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ホリタカ

風鈴が綺麗でした (2025/05/02 訪問)

復原町並では風鈴が飾られていました

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掛洞城(岐阜県本巣市) (2025/05/03 訪問)

 掛洞城は祐向山城から南東に伸びる尾根を下ったところにある城址です。城びとには未登録の城址です。尾根を中心に曲輪が展開し東西の端に堀切を設けて防御しています。土塁、曲輪跡、他の尾根にも堀切がありました。この城も歴史がよくわかっていないようです。位置的には祐向山城の出城のように思います。

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ホリタカ

急階段が近道 (2025/05/02 訪問)

西口の急階段が近道です。天守内の階段は装飾されてフォトスポットになってます

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祐向山城(岐阜県本巣市) (2025/05/03 訪問)

 竹中半兵衛に稲葉山城を追われた斎藤龍興が逃れた城と伝わる城です。城びとには未登録の城址です。法林寺城から尾根伝いに登城しました。途中に堀内障壁を伴う2本の堀切があります。その先に曲輪跡を観ることができます。
なぜ、斎藤龍興はこの城へ逃げ込んだのかと思っていました。大永七年、斎藤道三(当時は長井新九郎利政)は土岐政頼を追って頼芸が美濃守護となりました。その恩賞で斎藤道三は祐向山城主となっています。今は面影があまり感じられませんが、当時はそれなりに整備された城であったと思われます。

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しんちゃん

テンガ城 北九州市戸畑 (2025/05/03 訪問)

北九州市に来ています。天賀城は天賀氏の城です。
城びとの城ではありませんが、なんとなく気になったので。台地の中腹に築かれていて、遺構は残っていませんが菅原神社の向かい側にある菅原公園に天賀次郎三郎永行の墓がありました。昨日は23号線の渋滞がエグくて移動だけでいっぱいいっぱいでした。伊勢神宮混んでるだろうな~。

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法林寺城(岐阜県本巣市) (2025/05/03 訪問)

 山口城から東北に尾根筋を歩いて行くと法林寺城に行くことができます。城びとには未登録の城址です。望郷の展望台として整備され防災通信施設が建てられていました。途中に堀切があります。主郭に西側に降りたところにも堀切がありました。東側に下りたところにも堀切がありましたが、浅くなっていました。登城路はハイキングコースとして整備されています。

 歴史は記載してある記事など見つけられず詳細不明です。

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山口城(岐阜県本巣市) (2025/05/03 訪問)

 岐阜県本巣市にある城址で茶人としても有名な武将古田織部正重然が生まれた城と伝わっています。城びとには未登録の城址です。
文殊の森公園の駐車場からしばらく舗装された道を歩くと登城口があり山口城址の石碑がありました。その石碑から登って行くと迷うことなく城址へ行くことができます。途中に中の城があり山口城の出丸と考えられています。削平地以外に遺構はないと思いますが、展望台が設置されていて眺めはよかった。
中の城から少し登ると主郭に行くことができ主郭には説明板がありました。周囲には帯曲輪が配置されていて、少し下ったところに井戸跡もありました。

 登城口の石碑には山口城址の横に城主 梶原景時の記載がありました。江戸時代初期の『美濃国諸旧記』に鎌倉時代初期に梶原景時が城主であったと記されているためですが、否定的な説もあるようです。石碑の裏に古田織部生誕の地と書かれていました。

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いんげん丸虫

鎧ヶ崎城 秋田県仙北郡 (2025/04/27 訪問)

よろいがさき 
140mの山城です。
道路、民家前に看板があります。
楕円形のほぼ単曲輪のような主郭
の周囲に畝状竪堀がひとまわり、
全周取り囲んでます。
長さは無い小さな竪堀で経年変化、
藪化でわかりにくくなってますね。
とても面白い遺構ですが、写真で
はさっぱりわからない。。

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Tokyobay

小峯御鐘ノ台中堀切の「クランク」が素晴らしい (2025/03/09 訪問)

