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山麓の遺構 (2024/12/27 訪問)

 山麓には集落のある谷を守るように、隣接する尾根の東斜面に横堀、土塁、畝状竪堀などを観ることができます。ただ竪堀は浅くなっていたり藪になっていてわかりにくいです。

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黒田官兵衛 (2024/12/27 訪問)

 豊前を領地とした黒田官兵衛、長政親子が中津城に移るまで居城とした城です。
大谷登山口から山麓にある土塁、横堀、畝状竪堀群を見て登って行きました。坂は急なところもありましたが、歩きやすく整備されています。途中、堀切などを観ることができました。二の丸から本丸までは少し離れていて尾根を移動します。本丸手前に横堀の表示があり行ってみると見事な堀とそれに続く竪堀がありました。縄張り図には堀切となっています。自分も堀切の方がしっくりきます。本丸に説明板がありました。眺望はすばらしく京都平野や周防灘を見渡せます。

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石垣散策 (2024/12/26 訪問)

 予想していたよりも多くの石垣を観ることができました。捜せばもっとなるかもしれません。
期待以上に素晴らしい城址で手入れもよくされていました。時間の都合もあり回れなかった場所、予習不足だった所もありましたが、気持ちよく散策でしました。

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出丸と別曲輪周辺散策 (2024/12/26 訪問)

 出丸、別曲輪を一部ですが散策しました。城内の説明板では東側に出丸を設け、両脇を固めるように別曲輪を五つ配置していると書かれています。出丸と別曲輪の表示がありますが、主要な城域との位置関係、規模を考えると同じように思います。畝状竪堀もありました。別曲輪跡の表示のある曲輪の奥にも曲輪が展開していました。主要な曲輪はよく整備されています。奥まで行くと藪や倒木がありました。余湖くんのホームページには他にも曲輪があり、次に来た時は今回時間の都合で断念した東南にある別曲輪群も散策してみたいですね。

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主要部分周囲散策 (2024/12/26 訪問)

 広範囲に城域がありそれなりに遺構もあるために主要部分周囲の気になった所も投稿させていただきます。二の丸を下ったところに水の手曲輪がありますが、江戸時代の絵図によると近郊に大規模な堀切があったようです。今は埋まって平坦部になっています。畝状竪堀が多い城址ですが、浅くなったり藪になっていたりしていました。

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本丸付近散策 (2024/12/26 訪問)

 豊臣秀吉の一夜城伝説が残る城で、黒田氏が筑前を治めた時代は筑前六端城の一つとして位置づけられています。小石原街道と秋月街道が益富城下で交差し、交通の要衝でした。
興味深いのは縄張りで標高約190mの場所に本丸、二の丸があり、北東の尾根には別曲輪群が展開しています。その曲輪は余湖くんのホームページの図では出城となっていて9カ所記載されていました。現地の表示では出丸、別曲輪と表現されています。まずは本丸方面へ向かい水の手曲輪、二の丸、本丸、さらには馬屋跡まで散策し、戻って北東の別曲輪群を見学しました。時間の関係で東南にある別曲輪群は散策していません。それでも約2時間半かかりました。城域はかなり広いです。曲輪、枡形虎口、石垣などが残っていました。畝状竪堀が多く設置されていることは、この城の特徴のひとつです。

上の方まで車で上がれます。公共交通機関を利用される方は、桂川駅からバスが出ていて大隈バス停下車し、そこから徒歩で上まで上がります。

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まさお

千葉 佐倉城址公園 (2024/12/28 訪問)

京成本線で京成佐倉駅に戻り、徒歩20分くらいで国立歴史民族博物館入口から入りました。
あいにく年末年始の閉館でしたので、姥が池を経由し公園センターに向かいました。
ハリス像・堀田公像・正岡子規句碑より本丸跡に向かい、土塁上を通り天守跡を見学しました。
その後大手門跡を通り駅に戻りました。

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トク

日出城(3/3):ハローキティとくらすまち (2024/12/22 訪問)

