(続き)
一乗谷川の西岸には武家屋敷に町家、寺院など城下町が広がっていて、復原町並以外の地区も発掘調査に基づき平面復原されています。
斉藤地区
朝倉館の対岸には小少将の父である斎藤兵部少輔の屋敷があったとされ、斉藤の地名が今に伝わっています。西側の尾根上には月見櫓を配し、復原町並から北にのびる道路には笏谷石の切石が踏石状に並んだ箇所も見られました。
雲正寺地区
一乗谷最大の支谷である八地谷に位置し、往時は谷の奥まで建物が建ち並び「八地千軒」とうたわれました。谷を流れる八地谷川には護岸石積が施され、川の中からは笏谷石製の巨大な石灯籠が出土しています(博物館に展示されていました)。また、八地谷川沿いからは一乗谷には珍しく掘立柱建物跡が多く確認されています。
赤渕・奥間野・吉野本地区
いわゆる平面復原地区で、町家は溝で区画され、それぞれに井戸やトイレを備えていました。鋳物師や檜物師、念珠挽、鉄砲鍛冶など職人の町家や工房をはじめ、武家屋敷、医師の屋敷、寺院や墓地などが確認されています。復原町並にもあった紺屋の大甕も見られました。
朝倉景鏡館(中惣)
五代・義景の従兄弟である朝倉景鏡の館と伝わる朝倉館に次ぐ規模の館跡です。発掘調査により礎石建物、堀と土塁が確認されていて、南辺と北端に土塁と堀が復元されています。館跡に立ってみるとかなりの広さがあり、これだけの実力者に裏切られたら滅亡も避けられないよなぁ…などと感じました。
瓢町地区
溝で区画された商人や職人の町家のほか、上流階級と思しき大きな区画が確認されています。二連式のかまどがある区画はカワラケ職人の住まいと考えられ、一乗谷での儀式や宴会で使う品を作っていたのでしょうか。
瓢町からもう少し行くと下城戸に至ります。ずいぶんと日が傾いてきましたがもう一息です(続く)。
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