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ヒロケン

都会の喧騒 (2024/12/28 訪問)

都会の喧騒に触れたく、冬季連休初日に名古屋城へ約1年振り(前回の訪問は2024年1月6日)に訪問してきました。とは言っても”とある煩悩の登城目録”さんの様な本格的な訪問ではなく、メインは三越や高島屋での衣料品の購入と、栄の街ブラを目的としていて、名古屋からの帰りに1時間30分程の立ち寄りでした。ですが、さすが名古屋城(*^▽^*)何度も訪れているのですが、訪れる季節や時間帯、光の指し加減で天守、櫓、堀、石垣の表情が違うように見えて新鮮さが増し、夢中でシャッターを押していました。

2024年これが最後の投稿となります。2024年は仕事も忙しく、孫にも会いたい、優先順位の1位が孫、2位が仕事、3位が城となってしまい思うように城巡りが出来なかったのですが、皆さんの自分の知らない山城の石垣、竪堀、土塁、堀、曲輪、を拝見し妄想して満足しておりました。

2025年も皆様方のご健勝と更なるご活躍を、心よりお祈り申し上げます。また、自分も皆様方に少しでも近づける様、努力してまいりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

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石垣巡りなど (2024/12/31 訪問)

 石垣が多く残されていることも、この城の魅力です。石垣を中心に投稿します。

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大晦日に登城 (2024/12/31 訪問)

 斎藤大納言妙春(正義)が兼山に烏峰城を築いたのが始まりです。その後、織田信長の家臣森可成が城主となり金山城と名前を変えました。山城の遺構が比較的よく残っていて整備もされ散策しやすい城址です。
昨年の1月に登城していますが、雪が積もっていて不完全燃焼な登城となっていましたので、登城してきました。大手より登城し出丸、三の丸、二の丸、西腰曲輪、南腰曲輪、本丸、東腰曲輪などを散策し、その後大堀切を確認しています。帰宅後、「図説美濃の城」(郷土出版社)という本の縄張り図を見ると搦手道は東部曲輪付近から大堀切方面へ描いてありました。気がつきませんでした。

 複数回登城していますが、続100名城にもなって前に登城したときは観光客の方がいつもいました。大晦日ということもあるのか登城しているのは最初から帰るまで自分ひとり。こんなことは初めてです。

 


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カズサン

浜松城初冬もみじ散歩 (2024/12/17 訪問)

 今年は温暖化なのか紅葉が遅く始まり12月中旬でも紅葉が見れるかなと、市内中心街に所要で出掛けた折りに30分程もみじを求めて浜松城を廻りました。
 先ず二の丸跡先の大河ドラマ館の在った場所で東向きの浜松城天守閣と天守御門を仰ぎ右手の黄色い銀杏が目立つ、目的の日本庭園は紅葉の終り頃、浜松城広場の作左曲輪と尾根筋は広葉樹が紅葉に、天守曲輪に埋門より入り、周りには黄色い石蕗が咲き、埋門、土塁石塁上の南西、南より天守閣を眺める、南東角の櫓台?からは富士山が遠く見える、冬の晴天では富士山が良く見えます。
 浜松城が今年最後の投稿納と成りました、登城納は移築復原御殿書院成った小島陣屋、帰りに寄った木造復元天守閣30年の掛川城、掛川城は今年の登城初めでもありました。
 
 また来年は福岡城三の丸潮見櫓復原、鳥取城中の御門渡櫓門の復元、これで中の御門枡形構の復元が完成、多賀城の外郭南門と両翼版築塀の復元で桜の頃竣工公開となり楽しみです、機会をみて訪ねたいと思っております。
 今年の登城数は164城、見たい未踏の城も少なく成って来ましたが体力気力気候の塩梅を見繕って廻りたいと思っております。
 1年間投稿をご覧頂き且ついいねボタンをクリックしても頂きありがとうございました、来年も宜しくお願い致します。
 良いお年を‼
   

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トク

2024年 私が今年最も印象に残った城

私が今年訪れた中で最も印象に残った城は、春の「彦根城」です。彦根城の桜がこんなに美しいとは思いませんでした。今までの人生の中で見た最高の桜でした。

あと最も気になったのが「伊予松山城」です。また来年の梅雨には必ず豪雨がやってきます。工事が終わるのは2~3年後のようなので、何とか被害が拡大しないよう祈るばかりです。

今年も1年間、読んでいただき大変ありがとうございました。
それでは皆様、よいお年をお迎えください!
 

