たかさごじょう

高砂城

兵庫県高砂市

別名 : 高砂構、高砂浦城
旧国名 : 播磨

投稿する
①	宮本武蔵生誕の地碑
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

トク

【宮本武蔵】(5)米田天神社(武蔵生誕の地) (2025/06/04 訪問)

宮本武蔵の続き(5)です。

宮本武蔵生誕の地と言われている、播磨高砂へ行ってきました。武蔵も謎多き人物で、生まれた場所も
① 美作宮本説(岡山県美作市宮本)
② 播磨高砂説(兵庫県高砂市米田)
③ 播磨宮本説(兵庫県太子町宮本)
と3つも説があり、どれも100%正しいとの決め手は現在もありません。

武蔵が書いた五輪書には自らの生まれは語っていません。しかし子の伊織が父の武蔵から聞いた事を書き残したとされる「小倉碑文」には父は播磨の生まれと刻まれており、伊織が加古川の泊神社に寄進した棟札の記述からも、高砂説の信憑性が一番高いのではないかと現在は言われているようなので、私は高砂を訪れました。

武蔵の幼名は「弁之助」。父の田原家貞は、ここ高砂に住む赤松氏の流れをくむ地侍であり、弁之助はその次男であったとされています。後に養子とした伊織は武蔵の実兄である田原久光の子で、同じくここ高砂の同じ家で生まれたようで、伊織が寄進した泊神社の棟札にもそう記しています。

JR山陽本線「宝殿駅」から徒歩20分の所にある「米田天神社」に行ってきました。そこには生誕の地碑がありました。ここが宮本武蔵の生家があった田原家跡地のようです。他にも数々の石碑が立っていました。1584年ここで生まれたた弁之助は、幼い頃どんな暮らしをしていたのでしょうか。探してみましたが石碑とそこから100mほどの西光寺で幼い頃遊んだと言われているようです。そして川を挟んだ加古川の泊神社で発見された、米田天神社を改築するため御神体を泊神社へ移す時に、伊織が泊神社に寄進し納めたという棟札に書かれた記述が決め手となり、生誕地論争でここが一歩リードしているようです。

弁之助3才の頃、母の「お政」が亡くなってしまいます。養育できなくなった父の家貞は長男の久光を後継ぎに残し、次男の弁之助を美作の竹山城の家老「平田無二(通称:新免無二斎)」の元へ養子に出します。養子に出されてからは「たけぞう(武蔵)」と名乗るようになったようです。平田家は足利義昭に剣術を指南した事もあるという名門の家系でしたが、後継ぎ(男子)がいませんでした。幼いたけぞうは父の無二斎の道場で想像を絶する厳しい剣術の稽古に明け暮れ、これが彼の人生に大きな影響を及ぼす事になります。

次はその、たけぞう(武蔵)が少年期を過ごした、「竹山城」を訪れます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

(東海&関西)遠征11日目:高砂城 (2025/05/25 訪問)

高砂駅から徒歩20分弱で、高砂神社鳥居前(34.743223、134.803384)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、『高砂市史・高砂町市史』に梶原氏が治める城として1538年(天文7年)に登場しているようです。
古くは1184年(寿永3年)に、梶原景時が播磨国の守護として命じられたのがきっかけのようです。
1578年(天正6年)の羽柴秀吉による三木城攻めの頃に高砂城が「海城」として改めて登場したようです。
三木城主/別所長治の有力武将であった高砂城主/梶原平三郎衛景行は、羽柴秀吉の三木城攻めの際、毛利氏の援軍と連携して後詰めの役を果たしましたが、秀吉の軍勢に攻められ落城しました。
1600年(慶長5年)池田輝政が、姫路城に入封すると家臣中村主殿助が高砂城に入城し、近世高砂城が築きましたが、1615年(元和元年)元和の一国一城令によって破却されました。

高砂神社閉まってました。後で調べたら、16:00には閉まるようです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=姫路城を目指す為、高砂駅から電車で山陽姫路駅へ向かいました。

+ 続きを読む

しんちゃん

秀吉の三木城攻めの際に三木城の後詰の役目を果たした城 (2023/12/30 訪問)

高砂城は高砂神社の境内周辺に築かれていたようです。こちらは新城と呼ばれ、池田輝政が姫路城主になった際に中村主殿助が入ったとされています。本多忠政の時の元和年間(1615~24)に一国一城令が出され石垣は破却され、当浦にあった牛頭天皇が移され、今の高砂神社になったとされています。
戦国期には梶原景行が城主を務め三木城の別所氏に従い羽柴秀吉の三木城攻めの際には、その後詰めの役を果たしており東は明石にまで及ぶ制海権を有していたようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

高砂神社 (2024/02/01 訪問)

 高砂神社周辺が城址とのことです。遺構はないようです。石碑を見逃しました。

 山陽電鉄本線高砂駅から徒歩にて登城しました。15分くらいで行くことができます。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 杉岡蔵人
築城年 室町時代
主な改修者 中村主殿助
主な城主 杉岡氏、梶原氏、中村氏(池田氏家臣)
廃城年 元和元年(1615)
遺構 消滅
再建造物 石碑(池田輝政公高砂城趾)
住所 兵庫県高砂市高砂町東宮町