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シャンシャン

カツナリ・デ・ナイト 2025 (2025/08/23 訪問)

福山城のイベント、カツナリ・デ・ナイトに参加!
普段公開されていない重文三重櫓の伏見櫓に入ることができて感動!急な階段は昇り降りが大変だけど、現存天守と共通しており嬉しくなる。内部は備中松山城や丸亀城よりすっと広い印象。3階から見る本丸側は天守もしっかり見えてすごく映える風景。
オシロボットのARで遊んだり、スタンプラリーもあって子供も楽しく遊べていいイベント。
そしてメインイベントはドローンショー!!ドローン達が次々と福山由来(バラの花、新幹線など)のものに変化していって楽しかった!

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肉球

9年ぶりの登城 (2025/07/19 訪問)

9年も経つと箕輪門前の住宅が減り景色が変わっていることに驚きました。
早朝に到着したためにほんまつ城報館は閉まっており次の機会に訪問することに。
初めてカメラに納めたアングルは箕輪門から大手門へ向かう途中の遊歩道から2番目の画像。
箕輪門と本丸石垣が一緒に見えます。

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肉球

14年ぶりの登城 (2025/05/10 訪問)

今回は今まで見落としていた不開門が近くの妙専寺に移築されているので
それを目当てに登城しました。
14年も経つと城内は整備が進み歩きやすく散策しやすくなった気がしました。

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しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2019/05/02 訪問)

「眼下まで 敵陣迫る 鳥取城(がんかまで てきじんせまる とっとりじょう)」

赤色立体地図で見ると鳥取城も多くの腰郭を持ち、なかなかの堅城に見えますが、羽柴秀吉の築いた太閤ヶ平と、それを取り巻く陣所の数と勢いは圧倒的に見えます。東の寺屋敷の陣の北側も秀吉の陣所で有ったとすれば、鳥取城のすぐ近くまで敵陣が迫っていたことになります。西の丸山城・錐山城を経由した補給ルートも羽柴軍により完全に攻略され、雁金城からサイノタワノ陣まで敵の手中に落ちた以上、東西からの挟撃が近くにまで迫っており、すでに大幅に戦闘力を喪失している鳥取城はひとたまりも無かったと思います。
陣地的に見ると完全に詰んでいます。
城兵の栄養状態も粥を食べただけで「リフィーディング症候群」を引き起こすほど衰弱しており、二重の意味で詰んでいます。
城兵の命を助けるためというよりは、陣形的にとことんまで追い詰められた上での降伏に見えますね。正直、判断が遅すぎると思いますが、敵が後の天下人の秀吉であったので「相手が悪すぎた」のかもしれません。ただし、巻込まれた領民はたまったものでは無いと思いますが。
秀吉が残虐であったというよりは、籠城側の責任が大きいと思います。当然ながら元凶となった森下道誉・中村春続などは生かしてはおけませんが、秀吉は経家や他の兵士の命は助けるとまで進言していたのだから。降伏を許さず兵糧攻めを行った高天神城の戦いの方がはるかに残虐ですね。

※鳥取城の投稿で有りながら、一枚も鳥取城の写真が無いという・・いや、遠景で一枚あるか。陣所付近からだけど。

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於大の方生誕の地 (2025/08/23 訪問)

 久しぶりの登城です。前回登城時、移築門と伝わっている水野氏菩提寺乾坤院総門を見なかったので、見に行って来ました。

 JR緒川駅から乾坤院までは約15分、緒川城址へは徒歩10分くらいで行くことができます。

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しんちゃん

平泉寺白山神社 福井県勝山市平泉寺町 (2016/08/11 訪問)

平泉寺が開かれたのは養老元年(717)のこととされ、白山を目指した越前の僧・泰澄がこの地の林泉で白山神の降臨を見たことが始まりとされています。戦国時代には強大な勢力を持ち、砦や堀を備え、寺領9万石・僧兵8千人を抱え、境内に48社・36堂・6千の坊院が立ち並んでいたそうです。規模を考えると石高はもっと有ったのかも。
天正2年(1574)に一向一揆に追われた朝倉景鏡を匿ったため一揆軍の攻撃を受け、全山が焼失し僧兵の多くも討死し勢力は大きく衰退しました。古い百名城の本にも城郭扱いで載っており、土塁や石垣なども残っています。寺院とはいえ、やっていることは、ほぼ戦国武将と変わらないですね。鎌倉時代には奥州に落ち延びていく源義経主従が立ち寄ったという伝説も残っています。

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しんちゃん

厳島(宮島)豊国神社(千畳閣) (2013/10/03 訪問)

厳島神社の平舞台を支える柱は毛利元就の寄進した赤間石で出来ています。礎石がないけど大丈夫なのかな??
塔の岡周辺にある千畳閣と呼ばれる建物は豊国神社で通っています。豊臣秀吉が安国寺恵瓊に命じて築かせていたらしいのですが、秀吉の死によって未完成のままになりました。元々、神社ではなく経堂として建造されていたのですが、戸も無く吹きさらしの建物の中に豊臣秀吉を祭る社がポツンと鎮座しています。
以上で厳島の投稿は終了になります。「おそ松」さまでした。

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ヒロケン

【赤色立体地図かるた】 (2019/01/04 訪問)

総構え 戦況見下ろす 石垣山
(そうがまえ せんきょうみおろす いしがきやま)