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イオ

とことん一乗谷(一乗谷朝倉氏庭園) (2024/10/13 訪問)

(続き)

一乗谷では18例もの庭園遺構が確認されているそうですが、特に優れた以下の4庭園は「一乗谷朝倉氏庭園」として特別名勝に指定されています。

朝倉館跡庭園
朝倉館の最奥に造られた庭園で、山裾の池庭、枯山水様の平庭、中庭の花壇からなり、池庭には泉殿と小座敷が張り出すように建てられていて、安島石の滝石組と池底に敷き詰められた河原石が特徴です。平庭には緑泥片岩が、花壇には笏谷石が用いられ、雨の日には色彩の変化が楽しめるように造られています。

湯殿跡庭園
朝倉館南東部の高台に造られた一乗谷最古の庭園で、観音山を背景とし荒々しく勇壮な石組みが特徴です。朝倉館を見下ろす位置にあり、西側を朝倉館から観音山を巻くように続く空堀が走っていました。…ということは、湯殿跡庭園も朝倉館に含まれるんですね。

諏訪館跡庭園
諏訪館は五代当主・義景の側室・小少将の館と伝わり、上下二段で構成される一乗谷で最も規模が大きく壮麗な庭園です。下段の滝石組に用いられている「諏訪の立石」と呼ばれる高さ4mを超える巨石には、江戸期以降に朝倉氏供養のため三代当主・貞景、四代当主・孝景の法名が彫られています。

南陽寺跡庭園
南陽寺は三代当主・貞景が再建した尼寺で、発掘調査で仏殿と庭園が確認され、石組と池泉が見られます。五代当主・義景が足利義昭を招いて観桜の歌会を催した庭園であり、義昭(義秋)と義景が詠んだと伝わる歌の碑が建てられていました。この後に朝倉氏がたどる運命を思うと、この頃が絶頂期だったのかなぁ…などと思ってしまいます。

もちろん、庭園だけでなく並行して一乗谷の他の見どころもめぐっています(続く)。
 

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todo94

お城EXPO2日後の沖縄攻城④ 城カードゲットその2 (2024/12/24 訪問)

グッドモーニングの検定で「大晦日には『良いお年を』を使わない」とやっていましたので、意識してご挨拶を。本年も大変お世話になり、ありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。来年のお城EXPOでは、城びと常連の皆さんとお会いできることを期待しております。とりあえず、これが今年最後の投稿になるかと思います。

さて、今帰仁城です。北谷城からの転戦です。15時に運天港を出るフェリーに間に合うよう、計画的に北へと向かいました。これが5回目の今帰仁城です。志慶真門郭におりるための仮設階段が、鉄製のしっかりとしたものに付け替えられていました。長くくねった城壁の連なり、曲線美は私のお気に入りです。城カードはチケット売り場で購入できますが、キャッシュレスは使えず現金のみです。入場料はスマホ決済とか使えるんですけれどもね。

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赤い城

今年も1年、大変お世話になりました🐲

今年も1年、お世話になりました。
横浜でのかるた大会に参戦できなかったのは心残りですが良い1年を過ごせたと思います。
皆さんのレポートもそれぞれ個性があって楽しく読ませて頂きました。
同じ城でも見方が違ったりで勉強にもなります。
来年もよろしくお願いします。

さて、恒例?の今年印象に残った城を10城。
甲乙つけたくないので行った順です。
①八石城(徳島県)阿波の山奥にあり見渡す山波が素敵。急斜面に集落がある風景もこの地ならでは。
②東山城(徳島県)ハードな山登りの末に良好に残る遺構が。
③重清城(徳島県)農村の中に突然現れる二重堀、綺麗に残っていました。
④高尾城(愛媛県)シダを掻き分けて登城すると素敵な堀切に出会える。
⑤勝賀城(香川県)香西氏の拠点、保存会の方が熱心に整備されている。感謝。
⑥黄峰城(香川県・未登録)山頂部をぐるりと囲む石積に圧倒される。
⑦金田城(茨城県・未登録)常陸名物の深い堀底道で栄養補給。
⑧山中要害山城(島根県・未登録)柱石と呼ばれる柱状節理が独特で面白い。
⑨金川城(岡山県)主郭の井戸が大きく広い。北の堀切も良好。
⑩鏡山城(広島県)公園の背後に大規模な山城、畝状竪堀も素敵。

