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たか

バタバタとしながらもとりあえず (2025/03/26 訪問)

車で石段の手前まで行くことができます。
アポイントまでの時間にこっそりと行ってきました。
あまり沖縄の城という感じがしませんでした。
遺構があまりに無いのでサラッと見て登城終了しました。

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たか

とにかく行ってみようと思った (2025/03/26 訪問)

沖縄に行き時間も取れそうだったので朝5時から出発!
カーナビ通りに行くとなんだか場違いなところに…
近くで農作業中のおじさまに聞くと親切に教えて頂きました。
謝名城共同売店を左折(戻る方向では右折)、確かに看板がありました。

民家のあるところに看板がありますのでこれを撮影(過去のコメントで撮っておいた方がいいとのこと)
きちんと階段とか整備はされていますが沖縄の城はどこも急勾配です。
登ると祠や舞台的な建物があります。
下りは別ルートで戻りました。
戻りのルートは比較的楽だったのでそちらからのアプローチがお勧めです。

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たか

美しい! (2025/03/26 訪問)

とにかくこの石垣は美しい!
本土のお城にはないこの曲線美。
引き込まれるようにじっと見とれてしまいます。
中国の影響が強い琉球のお城。
ほかのところもそうですが晴天のときに行くと最高です。

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たか

絶景! (2025/03/26 訪問)

名護まで来たので延泊して伊江島へ。
一泊確定しているので散策がてら歩きながら登城。
登山口のところには売店(わたしの行った時には閉店していましたが)もあり駐車場も完備されていました。

登山口からは急勾配ではありますがきちんとコンクリート及び手摺が整備されていて意外と楽に行けました。
そして山のてっぺんまで来たら360°大パノラマ!
あいにくの天気ではありましたが解放感と絶景がたまりません。
ぜひチャンスがあれば訪れていただきたいところです。

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たか

無理してはダメです (2025/03/27 訪問)

今帰仁の運天港からフェリーにて伊是名島へ。
日帰りできるとのことで気合を入れて出発。
島に到着して歩きでいざ登城。
綺麗な海を横目にしながら麓に到着。
向かって左側に登山口がありそこから上がれます。
道を丁寧に整備されていてとても素晴らしい。
かなり登り切ったところで祠があって左右に分かれています。
右に行けば切り立った一番高い場所に行けます。
ただここからですが薄っすら誰かが通ったであろう形跡はありますが道てきなものはありません。
わたしは好奇心のあまり登って絶景を眺めて感動をしました。
帰りの下山で降りやすいところを降りていって元の登山道から外れてしまい北側の断崖絶壁に出てしまいました。
そこから険しい斜面を戻ろうとするも力尽き110番通報。
地元警察や役場の方々に大変ご迷惑をおかけしました。
フェリーに間に合うはずもなくその日は民宿に一泊。
擦過傷がひどかったですが助かってよかった。
もう二度とこんな無謀はしないと強く思いました。

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WEST

高島城探訪 (2025/04/09 訪問)

高島城を訪問しました。ここは高島公園として整備され、天守閣、冠木門、角櫓などが復興されています。駐車場は天守閣の下にある駐車場(10台程度駐車可)を利用しました。
見どころは復元された天守閣です。堀越しに見る天守閣はなかなかのものです。その三階の展望台からは諏訪湖を眺めることができます。築城当時は城の際まで諏訪湖の水が迫っていたとのことですが、現在は距離があるようです。
城内散策後は高島藩諏訪家の菩提寺である温泉寺に立ち寄りました。ここには高島城から移築された能舞台を使った本堂と三門があります。高島城から自動車で数分のとことですので、寄ってみるのも良いと思います。

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WEST

伊那大島城探訪 (2025/04/09 訪問)

