令和6年3月25日福井旅行の2日目にレンタカーを借りて、城めぐりをしてきました。
最初に「一乗谷朝倉氏遺跡」を訪れたあと、「越前大野城」を訪れました。続日本100名城に選定されています。
近くの山から見られる姿が「天空の城」としても有名で、この日はみていませんが、遠くに見える山々には霧がかかっていました。
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2024/05/25 15:36
2024/05/17 23:05
亀山公園編 能登半島地震の爪痕 (2024/02/25 訪問)
朝倉義景墓所から移動し、いよいよ城内へ。模擬門のある南の登り口から登城開始。本丸までは30分程度です。
坂道を進むと、やや草が生えており見づらいですが堀切の遺構があります。
堀切のそばの階段を登ると土井利忠の銅像のある曲輪に着き、その曲輪から本丸の東側の遊歩道を進むと、城址碑のある本丸北西側・長屋門跡に出ます。長屋門跡の近くには金森長近の銅像もあります。
長屋門跡からいよいよ本丸へ
本丸には野面積みの石垣と、その上に模擬天守が鎮座しており、圧巻でした。
正午ごろに本丸を散策したのですが、正午のサイレンが天守のそばのスピーカーから爆音で流れて、とてもびっくりしました。お昼ごろ散策する際はくれぐれもご注意ください。
本丸を見学後は北側のルートで下山。北側の道中には 亀山観音が鎮座しています。
ニュースでも報道されていましたが、2024年1月の能登半島地震の余震の影響で、本丸南側 武具蔵跡の石垣が崩落しており、南から最短の階段ルートの一部と武具蔵跡そばの模擬門周辺は立ち入り禁止になっていました。一日も早い復興を切に願っています。
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2024/05/17 22:46
城下・麓編 移築鳩門&朝倉義景墓所 (2024/02/25 訪問)
一乗谷城から転戦。一乗谷の下城戸から徒歩5分ほど歩いた「安波賀」のバス停から京福バス 越前大野行に乗車し、約45分。越前大野駅の手前の「大橋」のバス停で下車。(京福バスの休日フリーきっぷを利用)
亀山公園へ向かう前に「大橋」のバス停から少し歩いたところの光明寺へ移動。光明寺には、大野城の二の丸鳩門が移築されています。二階部分は改修されているらしいです。
移築鳩門からはスタンプ設置場所の武家屋敷旧内山家まで、徒歩10分ほど。内山家で続日本100名城スタンプを押印。(冬季期間のみ設置とのことです。)
鳩門と内山家の道中には、武家屋敷旧田村家があり、そこには土居が残っています。
内山家の道の向かい側は、越前大野城の二の丸跡にあたり、学びのさと「めいりん」に沿って百間堀が復元されています。南東側は大手門広場になっており、案内板も設置されています。
このまま登城したいところでしたが、一旦、亀山公園(大野城)を横目に南下し、義景公園へ。
義景公園には、朝倉義景の墓所があります。朝倉義景は織田信長の越前侵攻の際、朝倉義鏡を頼って大野へ落ち延びたようですが、朝倉義鏡も信長に内通しており、義景は大野で自害したということです。義景墓所周辺は名水百選の御清水もあり、水の町としても有名らしいです。
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2024/01/30 20:44
先月訪問したばかりなのですが (2023/12/08 訪問)
正月早々の能登半島の地震には皆さん驚かれ心配されたと思います。犠牲になられた方々にお悔やみを申し上げるとともに被災者の方々の心身の回復と被災地の復興を祈ります。
このたびの地震では人々や建造物のみならず重要な観光資源も大きな痛手を受けており二重三重にも心苦しく思います。
見付島や時国家住宅も深刻な被害を受け、七尾城の石垣も一部が崩落してしまったようです。私も先月に越前大野城を訪問したばかりなのですが武具蔵跡の石垣が幅4m・高さ3mに渡って崩落したとニュースで見て驚きました。余震で崩れてしまったようなのですが、関係者の皆さんの尽力で元の雄姿を取り戻せるよう願っております。
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城地種類 | 梯郭式平山城 |
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築城年代 | 天正3年(1575) |
築城者 | 金森長近 |
主要城主 | 金森氏、松平氏、土井氏 |
文化財史跡区分 | 県史跡(越前大野城跡) |
天守の現況・形態 | 複合連結式[2重3階/1580年頃築/焼失]、連結式望楼型[2重3階/1968年再/RC造復興] |
主な関連施設 | 復興天守、門、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、石垣、横堀、移築門 |
住所 | 福井県大野市城町3 |
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問い合わせ先 | 大野市文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0779-65-5520 |