それでは皆さん、良いお年をお迎えください😊

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朝田 辰兵衛

今年も一年,お世話になりましたm(__)m (2024/11/05 訪問)

城びとスタッフのみなさん,「日本100名城かるた」発売に向けて,大変な苦労があったことと推察いたします。EXPOでの売り上げは,ハッキリ言って今後の展開への生命線だと思います。しかし,かなり売り上げている印象がありました。
また,かるた優秀作品の発表がなされておりませんので,来年はこの2つの総括をお願いいたします。
まずは,今年一年,大変にお疲れさまでしたm(__)m
来年は「かるたの呪縛?」から解放されて,さらなる飛躍をお祈り申し上げます。

城びとオールスターズのみなさん,今年一年お付き合いいただきまして,大変にありがとうございました。
今までお会いする機会がありませんでしたが,チェブさん,イオさん,しんちゃんさんにお会いすることができ,また,にのまるさんには,私のみにくいビジュアルをおぼえていただくことができました。
お会いしたい方はまだたくさんおります。とくに「登城したお城しりとり」にご参加くださったみなさんに,来年こそはお会いしたく思います。
みなさんのさらなる飛躍をお祈り申し上げます。

さて,喜多見城ですが,大蔵館を含め,鉄道網を眺めると交通機関に苦慮しそうに思われます。
しかし,路線バスが電車並みのインターバルで運行されています。
京急線・調布駅⇔小田急線・成城学園前駅⇔東急田園都市線・二子玉川駅間は使えます。
京急線・調布駅⇔小田急線・成城学園前駅(西口)は,「成04」系統となります。私は,布田駅近くにホテルをリザーブしておりましたので,品川通り沿いの地蔵前バス停を利用しました。
小田急線・成城学園前駅(南口)⇔東急田園都市線・二子玉川駅は,「玉07」系統となります。往路は,喜多見城最寄りの次大夫堀公園前バス停,復路は,大蔵館最寄りの下宿バス停を利用しました。
多摩川の北側ラインを横スラで攻略したい方は参考になさってください。

それでは,良いお年をお迎えください。

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カズサン

二の丸現存御殿 (2024/12/24 訪問)

 30年経った木造復元天守閣に登った後、天守台東の東帯曲輪経由、修復成った板屋根白土塀を観察確認し東帯曲輪城門から登城坂を降りて二の丸へ、入館料は天守閣と御殿を見学出来て410円をJAF割、将棋のタイトル戦の会場で有名になった二の丸茶屋前を通って御殿玄関へ、玄関先も掛川城天守閣開門30周年記念ポスターが提示されている、受付売店を通り大廊下を通り順々に書院次の間、書院上段の間、小書院、小書院次の間、長囲炉裏の間、ここには杉良太郎さんから寄贈された太田候の鎧兜が飾ってあります、裏手の足軽目付、裏通用口、徒目付、大目付、御用人の部屋を廻って玄関へ。
 現存の御殿は二条城、川越城、掛川城、天守閣と一体の高知城で大変貴重な掛川城二の丸御殿です。
 御殿からは御殿の蘇鉄、大屋根越しの天守閣がビューポイントです、今年の紅葉の時期が遅れて居り二の丸御殿東側の土塁の楓の紅葉が見頃でした。

 御殿とは別ですが、太鼓櫓の軒が弛み仮設の工事用足場が有りましたが無く成っており、その代わりに西側の軒に8本の補強用柱が設置されて軒の弛みを守っています、本格的な修復の前の応急的な措置なのでしょうか?チョット気に成りましたので別枠で一枚投稿。
 

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POYO58

今年もお世話になりました

今年もお世話になりました。今年は模試やテストで忙しくなんと登城数14!?少ない時期となってしまいました。しかもそのうち初登城は6。悔いの残る一年でした。ちなみに僕は来年高3なので受験勉強で全くお城行けないと思います。難関大学志望なので…
来年もよろしくお願いします♪

赤い城さん、朝田さん、トクさん、畝城竪堀群のコメントありがとうございます♪あの写真は結構頑張って撮ったので賞賛いただき嬉しいです。
これからも皆さんの興味を引くような写真を撮っていきたいと思います。

イオさん、遅くなりましたが、かるたのご報告ありがとうございます。ちなみに僕はかるたの投稿は一つしかしていないのですが、まさか載るとは思ってもいませんでした。自分の投稿が商品化されたことは嬉しい限りです。

お城EXPOみなさまお疲れ様でした。僕は一度も行ったことがないのですが、大人になったらいきたいと思ってます。そこで皆様とお話もしたいです♪

では残り1日となりましたが、よいお年を!

