みんなの投稿

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まさお

千葉 本佐倉城 (2024/12/28 訪問)

本佐倉城と佐倉城を京成本線利用で行ってきました。
大佐倉駅で下車し、駅構内でスタンプをゲットしました。
ちょうど昼食時だったので、コンビニでおにぎりでも買ってお腹を満たしてから
登城しようと思ったのですが、駅周辺には何も店がありませんでした。
20分くらい歩いて到着し、大堀切・城山虎口を通り城山郭に、さらに奥ノ山・東山に
行きました。
東山からは順天堂大学キャンパスが見え、天気がよければ筑波山も見えるそうですが
この日は見えませんでした。


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赤い城

主郭は竹藪 (2024/12/08 訪問)

平賀氏城館の2城目です。
白市の町内に説明板が設置されています。
西福寺の前の無料観光駐車場に車を置き西福寺から光政寺へと登ります。
光政寺右手の廃屋の浦から登城路がありました。
一応整備はされていて道は明確に分かりました。

途中、曲輪を見ながら少し登ると堀切に着きます。
まずは右手に登るも竹藪。
引き返し主郭方面も竹で覆われています。
国土地理院の三角点までは道がついていたのでそこまで行って引き返しました。

戦国期に平賀弘保が築いた城で御薗宇城から本拠を移しました。
白市は当時交通の便もよく、山頂からは四方をよく見渡せる防御に適した立地でした。

遅くなりましたがtodo94さん、沖縄コンプおめでとうございます✨
次は香川ですかね。
お待ちしております😊

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todo94

お城EXPO2日後の沖縄攻城② 【城びと未登録】越来城(沖縄県沖縄市) (2024/12/24 訪問)

中城城からの転戦です。吉川弘文館「沖縄の名城を歩く」所収の城で「ごえくぐすく」と読みます。第一尚氏第6代の尚泰久王が王子時代に居城したといわれています。尚泰久に仕えていた金丸(第二尚氏初代尚円王)もここにいたということになりますね。なかなかの歴史を持つグスクではありませんか。公園になっていてお年寄りの皆さんがグラウンドゴルフに興じていらっしゃいました。ものすごくきれいに草が刈られていましたが、日常的に利用されている皆さんあってこそなのだなあと感じさせられました。

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イオ

とことん一乗谷(復原町並) (2024/10/13 訪問)

(続き)

博物館からのシャトルバスを降りると、復原町並南側の券売所には行列ができていましたが、博物館との共通観覧券(210円分割引)を買ってあったので、列に並ぶことなく入場できました。

復原町並は発掘調査により発見された塀の石垣や建物礎石などをそのまま用いて往時の町並みを復原したもので、南北約200mの通り沿いに町家や武家屋敷が建ち並んでいます。また、訪れた日は「戦国城下町生活再現」が開催されていて、復原町並のあちこちで一乗谷に暮らす往時の姿の人々を見かけました。通り沿いの露店には野菜がならべられ、茶店が営業し、商家では越前焼の湯呑みや皿が売られています。店の人に尋ねてみると、往時の再現としてだけでなく実際に販売しているんだとか。復原町並、おもしろいなぁ。復原された町家に入ってみると、柱や梁にちょうなの痕が見られ、土間には井戸があり、紺屋の土間には染料が入った越前焼の大甕が半分埋められて並んでいます。裏庭に出ると井戸や排水溝、トイレにゴミ捨て場まで完備され一乗谷の生活水準の高さが窺えます。

町家群から通りをはさんだ北側には中級武家屋敷群、西側には上級武家屋敷群が広がっていますが、上級武家屋敷群の土塀と薬医門の向こう側は平面復原のみで建物は復原されていません。それでも建物礎石や井戸跡、排水溝と説明板やリーフレットを照らし合わせて見てみると、往時の姿を思い描くことができました。中級武家屋敷群には土塀と棟門のほか、主殿や蔵、納戸、トイレが復原されていて、主殿の台所では鯛がさばかれ、座敷では朝倉将棋(酔象の駒入り)が指されていました。

復原町並の通りは少しずつ角度を変えて見通しが利かないように造られており、南端は行き止まり、北端は矩折と呼ばれるクランク状になっていました。城下町ですもんね。そして、北側の休憩所にある復原町並のジオラマで上級武家屋敷群の様子を確認して復原町並をひとめぐり。