中堀切部分は道路になっているので歩ける。横矢掛りできるように堀がクランクになっているのがよくわかる。また、東堀と連結している構造が珍しく、入り組んだ堀により敵を翻弄する狙いがあると思われる。尚、中堀と東堀の間は通行禁止になっている。中堀に比べて東堀がかなり深いので安全対策のためだろう。観光客が増えると立ち入り禁止になる部分が増えてくるのがもどかしい。自分もその一人なので、文句を言える立場にないのだが。

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宗春

ゴールデンウィークに地元の友人と日帰りで近江の城を攻めよう その③ 八幡山城 (2025/05/01 訪問)

ゴールデンウィークに帰省し、地元の友人と日帰りで近江の百名城・続百名城のうち未攻略の3城を攻めてきました。最後は八幡山城。

一日に山城3つは無理がありました。既に体力は限界。幸いな事に八幡山城は頂上付近までロープウェイで行けましたので、何とか攻略出来ました。

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり⑧ (2025/04/27 訪問)

津久毛橋城からの転戦です。安倍貞任ゆかりの城のようですね。しかも現在のダムの位置に岩石や丸太を積んで水をためて戦ったとは。敗退したとはいえ、その発想は見事というほかはありません。今回の宮城の城めぐりでは、至る所で美しい春紅葉を目にしていたのですが、城の写真になかなか入ってくることがありませんでした。ここより美しい春紅葉は幾つもあるのですが、このあたりで春紅葉の写真も投稿させていただきます。

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宗春

ゴールデンウィークに地元の友人と日帰りで近江の城を攻めよう その② 安土城 (2025/05/01 訪問)

ゴールデンウィークに帰省し、地元の友人と日帰りで近江の百名城・続百名城のうち未攻略の3城を攻めてきました。2城目は安土城。

観音寺城攻略後、昼食を食べて体力を回復して安土城の石段に臨みました。しかし流石に信長公の城、体力はあっという間に消耗してしまい、へろへろになりながら天主に辿り着きました。

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宗春

ゴールデンウィークに地元の友人と日帰りで近江の城を攻めよう その① 観音寺城 (2025/05/01 訪問)

ゴールデンウィークに帰省し、地元の友人と日帰りで近江の百名城・続百名城のうち未攻略の3城を攻めてきました。最初は観音寺城。

朝食を取らずに早朝6:30に名古屋を出発し、予備知識を殆ど入れずに行ってしまったのですが、なかなかの山城で、大石垣に辿り着く頃には汗だくで疲労困憊でした。あと二つも山城が残っているのに最初から体力を消耗してしまいました。ただ、大石垣は一見の価値があると思いました。

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トク

【春の長崎天草を巡る⑪】島原から天草へ (2025/04/01 訪問)

春の長崎を巡る旅、島原(原城)から天草(大矢野島)までのルートです。

カズさんの鈴木重成の投稿で思い出し、急に富岡城も見たくなったので、原城の島原半島からフェリーで天草へ渡り、大矢野城、本渡城を経由して富岡城までを目指す事にしました。

原城からまた同じバス加津佐行で島原半島南端の口之津港で降り、そこから島鉄フェリーに乗り30分鬼池港に到着です(写真③④)。口之津はヴァリニャーノ神父が日本で初めて上陸した場所だそうです。ヴァリニャーノ神父と言えば、日本を去る時、織田信長が安土城に松明を飾って盛大に見送った話は有名です。でも上陸地点はここ口之津だったのですね。上陸して島原領主の有馬晴信に出会ってここで布教を許され、セミナリヨを建て修道士を養成しながら3年間を過ごし、キリスト教を広めて行きます。それで島原の領民は大半がキリシタンとなったのです。それから大村(大村純忠)や豊後(大友宗麟)や京(高山右近)などに立ち寄りながら、安土の信長に会いに行ったようです(写真①)。

口之津港の2階には歴史資料館があり、キリスト教との関わりや有馬時代のポルトガルとの貿易の歴史や、明治時代には石炭積出港として栄えた歴史などが紹介されていました。出航までちょっと時間があったので見学しました(写真②)。

