続日本100名城

とやまじょう

富山城

富山県富山市

別名 : 安住城、浮城
旧国名 : 越中

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富山城
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HARU

富山城 (2024/04/12 訪問)

令和6年4月12日、富山旅行の2日目に訪れました。
この日最初に「高岡城」をみてから移動、続日本100名城の「富山城」を訪ねました。
加賀前田家二代当主前田利長は、利家公の後を継ぎ藩主となり、1605年に隠居して「富山城」に移りましたが、大火により城が焼失し、「高岡城」をつくりました。
この日は富山城を守った神通川の名残り「松川」を巡るクルーズで「日本さくら名所100選」のサクラのトンネルを楽しんだ後、富山城址公園の「富山市郷土博物館」で富山城の歴史を学び、園内の石垣や堀から当時の面影をみてきました。

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キンヤ

石垣で見所が多く、模擬天守が立派な城 (2024/05/06 訪問)

佐々成政の城ということで、さらさら越えも有名で、行きたかった富山城に初めて行きました。

天文12年(1543)に神保長職が築城し、天正10年(1582)に佐々成政、慶長10年(1605)に前田利長が城主となり、明治に至るまで富山前田家の居城となりました。 

成政は羽柴秀吉軍の討伐を受け中世富山城は破却され、現在見られる近世富山城は前田利長が改修・整備したとされます。
残念ながら成政時代の遺構は見られませんが、発掘調査で中世の富山城の堀跡などが見付かり、模擬天守内の富山市郷土博物館に出土した戦国期の茶臼やかわらけなどが展示されてました。

本丸・西之丸があった所は富山城址公園として整備されており、模擬天守(富山市郷土博物館)が建てられています。鉄門枡形・多聞櫓の石垣の上に附櫓と小天守が附属し建ってますが、結構しっくり来て綺麗で、国の登録有形文化財にもなっています。

1番の見所は、本丸の鉄門枡形・多聞櫓の石垣で見応えがあります。富山城の石垣の多くは野面積みですが、鉄門枡形内では布積みが見られ、鏡石が6つと多くあり珍しいです。刻印を探すといくつか見付かり楽しいです。西側の石垣は概ね当時の姿のようですが、東側の石垣は模擬天守工事の際に積み直しがされているようです。

本丸の搦手門周辺にも石垣がありますが、多くは明治時代以降に積み直しがされているようです。石垣の上には天守風の佐藤記念美術館が建てられています。

搦手門の南側には唯一の現存建物の千歳御門が移設されています。

思っていた以上に石垣で見所が多く、模擬天守はなかなか立派で楽しめました。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2022/07/13 訪問)

※富山城、高岡城とともに登城
7:20東京(新幹線)、9:30,9:44富山(路面電車)、9:49丸の内 ※徒歩でも約20分
 (徒歩2分)富山市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30 7/13休館)
10:46富山(JR)、11:03高岡
 (徒歩13分)高岡市立博物館(百名城スタンプ 9:00-16:30月休)
12:51高岡(JR)、13:13砺波
 (徒歩15分)道の駅となみの郷内砺波市観光協会:レンタサイクル
 (5.1km)砺波埋蔵文化センターしるし(続百名城スタンプ 9:00-17:00月・第三日休)
  ※増山城跡・増山陣屋経由17.6km
16:47砺波、17:13,18:06新高岡(新幹線)、18:20金沢

※JR東日本 北陸フリーパス利用

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くうくう

巨石が混じる石垣と堀に郷土博物館の模擬天守が映える

天文12年(1453)神保長職が築く。最近の発掘調査では室町前期の遺構が見つかり創建は更に古いと考えられている。北陸街道と飛騨街道が交わる要衝の地で神通川を守りに利用した浮城だった。江戸期は加賀藩前田氏の分家が10万石で領した。
現在の天守は本丸鉄門跡の石垣上に複合連結式望楼型3重4階で昭和29年(1952)富山産業大博覧会時に建てられた模擬天守。郷土博物館として利用されている。また東側には移築されてきた現存の千歳御門がある。

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城郭情報

城地種類 梯郭式平城
築城年代 天文12年(1543)
築城者 神保長職
主要城主 神保氏、佐々氏、前田氏
近年の主な復元・整備 佐々成政、前田利次
天守の現況・形態 複合連結式望楼型[3重4階/1954年築/RC造模擬]
主な関連施設 模擬天守、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 富山県富山市丸の内
問い合わせ先 富山市郷土博物館
問い合わせ先電話番号 076-432-7911