説明板やリーフレットなどと照らし合わせれば、平面復原でもある程度は往時の姿を思い描けるとはいえ、やはり復原された町並を見て、その中を歩き回って…という経験とは比べものになりませんし、その経験があれば、平面復原を見て思い描くイメージもより明瞭なものになるでしょうから、実に良い経験をさせてもらいました。その上に「戦国城下町生活再現」で住民の暮らしぶりまで感じられるとあっては、言うこと無しですね。…などと大いに満足して復原町並を後に朝倉館に向かいましたが、100名城スタンプを押し忘れたことに気付いたのは帰宅してからのことでした。やれやれ(続く)。
 

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エボママ

たどり着きました (2024/12/28 訪問)

全く城に興味のない友人に、一緒に行ってもらいました。
「本当にこんなところにあるの?」と言われながら、たどり着きました。

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しんちゃん

臥龍山雲松寺 (2024/12/22 訪問)

土井谷砦は小机城の城代であった笠原氏によって築かれた支城のような砦であったようです。雲松寺の裏山が城址とのことですが、周囲の高まりも、なかなか急で実際に登るのはリスクがありそうです。実際には雲松寺の南東の畑地になっている丘陵地が城址の主要部になるようです。私は小机小学校のあたりだと思っていたので当てが外れました。
雲松院は小机城の城代・笠原信為が父・能登守信隆の追善のために季雲を招いて開山とし、自らが開基となり建立したとされています。

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しんちゃん

円妙山大慶寺 相良城御殿の一部を移築 (2024/06/22 訪問)

静岡県藤枝市の円妙山大慶寺は田中城の姫君の病気平穏の功により田中城の祈願寺とされ「さむらい寺」と称されてきました。境内の久遠の松は日蓮上人お手植えとされ、樹齢は750年を越えるとされています。
客殿は天明8年(1788)に相良城の御殿の一部を移築したものとされ、大黒柱・梁・柱などは当時の物を使用しています。奥の間の部屋は往時に田沼意次が接見した間とされています。

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ぴーかる

東野山砦の出城 (2014/12/01 訪問)

【溝谷砦】
<駐車場他>前投稿の菖蒲谷砦と同じ場所または砦跡を囲むように道路が360度カーブになっている場所の道路脇に停めれる。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅4城目。城びと未登録の菖蒲谷砦は東野山砦(堀秀政の陣城)の支城であったようなので東野山砦での投稿とします。進入口はないようで、360度カーブの曲がった東側の切岸をよじ登るしかないようです。
 砦跡は北東上方に堀切があり曲輪は3段構造になっています。小さな砦跡で真ん中の舌状曲輪が一番広いです。その周りは道路で潰されているので遺構があったかどうかは分かりません。菖蒲谷砦に寄る方、またはこの道路を通る方であれば是非寄って見てもいい遺構です。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

高尾阿弥陀堂 源範頼ゆかり (2024/05/06 訪問)

埼玉県北本市高尾にある高尾阿弥陀堂(泉蔵院)には源範頼の妻・亀御前の伝説があります・亀御前は十三人の合議制の一人となった安達盛長の娘とされています。建久4年(1193)範頼が謀反の疑いで伊豆修善寺に幽閉され、梶原景時に攻められ自害すると、亀御前も荒川に身を投げたとされ、村人によって供養塔が建てられたとのことです。
かつては青石の巨大な平石塔であったとされますが、寛政11年(1799)に常勝寺に御前の愛用の薙刀とともに移されたため、その由緒を刻んで建て替えたもののようです。源頼朝の死後の梶原景時の弾劾では亀御前の父・安達盛長は強硬派になりました。頼朝の下で汚れ仕事を請け負ってきた景時とその一族の最期も、また悲惨なものであったようです。

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まにまに

もうちょっと整備して〜 (2024/12/15 訪問)

浜名湖に突き出た小さな半島の先端の高台にある城。地理的に浜名湖を行き交う船や人を監視する為に作られた感じ。
お寺の横にある坂道を登り、突き当たりにある墓地の向こうに案内板が見えてくる。
で、案内板に描かれた縄張り図を見て見学するべく、散策コースと案内された山道に分け入ったわけなんだけど、これが下草が全く刈られておらず、道らしき所に笹が覆いかぶさるように生えてるのでかき分けて進む。
しばらく行くと小さな石を積んだ高さ1メートルちょっとの石垣が見えてきて、さっきの縄張り図によると曲輪を囲むようになってるっぽい。が、いかんせん笹が繁茂しててよくわからない(^_^;)
途中で全く道がわからなくなったんで引き返し、別のルートへ分け入ったけど、そちらもさほど行けず。
縄張り図には番号が振られた箇所があるけど、それがどこなのか全くわからない。
散策コースと銘打った割には全然整備がされておらず肩透かしでした〜。

