かえりくも(きうん)じょう

帰雲城

岐阜県大野郡

別名 : 返雲城
旧国名 : 飛騨

投稿する
登城口
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

イオ

牧戸城(岐阜県高山市荘川町牛丸) (2025/11/16 訪問)

牧戸城(城びと未登録)は主郭と西曲輪・南曲輪の3つの曲輪からなり、ほぼ全周を横堀がめぐっています。金森長近が飛騨攻めで向牧戸城攻略のために築いた陣城とも、川尻氏が築き荘川対岸の向牧戸城と一体になって金森軍に対抗した一城別郭の城ともいわれますが、詳細は不明です。

登城口近くの国道の広い路側帯に駐車して登城開始。お地蔵さんと牧戸城址の案内表示がある登城口から整備された登城道を進むこと約5分で西曲輪の虎口に到達。虎口脇の土塁には内側にも外側にもところどころ石積が見られ、西曲輪内を区画するように(あるいは蔀土塁的に)石塁が設けられています。西曲輪から虎口を抜けて主郭へ向かうと、主郭の全周は土塁と横堀がめぐり、西側と南側に虎口が開口しています。牧戸城址の標柱も立てられていました。南側の虎口から土橋を渡ったところが南曲輪。主郭側を除く三方を土塁と横堀で囲み、南東隅に虎口がある…にはありますが、ずいぶんと浅くなっていました。南曲輪の南斜面は樹木が大規模に伐採されていて、荘川をはさんですぐそこに向牧戸城を見渡すことができます。なるほど、川をはさんでにらみ合う陣城とも、川の両岸を抑えて対抗する一城別郭の城とも、どちらとも考えられる眺めでした。

牧戸城も10分あまりでひとめぐりできる小さな城ですが、綺麗に整備され、虎口や土塁や横堀が状態良く遺っていて期待以上に見応えがありました。城郭放浪記さんで縄張図も公開されていますので、向牧戸城とあわせてぜひ。

…と、ここまでで今回の飛騨遠征(金龍紀行)は終了。広瀬城、高堂城、帰雲城など金森長近が攻略した城ももっとめぐりたかったところですが、おおむね目的は果たせたので残りはまたの機会の楽しみに、ということにしておきましょう。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

向牧戸城(岐阜県高山市荘川町牧戸) (2025/11/16 訪問)

向牧戸城(城びと未登録)は、室町中期に内ヶ島為氏が荘川と御手洗川の合流点に白川郷攻略の拠点として築いた城で、白川郷を攻略して帰雲城を築くと、向牧戸城は家臣の川尻氏信を城主として郡上方面や高山方面からの侵攻に備える出城としました。金森長近の飛騨攻めでは最初の戦場となり、一度は金森軍を撃退しましたが、郡上の遠藤氏が加わった金森軍の再攻撃により落城。川尻氏は長近に仕え、向牧戸城は廃城となったようです。

登城口前の駐車スペースから登城開始。登城口には向牧戸城址の説明板や標柱が立てられています。登り始めてすぐに主郭と南の出曲輪を隔てる堀切に到達。出曲輪は藪に覆われていましたが、主郭側は「荘川であいの森」として整備され、主郭南下の腰曲輪(城門広場)には代々城主を務めた川尻家の墓が移設されています。主郭には模擬望楼が建てられていますが、立ち入れる状態ではありませんでした。そして主郭から帯曲輪を抜けて北側の曲輪(未整備)を確認して、向牧戸城をひとめぐり。

現状では10分あればひとめぐりできる小さな城ですが、南側を除く三方を川に囲まれ(南側は堀切)、かつては金森長近が苦戦するほどの堅城だったんだろうな、と感じた向牧戸城でした。雪に閉ざされて撤退を余儀なくされたニッポン城めぐりのツアーから約1年。ようやくリベンジを果たすことができました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

幻の帰雲城、遺跡登録された帰雲川原城 (2025/04/20 訪問)

