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イオ

【赤色立体地図かるた】 (2021/11/21 訪問)

小谷城 ふたつの尾根に 曲輪群
(おだにじょう ふたつのおねに くるわぐん)

小谷山頂の大嶽から南東と南西にのびる二つの尾根に多くの曲輪群を連ねた巨大山城で(といっても南東尾根が中心で南西尾根には2つくらいですが)、南東尾根から大嶽を経て南西尾根までひとめぐりしたのはとても充実した一日でした。
 

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赤い城

龍福寺 (2025/07/13 訪問)

久しぶりの通常レポートになります。
前回レポートした広島から山口まで足を伸ばし大内氏館へ。
まずは大路ロビーで続100名城スタンプを押印、まだ49城めです。

館跡には大内義隆の菩提寺である龍福寺が建っています。
東側には庭園の跡や石組みかまどなども復元整備されています。

東側の開口部から外に出て外周を歩きました。
北側は土塁が復元整備されています。
西側にまわると西門も復元されています。

大内氏は北九州から中国地方まで支配した西国一の大名で大陸とも積極的に交流していました。
ここはその経済的、文化的活動の拠点であったとも言えます。
なんとなくこの周辺は雅な雰囲気を感じます。

【見どころ】
 ・復元整備された土塁

朝田さん、かるた50城エントリーお疲れ様です。
いくつか採用されるといいですね😊
発売を楽しみに待ちましょう!

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todo94

お盆帰省の城めぐり② 2巡目の続100名城スタンプラリー83城目 (2025/08/14 訪問)

赤見城からの転戦です。続100名城のスタンプは4月の吉田城以来、4ヶ月ぶりです。天気は良かったのですが、遠くは霞んでいて富士山は見えずじまいでした。新宿副都心の高層ビル群は見えたんですけれどもね。赤い城さんがクイズに出題されていた土橋の方まで歩いてみたのですが、見つけることができませんでした。またの機会の楽しみに取っておきたいと思います。

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しんちゃん

北の庄城址・柴田公園 (2013/08/23 訪問)

柴田勝家が福井県福井市に築いた北の庄城の天守閣があったとされる場所に柴田公園があり、柴田神社が建てられています。柴田神社の隣には三姉妹神社もあり、しっかり三姉妹やお市さんの人気にもあやかっているようです。
公園内には北の庄城の天守郭の模型や、お市さん、三姉妹の銅像があり、柴田勝家の銅像も鎮座しています。発掘で確認された石垣も見ることができますが、ほんの一部だけです。
とはいえ平成5年からの6回にわたる調査で、幻の存在であった北の庄城の痕跡を確認できたことは大きな意義があると思います。公園のスペースは決して広くはありませんが、城好き・歴史好きには外せないスポットです。

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原胤清 (2025/08/21 訪問)

 京成千原線学園前駅より徒歩約15分で北小弓城大手口跡の石碑に行くことができました。そこから5分くらいで空堀が残っている生実神社に行けます。雑草が生えていて少し見にくですが、いい空堀が残っていました。さらに7~8分で主郭であったと伝わる本城公園に行くことができます。
 帰りは柏崎バス停からバスに乗り蘇我駅まで行きました。

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有吉公園 (2025/08/21 訪問)

 有吉公園付近が城址です。遺構はないということです。

 京成千原線学園前駅より徒歩約15分で行くことができます。

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小城小次郎

立川市にある立川氏の立川氏館 (2025/01/12 訪問)

館跡に立つ普済寺の境内にどどんと土塁が残っていて度肝を抜かれる。崖線上のいい感じの立地といい、東京都内で一、二を争う良好な武家居館ではなかろうか。立川市にある立川氏の立川氏館というのもポイント高いと思う。

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武田信長 (2025/08/21 訪問)

 大手口から登城して主郭、北郭などを観てまわり東郭方面へ下りて来ました。曲輪跡、土塁などを観ることができます。民有地もあり竹チップ遊歩道付近をできる範囲で見学しました。
「史跡椎津城跡を守る会」による整備のおかげで気持ちよく散策できます。ありがたいですね。置いてあったパンフレットによると諸説あるようですが、上総武田氏の武田信長が築城したとありました。この武田信長という名前はインパクトが強く、以前から興味を持っていた武将のひとりです。また「南総里見八犬伝」の冒頭で「伏姫の母は椎津城主の娘、、、」という記載があるそうです。パンフレットの「椎津城ミニ解説」は興味深い記事が他にもありおもしろかった。

 JR姉ヶ崎駅から徒歩15分くらいで行くことができます。近くまで行くと案内表示がいくつかあり迷うことはありません。

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五井駅 (2025/08/21 訪問)

 JRおよび小湊鐡道五井駅周辺が跡地とのことですが、遺構はありません。五井駅を撮影して撤退しました。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】

「烏山城 『栃木だっぺ』と スルーする(からすやまじょう とちぎだっぺと するーする)」

ここは鉄道でも盲腸線となっており,50城の中で最も意識の薄い城でした。私みたいな人に共感が得られるかどうかはわかりませんが…。

※赤い城さんに続き,50城すべてエントリー完了です。夏休みの宿題を終えることができました…<笑>。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】

