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カズサン

堀城跡伝承地 (2025/04/26 訪問)

 今西氏屋敷(今西家土居屋敷)を終えて、阪急服部天神駅から阪急十三駅へ、阪急宝塚線沿線未踏の城探訪ラス前「堀城」を目指す。
 阪急十三駅西側より阪急神戸線沿線沿いの道を神崎川駅方向に約250m程で武田薬品工業東門へ着く、東門の東手に説明プレートが2枚据え付けられている。

 説明プレートには「堀城跡伝承地」とあり、室町時代後半に築城された城で、元亀元年の織田信長による野田・福島攻めでは将軍・足利義昭が入城した。現在、かっての城郭を示すものは地表に見る事は出来ない。(大阪市教育委員会)

 もう一つの説明プレートには、明治8年の地籍図付きで堀城跡伝承地が破線で示されている。十三渡北岸の要地であった城、細川氏、三好氏、織田氏との抗争が有り、野田合戦では足利義昭が入城、廃城後も樹木は残り「堀の森」と呼ばれた、現在地南西方向の十三公園巨木はその名残と伝わる。「大阪市顕彰史跡第198号」の抜粋

 企業の門袖にプレート2枚を据え付けて頂けて、史跡の説明、跡を訪ねる個人としては大変ありがたい。余裕が有れば十三公園にも出向きたかったのですが、足腰、足の裏も痛みが出始めて先を急ぎました。

 駐車場は有りませんし周辺は住宅地商業地工業地ですので徒歩或は自転車、オートバイが良いようです。
 
 次はラストの三津屋城を徒歩で進行。
   

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いんげん丸虫

十六沢城 秋田県大仙市 (2025/04/27 訪問)

220mの山城です。
県民憩いの森公園として整備され
てます。
北の尾根、西側のしっかりとした
畝状竪堀がみどころですね。
車ですぐ近くに行けます。

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五箇篠山城(三重県多気町)(城びと未登録) (2025/04/28 訪問)

 イオさん、近畿コンプリートのトリ、田尻城登城をご苦労様でした。イオさんに攻略いただいて、落ち着くところに落ち着いた感があります。小谷峠経由であれば、比較的登城しやすかったとのことですが、帰路は迷われたと、それなりの難関でしたかね。ちなみに、私は、田尻城を目指す前の清水城で足を痛めましたが、翌日は、めげずに利神城のガイドツアーに参加しました。
 五箇篠山城は、南北朝期に南朝の拠点の一つであり、その後、北畠具親が織田信長に対して蜂起した際に、改修して立て籠った城です。中腹のふるさと交流館せいわまで車で登ることができ、登城道も整備されています。東西の尾根上の連郭式の構造であり、郭間はいずれも、とても深くて広い堀切で隔てられています。Ⅰ郭には桝型虎口や土塁も。Ⅰ郭とⅡ郭の間の堀切(写真4、5)は、二重堀切かと思いきや、「三重の山城ベスト50を歩く」によると、幅広の堀切を作った際の堀残しだと。言われると、堀の中の土塁状の高まりは、堀切と平行方向の長さがなく、堀残しに見えます。

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Tokyobay

元市長の自宅造成で破壊された小峯御鐘ノ台大堀切西堀 (2025/03/09 訪問)

小峯御鐘ノ台大堀切は総構最大の見どころだが、まずは西堀へ。ここはかなり改変が行われているが、ガイドによると天守を見下ろす高台に元市長が無理に自宅造成しようとして遺構を破壊したとのこと。何も知らないと、単なる庭園工事の失敗を石垣跡と勘違いしたり、単なる埋め立て工事を土橋と勘違いしたり、妙に整備された通用門を総構の遺構と勘違いするので要注意。当たり前だが、この辺の「負の遺産」ついては案内板には何の説明もない。とはいえ、西堀先端の三又部分は必見ではある。

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HKISD

松尾城散策 (2025/05/02 訪問)

すごく登りやすい山城でした。
城の輪郭が確認出来てよかったです。

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宗春

ゴールデンウィークの平日に地元から在来線で京都まで遠征しました (2025/04/30 訪問)

休日に行くと激混みが予想される二条城に、会社休みの平日に行ってきました。何年か前、「青春18きっぷ」が改悪される前に一度在来線で訪問した経験があったので、今回も在来線を利用しました。
前回訪問時に工事中で見られなかった本丸御殿が公開された事がきっかけとなりました。またJR東海のEX予約限定の御城印も目当てでした。

