イオンモール神戸南に涼みに来たワケではありません。結果して「涼んでしまった…」というのが正解のようです。たぶん…<笑>。
神戸市営地下鉄海岸線の中央市場前駅から,イオンモール神戸南へは直結です。商業エリア内を通過させていただいて,反対側に抜けると兵庫運河。兵庫運河の対岸に碑とパネルがあります。
また,イオンモール神戸南3Fに出土品の展示がありますので,お忘れなく。
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2025/09/05 18:50
2024/07/09 21:01
2023/06/12 21:12
織田氏中国進出の拠点の城 石垣はイオンモールの下に眠る (2023/05/27 訪問)
天正8年(1580)に織田信長の重鎮 池田恒興によって築かれました。
かつては主郭を中心に東・北面に副郭が取り囲む、梯郭(ていかく)式の城郭であったそうです。(現地案内板による)
大きさは推定 南北約150m 東西約140mであったと考えられます。
主郭の石垣を安定させるための胴木組と言われる木材を石垣の下に敷くなど、当時の先端技術が用いられていた城のようですが
現在は発掘調査を終えてイオンモールの下に石垣が眠っています。
幻の天守台を見てみたかったと思います。
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2022/10/13 21:37
兵庫城/大輪田泊 (2022/09/11 訪問)
【兵庫城】
<駐車場他>イオンモール神戸南(買い物前提)終日駐車料金無料のようです。私は知らずに近くのコインPに駐車
<交通手段>車
<感想>日帰り西摂津東播磨ちょこ城巡りの旅8城目。兵庫城は信長時代に荒木村重の反乱ののち、鎮圧に功のあった池田恒興に兵庫の地と摂津国の太守として信長より与えられ、1581年に花隈城を廃城にしてその石垣を使用して築城されました。わずか2年で池田恒興は大垣に転封されたのでそののちは豊臣秀吉の直轄地となり片桐且元を代官に置きます。江戸時代には尼崎藩に組み込まれて陣屋が置かれ、その後天領となります。明治時代に入り、兵庫鎮台→すぐに兵庫県庁となります。現在県庁は移転し城跡はイオンモール神戸南を中心にその西の運河と運河の西側一帯になります。
現在の教科書はどのようになっているかは知りませんが、私の高校時代の教科書ではこの地は大輪田泊(おおわだのとまり)と言って平清盛が港の大改修を行って日宋貿易に力を入れ巨万の富を得た場所と習った記憶が強く城の名は初めて知りました。
今回の史跡巡りもイオさんの詳細な投稿が大いに役立ちました。兵庫城跡碑→清盛塚→能福寺の平相國廟・兵庫大仏→大輪田泊石椋→来迎寺の妓王・妓女供養塔、ここは滋賀県野洲市の永原屋敷跡を訪れたとき発見した妓王妓女の生誕地と過ごした場所が繋がって感無量、→地下鉄出口横の兵庫城発掘調査地説明板→イオンモール入口前の兵庫津説明板 ここにも清盛くんが居ります。→イオンモール3Fイオンホール前の兵庫津・兵庫城の出土品の展示と巡りました。2019年のイオンモール建設前には石垣・郭跡が発見されましたが現在は埋め戻され地下に。今見れる遺構は少ないですが平清盛時代の史跡巡りなどができて大いに満足できました。満足度は城の遺構として。
<満足度>◆◇◇
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分類・構造 | 平城、海城 |
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天守構造 | 型式不明[階層不明/築年不明/破却?] |
築城主 | 池田恒興 |
築城年 | 天正9年(1581) |
主な城主 | 池田氏、片桐氏 |
廃城年 | 明治8年(1875) |
遺構 | (発掘調査:石垣、横堀、馬出、井戸、天守台) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 兵庫県神戸市兵庫区中之島 |
問い合わせ先 | 神戸市兵庫区まちづくり課 |
問い合わせ先電話番号 | 078-333-3330 |