伊那大島城を訪問しました。このお城は武田氏の城郭の特徴がよく表れています。現在は台場公園として整備され散策し易いお城です。
駐車場にあるトイレの前に紙の縄張図が準備されており、城内散策の参考となりました。最初の見どころは、駐車場横の丸馬出と三日月堀です。この遺構は良く残っていて分かりやすいです。
城郭は三の丸、二の丸、本丸が直線に並んでおり、その間に大きく深い空堀を見ることができます。特に二ノ丸と本丸の間の空堀は幅広く深いものでした。
登城としての感想ですが、遺構も多くしっかり整備されており、是非訪問して貰いたいお城です。長野県南部の観光の際には。是非訪問してみてください。お勧めですよ。

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トク

【春の長崎天草を巡る⑥】佐世保観光 (2025/03/28 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、平戸から佐世保に戻り東横インに連泊し(写真⑩)、翌日の午前中に佐世保観光をしました(お城に関係ない話になりますがすいません)。

佐世保と言えば海上自衛隊の基地がある事で有名です。艦艇公開や佐世保湾軍港クルーズが行われているので、それに合わせて訪れました。いずれも予約が必要なので、実施日と予約方法などはHPで確認されて下さい。

接岸されている護衛艦に実際に乗船して内部を見学しました(写真③④)。そして対潜水艦や対弾道ミサイルに対し、どのように迎撃しようとしているのか、実際の装備を目の前にして説明を聞きました(写真⑤)。尖閣諸島や台湾問題で最近は出航回数が多く、さらに遠くソマリアまでタンカー護衛任務もあるそうで、なかなか日本へ帰れないと隊員の方はぼやいていました。本当にご苦労様です。

また佐世保湾を一周する軍港クルーズ(写真②の船)では、様々な護衛艦を海から眺めたりできます(写真⑥)。戦艦武蔵を建造したドックは今でも残っており、眺める事ができました(写真⑦)。また市内には、日本海軍の始まりから海上自衛隊の現在までの歴史をまとめた自衛隊施設の資料館「セイルタワー」もあり見学してきました(無料)。

この後所要のため、特急「みどりハウステンボス号」(写真⑧⑨)に乗っていったん福岡に1日戻り、それからすぐ出直して後半戦に続きますので、また引き続きよろしくお願いします。

次は、島原半島の城を目指します。
 

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イオ

南城 (2024/12/28 訪問)

(続き)

南城北西麓の駐車スペース(説明板あり)から登城開始。ハイキングコースをしばらく行くと左側に尾根へと上る階段があり、右側は西端の曲輪、その間の堀切は切通道になって続いています。階段を上り、尾根沿いに展開する曲輪群を進むと曲輪間に石段がありました。てっきりハイキングコースとして改変されたものかと思っていたら、発掘調査により検出した石段遺構なんだとか。石段の上の曲輪では礎石建物や石組庭園も確認されているようです。龍王山山頂が南城の本丸です。本丸からは西に大和盆地を見下ろす眺望が開けています。本丸の南東には堀切を挟んで弥七丸が連なり、さらに東の堀切の先の曲輪が東端です。

堀切の堀底から続く城道を南へ下ります。弥七丸の南西下を通る城道沿いには喰違い虎口や土橋、伏兵溜まりなどが設けられている…そうですが、これかな、と思う箇所はあるものの、いまいち確証が持てませんでした。その先には本丸南下の腰曲輪から竪土塁が城道までのび、竪土塁を回り込むと屋敷地らしき削平地が広がっています。屋敷地の上には龍王山の名の由来でしょうか、柳本龍王社が祀られていて、南城の水の手だったと思われます。龍王社から切通道を上って行くと最初に上った階段のところに到着。階段の北側から北西端の堀切を抜けて尾根の東側に出ると、主郭部北下の腰曲輪を確認して南城をひとめぐり。

辰年の城納めとして訪れましたが、技巧的な虎口あり、巨大な堀切あり、畝状空堀群ありと、北城・南城あわせて4時間半を要する大いに見応えのある城でした。


…ということで、久々に「麒麟」でも「金龍」でも「きっかけ」でも「くいだおれ」でもない、普通の投稿をしたように思いますが、城めぐりの投稿も4か月分くらいたまってしまっているので、これからぼちぼち挽回していきたいと思います(…追いつけるのか?)。
 