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小城小次郎

なるほど高低差がある (2024/03/20 訪問)

城域の中にあったとされる湯殿神社の境内には確かに高低差が残り、付近も斜面が多いせいか航空写真で見ても緑が多い。梶原景時開基の萬福寺が付近にあって、このお城も後北条氏家臣に連なる梶原氏居住の城と伝わるそうだ。

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とってぃ

ちょっと立ち寄りました (2024/12/28 訪問)

妻の実家に帰省ついでに立ち寄りました。
子供もいたので、雪の中短時間さらっとまわるのみでした。

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カズサン

大手枡形虎口と登石垣 (2024/12/24 訪問)

 小島陣屋の見所と言ったら南東下に在る大手桝形虎口と東に構える登り石垣・切込接の出隅石垣が圧巻の見所かと思います、今後は移築復原御殿書院と双璧を成すでしょうが?
 2年振りで前回投稿と同じような写真ですが、いつ見ても同じが良いのでしょう!
 静岡市文化財課の平成29年史跡小島陣屋跡整備基本計画完成予想図(案)では登石垣の東側に大手門に繋がる大手通路を計画してる様です、登石垣の左側は近年は畑、茶畑に成っており段曲輪の様でしたが、発掘調査の結果、幅7m程の通路が階段状通路で大手門に繋がって居たそうです。現在の通路は大手枡形をクランクして通り登石垣の西側を登って大手門横に入ります。

 まだまだ整備計画遂行と東側6段石垣壁の災害普及で新たな小島陣屋が見られることを願いつつ見守っております。
 今回の探訪で閉館でも関わらず書院室内を見学させて頂き、静岡市文化財課の方々に感謝申し上げます。
 
 長々と6編に渡り投稿を見て頂きありがとうございます。
 

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カズサン

大手門枡形跡と主郭周辺 (2024/12/24 訪問)

 今回の探訪は2年振り、移築復原御殿書院の完成公開を知り訪ねました。先に書院外部、書院内部、書院と石垣との眺め景色、東側6段石垣壁と投稿致しましたので、後は大手門跡、同桝形と主郭周辺の未投稿写真を掲載いたします。
 静岡市文化財課平成29年整備基本計画完成予想図(案)によると、大手門枡形周りは発掘調査の結果大手門跡を発掘し結果を大手門跡地表表示するそうです。(大手門の発掘では3間3戸または3間2戸だったそうです)
 また大手門から90度曲がって主郭への登城路は石段の復元か地表表示かを計画してる様です。また主郭内の南東横矢角には宝蔵建物跡の地表表示をも計画。
 まだまだ小島陣屋の整備が楽しみで待たれます。
 
 

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トク

日出城(2/3):日出城の石垣と瀧廉太郎 (2024/12/22 訪問)

日出城の続き(2/3)です。

本丸の下を石垣に沿って歩いてみました。海に近いためか、二段または三段の段築で積まれた穴太積の高石垣はとても見事で想像以上でした。細川忠興が延俊のために穴太衆職人(穴太理右衛門)を派遣し築かせたものだそうで、野面石や祖割石乱積に一部布積を用いた、乱積と布積の中間「布目崩し積み」と言う技法だそうです。(写真①-④)

また海岸沿いに目を向けると、石垣が少し低くなった場所には多くの折れが多用されていました。この高石垣や折れを見ると、海から攻めるのはちょっと難しそうです。これらの縄張りは、忠興が自ら考え延俊に指南したものだそうです。さすがは忠興! 多くの戦を経験して得たノウハウを伝えたかったのでしょう。妻を通して忠興と延俊の義兄弟の関係がいかに良好であったか、この石垣や縄張りからも伺えました。(写真⑤-⑧)

そしてこの石垣の下(写真⑨この下)に泳いでいるのが「城下カレイ」です。カレイは城の下から湧き出る地下水と海水が混ざり合う所で育ったものがブランドになるらしいですが、一匹数万円もする高級魚です。いったいどんな味がするのでしょうか? だからといって勝手にここで釣りをすると捕まるので皆さん気をつけましょうね!(笑)

