あんななんだし(これもゴメン)。
車を小竹藪の駐車場に留め、小竹藪から朝陽橋を経て本丸へ。この本丸の堀は幅が広くて、なかなか壮観。本丸は広大な面積があり、広場と射水神社が隣接しています。本丸北側には天守跡と前田利長公の銅像が有ります。実に特徴的な兜ですが、真横から見ると少し変、一番良い角度が斜め前から見上げる感じで・・正面から見ると、そこには「可能性の獣」が!! それでも、それでも・・とつぶやきながら二の丸方面へ向かいます。写真を見ると、なんだかんだで楽しんでいたみたいです。

ん・・? 通った・・どうせなら「ひじかた」を通るようにして欲しいな。

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しんちゃん

富山城 (2025/03/10 訪問)

今週は城攻めはお休みの予定です。ニッポン城めぐりを始めてから、ひっきりなしに飛び回っていたので、たまには休まないとね。
タイヤも夏物に変更して、家の駐車場も直さないと・・。
富山城の写真がまだ残っていました。けっこう飽きっぽい性格で、凝るときには、けっこう凝るんだけど途中で飽きてくると放り出してしまうケースが多いです。典型的なO型なんだけど、プラモと城めぐりだけはダラダラと継続してますね。最近パソコンの調子が良くないので、一度掲載してから、内容を追加させていただきたいと思います。けっこう頻繁に落ちるんですよ(この数分後にネットの回線が切れる)。そろそろ次のやつを用意しないといけないな。
富山城はかつては三方に二重の水堀を配し、10万石の平城としては規模の大きい城であったようです。神通川が天然の堀として北と西を守り、東はいたち川、南は四ッ谷川が外郭を守っていました。城址公園は史実と異なる形で整備が行われ、縄張も一部変更がされ、かつては土塁で有った個所も石垣で復元されているようです。城好きとしては、かつての姿に近い富山城を楽しみたいという気持ちがありますが、これが現代の富山城だと受け入れるしかないですね。人は城に天守を求めるようで、模擬であれ天守があると人が寄ってきますね。なんだかんだいって、人はみなお城好きということでしょうか?

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赤い城

正法寺城 愛媛県四国中央市 (2025/04/20 訪問)

城びと未登録の山城です。
松尾城から国道を少し南下、林道への登り口にスペースがあるのでここに車を置きます。
この日4城目だったので体力も消耗、無理なら引き返そう、と心に決めて登りました。

少し登った時点で「無理かも」と思いつつなんとか足を進めていきます。
かなりの急勾配ですが林道が付いているのでなんとか登っていけました。
30分くらいでようやく案内板を発見🤩
ここから入ります。
すぐに堀切、さらに先にも深めの堀切があり、この堀切は竪堀となり登城路に向けて落ちています。

ここから堀切を直登し四郭へ、土塁が付いています。
4郭と3郭の間にも郭を隔てる堀切があり、端に土橋がかかります。
広い3郭には井戸もあったようです。
2郭は一段高く、その先が主郭です。
その背後は急な崖で守られていました。

脚力は限界を迎えていましたが登って良かった、と。
達成感に浸りながら下山。
先ほどの長い竪堀を降ります。
下部には畝状竪堀も施されていました。
未登録ですが見応え充分、機会があれば行って欲しい城でした。

【見どころ】
 ・堀切から落ちる長い竪堀と付属する畝状竪堀
 ・3郭と4郭の間の堀切と土橋

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Tokyobay

日本橋の表記ミステリーに感動 (2025/04/19 訪問)

日本全国の橋は、日本橋(橋の起点)方面が漢字表記、日本橋逆方面がひらがな表記となっている(とタモリかキンシオが言っていたような)。じゃあ、日本橋はどうなっているのかと言うと、両サイドが漢字ひらがな両面表記という起点ならではの唯一の扱いになっていることに感動する。
ちなみに、「日本橋」の字を書いたのは徳川慶喜でかなり達筆。東京五輪の突貫工事で「日本橋には空がない」と批判されるが、2040年には地下化で空が誕生するようで、まだまだ変貌する江戸城下町を見届けたいと思った次第。

※ 日本橋は錦絵に多く描かれているので関心あれば国会図書館サイトで
 https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/nihonbashi/

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小城小次郎

案内板が吉川愛に溢れている (2022/06/05 訪問)