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赤い城

スマホが・・・ (2024/12/08 訪問)

平賀氏城館の3城めです。
大内氏に属していた平賀氏ですが鏡山城が落城したことを受け、白山城の防御に不安を感じた平賀弘保が築城、嫡男の平賀興貞を城主としました。
が、興貞は尼子方に付いてしまったと、何とも。

安芸では高田城に次いで2番めの規模を誇る頭崎城です。
林道で山頂近くまで行けるとのことですが車は大事なので歩いて登ります。
登城口もいくつかあるようですが南側から登城。
車は貞重集会所に置きました。
登城口には案内板もあるので分かりやすいです。

登城路は整備されていて歩きやすくなっていますが急峻
、ようやく鳥居の段まで到着。
一休みしてさらに登ります。
鳥居の先には巨石が、圧倒されます。

さらに登り三の丸へ、写真を撮ろうとしたら何とスマホがシャットダウン😭
うんともすんとも言わなくなりました。
心も折れたのですが本丸の甲の丸までは行こう、と。
甲の丸には石垣もあるのですが目に焼き付けるしかなくここで撤退。

とりあえず下山し、ドコモショップかな、と。
下山し車に乗ったところで電源入れたら復活しました。
ホッとはしましたが何だったのだろうか。
いつの日か再訪したいです。

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トク

杵築城(2/2):天守を見上げて今年の最後は温泉で (2024/12/22 訪問)

杵築城の続き(2/2)です。
上から眺めると、今度は逆に下から見上げてみたくなり、お城の方に下に降りられる道を聞き、八坂川の橋の上から写真を撮りました(写真①②)。ここから見上げると、とてもいいアングルです。下りて気づきましたが、台山は海や川方向から見ると城は断崖絶壁の上に建っています。どうやら海や川から攻めるのは難しそうです(写真③)。

夜は別府温泉「ホテル清風」に宿泊しました。通常は1泊2食で2万円くらいしますが、平日限定割引クーポンをGETできたので、何と半額の1万円で泊まれラッキーでした。海の見える展望露天風呂はとても気持ちよく、この時のために朝から何も食べずに日出城・杵築城と回ったのでお腹ペコペコ。もう着くやいなや食事処へいざ出陣、新鮮刺身や豊後牛などのこれでもかという豪華バイキングに大満足でした!😊(夜は写真⑧を2回、朝も2回、風呂には3回も入りもう満腹&のぼせ状態)。1年のいい締めくくりになりました!
 

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トク

杵築城(1/2):天守から眺めた景色は抜群 (2024/12/22 訪問)

2024年今年最後の登城は「杵築城」です。

室町時代に木付氏によって八坂川の河口にある台山に築かれたのが始まりのようです。戦国時代から豊臣期にかけて木付氏は大友配下となりますが、宗麟の子義統が朝鮮での敵前逃亡の罪で改易されると、木付統直は自刃し、そこで木付氏は絶えたようです。その後、丹後細川氏の飛地となり、家老の松井康之が城代となり三重の天守を建てますが、その後に落雷で焼失します。康之は九州の関ケ原では、再起した大友義統に攻撃されるも、何とか耐えこの木付城を守り抜きました。そして援軍に来た黒田如水とともに大友義統を別府石垣原にて破ります。しかしその後に、木付城は一国一城令で廃城となってしまいました。肥後加藤家改易後に細川氏が肥後へ転封すると、木付は豊後高田藩(能見松平氏)の所領となりました。ちなみに康之の子の松井興長は、肥後では細川忠利の筆頭家老となり、八代城の城代を任されています。

1712年に幕府が誤って朱印状に「木付」ではなく「杵築」と表記したため、その後は杵築城と表記されるようになったとか(何それ🤔?)。現在は三重の模擬天守が建ち、杵築市のシンボルとなっています。

