続日本100名城

とやまじょう

富山城

富山県富山市

別名 : 安住城、浮城
旧国名 : 越中

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富山城
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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/07/13 訪問)

※富山城、高岡城とともに登城
7:20東京(新幹線)、9:30,9:44富山(路面電車)、9:49丸の内 ※徒歩でも約20分
 (徒歩2分)富山市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30 7/13休館)
10:46富山(JR)、11:03高岡
 (徒歩13分)高岡市立博物館(百名城スタンプ 9:00-16:30月休)
12:51高岡(JR)、13:13砺波
 (徒歩15分)道の駅となみの郷内砺波市観光協会:レンタサイクル
 (5.1km)砺波埋蔵文化センターしるし(続百名城スタンプ 9:00-17:00月・第三日休)
  ※増山城跡・増山陣屋経由17.6km
16:47砺波、17:13,18:06新高岡(新幹線)、18:20金沢

※JR東日本 北陸フリーパス利用

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くうくう

巨石が混じる石垣と堀に郷土博物館の模擬天守が映える

天文12年(1453)神保長職が築く。最近の発掘調査では室町前期の遺構が見つかり創建は更に古いと考えられている。北陸街道と飛騨街道が交わる要衝の地で神通川を守りに利用した浮城だった。江戸期は加賀藩前田氏の分家が10万石で領した。
現在の天守は本丸鉄門跡の石垣上に複合連結式望楼型3重4階で昭和29年(1952)富山産業大博覧会時に建てられた模擬天守。郷土博物館として利用されている。また東側には移築されてきた現存の千歳御門がある。

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WEST

富山城探訪 (2023/10/11 訪問)

富山城は市街地にあり、非常にアクセスしやすいお城です。駐車場も城址公園の地下にあります。
見どころは、創建当初から残る唯一の建造物である千歳御門と天守付近にある鉄御門の鏡石です。これらを含めて比較的短時間の散策でお城の雰囲気を堪能できると思います。
なお、天守は郷土博物館を兼ねた模擬天守ですが、天守ファンにはうれしいですね。

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しんしんちゃん

白亜の模擬天守がそびえたつ。 (2021/11/18 訪問)

富山城は北は神通川に接し、かつては本丸を中心に、西に西之丸、東に東出丸、南に二の丸
そして北側を除く三方を取り囲むように三之丸が配されていましたが、今では本丸と二の丸が
城址公園と整備され、それ以外の郭は市街地となっています。本丸には模擬天守である
郷土博物館が置かれ、南側には堀が配されています。
千歳御門の両側には石垣が建ちますが、南側は平成の時代に築かれたもののようです。
富山城は天文12年(1543)この地方で勢力を持っていた神保長職が家臣の水越勝重に命じて築かせた
とされています。(さらに古いとする説もあり)永禄3年(1560)に椎名氏を支援する上杉謙信に
攻められ富山城に火をかけ逃亡、上杉氏に降伏するも長職は富山城を失います。
後に息子の長住が織田信長の支援で河田長親、椎名小四郎ら上杉氏の越中勢を退け、大勝城、富山城を
奪い返します。しかし長住は小島職鎮、唐人親広らに城を奪われ失脚したものと思われます。
その後、織田勢により富山城は奪還され、佐々成政が城主となり、大規模な改修が行われたそうです。
関ヶ原合戦後は前田利長の隠居城として大規模な工事が行われますが、慶長14年(1609)建物の主要部
をことごとく消失したため、高岡城を築いて移り、富山城には家臣の津田義忠が入ったとのことです。
その後は加賀藩3代前田利常が次男、利次に10万石を与えて分家とし、富山藩が成立。富山城を
居城としたということです。

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城郭情報

城地種類 梯郭式平城
築城年代 天文12年(1543)
築城者 神保長職
主要城主 神保氏、佐々氏、前田氏
近年の主な復元・整備 佐々成政、前田利次
天守の現況・形態 複合連結式望楼型[3重4階/1954年築/RC造模擬]
主な関連施設 模擬天守、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 富山県富山市丸の内
問い合わせ先 富山市郷土博物館
問い合わせ先電話番号 076-432-7911