しょうつうじじょう

聖通寺城

香川県綾歌郡

別名 : 聖通寺山城、宇多津城
旧国名 : 讃岐

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北峰(平山城)からの眺望
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赤い城

海上交通の要衝 (2025/07/21 訪問)

瀬戸内海に突き出る聖通寺山の山頂にあります。
北峰、中峰、南峰で構成され、北峰の平山は常盤公園として整備され、結婚式場が建っています。
駐車場の脇には平山城の石碑が立っていて中央には積石塚古墳が残っています。
瀬戸大橋や瀬戸内海を望む眺望は見どころです。
この駐車場がある場所には江戸時代後期、高松藩の砲台があったそうです。

中峰が本丸、本丸には鉄塔が建っています。
腰曲輪が付いていますがイノシシの罠が仕掛けられていて侵入は断念しました。
本丸下には石碑がありますが下草で隠れていました。
広い削平地の先には展望台があり、その先は尾根になっていました。

少し下った南峰にはゆるぎ岩があり、広い削平地になっています。
出曲輪だったとされています。
全体的に明確な遺構は見られませんが、瀬戸内海の交通の要衝で重要な役割を担った城であることはうかがい知ることができます。

尚、宇多津町にある78番札所の郷照寺は厄除けの寺として知られています。

【見どころ】
 ・北峰からの眺望
 ・本丸下の腰曲輪

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征6日目:聖通寺城 (2022/07/25 訪問)

多度津城からの転戦です。常盤公園第1駐車場(34.319556、133.831172)に駐車し、その後、展望台付近(34.316871、133.834763)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、応仁年間(1467年〜1469年)奈良元安によって築かれました。
奈良氏は武蔵国大里郡奈良を本貫としていましたが、元政が1362年(貞治元年・正平17年)の高屋合戦における功により鵜足郡と那珂郡を領しました。
1582年(天正10年)長宗我部氏の侵攻により城を捨て阿波国勝瑞城へと敗走しますが中富川合戦で討死しました。
羽柴秀吉による四国征伐の後、讃岐国を領した仙石秀政が入城しますが戸次川合戦の敗戦により失脚しました。
その後、尾藤知宣、生駒親正と替わり生駒氏の時に高松城を築き廃城となりました。

常盤公園にある古墳が主郭で「平山城」の石碑があります。
南の山頂の展望台付近この位置(34.316913、133.834663)に「聖通寺山城」の石碑があります。
自分は行っていませんが、「聖通寺山城」の石碑の近くに「ゆるぎ岩」もありますので、時間のある方は見学してみてはいかがでしょう。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=城山城に向かいます。

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todo94

昨日の攻城10 (2018/01/27 訪問)

16時台、昨日の攻城のトリ。再訪となる城ですが、奥の院から歩いて登っていってようやく聖通城の石碑を見つけることができました。一日通して、たっぷりと山歩きを堪能することができました。(一日で35000歩、400階達成。)

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 奈良元安
築城年 応仁年間(1467〜1469)
主な城主 奈良氏、仙石秀久、尾藤知宣、生駒親正
廃城年 天正16年(1588)
遺構 曲輪、土塁、切岸
再建造物 石碑(聖通寺山城)
住所 香川県綾歌郡宇多津町平山