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これが琉球の兜!(展示企画・4/29~6/2・護佐丸歴史資料図書館) (2025/04/29 訪問)

◯ イベント名:想定復元品 琉球式兜展示
◯ 期間:令和7年4月29日~6月2日
◯ 場所:護佐丸歴史資料図書館(中城村字安里215番地)図書室1階
 ※ 中城城跡から約4km、車で十数分の場所にあり、グスクの発掘品などが常設展示されています。
◯ その他:
 ・入場無料
 ・10時~19時(土日祝は17時まで)
 ・休館日 4/30、5/1、7、8、9、13、15、20、27

沖縄の兜、どのようなものをイメージしますか?

琉球王朝やそれ以前の時代の甲冑は残念ながら現存してませんが、
首里城はじめグスクで発掘される断片から、
日本式の甲冑が海を渡って用いられていたと考えられています。
また、独特にデザインされた鍬形などの立物が発掘されており、
琉球独自にアレンジされた立物が組み合わされていたのではとも考えられています。

こうした推定に基づき復元された兜が
このたび、中城城跡に近い資料館・護佐丸歴史資料図書館で展示されることとなりました。
製作したのは「オータニサン」のエンゼルス兜で知られる甲冑メーカー・甲冑工房丸武。
レプリカとはいえ沖縄県では珍しい兜の展示企画、
中城城跡を尋ねる機会があればお立ち寄りください。
(E)

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赤い城

ハイキングコース (2025/04/20 訪問)

この日2城目は新居浜の生子山城、ハイキングコースとして整備されています。
山根公園の駐車場を利用しました。
登城口はいくつかあるようですが公園南側の煙突山新登山道の案内板から登りました。

少し登ると神社がありその先は急峻、ロープが付いています。
これを登った鉄塔のところで休んでいるとハイカーさんが違う方向から出てきました。
「ここ登ったの?」と。
聞けば神社の裏手に迂回する登山道があるとのこと。
知らないと見つけられない・・。
鉄塔からは本城跡と言われるエントツ山を見下ろします。
こちらは別子銅山の開発により遺構は残りません。

さらに登ります。
整備されているもののやはり急峻、休みながら登ります。
と、またもロープが。
これを登ったところ登ったところの堀切に鉄塔が立っています。
ここで先ほどのハイカーさんにまた出会いました。
「あんたらはキツいところばかり登るね」と。
ロープの手前に迂回路を示す矢印(木にペイント)があるそうです。

この堀切から右手に向かい、二郭、主郭へと。
主郭の三角点から西側には段になって小さな曲輪が続いていました。
主郭から南に下りたところに見どころの堀切があります。
ハイカーさんはこの先のピーク部へ向われましたが我々は三郭まで戻りその先の堀切を探索。
ほぼ埋まっていますがそこから落ちる竪堀は認識することができました。

帰りは迂回路を確認しながら下山しました。
確かにこちらは楽そう、ですがロープで登るのも山城らしさを味わえて良いような気もします。

松木氏の居城でしたが秀吉の四国攻めで小早川隆景により陥落、廃城となりました。
下山したのがちょうどお昼、新居浜名物?のどて焼き丼で体力を回復。
ボリューミー、且つ美味しかったです✨

【見どころ】
 ・3つの堀切
 ・主郭西側の段曲輪

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todo94

2巡目の続100名城スタンプラリー82城目 (2025/04/12 訪問)

三河田原城からの転戦です。三河吉田城の三の丸にあたる豊橋市役所の有料駐車場を利用しました。豊橋公園に入り二の丸を通り抜け、本丸の乾に位置する鉄櫓にて、無事、続100名城スタンプを捺印することができました。豊川河畔の帯曲輪など、本丸周りを一通り散策しましたが、豊川市役所13階の展望ロビーが年中無休で無料開放されているとは知りませんでした。次の機会には、吉田城の俯瞰を楽しんでみたいと思います。

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天守無しがアツい

案内板しかない (2025/04/12 訪問)

