2022夏の青春18キップ15日目:桜井城
(2022/08/03 訪問)
安祥古城からの転戦です。桜井駅より徒歩10分くらいで、城山公園入口(34.920872、137.092436)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、小浦喜平次忠重によって築かれました。
忠重は伊豆国から地頭としてこの地に移り住んでいましたが、文明年間(1469年〜1487年)に松平信光が安祥城を落とし居城としたことで、その家臣となりました。
松平親忠(松平信光の三男)は、はじめ四男の親房を城主としましたが、親房に子がいなかったため、松平長親の三男信定が養子となり、桜井松平氏の祖となりました。
1530年(享禄3年)宇利城攻めに参陣した信定は、兄福釜松平親盛とともに大手より攻撃したが、親盛を救援せず親盛が討死したことで清康の怒りをかったそうです。
信定はこれを恨み清康が尾張国守山へ進軍したときも、上野城より動かず、信定の子清定の妻が織田信秀の妹ということもあって、織田方へ内通したとの噂がたちました。
清康が尾張国守山で家臣に殺されると、信定は松平宗家の乗っ取りを企て、清康の子広忠は一時岡崎を離れて流浪しました。
1590年(天正18年)徳川家康の関東移封にともない、桜井松平氏は武蔵国松山へ10,000石で移封となり廃城となりました。
現在は城山公園として、一部残存している土塁の上に石碑が建っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=本證寺を目指す為、電車で桜井駅から南桜井駅に向かいます。
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