たかさごじょう

高砂城

兵庫県高砂市

別名 : 高砂構、高砂浦城
旧国名 : 播磨

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①高砂神社
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昌官忠

(東海&関西)遠征11日目:高砂城 (2025/05/25 訪問)

高砂駅から徒歩20分弱で、高砂神社鳥居前(34.743223、134.803384)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、『高砂市史・高砂町市史』に梶原氏が治める城として1538年(天文7年)に登場しているようです。
古くは1184年(寿永3年)に、梶原景時が播磨国の守護として命じられたのがきっかけのようです。
1578年(天正6年)の羽柴秀吉による三木城攻めの頃に高砂城が「海城」として改めて登場したようです。
三木城主/別所長治の有力武将であった高砂城主/梶原平三郎衛景行は、羽柴秀吉の三木城攻めの際、毛利氏の援軍と連携して後詰めの役を果たしましたが、秀吉の軍勢に攻められ落城しました。
1600年(慶長5年)池田輝政が、姫路城に入封すると家臣中村主殿助が高砂城に入城し、近世高砂城が築きましたが、1615年(元和元年)元和の一国一城令によって破却されました。

高砂神社閉まってました。後で調べたら、16:00には閉まるようです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=姫路城を目指す為、高砂駅から電車で山陽姫路駅へ向かいました。

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しんちゃん

秀吉の三木城攻めの際に三木城の後詰の役目を果たした城 (2023/12/30 訪問)

高砂城は高砂神社の境内周辺に築かれていたようです。こちらは新城と呼ばれ、池田輝政が姫路城主になった際に中村主殿助が入ったとされています。本多忠政の時の元和年間(1615~24)に一国一城令が出され石垣は破却され、当浦にあった牛頭天皇が移され、今の高砂神社になったとされています。
戦国期には梶原景行が城主を務め三木城の別所氏に従い羽柴秀吉の三木城攻めの際には、その後詰めの役を果たしており東は明石にまで及ぶ制海権を有していたようです。

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高砂神社 (2024/02/01 訪問)

 高砂神社周辺が城址とのことです。遺構はないようです。石碑を見逃しました。

 山陽電鉄本線高砂駅から徒歩にて登城しました。15分くらいで行くことができます。

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ぴーかる

高砂や~♪ (2022/01/15 訪問)

【高砂城】
<駐車場他>神社前に駐車スペースあり。
<交通手段>車

<感想>加古川の河口西側に位置する現在の高砂城跡のあったと思われる高砂神社を含む一帯は近世に池田輝政が築城し一国一城令で廃城となったものです。室町時代に築城された場所は定かではないようです。境内に城跡の一部と思われる巨石が置かれていて石材も神社に使われているようです。能楽「高砂」で有名な地、相生の松や能舞台も立派なものがあって境内を一回りして終了した。縁結びや長寿のパワースポットになっていて若いカップルや女性の方が訪れていました。城跡としての満足度は低いが歴史的場所としての見所は良い所です。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 杉岡蔵人
築城年 室町時代
主な改修者 中村主殿助
主な城主 杉岡氏、梶原氏、中村氏(池田氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 消滅
再建造物 石碑(池田輝政公高砂城趾)
住所 兵庫県高砂市高砂町東宮町