北条側は必至!豊臣側は物見遊山!北条方は8万3千、豊臣方は22万(諸説あり)石垣山城から見る戦況は壮観であったに違いない。

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椎の木屋敷跡など (2025/08/23 訪問)

 刈谷城周辺を散策して来ました。
忠政の娘である於大の方(徳川家康の母)は幼少期に刈谷城に移り住み、刈谷城から松平広忠に嫁いでいます。於大の方は忠政の居城であった近くの緒川城で生まれましたが、その後この城へ移っています。刈谷城から歩いて10分くらいの場所に於大の方が松平広忠に離縁された後、移り住んだと伝わる椎の木屋敷跡があります。
 街角などで見かけた気になるものを撮影してきました。

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亀城公園 (2025/08/23 訪問)

 久しぶりに登城してきました。刈谷城は、1533年(天文2年)に水野忠政が築城しました。亀城公園として整備されています。「十朋亭」という1916年(大正5年)に建てられた2階建の建物が本丸跡地にありますが、ここはかって戌亥櫓がありました。三の丸を示す石碑は刈谷市郷土資料館敷地内にあるとの情報がありましたが、今回は確認していません。

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ヒロケン

【赤色立体地図かるた】 (2025/02/01 訪問)

東は石垣、西は土 二つの特徴 周山城
(ひがしはいしがき、にしはつち ふたつのとくちょう しゅうざんじょう)

光秀公の東丹波攻略の拠点として周山城は築かれ、同時期に東の総石垣の城と西の土の城は築かれたとされています。西の城の築城意図は解明されていません。

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「犬猿も 戻る痩せ尾根 高天神」
(いぬさるも もどるやせおね たかてんじん)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「障子堀 不朽の名作 山中城」
(しょうじぼり ふきゅうのめいさく やまなかじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「懸造り 天守聳える 苗木城」
(かけづくり てんしゅそびえる なえぎじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「曲輪群 切岸三昧 国吉城」
(くるわぐん きりぎしざんまい くによしじょう)

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「見上ぐれば 頂遥か 七尾城」
(みあぐれば いただきはるか ななおじょう)

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しんちゃん

長浜周辺 豊臣秀勝公墓所・太郎坊阿賀神社 (2014/05/17 訪問)

滋賀県長浜市の妙法寺には羽柴(豊臣)秀勝の墓があります。豊臣秀勝というと、豊臣秀次の弟で三好(木下)吉房の子である秀勝の方が有名ですが、こちらは秀吉の長浜時代に生まれた子・石松丸で、側室の産んだとされています。
秀勝と名のつく人物は他にも、織田信長の四男で秀吉の養子となった秀勝(於次)がいます。秀勝多いです。
この後、秀吉に長らく子が生まれなったことを考えると、本当に秀吉の血を引いているのか不明ですが、戦国の武将である秀吉が子供を欲しがっていたのも事実だと思います。
太郎坊阿賀神社は古くから神の宿る霊山として崇拝され、聖徳太子・伝教大師最澄・源義経らの崇敬を受けています。境内には「夫婦岩(めおといわ)」と呼ばれる巨岩があり、高さ20m近い巨岩の間に1mに満たない隙間が通っています。なんとなく豊橋市の石巻山に似ている気がしますが、ここに城跡があったという伝承はありません。

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しんちゃん

厳島(宮島) 大鳥居・清盛神社 (2013/10/03 訪問)

また厳島神社です(しつこい)。神社や寺って、基本似たような構造が多く、城めぐりほど持続力が続きませんが、厳島神社は干潮・満潮によってがらりと見た目が変わり、天候や季節によっても違って見えると思います。
本殿の前の平舞台には高舞台が設置されていて、高舞台は立入が禁じられています。平舞台の先の突き出しは火焼前(ひたさき)と呼ばれ、管弦船がここから出入していました。平清盛は管弦祭の時に、ここから船で海へ出て、厳島神社や宮島を見ながら音楽を奏でさせて楽しんでいたようです。清盛公もきっと満足したと思います。
平舞台を支える柱は赤間石で出来ており、これは毛利元就の寄進によるものです。清盛公や元就公、秀吉公ら多くの権力者の崇敬を受け、今は世界の多くの人々の心を引き付けていると思います。
厳島の合戦の舞台でもあるし、歴史的にも意義が深いので、また訪問してみたい場所の一つです。海沿いに小さな神社があって、そこでは平清盛を祭っています。

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しんちゃん

厳島(宮島) 大聖院の狸・摩尼殿 (2013/10/03 訪問)

厳島(宮島)の大聖院の上の方にある摩尼殿の二階には上がることが出来ました。畳の上から眺める景色は格別でした。景色も雰囲気も格素晴らしい。これで満足して、戻ることにしました、弥山には行ってないです。
大聖院にはなぜか信楽焼のタヌキの置物がありますが、例の特徴的な部分を隠しているようです。お寺ですなあ・・
麓に戻ってくると、また厳島神社を参拝。何回いくねん、といった感じですが海抜ゼロメートルの絶景は素晴らしいんですよ。

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しんちゃん

厳島 大聖院 (2013/10/03 訪問)

大聖院は厳島(宮島)で最古の歴史を持つ寺院です。弥山の登山ルートの入り口に位置しますが、実は弥山には行ってないんですね。摩尼殿の二階から見た景色に満足して下に戻ってしまいました。一番の目的は厳島神社だったのですが、宮島もなかなか奥が深いです。
またいつか捲土重来(再訪)したいですね。

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