金森長近によって築城されました。山頂付近の🍁が鮮やかでした。
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2024/12/04 17:24
越前大野城 (2024/12/04 訪問)
金森長近によって築城されました。山頂付近の🍁が鮮やかでした。
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2024/12/04 13:50
2024/12/04 13:23
乾通り通り抜け (2024/12/04 訪問)
紅葉は終わりかけでしたが、目的は紅葉ではなく普段入れない側からの石垣を愛でることだったので無問題。
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2024/12/04 08:08
鹿野城と大山ブナ紅葉 (2024/11/14 訪問)
故郷の鹿野城、母の17回忌法要開始時間前に少し時間が有り、法要する寺の東隣は鹿野城と言う好条件、サラッと見学、撮影しました。写真はいつもの投稿写真と代り映えしませんがお許しください。
駐車場は城山下の神社鳥居下に在りトイレも完備。他にも観光駐車場は城下に在ります。
法要後は同地区の鳥取市鹿野町に在る鹿野温泉山紫苑で仕上げの法要と温泉宿泊。
翌日(2024_11_15)は久しぶりに鹿野城から西に約60km程、大変便利になった山陰道(無料)を利用して伯耆富士で有名な大山の紅葉を見学へ、ビューポイントの鍵掛峠での大山北壁とブナの紅葉絨毯景観をと思ったのですが当日は雨で霞んで大山北壁景観は見れず、ブナ紅葉トンネルと鍵掛峠より下側のブナのじゅうたん景観は少し小雨に霞ながら見る事が出来ました。晴れていると素晴らしい紅葉のビューポイント景観です。駐車場は鍵掛峠にトイレと共に完備、但し観光シーズンは混雑渋滞します。
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2024/12/04 07:42
2024/12/04 07:12
特別設定 えきねっと限定 大人の休日パス スペシャルで青森の城めぐり⑦ (2024/11/17 訪問)
野辺地城からの転戦です。陸奥湾を反時計回りに下北半島の奥地へと進んでいきます。あわよくば仏ヶ浦にも脚を伸ばそうと企んでいましたが、まったく時間が足りませんでした。下北半島の奥深さに脱帽です。西郭だという廃校の西隣に錦帯城公園入口と案内地図、石碑があります。主郭には蠣崎蔵人供養塔が建っていました。
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2024/12/04 06:39
第三台場で虹を見て♪ (2024/11/20 訪問)
1泊2日の東京旅、都内で宿泊したので朝駆けで久しぶりの品川台場を散策しました。
ゆりかもめを降りると曇天、予報では午後から雨だったのですが怪しい雲行き。
日の出も見れるかな、と期待していたのですが残念😢
気を取り直しお台場の海岸を歩き第三台場を目指します。
第三台場に足を踏み入れた頃から雨が。
足早に兵舎の礎石やかまどの跡などを見学し、北側に周ります。
レインボーブリッジも曇天には映えませんね。
関係無いですがサザンの「LOVE AFFAIR」の歌詞に「大黒埠頭で虹を見て♪」とありますがこれは桑田さんがベイブリッジをレインボーブリッジと勘違いしたものだとか。
このあとも晴れなかったので本物の虹も拝めませんでした。
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2024/12/04 00:59
別府氏の居館跡 (2024/05/05 訪問)
別府城は平安時代末期から室町時代における、別府氏の居館跡のことのようです。東西約100m、南北約90mの方形で周囲に土塁が残されています。城址に建てられている東別府神社は別府氏の氏神として、春日大社を勧請し、天正18年(1590)に落城するまで城の鎮守であったと伝わっています。どうやら別府氏は藤原氏の流れを引く一族のようです。とはいえ藤原秀郷の末裔であるかどうかは、不明です。
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2024/12/03 22:56
君の人見は100万ボルト ♪ (2024/05/05 訪問)
タイトルに深い意味は有りません。ご容赦を‥ 人見氏は武蔵七党の猪俣党に属し、人見六郎政経が当地に居住したのが始まりとされます。その子・行経は寿永3年(1184)源頼範に従い一ノ谷の合戦で活躍したそうです。
館跡は西の郭に遺構を残しており、堀や土塁の姿を見ることが出来ます。南方300mの一乗寺には人見氏累代の墓所があり、元弘の乱の際に楠木正成の赤坂城攻めの先陣を切って、戦死した人見四郎入道の墓もあるようです。
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2024/12/03 20:04
天然の岩盤を防御に生かす? 鹿谷寺跡 (2024/11/16 訪問)
雄岳と雌岳を訪問して麓まで戻って来ました。天候は怪しいですが、せっかく来たので鹿谷寺跡まで行ってみることに。なんとなく気になって来てみたけど「あたり」だと思います。このあたりは天然の岩盤がむき出しになっているのですが、それをうまい具合に防御に活用しているように感じます。尾根上には周囲を見渡せそうな岩場があります。
鹿谷寺跡の周囲は岩盤に囲まれ、西側は岩の防塁のようになっていて、高い岩の上からは進入してきた敵を見張ることが出来ます。二上山城に向かう道が続いていて、城を守る郭としての機能を持っているように感じました。また西側の尾根を登って行くと街道を監視する見張台のような場所がありました。現在は普通に展望所になっています。このあたりも城域に含まれるのではないでしょうか。