日出城の続き(3/3)です。

瀧廉太郎の銅像の後ろには、かつては裏門櫓があったそうで、今では二の丸(銅像の前)に再建されています(写真①)。その二の丸には、駐車場・トイレ・案内所・おみやげ屋などがありますので、最初に立ち寄られて、地図などの情報収集をして散策されたらいいかと思います(写真②)。

また裏門跡には釣鐘櫓があり、今でも釣鐘がぶら下げられていました。朝8時になったら小学校が鐘を鳴らすそうです(写真③④)。登城ならぬ「登校の時間だよ~!」(笑)。

また城内のいたる所の電柱には、二階堂麦焼酎が宣伝されていました(写真⑤)。二階堂酒造の工場はここ日出町にあり、今ではいいちこ(宇佐の三和酒造)と並ぶ、日本で二トップの麦焼酎の会社です。

また暘谷駅に隣接する交流センターの二階には、日出城の模型もありした。時間があれば見学されたらいいかと思います(写真⑥)。私はバスの待ち時間に、ちょっと見てきました。

【周辺観光】ハーモニーランド(写真⑩)
日出町と言えば、知る人ぞ知るキティちゃんの聖地「ハーモニーランド」があります。日出城から車で北へ10分程坂を登った所、国道10号線(赤松峠)です。暘谷駅や杵築駅から本数少ですが路線バスも出ています(タクシー乗場あり)。暘谷駅は小さな駅ですがキティちゃんムードが漂う駅でした(写真⑦⑧)。平日や特に冬(1~2月)は正月を過ぎると寒くて人が急に少なくなり休園日も多いので、私は適度に人の多い春秋の週末に行かれる事をオススメします。でもGWは混雑します(笑)。かなり広い遊園地なので乗り放題のアトラクション付チケットを購入し、サンリオキャラクターが躍るステージやパレードもあるので、小さな女の子たちは1日中楽しめて大喜びすると思いますよ! ちなみに数年前ですが、私はステージに上がりバットばつまる君と抱き合った事があります・・・(何しに行ったの?😲)。

次は(写真⑨)のバスに乗り、今回ハーモニーランドは通過して、杵築城へ向かいます。
 

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まさお

千葉 本佐倉城 (2024/12/28 訪問)

本佐倉城と佐倉城を京成本線利用で行ってきました。
大佐倉駅で下車し、駅構内でスタンプをゲットしました。
ちょうど昼食時だったので、コンビニでおにぎりでも買ってお腹を満たしてから
登城しようと思ったのですが、駅周辺には何も店がありませんでした。
20分くらい歩いて到着し、大堀切・城山虎口を通り城山郭に、さらに奥ノ山・東山に
行きました。
東山からは順天堂大学キャンパスが見え、天気がよければ筑波山も見えるそうですが
この日は見えませんでした。


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赤い城

主郭は竹藪 (2024/12/08 訪問)

平賀氏城館の2城目です。
白市の町内に説明板が設置されています。
西福寺の前の無料観光駐車場に車を置き西福寺から光政寺へと登ります。
光政寺右手の廃屋の浦から登城路がありました。
一応整備はされていて道は明確に分かりました。

途中、曲輪を見ながら少し登ると堀切に着きます。
まずは右手に登るも竹藪。
引き返し主郭方面も竹で覆われています。
国土地理院の三角点までは道がついていたのでそこまで行って引き返しました。

戦国期に平賀弘保が築いた城で御薗宇城から本拠を移しました。
白市は当時交通の便もよく、山頂からは四方をよく見渡せる防御に適した立地でした。

遅くなりましたがtodo94さん、沖縄コンプおめでとうございます✨
次は香川ですかね。
お待ちしております😊

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todo94

お城EXPO2日後の沖縄攻城② 【城びと未登録】越来城(沖縄県沖縄市) (2024/12/24 訪問)