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HKISD

一ツ戸城散策 (2025/05/02 訪問)

とても登りやすい山城でした。
途中ロープの所でロープの杭が外れていたので怖かったですが
非常に迫力ある山城でした。

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HKISD

長岩城跡散策 (2025/05/02 訪問)

当時の石垣が見事でした。
岩のコケ、木のコケも最高に絵になっていました。
今回は本丸回りの中級コースでしたが、上級コース、最上級コースも行ってみたいと思いました。

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HKISD

平田城散策 (2025/05/02 訪問)

金網を開けて入りました。黒田の石を見る事が出来ました。
黒田関係の城はしみじみ来ますね。

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しんちゃん

戦国 戦国~♪ (2024/12/30 訪問)

い~ち じゅう ひゃ~く せんごく時代 ♪ 戦国 戦国~♪ 戦国 戦国~♪ あづち~ ももや・・(やかましい! ボゲシッ!)
う~ん ちょっとクセになりそう、フルバージョンで毎日やれば心も体もキレキレです。
しかし「大奥」33人とは、ちょっと羨ましい。・・・365÷33で(計算するな!)ひょっとして大車輪?(ボカッ)

青木城は本覚寺周辺に築かれていたとされ、線路を挟んで対岸にある権現山城から見ると、高台にあることが良く解ります。かつては権現山城のある丘陵と繋がっていたようです。永正7年(1510)扇谷上杉氏家臣・上田政盛が伊勢盛時(北条早雲)に通じ、権現山城で挙兵した際に、伊勢盛時の援軍が本覚寺の地蔵堂に籠ったとされています。遺構らしきものは見当たりませんが、周囲との高低差が軍事的な施設であったことを感じさせてくれます。なんとなく土塁に見える高まりもあるのですが。境内にはアメリカ領事館跡の石碑がありました。

明日から、私もようやく、城攻めに出発です。頑張って薩摩を目指しますが体力が落ちてきているので途中で力尽きるかも・・。
個人的に各地の城びとさんがわたしの狙っている城をサッと攻略しちゃうと面白いです。「き~ 悔しい!」みたいのをやってみたいですね(もう攻略済み?)。鹿児島の零汰さんがムクムクと起き上って来てくれると面白いんだけど。「不発弾」のことは私もtodo94さんにホラれたので、チャラということで・・。

そうそう・・旅から戻ったら、イオさんから頂いた「フリー素材 購買部のお姉さん」をエロ系購買部お姉さんに摩改造しなくては・・(ボカッ!)

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朝田 辰兵衛

土地所有者の心づかいに感謝します😺 (2025/03/21 訪問)

私有地でフェンスも設置されておりますが,施錠されておらず,立ち入って散策が可能です。
土地所有者の心づかいに感謝します😺
扇川の分流地点に位置し,水上交通の抑えとして役割を果たしていたのかな…と思いました。

昨夜も告知しましたが,5/3~6まで遠征となります。書き込みはお休みします。

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しんちゃん

シロも大事 エロも大事

> イオさんへ
私のボケに真面目にツッこんでいただいてありがとうございます。「勾配IN」のお姉さんは正直「それじゃない」と思いましたが・・
ちなみに3サイズはナンぼでしょうか・・ けっこう購買部の人、カワイイ人多いのではないでしょうか。
「大奥」には、少しの間「絶句」しました。イオさんにそのような趣味があったとは・・いや、私の日ごろからの座右の銘は
「シロも大事 エロも大事」なので、それをアプリの中でも実行しているイオさんは、やはり心の師匠です。
朝田さんの「お侍ちゃん」とイラストの振りがあったので、休憩時間に手元の部材で「早川殿」を書いてみました。まだ本腰で書いていないので「早川殿」の魅力の1/10も出せていませんが、購買部のお姉さまのお礼に進呈させていただきます。うじざねくんもくっついて来てますが下男にでも使って下され(ヒドイ)。
ちなみに私 イラストは年に数枚しか書かず、カンだけで書いてるので絵柄がコロコロ変わります。「お侍ちゃん」もかかないといけないな・・

