続日本100名城

とやまじょう

富山城

富山県富山市

別名 : 安住城、浮城
旧国名 : 越中

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富山城
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赤い城

シンボリックな模擬天守 (2025/04/29 訪問)

北陸旅の最後、富山城へ立ち寄りました。
地下の駐車場に車を置いて千歳御門から入城しました。
唯一現存する建物です。
広い本丸に模擬天守でもある富山市郷土博物館が聳えます。
写真を撮ろうと思いましたが人もいたのでまずは周辺を散策。
美術館のそばの搦手門跡、西出丸をぶらぶら。

博物館前の人も少なくなったので写真を撮ったあと入館、続100名城スタンプを押印してから館内を見学しました。
雨模様だったので最上階からの眺めは今ひとつ。
下りて鉄御門から出ます。
鉄御門は枡形になり、鏡石も置かれています。
外側には南側のみに残された水堀があります。
まだ曇り空でしたが模擬天守と石垣が良く映えていました。
これで続100名城?と言われることもあるようですがそれなりに見どころはあるかな、と。
上杉謙信に攻められたり佐々成政が居城とし秀吉に攻められたり、後には富山藩庁が置かれたりで歴史的にも興味深い城でした。

【見どころ】
 ・千歳御門
 ・搦手門の石垣
 ・鉄御門の枡形と石垣
 ・南側の水堀

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翡翠

初富山です (2025/05/01 訪問)

富山城まで今回は行く事が出来ないと思ってたのですが、なんとか行く事が出来ました。石垣も良かったです。

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しんちゃん

富山城 (2025/03/10 訪問)

今週は城攻めはお休みの予定です。ニッポン城めぐりを始めてから、ひっきりなしに飛び回っていたので、たまには休まないとね。
タイヤも夏物に変更して、家の駐車場も直さないと・・。
富山城の写真がまだ残っていました。けっこう飽きっぽい性格で、凝るときには、けっこう凝るんだけど途中で飽きてくると放り出してしまうケースが多いです。典型的なO型なんだけど、プラモと城めぐりだけはダラダラと継続してますね。最近パソコンの調子が良くないので、一度掲載してから、内容を追加させていただきたいと思います。けっこう頻繁に落ちるんですよ(この数分後にネットの回線が切れる)。そろそろ次のやつを用意しないといけないな。
富山城はかつては三方に二重の水堀を配し、10万石の平城としては規模の大きい城であったようです。神通川が天然の堀として北と西を守り、東はいたち川、南は四ッ谷川が外郭を守っていました。城址公園は史実と異なる形で整備が行われ、縄張も一部変更がされ、かつては土塁で有った個所も石垣で復元されているようです。城好きとしては、かつての姿に近い富山城を楽しみたいという気持ちがありますが、これが現代の富山城だと受け入れるしかないですね。人は城に天守を求めるようで、模擬であれ天守があると人が寄ってきますね。なんだかんだいって、人はみなお城好きということでしょうか?

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しんちゃん

富山市郷土博物館 (2025/03/10 訪問)

富山城天守は富山市郷土博物館として運営がされています。当然、模擬天守で史実とは異なりますが、1954年に富山産業大博覧会に合わせてRC構造で建設された、いわば復興のシンボルで、その意味もこめて国の登録有形文化財に登録されています。
犬山城と彦根城をあわせたような、ちょっと怪しいデザインですが、水堀に浮かぶ姿はなかなか様になっています。博物館としても展示物が充実していて、最上階は展望台になっています。

駐車場のすぐ近くにある千歳御門は嘉永2年(1849)に千歳御殿の正門として建てられました。明治維新の後、郊外に移築されていましたが平成17年に富山市に寄贈され、翌年に富山城址公園に移築され、富山城のもう一つのシンボル的な存在になっています。
形式は三間薬医門とされ、東大の赤門(加賀屋敷御守殿門)と同じ形式になるそうです。そういえば徳川苑にも黒門と呼ばれる、同じような門があるような・・。

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城郭情報

城地種類 梯郭式平城
築城年代 天文12年(1543)
築城者 神保長職
主要城主 神保氏、佐々氏、前田氏
近年の主な復元・整備 佐々成政、前田利次
天守の現況・形態 複合連結式望楼型[3重4階/1954年築/RC造模擬]
主な関連施設 模擬天守、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 富山県富山市丸の内
問い合わせ先 富山市郷土博物館
問い合わせ先電話番号 076-432-7911