中城城からの転戦です。吉川弘文館「沖縄の名城を歩く」所収の城で「ごえくぐすく」と読みます。第一尚氏第6代の尚泰久王が王子時代に居城したといわれています。尚泰久に仕えていた金丸(第二尚氏初代尚円王)もここにいたということになりますね。なかなかの歴史を持つグスクではありませんか。公園になっていてお年寄りの皆さんがグラウンドゴルフに興じていらっしゃいました。ものすごくきれいに草が刈られていましたが、日常的に利用されている皆さんあってこそなのだなあと感じさせられました。

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イオ

とことん一乗谷(復原町並) (2024/10/13 訪問)

(続き)

博物館からのシャトルバスを降りると、復原町並南側の券売所には行列ができていましたが、博物館との共通観覧券(210円分割引)を買ってあったので、列に並ぶことなく入場できました。

復原町並は発掘調査により発見された塀の石垣や建物礎石などをそのまま用いて往時の町並みを復原したもので、南北約200mの通り沿いに町家や武家屋敷が建ち並んでいます。また、訪れた日は「戦国城下町生活再現」が開催されていて、復原町並のあちこちで一乗谷に暮らす往時の姿の人々を見かけました。通り沿いの露店には野菜がならべられ、茶店が営業し、商家では越前焼の湯呑みや皿が売られています。店の人に尋ねてみると、往時の再現としてだけでなく実際に販売しているんだとか。復原町並、おもしろいなぁ。復原された町家に入ってみると、柱や梁にちょうなの痕が見られ、土間には井戸があり、紺屋の土間には染料が入った越前焼の大甕が半分埋められて並んでいます。裏庭に出ると井戸や排水溝、トイレにゴミ捨て場まで完備され一乗谷の生活水準の高さが窺えます。

町家群から通りをはさんだ北側には中級武家屋敷群、西側には上級武家屋敷群が広がっていますが、上級武家屋敷群の土塀と薬医門の向こう側は平面復原のみで建物は復原されていません。それでも建物礎石や井戸跡、排水溝と説明板やリーフレットを照らし合わせて見てみると、往時の姿を思い描くことができました。中級武家屋敷群には土塀と棟門のほか、主殿や蔵、納戸、トイレが復原されていて、主殿の台所では鯛がさばかれ、座敷では朝倉将棋(酔象の駒入り)が指されていました。

復原町並の通りは少しずつ角度を変えて見通しが利かないように造られており、南端は行き止まり、北端は矩折と呼ばれるクランク状になっていました。城下町ですもんね。そして、北側の休憩所にある復原町並のジオラマで上級武家屋敷群の様子を確認して復原町並をひとめぐり。

説明板やリーフレットなどと照らし合わせれば、平面復原でもある程度は往時の姿を思い描けるとはいえ、やはり復原された町並を見て、その中を歩き回って…という経験とは比べものになりませんし、その経験があれば、平面復原を見て思い描くイメージもより明瞭なものになるでしょうから、実に良い経験をさせてもらいました。その上に「戦国城下町生活再現」で住民の暮らしぶりまで感じられるとあっては、言うこと無しですね。…などと大いに満足して復原町並を後に朝倉館に向かいましたが、100名城スタンプを押し忘れたことに気付いたのは帰宅してからのことでした。やれやれ(続く)。
 

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エボママ

たどり着きました (2024/12/28 訪問)

全く城に興味のない友人に、一緒に行ってもらいました。
「本当にこんなところにあるの?」と言われながら、たどり着きました。

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しんちゃん

臥龍山雲松寺 (2024/12/22 訪問)

土井谷砦は小机城の城代であった笠原氏によって築かれた支城のような砦であったようです。雲松寺の裏山が城址とのことですが、周囲の高まりも、なかなか急で実際に登るのはリスクがありそうです。実際には雲松寺の南東の畑地になっている丘陵地が城址の主要部になるようです。私は小机小学校のあたりだと思っていたので当てが外れました。
雲松院は小机城の城代・笠原信為が父・能登守信隆の追善のために季雲を招いて開山とし、自らが開基となり建立したとされています。