JR小山駅から5-6km…レンタサイクルで20-30分ほどの場所にあるのが中久喜城跡

小山氏が関東公方と戦った際に居城の一つとしたのが、この城ではないかと言われてる。ちなみにその時の城名は岩壺城と言ったそう

城の範囲は東西400m…南北450mだそうで、JR水戸線により南北に分断🚞 城跡の殆どは住宅地と畑になってしまい…城跡を示す案内板(1枚目)くらいしか、痕跡を示すものがないそう

(参考URL)
https://www.tochinavi.net/spot/home/?id=21802

中久喜城と鷲城の御城印(2枚目)…御城印に同封されていた説明書によると…「中久喜の地名は、小山秀綱とその弟結城晴朝の、この地での和解が由来とされています。戦国時代、小山氏は北条氏と敵対していました。しかし晴朝は北条氏に味方する結城家の養子となり、兄弟は敵味方に分かれてしまいました。度重なる交戦の末、秀綱と晴朝はついに和解に至りました。この喜びが久しくあるよう中久喜と名付けたと言われています」

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Tokyobay

常盤橋と常磐橋の違い (2025/04/19 訪問)

「トキワバシ」と呼ばれる橋は2つあるが、なぜ2つあるのか?とか、なぜ記載に違いがあるのか?の変遷はかなりややこしいので説明は省く。渋沢栄一の銅像があるのが謎だったが、石垣保存運動をしたからとかで、ちょっと意外。破壊されまくった数々の御門が東京のスーパーど真ん中で、こうして残っているのは貴重でありその功績は大きいのかと。
ちなみに首都高走行中にいつも気になっていた昭和感のあるJFE商事ビルは遂に解体工事されるようでちょっと残念。他方で、日本橋方面に超高層ビル(52階建て?)が建築中なのが、東京の変貌を象徴しているのかなと思ったり。

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天守無しがアツい

神社と外城2号墳 (2025/04/12 訪問)

(参考URL)
https://www.tochigiji.or.jp/spot/s12508

JR小山駅からレンタサイクルで15分ほどの場所にあるのが鷲城跡。1380-1382年にかけておこなわれた…地元大名の小山氏と関東公方との激戦がこの地でおこなわれたそうです

小山氏の関東における勢力拡大を恐れた関東公方による…出る杭は打たれる処置。奮戦こそすれど、相手はもう一つの幕府的存在…数が違いすぎたのでしょう。小山氏は鷲城に籠城して抵抗するも次第に追い詰められていき…頭である義政はここから離れた場所にて自害。戦は関東公方の勝利という幕引き

スマホで地図ナビを見ながらのチャリアプローチ🚲 「目的地に着いた」と表示された場所には「史跡 鷲城跡」の石碑(1枚目)などがありました

鳥居の手前には鷲城跡の案内板(2枚目)…この城跡に関する詳細はこれを見てください

鳥居を抜けて数分歩きました🚶 思ったよりもその参道が長くて⛩️…左手には畑が見えました、室町時代には城の敷地内…そして今はその面影が感じられない様子(畑に民家)と

中城(うちじろ)…本丸とでも言い換えるべき場所に神社があるようです。かつての城跡に現在は神社もしくは寺が建ってるというのは他でも見聞した事ありますが…この地には(小山氏が存在していた頃に)武士の館でもあったのでしょうか?🏠

本堂(3枚目)に着いて…御賽銭をあげてお詣り⛩️ ちなみに…前から気になっていたのですが…同じ「おまいり」でも「お参り」と「お詣り」の違い

お参り…が仏様に対して、お詣り…が神様に対して。つまりお参りが寺を参拝した際、お詣りが神社を参拝した際に使う…そうです

本堂の左奥にも小さな祠があったので…お詣りと御賽銭。本堂には120円…ここでは10円をおさめました

せっかく来たので…中城だけでなく外城も少し見たい気分になり、(神社参拝を終えて鳥居まで戻った私は)レンタサイクルを再び走らせました🚲

外城に該当する所は家が建っていたり藪に覆われていたりで…見学できるような場所ではなく…もう帰ろうかと思った矢先に地図ナビに「外城2号墳」の表示が。それが気になる自分を止められない…みたいな状態にもなり、そこへ向かいました🚲