駐車スペースも確保され楽々登城かと思いきや時期を間違えると草ぼうぼうの憂き目に遭う。鳥取で散った吉川経家を送り出した城だからか案内板からして吉川愛に溢れている。

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キンヤ

幻の帰雲城、遺跡登録された帰雲川原城 (2025/04/20 訪問)

寛正年間(1460〜1466年)に内ヶ嶋為氏が築城し、この地域を支配した内ヶ嶋氏の居城です。
内ヶ嶋氏領内の白川郷の周囲に6ヶ所の金山があり、4代氏理の時、天正13年(1585年) 7月に羽柴秀吉の命で金森長近による飛騨攻めで敗北しましたが、金を蓄えていたため秀吉は内ヶ嶋氏を許し領地の経営を認めたともされます。
その後、天正13年(1585年)11月29日に天正大地震が起き、帰雲山が崩壊し帰雲城とその城下集落が埋没し、内ヶ嶋氏は滅亡したと伝わります。
埋没前の帰雲城の位置は不明で幻の城と言われ、地震で城の崩壊と共に蓄えていた金も地中に埋まったとされる埋蔵金伝説があります。

地元で推測した場所に帰雲城趾の石碑、観音像などが建てられ、帰雲山が望め生々しい崩落した山肌が見え、歴史ロマンを感じます。

消えた戦国の城として帰雲城が、テレビ愛知で2019年、2021年、2022年の3回に渡り放送され、帰雲城の館があったと考えられる場所を3回発掘調査し、木片・馬の骨・金属片が発見されました。
石碑がある所から南南西側600m程離れた所に発掘調査された場所があり、立ち入りできませんが、そばの道から見ることができます。

その発掘調査場から北側へ400m程離れた所にある高台は、帰雲城の館とセットの山城とされ、見張りをする櫓があったと想定されてます。
番組の中で千田教授・中井教授が城跡と認めた山城として紹介され、2021年に「帰雲川原城跡」として遺跡登録されました。
東側に櫓台とされる高台があり、その西側に2条の堀切があり、1条目の堀切から北側に竪堀が続いてます。
この日、内ヶ嶋氏の本城である帰雲城以外で3ヶ所の支城と1ヶ所の砦を巡り、堀切はV字の薬研掘や深い空堀でしたが、ここは浅く幅がある堀切で少し違和感がありました。
街道を抑える高台の立地で見張り用の砦と思われ、最近登録された城跡を確認でき良かったです。

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しんちゃん

闘鶏神社 熊野水軍 (2025/03/30 訪問)

闘鶏神社は通称「権現さん」と呼ばれ、祭神には熊野三山の神も勧請されており、三山の代わりに詣でる別宮的な存在でもあります。境内には21代・熊野別当である湛増と武蔵坊弁慶の像があります。
湛増は18代別当・湛快の次子とされ、妻の母に当たる「たつたはらの女房」は源為義の娘とされています。伝承では、あの武蔵坊弁慶の父親ともされています。境内の石碑によると、一ノ谷の合戦が過ぎたころから熊野水軍の頭である湛増に対する引き合いが源平双方から強まり、義経の命を受けた弁慶の説得も有り、湛増は白い鶏七羽と赤い鶏七羽を戦わせ神意を確認します。
源氏に味方する決意を固めた湛増は総勢二千余人、二百余の舟に乗って壇ノ浦に出陣、源氏の勝利に大きく貢献したとのことです。
ちなみに赤白どちらの鶏が勝ったかですが、白は源氏のイメージカラーなので、ご想像の通りではないでしょうか。
境内には紀州徳川家に仕えた安藤直次公(藤巌公)を祭った藤巌神社と、弁慶社があります。また、西に少し行った先の扇ヶ浜の緑地には熊野水軍出陣の地碑があります。伝承が本当なら弁慶はMVP確定ですね。

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朝田 辰兵衛

夕食後の散歩で…🐾 (2025/04/19 訪問)

夕食後の散歩レベル。特別に緊張感もなく散策できると思います。細長い土塁上に参道が築かれています。

4/26~29の間,遠征に行ってきます。書き込みはお休みします。

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しんちゃん

小松原館 和歌山県御坊市湯川町 (2025/03/30 訪問)