暘谷駅からハーモニーランド経由のバスで杵築駅に着き、そこから杵築バスターミナル行のバスに乗り換え10分、杵築城入口で下車しました。ここから登城開始します(写真⑦)。途中公園になっている二の丸を過ぎ、本丸への門(写真⑨)をくぐると天守が見えてきました(写真⑩)。約15分程度の軽い登りで天守まで到着しました(写真①②)。

天守内部は資料館になっています(写真⑤)。1階では木付氏・細川氏・松平氏の資料が、2階では杵築出身の著名人が紹介されていました。太平洋戦争終結時、戦艦ミズーリ号の艦上でポツダム宣言受託の署名をした教科書にも載っている、あの外相「重光葵」は杵築の出身だったようですね(写真⑥)。

そして天守最上階からは、八坂川や守江湾から別府湾が見渡せ、遠く佐賀関や愛媛県の佐多岬までかすかに見えました(写真③④)。いや~とても気持ちのいい眺めでした。

次は、下から見上げたらどう見えるのかが気になり、八坂川へ下りてから、今夜のお楽しみ(温泉宿)へ向かいます。
 

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イオ

とことん一乗谷(朝倉館) (2024/10/13 訪問)

(続き)

復原町並から一乗谷川を渡って朝倉館へ。朝倉館は一乗谷の中央部に位置する朝倉氏代々の居館で、現在見られる遺構は五代当主・義景が足利義昭を迎えるにあたって改修した姿です。三方を土塁と堀で囲み、北西隅と南西隅の土塁上には隅櫓、正門にあたる西門、北門と南門が設けられていました。西門跡には唐門が建てられていて、一乗谷の象徴ともいうべき門だけにてっきり朝倉館の遺構かと思っていたんですが、朝倉氏を供養するために江戸期に朝倉館跡に建てられた松雲院の門だったんですね。一乗谷は信長に焼き尽くされてるんだから、そりゃそうか。

唐門から館内に入ると広大な敷地を埋め尽くすように礎石が並び、建物跡が平面表示されています。説明板で位置を確認して、南門跡と武者溜・蔵跡を右手に奥に進み、義景公の墓所にしばし手を合わせます。さらに奥に進むと花壇跡があり、ということはあれが会所、ここが主殿、泉殿の向こうは小座敷で…と少し前に博物館で歩いた原寸再現された朝倉館の様子がよみがえってきました。実は、午後からだと人を入れずに写真を撮るのは難しいかな、と思って朝イチでも朝倉館を訪れていたんですが(そのため早朝の写真も混じっています)、その時は建物跡の平面表示を見ても、この辺に建物が建ち並んでいたんだなぁ…くらいの漠然とした印象だったのが、原寸再現を見た後では、イメージする必要もなく先ほど見た朝倉館が鮮明に思い浮かんできて、時間を超えて往時の朝倉館に立っているような感覚になりました。ああ、まさにこのための原寸再現なんですね。朝倉館を訪れる前には、ぜひ博物館の原寸再現を体感されることをおすすめします。

泉殿から池庭(朝倉館跡庭園)を眺めた後は、湯殿跡庭園に向かう…前に展望所から朝倉館を一望! 充分に朝倉館を堪能した上で、庭園めぐりに向かいます(続く)。
 

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todo94

お城EXPO2日後の沖縄攻城③ 【城びと未登録】北谷城(沖縄県北谷町) (2024/12/24 訪問)

越来城からの転戦です。吉川弘文館の「沖縄の名城を歩く」所収のグスクで、米軍基地内にある旨、記されています。スルーしてもよかったのですが、様子を見てみたくて立ち寄ってしまいました。全く近寄れないかと思っていたのですが、鎌倉のやぐらテイストの墓地に続く道があり、丘陵の上にあるグスクの崖下にまで取り付くことができました。

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ようこそ!!空堀の迷宮へ (2024/11/07 訪問)