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しんちゃん

円妙山大慶寺 相良城御殿の一部を移築 (2024/06/22 訪問)

静岡県藤枝市の円妙山大慶寺は田中城の姫君の病気平穏の功により田中城の祈願寺とされ「さむらい寺」と称されてきました。境内の久遠の松は日蓮上人お手植えとされ、樹齢は750年を越えるとされています。
客殿は天明8年(1788)に相良城の御殿の一部を移築したものとされ、大黒柱・梁・柱などは当時の物を使用しています。奥の間の部屋は往時に田沼意次が接見した間とされています。

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ぴーかる

東野山砦の出城 (2014/12/01 訪問)

【溝谷砦】
<駐車場他>前投稿の菖蒲谷砦と同じ場所または砦跡を囲むように道路が360度カーブになっている場所の道路脇に停めれる。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅4城目。城びと未登録の菖蒲谷砦は東野山砦(堀秀政の陣城)の支城であったようなので東野山砦での投稿とします。進入口はないようで、360度カーブの曲がった東側の切岸をよじ登るしかないようです。
 砦跡は北東上方に堀切があり曲輪は3段構造になっています。小さな砦跡で真ん中の舌状曲輪が一番広いです。その周りは道路で潰されているので遺構があったかどうかは分かりません。菖蒲谷砦に寄る方、またはこの道路を通る方であれば是非寄って見てもいい遺構です。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

高尾阿弥陀堂 源範頼ゆかり (2024/05/06 訪問)

埼玉県北本市高尾にある高尾阿弥陀堂(泉蔵院)には源範頼の妻・亀御前の伝説があります・亀御前は十三人の合議制の一人となった安達盛長の娘とされています。建久4年(1193)範頼が謀反の疑いで伊豆修善寺に幽閉され、梶原景時に攻められ自害すると、亀御前も荒川に身を投げたとされ、村人によって供養塔が建てられたとのことです。
かつては青石の巨大な平石塔であったとされますが、寛政11年(1799)に常勝寺に御前の愛用の薙刀とともに移されたため、その由緒を刻んで建て替えたもののようです。源頼朝の死後の梶原景時の弾劾では亀御前の父・安達盛長は強硬派になりました。頼朝の下で汚れ仕事を請け負ってきた景時とその一族の最期も、また悲惨なものであったようです。

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まにまに

もうちょっと整備して〜 (2024/12/15 訪問)

浜名湖に突き出た小さな半島の先端の高台にある城。地理的に浜名湖を行き交う船や人を監視する為に作られた感じ。
お寺の横にある坂道を登り、突き当たりにある墓地の向こうに案内板が見えてくる。
で、案内板に描かれた縄張り図を見て見学するべく、散策コースと案内された山道に分け入ったわけなんだけど、これが下草が全く刈られておらず、道らしき所に笹が覆いかぶさるように生えてるのでかき分けて進む。
しばらく行くと小さな石を積んだ高さ1メートルちょっとの石垣が見えてきて、さっきの縄張り図によると曲輪を囲むようになってるっぽい。が、いかんせん笹が繁茂しててよくわからない(^_^;)
途中で全く道がわからなくなったんで引き返し、別のルートへ分け入ったけど、そちらもさほど行けず。
縄張り図には番号が振られた箇所があるけど、それがどこなのか全くわからない。
散策コースと銘打った割には全然整備がされておらず肩透かしでした〜。

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小城小次郎

なるほど高低差がある (2024/03/20 訪問)

城域の中にあったとされる湯殿神社の境内には確かに高低差が残り、付近も斜面が多いせいか航空写真で見ても緑が多い。梶原景時開基の萬福寺が付近にあって、このお城も後北条氏家臣に連なる梶原氏居住の城と伝わるそうだ。

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とってぃ

ちょっと立ち寄りました (2024/12/28 訪問)

妻の実家に帰省ついでに立ち寄りました。
子供もいたので、雪の中短時間さらっとまわるのみでした。

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