高砂城は高砂神社の境内周辺に築かれていたようです。こちらは新城と呼ばれ、池田輝政が姫路城主になった際に中村主殿助が入ったとされています。本多忠政の時の元和年間(1615~24)に一国一城令が出され石垣は破却され、当浦にあった牛頭天皇が移され、今の高砂神社になったとされています。
戦国期には梶原景行が城主を務め三木城の別所氏に従い羽柴秀吉の三木城攻めの際には、その後詰めの役を果たしており東は明石にまで及ぶ制海権を有していたようです。
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2024/03/27 19:54
秀吉の三木城攻めの際に三木城の後詰の役目を果たした城 (2023/12/30 訪問)
高砂城は高砂神社の境内周辺に築かれていたようです。こちらは新城と呼ばれ、池田輝政が姫路城主になった際に中村主殿助が入ったとされています。本多忠政の時の元和年間(1615~24)に一国一城令が出され石垣は破却され、当浦にあった牛頭天皇が移され、今の高砂神社になったとされています。
戦国期には梶原景行が城主を務め三木城の別所氏に従い羽柴秀吉の三木城攻めの際には、その後詰めの役を果たしており東は明石にまで及ぶ制海権を有していたようです。
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2024/02/01 21:58
2022/02/09 20:27
高砂や~♪ (2022/01/15 訪問)
【高砂城】
<駐車場他>神社前に駐車スペースあり。
<交通手段>車
<感想>加古川の河口西側に位置する現在の高砂城跡のあったと思われる高砂神社を含む一帯は近世に池田輝政が築城し一国一城令で廃城となったものです。室町時代に築城された場所は定かではないようです。境内に城跡の一部と思われる巨石が置かれていて石材も神社に使われているようです。能楽「高砂」で有名な地、相生の松や能舞台も立派なものがあって境内を一回りして終了した。縁結びや長寿のパワースポットになっていて若いカップルや女性の方が訪れていました。城跡としての満足度は低いが歴史的場所としての見所は良い所です。
<満足度>◆◇◇
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 杉岡蔵人 |
築城年 | 室町時代 |
主な改修者 | 中村主殿助 |
主な城主 | 杉岡氏、梶原氏、中村氏(池田氏家臣) |
廃城年 | 元和元年(1615) |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑(池田輝政公高砂城趾) |
住所 | 兵庫県高砂市高砂町東宮町 |