【余談】瀧廉太郎
そしてここにも瀧廉太郎の銅像がありました!(写真⑩)。岡城の瀧廉太郎がなぜ日出に🤔? と思ったら、瀧家はもともと木下家に仕えた家柄で、父は幕末の日出藩の家老だったそうです。その後、廃藩置県となり父は東京へ行き、そこで廉太郎は生まれます。父は官僚(国家公務員)を経て、その後に転勤で豊後竹田(今の市長)となり、その時の現在の中学生だった廉太郎は岡城へよく登ったそうです。卒業した廉太郎は東京の音楽学校を経てドイツへ留学、本場で才能を開花させていたその時、肺結核を患い帰国を余儀なくされてしまいます。そしてロンドンを経由して帰国する途中の船の中で、土井晩翠と出会います。そこで彼が作詞した「荒城の月」に曲をつけてくれと頼まれ、その時に岡城の月見櫓のイメージを思い出し作曲したのではないかと言われています。帰国後は、父がその時赴任して住んでいた大分市の家(府内城のすぐそば)で療養しましたが、23才の若さで亡くなったそうです。そして何と私の実家の菩提寺と同じ萬寿寺(大友館内)に葬られ墓が立てられたそうですが、最近(2011年)になって親族の要望で、元々の瀧家先祖代々の菩提寺である日出の龍泉寺に墓は移されたとの事です。

次は周辺観光の話題に移ります。
 

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赤い城

平賀氏城館 (2024/12/08 訪問)

チェブさん、かるた画像ありがとうございます😊
なかなか小田原には行けなくなりましたがたまにある東京出張の際には小田原の蒲鉾頼まれます(笑)
車での登城、そうですね。
山の林道は心細く成りますね。
そもそも対向車が来ない前提で進むしかないし・・・。

この時季は虫も蛇も出ないので山城も攻め時です。
比較的歩きやすい関東の城、松井田城、西方城、小幡城、久米城(未登録)などお勧めです。

さて、平賀氏城館のひとつ御薗宇城のレポートです。
平賀氏の墓を通り過ぎ、民家の横にある説明板のところに車を置きます。
説明板の脇から登城路が着いていてすぐに石垣があります。
そこからすぐに虎口があり、広い曲輪に到着。
周囲は土塁に囲まれています。
と思いきや、登ってみると北側は曲輪のようです。
竹藪ですが2段になっているのがよくわかります。

鎌倉時代に出羽国の平鹿氏の一族が元寇に備えて本拠を移し築城されました。
その後安芸の国人として大内氏より偏諱を受け、その滅亡後は毛利氏家臣となりました。

平賀氏城館の3城では一番楽に歩ける城です。

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イオ

とことん一乗谷(あさみゅー) (2024/10/13 訪問)

(続き)

丸岡城(お城EXPO)から一乗谷に戻ると、「あさみゅー」こと一乗谷朝倉氏遺跡博物館を見学しました。まずガイダンスの映像を観て一乗谷ハンドブックや散策MAPを入手。探求ラボ・体験学習スペースは考古学の道具を使ったり、やきものパズルなど体験して学べる展示になっています。その奥の遺構展示室では、博物館建設前の発掘調査で発見された石敷遺構がそのまま展示されています。このあたりには一乗谷の物流の拠点となった足羽川水運の川湊があったとされることから、石敷遺構はその船着場であると考えられます。また、博物館西隣の駐車場敷地の発掘調査で確認された三代当主・朝倉貞景が建立した経堂への参道とも考えられるようです。退館後に駐車場で見てみると、経堂跡が舗装の色を変えて平面表示されていますが、なるほど石敷を西にのばした先にあたるようです。順路に掲示された説明板を読みながら石敷遺構を一周しつつ、あれこれ考えるのはなかなか楽しい時間でした。

2階中央の基本展示室では朝倉氏の歴史や文化、一乗谷城下町の暮らしが170万点に及ぶ出土品をもとに紹介されています。往時の朝倉氏の栄華を示す調度品や一乗谷に暮らす様々な職人の道具などが展示され、笏谷石の鬼瓦や石灯籠、井戸枠まで笏谷石なんだなぁ…と思ってよく見てみると、井戸跡から出土した焦げ跡のある滑車も展示されていて、一乗谷が炎上した際に焼け落ちたもののようです。ということは、井戸枠がところどころ茶色くなっているのも焼け跡なのか…。近くには武家屋敷の井戸跡から出土した16,431枚に及ぶ銅銭も展示されていて、一乗谷が炎上する中、井戸に投げ込まれたと思われます。一乗谷の繁栄と終焉を感じる展示でした。また、城下町(平面復元地区)の精密なジオラマも見どころで、建物だけでなく城下の人々の暮らしぶりまで再現されています。2階北側の特別展示室では「一乗谷の戦国グルメ」と題して出土した食器や調理具、魚の骨や貝殻などから一乗谷における食生活が紹介されていました。