外城2号墳(4枚目)…7世紀前半に造られた横穴式石室だそうで、小山氏および鷲城と直接の関係は無いと思われますが、古墳的存在と言えばその範疇に入るかと

小さな建物の中に…奥へと続く通路があり、4メートルほど進むと石室へ辿り着く…と案内板にはありました

(参考URL)
https://www.tochinavi.net/spot/home/?id=16515

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しんちゃん

玄蕃尾城 (2025/04/04 訪問)

玄蕃尾城は陣城としては突出した完成度と縄張りを持っています。柴田勝家が羽柴秀吉との戦いに備えて築いたとされていますが、それ以前に築かれていたとする説もあるようです。
個人的には機動力が重要な山岳戦で、これだけの陣を構えて腰を据えるのはどうかなと思います。判断に遅れが出そうですね、秀吉の陣城は常に簡素なものです。いつでも別の場所に移れるようにしているのではないでしょうか?
熊がいると評判ですが、北西の搦手郭の周辺に栗の木がありました。これを狙ってくるのかな? エサの無い時期であれば、特に危険は無いと思いますが、実際にはいつどこで出くわすかはわからないので、やはり熊スズは必須ですね。先ほどの親子は無事に帰ったようです。ここの道は舗装はされていませんが、幅が広いので普通車でも十分来れます。以前来たこともあるので周知なんですね。

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しんちゃん

お手打ち御免! 三日月そば (2025/04/20 訪問)

「手打ちにいたす!(ええっ!?)」お昼は近くの「味わいの里三日月」でいただくことにしました。
なんでここでの投稿になったのかといえば、陣屋に置いてあったパンフレットが陣屋と「三日月そば」の二種類しかなかったからです。
他に何か無いのかここ・・? 行ってみると、けっこうな田舎なのに、どこから集まって来たんだろうと思うほど、人も車も来ています。
手打ちそばの実演もやっていますね。少し値は張るけど、本格的な手打ちそばを頂くことが出来ました。鴨肉も独特の弾力があって美味しかったです。
ここでしっかり体力をつけて、白旗城に挑戦です。リピートになるのですが、以前登城した時の写真が消滅してしまったので、満を持しての再挑戦です。けっこうきつかった記憶が有るけど、最近体の調子が良いのでいけるんじゃないかな。

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小城小次郎

フェンスに阻まれ荒れ放題の土塁が痛々しい (2024/08/18 訪問)

新潟県に続き今年2回目の「じょうじょうじょう」のご紹介。主郭の土塁がしっかり残るが工事用のフェンスに阻まれ荒れるに任せた姿は痛々しい。周辺の景観も開発で激変するかもしれず、今のうちに見ておいた方がよいのかも。

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宗春

地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました ④ 高松城 (2025/04/10 訪問)

3城目は「日本三大水城」高松城です。「ブラタモリ」で見た「水手御門」は通れませんでしたが、外側から見ると門が直接船着場になっているのがわかります。
また、「ことでん」がすぐそばを走っていて、電車と櫓(艮櫓)を同時に写真におさめる事が出来ます。私は鉄っちゃんではありませんが、一応押さえておきました。

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しんちゃん

物見櫓は案外居心地が良い。 (2025/04/20 訪問)

三日月陣屋は森忠政が開いた津山藩森家が元禄10年(1697)に改易になった後、分家の森長俊がここ、播磨三日月に移されたのが始まりとされています。その後、森家九代174年の間、三日月藩の政務の中心として、また藩主の住居として機能してきました。
陣屋の門、長屋が復元されていますが、物見櫓と呼ばれる二階建ての建物は現存のものとされています。眺めはなかなか良く、畳も敷いてあってなかなか快適です。ここでは藩主が武芸の観覧を行ったり、家老・用人・役人らを集めて酒や食事などが振る舞われたようです。
近くの列祖神社には、旧藩校の廣業館が移築されており、明治には小学校として使用されていたようです。

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