寛正年間(1460〜1466年)に内ヶ嶋為氏が築城し、この地域を支配した内ヶ嶋氏の居城です。
内ヶ嶋氏領内の白川郷の周囲に6ヶ所の金山があり、4代氏理の時、天正13年(1585年) 7月に羽柴秀吉の命で金森長近による飛騨攻めで敗北しましたが、金を蓄えていたため秀吉は内ヶ嶋氏を許し領地の経営を認めたともされます。
その後、天正13年(1585年)11月29日に天正大地震が起き、帰雲山が崩壊し帰雲城とその城下集落が埋没し、内ヶ嶋氏は滅亡したと伝わります。
埋没前の帰雲城の位置は不明で幻の城と言われ、地震で城の崩壊と共に蓄えていた金も地中に埋まったとされる埋蔵金伝説があります。

地元で推測した場所に帰雲城趾の石碑、観音像などが建てられ、帰雲山が望め生々しい崩落した山肌が見え、歴史ロマンを感じます。

消えた戦国の城として帰雲城が、テレビ愛知で2019年、2021年、2022年の3回に渡り放送され、帰雲城の館があったと考えられる場所を3回発掘調査し、木片・馬の骨・金属片が発見されました。
石碑がある所から南南西側600m程離れた所に発掘調査された場所があり、立ち入りできませんが、そばの道から見ることができます。

その発掘調査場から北側へ400m程離れた所にある高台は、帰雲城の館とセットの山城とされ、見張りをする櫓があったと想定されてます。
番組の中で千田教授・中井教授が城跡と認めた山城として紹介され、2021年に「帰雲川原城跡」として遺跡登録されました。
東側に櫓台とされる高台があり、その西側に2条の堀切があり、1条目の堀切から北側に竪堀が続いてます。
この日、内ヶ嶋氏の本城である帰雲城以外で3ヶ所の支城と1ヶ所の砦を巡り、堀切はV字の薬研掘や深い空堀でしたが、ここは浅く幅がある堀切で少し違和感がありました。
街道を抑える高台の立地で見張り用の砦と思われ、最近登録された城跡を確認でき良かったです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

なんとか正解‥  ありがとうございます。。 (2024/10/13 訪問)

ぴーかるさんは赤い城さんのクイズと相性が良さそうなのでいいですね。私は赤い城さんの投稿を3時間くらい追いかけたぐらいで意識が遠のきかけて来ました。唐沢山城の古い方の投稿を見つけた時は帰雲城の財宝を見つけたような気分でした。

投稿記事を書いている間に赤い城さんの、お返事を頂きました。やはり初見で「マイッタ」はしたくないので。これで耐性が出来たので、次は早めにギブアップするかも(笑)。石垣と猫に目尻が下がっていた私には耳が痛い‥。いずれ再訪する際には「千騎が入」「二重堀切」「例の土橋(‥)」もぜひ訪問したいと思います。関東はコンプしやすいですか‥ さらっとすごいことおっしゃる。
私は東海道にこだわりがあるので、もちろんトライさせていただきます(まずは西の国から)。

一時期テレビで「幻の城」帰雲城を盛んに取り上げていたころが有りました。その比定地らしき場所にも寄ってきました。
工事現場から道が続いていますが休日は休みのようです。入って見ると、いつの頃のものやらわからない石積みがいっぱいある。藪がきつくて丘の上は見通しが悪いです。なかなかのカオスです。堀切かな~?と思う場所もありますが、草を刈って公開してくれないかな~。
※1

※1 おこられるといけないので削除しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 内ヶ島為氏
築城年 寛正年間(1461〜1466)
主な城主 内ヶ島氏
廃城年 天正13年(1585)
遺構 消滅
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県大野郡白川村保木脇(地図は石碑の場所を示す)
問い合わせ先 白川村役場
問い合わせ先電話番号 05769-6-1311