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赤い城

築城城と高松市内の遺構無き城めぐり (2025/08/03 訪問)

暑いので近場のサクッと廻れる城をめぐりました。
いずれも遺構はありません。
まずは登録城の築城城。
周辺道路は狭く、駐車スペースもありません。
弦打コミュニティセンターを利用しました。
発掘調査でここには井戸があったとされています。
展示された井戸は遺構ではなく再現されたもののようです。
隣接する小学校の北側に南門があったそうです。
少し北に進むと説明板が立っており、さらに北側のJAのあたりが北門。
結構な規模であったようです。
勝賀城、佐料城とともに飯田郷三城の一つで香西氏家臣の築城氏の居城でした。

ここからは未登録の3城です。
岩田神社から南に行ったところにある飯田城です。
岩田神社に車を置き歩きました。
水田の脇に説明板と祠があるのみです。
城主の飯田氏は長宗我部氏が讃岐を攻めた際には香西氏に付き戦いました。

次は信安城、城跡は成合天満宮の東側とされますが詳細は不明です。

最後は松縄城。
熊野神社が城跡で周囲より一段高い場所にあります。
駐車場もあります。
境内の説明板には松縄城の記載もありました。
城主は宮脇氏でこちらも香西氏の家臣でした。

近場でもまだまだ知らない城、たくさんありますね😌

【見どころ】
 ・周辺を歩いて感じる規模感

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しんちゃん

空想の世界 (2025/03/30 訪問)

本日9月10日は(9・10)くーそー=空想の日です。そういうことにしておきましょう。くーそーは頭のこやしです(ナ〇コ)。

そんなわけで推定・森の熊さんの「うんコ」特集です。
春先から未訪の城をけっこう廻りましたが、さすがにこのタイミングで残っている城は辺鄙な場所が多く、熊のふんを随分見てきました。
で・・思ったのだけど春先の(たぶん)若いクマはしばらく同じ場所にとどまり、同じ場所にまとめてふんをする傾向があるようです。
和歌山の赤松城では少し道から外れた場所にありました。ちょっとカピカピになってるので既に遠くへ行っていると思うので・・大丈夫ですぞ!
富山でも見ましたが人里のすぐ近くでした。けっこう生息域が人里に近くなってるなと思ったら、今年は各所で熊がフィーバー状態です。特に東北はやばいですね、駆除に向かうハンターも民間人だし、被害も危険も責任もすべて民間人持ちですか?
島根でも結構見てます、ニアミスもあったと思いますよ。いやあ・・無事に帰れてよかったにゃ。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】

「高台に 異国情緒の 今帰仁城(たかだいに いこくじょうちょの なきじんじょう)」
テーマ曲は「異邦人」で♪ 
異国情緒と言っても悪い意味でではない。日本に併合される前の琉球王国の時代には王府から派遣された監守の居城だったらしい。
行ってみたい。

「美ら海と すらが触れ合う 今帰仁城(ちゅらうみと すらがふれあう なきじんじょう)」
テーマ曲は「異邦人」で♪ 未訪ですけど。

「美ら海と すらがちゃんぷる~ 今帰仁城」
使い方合っているんだろうか? すらは「空・そら」のことらしい。

「今帰仁城 あまりの美らさに ちむどんどん」
・・適当過ぎる。未訪じゃこんなもんか・・

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】

「石垣に すらぬ美らさよ~♪ 中城城(いしがきに すらぬちゅらさよ なかぐすくじょう)」

未訪っす。
沖縄語おもろっ! 結構好きです。行ってみたい。

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トク

【宮本武蔵】(7)利神城(武蔵初決闘の地) (2025/06/04 訪問)

宮本武蔵の続き(7)です。

宮本武蔵が初めて決闘をした地とされている、利神城下の平福を訪れました。宮本武蔵駅から智頭急行で3駅ほど戻った平福駅(写真⑤)で降りると、利神城のあった利神山(373m)が、すぐ目の前に見えました(写真①②)。