しんちゃん村の寺子屋・・完全にメンバー不足です。あまりに足りないので童顔の尼子勝久くんにも塾頭役で来てもらっています。やっぱり男の子ばっかりだと「松下村塾」みたいに過激になってしまうので、5人に1人くらいは女の子もほしいですね。
人を殺して新しい世の中を作ってもイイことないよ・・みたいな教育をしたいんですね。とはいえ、キレイごとばかりでは世の中やっていけないので軍事部門は別にあります。
職員室も設置予定です。校長先生は官兵衛先生。教頭は隆景先生・・明智先生と半兵衛先生は少し融通がきかなさそう・・石田先生はなかなかのトラブルメーカーです。
そこへ赴任してくるのが若き熱血体育教師・・そう、信繁(幸村)先生です(ここでは親子設定は抜き)。鬼の手無しでも妖怪と戦ってくれそうです。他にも近くの寺の小坊主の衆念が「阿梅」や他の女の子にちょっかいを出して真田兄弟とひともんちゃくあったり・・
そんな「地獄先生」や「一休さん」みたいな妄想が頭の中で止まらない今日このごろです。




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イオ

蒼き狼

> しんちゃんさん

城めぐアプリの我が家臣団には阿梅ちゃんも大八くんも居ますが、ご両親(信繁・竹林院)から引き離すのは可哀想なのでご容赦を(そもそも仕様的に渡せませんが)。私にはしんちゃんさんのような絵心は無いのでネットで拾ってきたフリー素材ですが、せめて「購買員(購買部のおねーさん)」をお納めください(笑)

それにしても「しんちゃん村」良いですな。寺子屋で次代を担う子供たちの教育に注力するのは素晴らしいことです(いや、ホントに)。それに引き換え、家臣団編成で「大奥」なるカテゴリを設けて、合戦で乱捕りしてきた姫を囲っている己が心の汚れようときたら…。「蒼き狼」じゃないんだから(笑)
 

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宗春

地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました⑨ 洲本城 (2025/04/12 訪問)

8城目は洲本城。4連戦最終日最後の城です。

攻める前は正直ナメてました。オモチャのような模擬天守しか印象に無かったからです。でも、この城の価値は天守ではなく(往時は天守にも価値があったのかも)、石垣だと感じました。中でも、脇坂氏が大改修を行なった際の『登り石垣』は見応えがありました。上から石垣を見るのはとても見づらかったですが😅

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宗春

地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました⑧ 勝瑞城 (2025/04/11 訪問)

7城目は勝瑞城。4連戦3日目2城目、かなり疲れが溜まってきていた中での平城、階段は勝瑞城館跡の発掘現場事務所だけで助かりました。
城址はお寺で、水堀や土塁らしき遺構が見られました。また、近くでは城館跡の調査整備が行われていて、雰囲気だけは感じられます。これから復元する方向なのか、調査が終われば破壊して何か新しい物が出来るのかわかりませんが、「続百名城」なので遺構として残すのでしょう。
御城印は近くのガソリンスタンドで入手。ガソリンスタンド?販売元は「勝瑞城みらいへつなげ隊」という政治色のありそうな団体のようですが、公式な御城印と理解して良いのでしょうか?🧐

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カズサン

春日大社南郷目代今西氏屋敷 (2025/04/26 訪問)

 原田城を終えて阪急曽根駅から阪急服部天神駅下車、東に約600m程の今西家土居屋敷を目指す。グーグルマップの史跡マークには「春日大社南郷目代今西氏屋敷」と表示されています。
 阪急服部天神駅から徒歩で東へ、国道176号線を越えて、東進し天竺川を渡り東側の堤防道へ、堤防より東側に樹木が鬱蒼としたところが見えて目的地を確認できる。堤防道を約200m程南進し松林寺への坂道を降りる、200m程東進すると、豊中市立第12中学校の北西角に当たる、その角の細い道を北進して約70m程で目的の屋敷の表門に到着する。
 表門の北側に春日大社の石碑、史跡 春日大社南郷目代今西氏屋敷の石碑が立っている、案内解説板は無し、駐車場も無し狭いエリアです、東面には表門を挟んで建物、下板塀で囲まれている。
 
 豊中市のHPでは
 現在も今西氏が居住する屋敷地は、かつて外堀をめぐらした方2町(約216m四方)の範囲があったとされ、その中央に南北1町(108m)、東西半町(54m)の居宅を構えるものです。発掘調査でも、その堀跡などの遺構が各所で確認されています。
 現在、屋敷地には宝永8年(1711年)建築の主屋、延享3年(1746年)に奈良春日社の若宮社殿を移築した南郷春日神社本殿があり、伝来する膨大な中世文書からも当時の様子が総合的に復元できる貴重な史跡として国の指定を受けています。
 と記載されてます。
 