2階南側には博物館内に朝倉館の一部が原寸で再現されています。入口に朝倉館全体のジオラマも展示されていますが、やはり建物内を歩き回って内装も含めて見学できるのが一番よくわかりますね。会所から中庭の花壇を眺めながら主殿、泉殿、小座敷とめぐると、泉殿からは池庭を、小座敷からは平庭を望む雅な空間になっていて、往時の朝倉氏の栄華を実感します。

博物館をひとめぐりすると、一乗谷に向かう前に館内のカフェ CARAMONで昼食を。ご当地グルメのおろしそばやソースカツ丼、伝承・復元料理のCARAMON御膳などにも心惹かれましたが、朝倉氏の繁栄を支えた朝倉宗滴にちなんだ宗滴カレーを選びました。ライスに復原町並の「落ちない石」をイメージしたハンバーグを乗せたトマトカレーで、なぜか朝倉宗滴でなく朝倉義景と小少将(たぶん)の小旗が立てられていました。なお、この後に復原町並で「落ちない石」を探してみましたが、それらしいものは見付けられませんでした。どこにあるんだろう…?

2年前のオープン当時から行ってみたいと思っていましたが、石敷遺構や朝倉館原寸再現といった独特の展示はもちろん、博物館キャラクター「シシカゲ」のモデルとなった金製の獅子目貫や、現在の将棋には存在しない「酔象」の駒など特徴的な出土品はクローズアップして紹介され、訪問日の翌週にはあわら温泉での竜王戦を前に藤井竜王と佐々木八段が見学に訪れるなど、積極的に興味を引くようよく考えられていて、期待以上に楽しませていただきました。

さて、土日祝には博物館から復原町並まで無料シャトルバスが運行していますので、駐車場に車を駐めたままシャトルバスで復原町並に向かいます(続く)。
 

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ふみくん

土塁がすごい (2024/12/29 訪問)

朝一小牧山城来ています。歴史館開館待ち

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todo94

お城EXPO2日後の沖縄攻城① 城カードゲット (2024/12/24 訪問)

>朝田辰兵衛さん クイズ、正解できてほっとしました。高知城読み札の高評価、とてもうれしく思います。
>チェブさん ピクミンネイル凄いですね。ピクミンネタ、用意していただいていたのに参加できず申し訳ありません。自宅近辺にはメキシコ料理屋がなく、那覇の国際通り近辺でタコスのデコピクミン(白と羽)、手に入れることができて喜んでいるところです。

クリスマスイブの朝、レンタカーを借り受けてまず向かったのは中城城。券売所から正門迄、無料カートで送ってもらえるようになっていました。私は歩くのが好きなので歩いてしまいましたが。現在、一の郭の城壁修復工事中です。それでも今まで訪れた時の大々的な工事よりだいぶ規模は小さくて、城の美しさをしっかりと楽しむことができました。年末の沖縄らしい曇天のおかげで石垣の写真はとても撮影しやすかったです。帰りがけ、コーヒーショップにて城カードを無事に購入することができました。

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しんちゃん

元気が一番。 (2024/05/06 訪問)

チェブさん、コメントありがとうございます。・・いやー皆さんにお会いできなかったのは心残りですが、わたしは別組でけっこう楽しくやってました。城を好きな気持ちと、かるたを楽しみたいという気持ちがあれば初見の人とも楽しくやれるものですね。
親指も完治したようでなにより・・私 普通に会場にいましたけど(汗)。
JAFの件もわかります・・最近の車はスペアタイアをつんでいないので、タイヤがバーストするとレッカー確定です。私の車はそんなに新しくないのですが、スペアタイヤが無いので冬用タイヤを一つ積んでいて、車中泊の際には立てて寝てます。


足利政氏館には二日続けて訪問しました。甘棠院の足利政氏の墓を見たかったからなのですが、やはり門は閉まっていました。仕方が無いので外から覗き見ましたが、あまり行儀が良くはないです。非公開なのかな?
昨日見た猫もいません。足利政氏館は現在、甘棠院となっており息子の高基との政争に敗れ隠居した政氏が、自分の館を永安山甘棠院として子(もしくは弟)の貞巖昌永を開山としたのが当寺の起源となっているようです。

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