利神城は南北朝時代に別所敦範が築いたのが始まりとされ、別所氏は秀吉配下の黒田官兵衛に攻め落とされます。この時、竹山城主の新免貞重はいち早く黒田に付き、共に利神城を攻めたため、竹山城は安堵されたようです。その後の豊臣政権下では、この一帯は宇喜多秀家の所領となります。関ケ原後は池田輝政の甥の池田由之が城主となり、三層の楼閣を築き城下を整備して行ったようです。という事は決闘が行われたのは、宇喜多時代という事なりますね。利神城の現在はガイドツアーの時以外登城する事はできませんが、城びと先人の方々の投稿を拝見すると、あさんや赤い城さんなど多くの方がガイドツアーに参加されているようで、ここは城びと投稿者にとっては人気の城なんだ~と、びっくりしました😯(写真④)。

たけぞう(武蔵)が7才になった時、養父の無二が離婚してしまいます。その後、無二の妻でたけぞうの養母でもある「よし子」は利神城下の平福の実家に戻り再婚したようです。13才になったたけぞう(武蔵)は母恋しさに無二の元を抜け出し平福へ行きます。そこで母よし子の叔父の道林坊に預けられ、結局また厳しい剣術の稽古に明け暮れたようです。

たけぞう(武蔵)はその13才のある日、この平福の金倉橋のたもとに「何人なりとも望みしだい手合わせいたすべし。われこそ日下無双兵法者なり!」と掲げられた高札を見ます。そしてこの高札を掲げた「有馬喜兵衛」に勝負を挑み、喜兵衛を一刀のもとに倒したと言われています。決闘の場所は作用川に掛かるこの「金倉橋」でした。そこにはその事が記された小倉碑文を写した石碑があり、喜兵衛の立札が再現されていました(写真⑦⑧⑨)。

実はこの決闘には裏話があり、喜兵衛は子供と勝負するのは気が乗らず、大人の対応をしたらしいです。たけぞうは道林坊から、「ばか者、謝ってこい!」言われ謝りに行きましたが、そこで謝るふりをして油断させ、木刀で倒してその後ボコボコに殴って殺したというのです。当時のたけぞうは(写真⑩)のような、言う事をきかない相当な悪ガキだったようです。

無断で決闘をして卑怯な手を使った事を知った道林坊は激怒し、たけぞうは勘当されてしまいます。勘当されて路頭に迷い、生活に困ったたけぞうは、木下家定(秀吉の妻ねねの兄)が当時城主を務めていた姫路城で、アルバイト募集の求人を知り、身分を隠して密かに足軽(門番)のアルバイトをします。そしてそこで、ある事件に巻き込まれてしまいます。

次はその門番をした(姫路城)を訪れます。
 

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たぬ

絶景眺望 (2023/06/24 訪問)

三方を海に囲まれた眺望が素晴らしい城。
沖縄グスク特有の曲線的な石垣が美しい。
一度は行ってみるべき城。

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小城小次郎

人柱伝説 (2025/01/30 訪問)

このお城が百名城にも続百名城にも名を連ねなかったことは不思議でならない。それくらいよいお城だと思う。お城の裏鬼門には人柱祠があるが単なる伝承ではなくここからは本当に埋められた老武者が見つかっている。

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「安芸国 毛利氏息づく 郡山城」
(あきのくに もうりしいきづく こおりやまじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「いと高き山 天守頂く 松山城」
(いとたかきやま てんしゅいただく まつやまじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「古高山城 新高山と にらめっこ」
(ふるたかやまじょう にいたかやまと にらめっこ)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「新高山城 古高山と にらめっこ」
(にいたかやまじょう ふるたかやまと にらめっこ)

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しんちゃん

崋山神社 (2025/09/07 訪問)

田原城の本丸には巴江神社があり、城主三宅氏の遠祖・児島高徳などを祀っています。戸田氏じゃないのが少し残念。
田原城址に隣接する崋山神社には田原藩家老で学者や画家としても高名な渡辺崋山を祀っています。昭和34年の伊勢湾台風で崩壊しましたが後に再建されました。渡辺登(崋山)の父は江戸詰だったため、登は江戸の田原藩藩邸で生まれています。諸々の理由で貧乏暮しに陥り、少年時代は得意の絵を売って家計を助けていたようです。後に田原藩の家老職に就きますが活動は江戸が中心だったため人脈が非常に豊富だったようです。
どうやら、この崋山神社・田原城の出丸跡になるようです。

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しんちゃん

名古屋城 (2024/04/06 訪問)