 イオさんの投稿に、南郷の家(老人憩の家)に外堀発掘の案内板があるとの情報でしたので、東に約70m程でしたので寄って来ました、家の前に外堀の案内板、南郷の家は土曜日で閉館につきエントランス内の展示パネルなどは見学不可。
 帰りは来た道を戻り堤防東の松林寺に寄りましたが門が閉まり入れそうにないので今西家の墓所確認は出来ず。(イオさん情報ありがとう)

 帰りは天竺川の西堤防道を通り天竺川橋で西へ、途中のうどん屋で12時10分前昼食、12時過ぎたら混んできましたラッキーでした。服部天神駅へ戻る。

 次は十三武田薬品東門に在る「堀城」案内解説板を目指します。
   

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宗春

地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました ⑦ 徳島城 (2025/04/11 訪問)

6城目は徳島城。4連戦3日目最初の城攻め。百名城スタンプ等がある徳島城博物館が開館する前に到着したので、開館するまで一回りしました。
開館後、博物館を見て庭園、そして本丸へ。本丸は小高い山(丘)の上にあり、石垣もありました。徳島城の石垣は緑色をした三波川変成岩(結晶片石)が綺麗です。

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カズサン

住宅街の中に佇んでる (2025/04/26 訪問)

 麻田陣屋を終えて、阪急蛍池駅から阪急曾根駅下車、「原田城」へ、曾根駅の西側約200、300m程、曽根駅の西口より真っ直ぐ西へ200m程の交差点に「原田しろあと館⇒」の白い看板、従って北に50m程行くと、同じ「原田しろあと館⇒」の白い看板が有り従って西に60m程進むと樹木に囲まれてた住宅が有ります、門上部に横書きの原田城跡看板が出ています、門は閉まって居ました。
 石垣下に標柱と案内板が有ります、南西角、南石垣、南東角、門周辺を見て門も土曜日ですが閉まっており入りづらく終了としました。

 案内板によると
 原田城には主城の北城と砦の南城が在ったそうです、案内板の在る所が北城に当たると有りました。

 この後は今西家土居屋敷(今西氏屋敷)に向かいます。
   

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カズサン

石碑がフェンスに囲まれて立っている (2025/04/26 訪問)

 池田城を終えて、阪急池田駅から阪急蛍池駅下車、阪急宝塚線沿線の未踏の城探訪「麻田陣屋」へ、蛍池駅西側のすぐ近く、北側に消防蛍池分団の建物がある、二重フェンスに囲まれて北東角に石碑、標柱、案内板が立っている、フェンス門扉は開いていて中に入れるが狭い空間。
 城びと皆さんの投稿を見ていると2022年以前と現在の周辺が少し違いますが以前あった公民館が無くなって整地されフェンスに囲まれいる、その一角にフェンスに囲まれて以前の石碑上部と、標柱、案内板が再設置されたようです。石碑の基礎土台が以前の石積からコンクリ製土台に成って居ます。
 
 麻田藩は1万石余の大名で、青木一重によって築かれた、大坂の陣の前に駿府の家康の元に和議の使者として赴いたが捕えられて出家した、大阪の役後家康に召されて大名に取り立てられた、以後明治までこの地を領有。

 周辺に移築門などが有る様ですが残りの城跡を考えると石碑のみ見学して終了、約10分程でした。
 
 次の原田城へ向かいます。
 

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トク

天守台の測量調査開始 (2025/05/01 訪問)

天守台の発掘調査をするための前準備として、天守台の測量調査が開始されました(写真①)。ドローンを使って測量し、まず平面図や立体図を作り、レーザー探査で石垣の強度なども調べ、それを基に7月から本格的な発掘に入るそうです。いきなりドローンを使うとは思いませんでした。今後もどんな手法を使って行くのか、最先端技術を駆使するであろう発掘調査に、私は興味津々です(写真②③④)。

幻の天守も撤去され、発掘前までのつかの間ですが、現在は天守台へ登る事ができます(写真⑤)。また黒田如水の隠居所である御鷹屋敷跡にはボタンの花が(写真⑥)、潮見櫓周辺にはツツジの花が(写真⑦⑧)咲いていました。明日明後日はいよいよ「博多どんたく」が開催され、例年200万人の人出で博多の街はにぎわいます(写真⑧)。
 

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