小松原館は戦国時代、日高平野一帯を支配した国人領主・湯河氏の居館です。居城は亀山山頂に築かれた亀山城ですが、「山高くして寒気強ければ」との理由で、平時は麓の居館に住んでいたようです。戦国時代とはいえ、戦の無いときはやはり山上は不便ということでしょうか。湯川神社の境内が館跡で、堀の一部が残っています。
戦国時代と関係はありませんが、紀勢本線の北側に少し行った道の脇に、藤原不比等の養女となり42代文武天皇の后になった宮子姫(かみなが姫)の像があります。

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しんちゃん

新田館 国指定史跡新田荘遺跡 (2025/02/02 訪問)

案内板によると鎌倉時代の世良田は新田荘の経済的、文化的中心地であり新田宗家の館がこの総持寺の境内に築かれていたようです。往時は現在の数倍にあたる面積を有し、南と北に東西に走る濠の痕跡を有し、昭和の初期までは土塁の残存を見ることが出来たそうです。
元弘3年(1333)鎌倉幕府執権・北条高時が世良田の地に莫大な軍資金を課してきた際に、無法な譴責を加えたとして新田義貞は使者の一人を世良田の里に梟首しました。この時、義貞が発した「わが館の辺を、雑人の馬蹄にかけさせることこそ無念なれ」の言葉の内の「わが館」が、この新田館とされています。それだけで首切っちゃうんですかね・・物騒だな。

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飛騨市

4/26(土)~ 山城パネル展示開催!(道の駅アルプ飛騨古川内)

令和6年2月に国史跡に指定された姉小路氏城跡に関連し、飛騨古川の戦国武将と山城を紹介する展示パネルを、道の駅アルプ飛騨古川の情報コーナーに設置しました。

新たに金森氏の増島城や城下町の成り立ちを解説するパネルも加わり、飛騨の歴史をより深く知ることができます。
また、城郭イラストレーター・香川元太郎氏が描いたイラストや、遺作となった未完成のラフスケッチも展示しています。(ラフスケッチの展示は令和8年3月までです)

ぜひお立ち寄りいただき、戦国時代の飛騨に思いをはせてみてください!

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トク

【春の長崎天草を巡る⑦】有明フェリーと島原鉄道 (2025/03/30 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、ここから後半戦です。1日だけ所要で福岡へ戻り、ついでに福岡城さくらまつりを見学してきました。そして島原城を目指し、島原半島へ渡る旅からまた始めます。よろしくお願いします。

鹿児島本線で博多から長洲へ行き、長洲港から多比良港(たいら)行きの有明フェリーで有明海を横断して島原半島へ渡りました(写真①②)。デッキに出るとカモメの大群が近づいてきたので(写真③)、「♬かもめの水兵さん~♪」などとのんきに歌っていると、こんな至近距離まで近づいて来て、横目で私をじっと見ています(写真④)。隣にいた小さい子が、かっぱえびせんをポイと投げると、見事にナイスキャッチ!(なるほど~🤔)。

多比良港で下船し徒歩5分の所にある多比良駅から島原鉄道に乗りました。「駅」でなく「驛」の文字で、何かちょっとレトロな雰囲気です(写真⑤⑥)。 でもあれ? 切符の自販機がない? 窓口があったので窓口で切符を買うと何とビックリ! これまたレトロな切符を渡されました(写真⑦)。厚紙にハサミを入れるタイプです。50年以上も前のまだ切符の自販機というものが無い、あの国鉄と呼ばれた時代に見たような切符です。まるで昭和へタイムスリップしたような感覚になる驛でした。ちなみにワンマンで運賃箱もあるので、切符を買わなくても現金で乗れます(笑)。

ずいぶん古い明治大正時代の話ですが、この島原鉄道は明治の新橋-横浜間を走った日本最初の蒸気機関車が払い下げられたのを島鉄の創始者が買い取り、ここには邪馬台国があったと勝手に信じ込み、地元の人からは馬鹿にされながらも、蒸気機関車と雲仙と邪馬台国を島原へ呼ぶための観光の目玉にしようと、諫早から苦労して線路を敷き走らせたのが始まりだそうで、「幻の邪馬台国」という映画(竹中直人・吉永小百合さん主演)で、その様子が描かれていました。

島原駅で降り、次は徒歩10分の所にある(6城目)島原城に向かいます。
 

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