天下普請で造られただけに、名古屋城には刻印石がとても多い。本丸御殿の東側に吉田城に飾られているのと同じ刻印の石があるはずなのだけど写真が見当たらない。10枚目の写真は吉田城にある「山田」の刻印石です。
徳島藩主・蜂須賀至鎮(よししげ)の家臣の山田宗重もしくは山田宗登に由来が有るようで、吉田城の山田の刻印石には海洋生物の棲管が付着しており、沿岸部で採石されたものと推定されています。ちなみに吉田城の刻印石は名古屋城築城の際に余った石材を利用しています。あざす。
名古屋城天守台の石垣は焼跡のひびや変形が見られ痛々しい。特別史跡なのは解るが、痛みの激しい石は交換しないと危ないと思う。石垣の修理の際には傷んだ石はけっこう交換するようですよ。

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しんちゃん

名古屋城 (2024/04/06 訪問)

ちょうどこの日は城(しろ)の日だったのですな。名古屋城もそれなりに桜はあります。個人的には城・桜・富士が好きですが、この三つが見れるのは山中城くらいかな・・? でも近世城郭に桜は良く映える。

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朝田 辰兵衛

三木の干し殺し… (2025/07/02 訪問)

鳥取城,備中高松城を訪城したら,三木城をスルーする理由はありません。二の丸に建てられている「みき歴史資料館」も無料なのに資料が充実しておりビックリしました。また,ここにも諏訪原城と同じネーミングの「かんかん井戸」がありました。全国を廻るとまだまだありそうな気配がします…。
なお,別所長治公&照子夫人の首塚を散策後,グーグルマップに「三木城新城跡」の表記を発見したので行ってみたら,パネルも何もない空き地になっていました…<泣>。
意外とタイムロスがあり,帰還日のため鷹尾山城の散策は断念。往路は福岡空港に飛びましたが,復路は伊丹空港から越後に帰還しました。

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肉球

見どころは土塁 (2025/08/18 訪問)

跡地には住宅と畑が広がり見どころは天神曲輪の土塁のみです。
発掘調査で障子堀が確認されているようで、それを示すような案内板や標柱が所々に建てられています。
車は騎西図書館の駐車場を利用させてもらい散策しました。

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chiroru

大きな石垣 (2025/08/23 訪問)

小田原駅からは、小田原宿観光回遊バス「うめまる号」に乗り、車内では添乗ガイドさん付きで小田原の街の名所を車窓で眺めながら、
一夜城歴史公園(ヨロイヅカファーム)下車。バスが到着するタイミングで現地ガイドさんが待機してくれいてガイドをお願いし登城。

いきなり、南曲輪石垣が歓迎してくれます!散策路も整備されており歩きやすいです。
馬屋曲輪で説明を頂いた、馬が水を飲む所に大変なロマンを感じました。暑く晴れていたので雨水の通り道ははっきりとは見えませんでしたが、それも今でも見ることができるし、今でも湧き水が出てるそうです。
井戸曲輪は圧巻です。
物見台から見る小田原と相模湾とても美しい。
最後は大手道から降りてきて、排水路跡も。

手軽に小田原が楽しめる物を食べたくて、小田原駅構内にある喫茶店で食べたパスタは、さっぱりとして美味しかった。

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駿府城

駿府城公園はこれからどう変わる?未来の姿をご紹介します!

皆さん、駿府城公園内に設置されているこちらの看板はご覧になりましたか?
この看板では、これまでの駿府城公園の歩みや整備のポイント、そして「これからの駿府城公園」の姿をわかりやすく紹介しています。
駿府城公園は、これまで「駿府公園基本計画・基本設計」や「駿府公園整備再評価計画」に基づき、整備を進めてきました。今後はその方針を踏まえながら、家康公の時代の歴史を感じられる景観を再現するため、野外展示施設の整備や本丸広場の整備を行っていきます。
整備後の公園は、「歴史遺産」「市民の憩い」「防災拠点」をテーマに、訪れる皆さんが「歴史を感じながら楽しめる空間」へと生まれ変わる予定です。
この看板は、駿府城跡天守台発掘調査現場「発掘情報館きゃっしる」をはじめ、公園内の施設や静岡市歴史博物館にも設置されています。お散歩の途中や公園を訪れた際には、ぜひ立ち止まってご覧ください♪

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「SLの 煙たなびく 津和野城」
(SLの けむりたなびく つわのじょう)

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へす

【赤色立体地図かるた】

一夜城 石垣山城 同じ城
(いちやじょう いしがきやまじょう おなじしろ)

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