 茨城に住んでいながら、なかなか行くことができていませんでしたが、ようやく訪問することができました。
 JR水戸駅北口 6番バスのりば 茨城空港行のバスに乗車し、「秋葉」で下車、徒歩約20分で到着。他に同じく6番バス停から石岡駅行のバスで「小幡」で下車するルートもあります。(両路線とも本数が限られているので、訪問の際は時刻表を必ずチェックして下さい。)
 城跡入口には駐車場も設置されています。
 入口からは堀底道を進んで本丸を目指します。空堀はかなりの深さのもので、堀が十字路のように交差する場所もあり、“空堀の迷宮”に迷い込んだような感覚に陥りました。案内表示や縄張り図が無かったら、私は絶対迷うと感じました。
 見学ルートに沿って堀底道を進むと、櫓台跡(五の郭北東端)と変形武者走りがあります。
 変形武者走りは、小幡城の特徴の一つで、土塁上の凹みを移動し、堀底の敵兵にみつからずに攻撃する機能があったと考えられているようです。
 さらに堀底道を進んでいくと、五の郭と四の郭の土橋、そしてお待ちかねのは本丸の入り口にたどり着きます。
 本丸では、高い土塁が周囲を囲んでおり、中央奥には井戸があります。空堀がもの凄い小幡城ですが、本丸の土塁も規模が大きく圧巻でした。
 城跡エリアから少し西に行き、東関東自動車道の跨線橋を渡ると土門(大手門)跡があります。ここには土塁の遺構が残存しています。(駐車場から徒歩5分ほど)
 帰りはバスの本数的な兼ね合いで、城跡から40分ほど歩き、別路線のバスが合流する「奥ノ谷」のバス停から水戸駅へもどりました。(奥ノ谷からはバスの本数が増えるので、参考になさってください。)

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ぴーかる

堀秀政の陣城 (2024/12/01 訪問)

【東野山砦】
<駐車場他>城跡まで車で行けますが、砂利道で落石も多く落ちているので、前投稿の菖蒲谷砦手前の場所に停めて菖蒲谷砦から尾根を登って行った方が砦の連結部分がわかって面白い。車で行くには菖蒲谷砦の投稿ポイントから道なりに行って分岐を左(案内板がある)、進んで着きます。2.5㎞くらいです。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅ラスト5城目。現地説明板によると東野山は別名実山ともいい、京極氏、浅井氏の配下であった豪族の東野豊前守一族の居城があったところです。賤ヶ岳の戦いでは堀秀政の陣城で行市山に陣する佐久間盛政と対陣したようです。
 砦跡は南北に主郭と副郭があり両郭を土塁と横堀で囲んでいます。副郭内部は土壇があり建物があったようです。主郭は北東隅が段状に上がっていてます。虎口は副郭の南側に枡形があり西側の主郭腰曲輪へ流される感じになっています。主郭の北側が広い削平地があり武者溜まりになっていたかと感じました。主郭西側の腰郭から尾根を下って行くと支城の菖蒲谷砦に行けます。先の菖蒲谷砦での重複記述になりますが、東野山砦~菖蒲谷砦間の尾根の遺構には竪土塁、ジグザグに折れのある切通し、▢状の土塁のある曲輪があり菖蒲谷砦との連携防御の遺構が楽しめ一見をお勧めします。これにてこの旅終了、前日に今日のスケジュールで登城しようとやって来ましたが、曇り予報のはずが湖北にやって来ると雨がどしゃぶりだったのでガソリン・高速代勿体なかったが撤退しました。翌日のこの日あらためて予定通り攻略できました。走行距離316㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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細川忠興 (2024/12/28 訪問)

 近くへ来たので新幹線の待ち時間を利用して散歩してきました。久しぶりの登城です。復興天守もいいですが、石垣と堀が気に入っています。

 朝7時半頃に登城しました。天気予報では朝は雨が降り風が強いとなっていましたが、雨は降っていなかったため城址へ向かいました。城址へ着くと断続的に冷たい雨が降り始め、強風が吹き荒れていました。その後も雨と風に悩まされ天守閣の開く午前9時を前に退散しています。午前10時頃、新幹線を待ってプラットホームに立っているときには、雨は止み青空が見えていました。ときどきあります。

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井上周防之房 (2024/12/27 訪問)

 黒田氏の筑前六端城のひとつで黒田二十四騎の一人、井上周防之房が城主でした。高石垣に囲まれた曲輪を持った豊織系城郭であったようです。現在は公園として整備され石垣が一部残っています。
 JR黒崎駅の北側に見える山が城址で徒歩約15分で行くことができます。

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