続日本100名城

とやまじょう

富山城

富山県富山市

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富山城
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ブラタヌシ

冬とお城 (2018/01/14 訪問)

石垣にまとわりつく雪が良い景色となっています。

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朝田 辰兵衛

城址公園はとても良く整備されていると感じました。 (2018/04/28 訪問)

主役はやはり,千歳御門でしょう。富山城唯一の創建当初の建造物なので。ということで,画像は門の間からモギテンが見えるという,アングルが正統なのかと思います。

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夏の雪だるま

佐々成政の城 (2016/07/29 訪問)

富山県の富山城です。1543年神保氏が家臣水越氏に命じてこの地に築城したのが始まりとされます。そして神保氏の居城となり、越後の上杉氏に抵抗する拠点となっています。1576年上杉謙信に富山城は攻略され謙信の家臣が城代となりますが、1578年上杉謙信が亡くなると上杉氏の跡目争いにより混乱するなか、神保氏は織田氏の援助を受け富山城を奪還。しかし、上杉氏に内応した家臣に幽閉され、これを織田氏の家臣佐々成政が攻略54万石で富山城に入城し城を大改修してます。しかし本能寺の変により柴田勝家方であった佐々氏は1585年豊臣秀吉7万の大軍の前に降伏、九州へ転封となり所領は前田氏が掌握。1595年前田利家が加賀・能登・越中三カ国を領有し、1597年利家の子の利長が富山城へ入城。1599年利長は加賀藩主となったことから金沢城へ移城し、富山城へは城代を置いてます。1605年利長が隠居し新川郡22万石を隠居領として再び富山城へ入っています。しかし、1609年城下から火が出て城は類焼したため高岡城を新たに築き利長が居城としています。1639年二男利次に10万石を分封し富山藩が成立、利次は富山城を修復し1661年居城としています。1690年二代藩主正甫は参勤交代で江戸城に登城した時、ある大名が腹痛で苦しんでいたため懐中にあった反魂丹という薬を与えたところたちどころに治り、これを見た多くの諸大名が反魂丹を買い求めたため、正甫の命で諸国に行商させたのが富山の薬売りの始まりとされます。城は神通川を北の守りとし本丸の南に二の丸、東西に出丸、その周りに三の丸を配し、周囲に神通川と水堀が廻り、東西700m南北600mの規模で天守閣は築かれなかったとされます。城跡は現在大部分が市街地に呑み込まれ、本丸と西の丸、二の丸の一部が富山城址公園となり唯一の遺構として千歳御門、千歳御門南側に復元石垣、模擬天守の博物館、三層櫓外観の美術館、水堀などが整備されています。

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たかりん

キレイになってた富山城 (2018/05/03 訪問)

大手門跡の虎口の石垣の上という妙な位置に築かれた天守は当然、模擬天守で富山市郷土博物館です。20年くらい前にいった時はなんかもっと壁が煤汚れていて、ある意味衝撃を受けた記憶がありました。明らかに近年お色直しした感じがあるんで、記憶違いではないようです(笑)。新たな発見は、これが国登録文化財ということ。もちろん城としてでなくS29年製の博物館としてです。中の展示も最近リニューアルしたような形跡があり、富山城の大きな無着色ジオラマをプロジェクションマッピング(?)的な投影で色をつけて当時の姿が浮かぶという近代的な仕掛けあり。基本は土塁の城で天守はなく本丸には御殿のみ、南面に二の丸、東西にそれぞれ出丸が配置され、各方向から橋で本丸とつながっていたようです。なお、周囲から浮いた感じのある赤瓦の千歳御門は数少ない現存建物です。

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イベント情報

  • 2019年02月02日(土)~2019年04月14日(日)

    富山城

    企画展「富山の街並みプレイバック」

    富山市の中心繁華街は、江戸時代の城下町を貫いていた北陸街道沿線の商人町を起源としています。明治時代になると総曲輪通りが成立し、一帯は「富山銀座」として賑わいをみせます。企画展では、近年再開発が進み急激な変貌をとげる富山市中心市街地の変遷を、地図や写真を用いて紹介します。開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで。3月13日は休館日となります)。入館料:大人210円、高校生以下無料

※ 内容は変更となる可能性があります、予めご了承くださいませ。

城郭情報

城地種類 平城
築城年代 天文12年(1543)頃
築城者 神保長職
主要城主 神保氏、佐々氏、前田氏
主な関連施設 富山市郷土博物館
主な遺構 本丸、西出丸、石垣、堀、千歳御門
住所 富山県富山市丸の内
問い合わせ先 富山市郷土博物館
問い合わせ先電話番号 076-432-7911