「死角なし 縄張設計 丸子城(しかくなし なわばりせっけい まりこじょう)」

長大な横堀に,Y字の麓までダイレクトの竪堀。丸馬出とも組み合わせ,徹底的に死角をつぶしている印象です。その印象のまま詠みます。

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しんちゃん

寺田屋 (2013/09/07 訪問)

寺田屋は幕末の京都伏見にあった船宿です。幕末の鳥羽・伏見の戦いで炎上しますが、後に再建されました。文久2年4月23日(1862年5月21日)に薩摩の急進派・有馬新七らが同じ薩摩の藩士達に襲撃されました。薩摩藩主久光の命とされ、同郷の薩摩藩士同志が斬合う惨劇となり7人が死亡し、2人が切腹を申し付けられました。これらは寺田屋事件と呼ばれています。

後の慶応2年1月23日(1866年3月9日)には坂本龍馬と護衛の三吉慎蔵が伏見奉行の捕り方に襲撃されました。この際、龍馬は拳銃で捕り方2人を射殺し、薩摩藩邸に逃れました。
幕末を揺るがした事件の現場ではありますが、龍馬の方がイメージが良いらしく、庭には坂本龍馬の銅像が建っています。再建建物とはいえ、かつての龍馬の宿泊した部屋や、当時の刀傷も再現されています。



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ダイエティシャン

法勝寺城跡~【絶景の城 米子城跡】から南へ約10キロ(約10分) (2025/08/21 訪問)

【絶景の城 米子城跡】から南へ約10キロ(車で約10分)の、法勝寺城跡の攻城を試みたが、草が生い茂ったため出来ず。

登城口を載せます。

桜の名所らしいので、その頃攻城しようと思います。

10月22日頃の【絶景の城 米子城跡】のダイヤモンド大山
9月27日~10月19日【国宝 松江城】のすいとうろにお越しの際に、立ち寄られても良いかもしれません。

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しんちゃん

竹田城 (2013/09/21 訪問)

「朝霧が 幽玄を醸す 竹田城(あさぎりが ゆうげんをかもす たけだじょう)」
これ岡城でやったやつのセルフパクリです。竹田城は赤色立体地図のかるたに今の所、入ってはいないので「おてつき」ではありませんぞ。ちょうどTVのコマーシャルで竹田城が有名になってきたころで、朝から人が大勢来ていました。
けっこう石垣の端まで人が寄せてますね。この後、誰かが石垣から落ちてロープを張られたこともあったかな。
人が多いと不慮の事故が多くなります。竹田城のオーバーツーリズムが深刻化している最中でも、しつこくCMで流し続けていたグー〇ルも良くないと思うんですけどね。

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】

「竪石垣 尾根筋のびる 清水山城(たていしがき おねすじのびる しみずやまじょう)」

大雨警報発令中のため攻城しておりませんが,登城口までは行っております。一の丸~二の丸~三の丸が尾根筋に配され,東西約500mの竪石垣によってつながっております。厳原港を監視でき,晴れれば壱岐まで見えるそうです…👀

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朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】

「光秀の 集大成なり 周山城(みつひでの しゅうたいせいなり しゅうざんじょう)」

実は,2018年7月の西日本豪雨の時に計画していました。当然攻城を見送りました。以降,再計画せずにズルズルと来ています。ここは明智光秀の最高傑作ともいえると思います。早いうちに再計画したいと思います。

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「小田原城 城びと跳ね出す 大堀切」
(おだわらじょう しろびとはねだす おおほりきり)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「そこここに 畝堀トラップ 河村城」
(そこここに うねぼりトラップ かわむらじょう)

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2015/10/02 訪問)

 「御主殿の滝 悲劇を伝える 八王子城」(ごしゅでんの ひげきをつたえる はちおうじじょう)

 10年前の10月上旬、その当時横浜に居た娘夫婦宅へ孫の運動会見学を兼ねて、滝山城、八王子城を初探訪、車は八王子城跡ガイダンスの駐車場を利用し、ガイダンスを見学して、山頂までは無理なので主殿跡を中心に探訪。
 ガイダンスから管理棟の手前にある八王子城野外地形立体模型を見学して、城山川を渡り大手枡形曲輪?へ大手古道を進んで曳橋を方向へ、八王子城の紹介写真では曳橋が中心でしたので是非見たいと願って居たのですが、その当時初期復元の曳橋は事前の水害で流失しており、新しく架け替える前の両岸の基礎工事中で通行止め。戻って大手桝形曲輪?から城山川の北側の道を御主殿へ入る、その前には御主殿の滝が目に入って来ました、御主殿に入って、建物跡の礎石、木造で平面復元建物、御主殿大手の櫓門は冠木門、木製柵が復元され、大手の石階段、腰巻石垣なども修復復元されていました。
 
 小田原征伐の時には対豊臣戦対策として、滝山城から少人数でも守れる八王子城に移っており、城主は北条氏照、しかし氏照は小田原城に詰めて居り、八王子城を守るは城代はじめ3,000人の将兵、豊臣北国軍の前田利家、上杉景勝等の猛攻により1日で落城し、諸将、婦女子が自刃して御主殿の滝に身を投げた、血で赤く染まったと云われている。

 曳橋はその後2代目が復元されて居り、初代も2代目も見て居ませんので機会が有れば再登城して見学したいものです。
   

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ガチャピン

わかりやすい (2025/08/19 訪問)

道路から入ってすぐです

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