また鬼池(苓北町)は、天草四郎が天草から島原へ渡った地でもあります。鬼池港には銅像がありました(写真⑥)。フェリーの上からは原城が見えました(写真⑤)。天草四郎も船上からこの景色を眺めながら、あそこへ渡ったという事になります。感慨深い景色でした。

そして鬼池港からバスに乗って本渡へ行き、本渡バスセンターで熊本行の快速あまくさ号に乗り換え、天草五橋の途中の大矢野島で途中下車して、「天草温泉ホテル亀屋」(写真⑦)に宿泊しました。露天風呂は地下1000mから汲み上げた太古のにがり成分を含む美肌の湯だそうで、確かに男の私でも肌がつるつるになりました。ここ大矢野島は天草四郎が生まれ育った場所だとされています。ならば私も四郎のような美少年に戻れるかも🤔?(笑) そして海を眺めながらの露天風呂を堪能した後は、レストランでの海の幸バイキング! これはもう最高でした😊(写真⑧⑨⑩)。

ホテルの近くには「大矢野城」と「天草四郎メモリアルホール」があるようなので、明日はそれらと本渡城を見学してから富岡城へ向かおうと思います。
 

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とってぃ

いい天気でした。 (2025/05/03 訪問)

いい天気で、巡りやすかったです。

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コウマくん

見事な破風とひこにゃん (2025/04/19 訪問)

駐車場からひこにゃんソングが流れ城内に入るとひこにゃんがお出迎え。やっぱりアイドル可愛い。天秤櫓の橋を通り門を抜けて天守閣へ。入母屋破風、切妻破風、唐破風と多種多様な破風の天守閣は見事でした。現存の木造は当時の趣きを実感でき素晴らしかった。

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とってぃ

ツツジか綺麗でした。 (2025/05/03 訪問)

旅行のついでに。
ツツジなど花が綺麗でした。
GWでクイズラリー?のイベントをしていて、
全問正解の御城印ももらいました。

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チェブ

新しい『真武根陣屋遺址』に、おめでとう。 (2025/05/01 訪問)

東京の端っこからアクアラインを使って「真武根陣屋」に着陣しました。
写真を写して退陣する予定だったので、目の前にある霊園の駐車場をお借りしました。
石碑と説明板がありました。

「真武根陣屋」は1850年、林 忠旭さんが築いたそうです。遺址には、もう少し古い林家の歴史が刻まれてます。
『真武根陣屋遺址』の裏手は写真③のような広場。ここに陣屋があったのでしょうか?

遺址の裏側にも、何やら刻まれてます。
発起人のお名前があり、室。家老、重臣、陣屋建築棟梁のお孫さんたちのお名前。
令和元年に倒壊し、令和5年4月に再建したようです。
ふ~ん。て、この前じゃん!(もう令和7年になっていた事に、この時は気付いてません)

俄然、林家に興味が湧いてきました。
林 忠旭さんの子、忠崇さんは『最後の大名』と言われたようです。
取り潰された大名は多いけど、自ら藩主を捨てた大名は、忠崇さんだけなんだとか。
戊辰戦争の時には新政府軍に抵抗し陣屋を焼き払い出陣します。大政奉還があり、蟄居。
その後いろいろあり、忠崇さんは豊島区のアパートで94歳でお亡くなりになりました。
江戸、明治、大正、昭和まで、大変なご苦労があった事でしょう。

『真武根陣屋遺址』を再建した発起人の方々のおかげで、4時代を駆け抜けた先人に出会う事ができました。
私は、昭和、平成、令和を颯爽と駆け抜けて来たであろうか?
ブレブレの人生を見つめ直し、恥ずかしくなった「真武根陣屋」攻めでした。

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いんげん丸虫

元本堂城 秋田県仙北郡 (2025/04/27 訪問)

170mの山城です。
長く伸びた尾根上を主郭を中心に
数本の堀切で遮断してます。
道路、"みずほの里ロード"に看板
があります。そこに駐車可能です。
特に整備はされてませんが、登り口
に地元の方が作成した小さな表記が
あります。

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ホリタカ

午後だと逆光 (2025/05/01 訪問)

昼下がりに着いたのですが、ちょうど逆光になっちゃいました

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