久しぶりにいんげん丸虫さんの投稿を拝見させていただきました。お元気そうでなによりです。
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2024/12/03 19:41
越前大野城よりも凄いのに! (2024/11/03 訪問)
越前大野城の撮影スポットになってますが
凄い遺構がいっぱいありますね。
深い堀切、竪堀など、見てて嬉しくなっ
てしまいます。
今年の11月の福井はまだまだ暖かく、
ジョロウグモの巣も多くて気色悪かった
ですが、じっくり見てきました。
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2024/12/03 19:15
2024/12/03 14:36
2024/12/03 06:50
宿内砦 千葉県佐倉市 (2024/11/19 訪問)
臼井城から京成臼井駅に戻る途中に宿内公園への入口があります。
ここが臼井城の砦群のひとつ、宿内砦跡です。
臼井城周辺には宿内砦の他に稲荷台砦、田久里砦、仲台砦、州崎砦と五つの砦が築かれていました。
他の砦は宅地化等でほぼ遺構は残りません。
公園入口から城跡感が感じられ、急坂を登ります。
数分で平地に到着、さらに進むと土塁があり、この辺りが主郭と思われます。
虎口から向こう側に降りると空堀跡も残っています。
その先には駐車場もあり、車でも登城は可能なようです。
住宅地の中に奇跡的に残る砦、思いがけず良いものを見せていただきました。
相方との待ち合わせ時間も迫ってきてたのでこれで寄り道終了。
都内へと向かいました。
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2024/12/03 06:38
特別設定 えきねっと限定 大人の休日パス スペシャルで青森の城めぐり⑥ (2024/11/17 訪問)
下田館からの転戦です。下北半島の付け根に位置し、八戸からのアプローチとしてしまいましたが、青森市からの方が近いんですね。今まで完全に思い違いをしていました。過去、大間に行った時も尻屋崎に行った時も八戸からでした。大間に行ったときは東北新幹線の終点が八戸だったので仕方ないかと思いますが、まだ果たせていない仏ヶ浦に行くときは青森市から攻めたいと思います。野辺地城には現在、野辺地町中央公民館、図書館、歴史民俗資料館が建っています。江戸時代には代官所が置かれ、野辺地代官所跡の碑があります。
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2024/12/02 22:14
佐々木氏一族鏡氏の居城 (2024/12/01 訪問)
佐々木氏を祖とする鏡氏の居城と云われるがはっきりしないようだ。主郭の西側には崩れかかった石垣がそれなりに残っていた。麓には元は鏡氏の屋敷だったという井上氏館があり、こちらも土塁や濠が残っている。ただし現在も子孫がお住まいなので見学は要注意。ほかにも源義経元服の地や、平宗盛が斬殺された平家終焉の地もあり、道の駅 竜王かがみの里を散策の拠点にすると便利です。
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2024/12/02 21:25
開かずの城跡 (2023/11/25 訪問)
JR・東武 柏駅の東口から徒歩30分ほどです。
城跡は、東京都“文京区”柏学園の敷地で、柏学園は平成25年度で閉鎖され立ち入り禁止になっています。道路からフェンス越しに学園内を見ると、土塁と空堀の遺構があるのは確認できました。
もみじが紅葉しており、とてもきれいでしたが、フェンス越しなので、何とも消化不良…
今後どうなるのか分かりませんが、せっかくのお堀や土塁なので、できれば見学できるように整備してもらいたい限りです。
周辺には、東京都“中央区”の柏学園もあるので、訪問する際は、間違えないように注意してください!!
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2024/12/02 20:57
居館跡の遺構 (2024/11/09 訪問)
主郭から南へ尾根沿いに登って行くと扁平地があり、その先に謎の石積が続いています。どう見ても中世のものではないのですが、いったいこれはなんだろう? とりあえず尾根沿いに北に戻って南東にある居館跡を目指します。
この居館跡ですが、標高は主郭に近く、居館跡としてはかなりの高所にあります。相当の広さがあり、南北に幾段かに分かれており、東側に切岸はかなり急峻です。切岸に土塁は無く、逆に尾根側に土塁と堀が設けられています。尾根側から敵が攻めてきた時の備えかな? 変わった縄張りになっていますが、それだけ切岸の守りに自信があるということでしょうか。
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2024/12/02 20:37
2024/12/02 20:25
北の郭 (2024/11/09 訪問)
先日は南のピークの長い土塁を投稿しました。縄張りがわからないので城郭大系を見てみたら、旧説では城の土塁と有るが(筆者は)「鹿垣と判断する」と記載があります。鹿垣‥オイオイ‥夢の無いこと言わないでよ‥と思いましたが、鹿垣に堀が付くというのはあまり例が無いので、城の遺構である可能性も有るんじゃないかな?と思います。実際の所は城を築いた本人じゃないとわからないですね。
主要部は北の郭の可能性が高くなってきましたが、南側の広大なエリアも城域である可能性も捨てきれません。
北の郭はなかなかの広さがあり、北側の切岸は急峻で北東に1m角ぐらいの石がいくつも置かれています。石の用途は不明ですが東から南にかけて土塁で囲われ、外側には堀が配されています。
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