石上城は登福寺の東の尾根上に築かれています。最初は道が分からず難儀しましたが、登福寺の前の集会場の案内板のあるあたりから、道が続いています。澤が登福寺の背後の丘陵との間を流れ、天然の堀の役割をしています。
案内板に従って進んでいくと大頭龍神社のある広い扁平地に至り、城址はその背後になります。尾根を進んでいくと堀切があり、その先が二の曲輪(案内板)、そして虎口を経て本曲輪に至ります。本曲輪の周囲には土塁が残りますが、広さはそれほどでもありません。本曲輪の北側には堀切や竪堀があり、尾根はその先に続いているようです。
南北朝の時代より、存在していたとされ、徳山城の支城として南朝方に属していたようです。戦国時代には石上氏が城主を務め、今川氏から武田氏に従い、天正3年(1575)に城主・石上兎角之助は二俣城の守衛の任に付いている時に二俣城の戦いで討死し、石上城は廃城になったとされています。城址自体はそれほど広くは有りませんが、大頭龍神社や登福寺、その背後の丘陵までを守りに活用できれば、なかなかの規模になると思います。
この日は石上城を攻略した後は、奥池ヶ谷城を攻めました。二城とも静岡の城の中では外れの位置にあり、この日は大雨も来ていたことも有り移動には難儀しました。狭い県道(林道に近い)が通行止めになっていて迂回して大幅に時間をロスしています。
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