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スミヤキ

近世城郭の模範的完成品でしょう‼️ (2025/02/27 訪問)

新宮城は、熊野川右岸の独立丘陵丹鶴山を中心に築かれた総石垣の平山城です。この地は、熊野三山への参詣道、江戸と上方を結ぶ南海航路の中継地、物流拠点として栄えました。
搦め手に防御用の堀と物資運搬用の運河を兼ねる河川、大手側が平地の街道筋に面する「後堅固の城」になる理想の立地に建つ、お手本ようなお城です。

しかも徳川御三家紀州和歌山藩の付家老水野家の城下町として、一国一城令公布後も幕府から築城が認められた為、惜しみ無い財力と技術力で培われた素晴らしい石垣群が今日まで現存しています。石垣の保存状態が良いので、江戸時代に聳え建っていたであろう上物、天守や櫓門、多聞櫓などが想い描きやすい印象を持ちました。

とにかく石垣が多種多様で凄いです。江戸城、大阪城、和歌山城をコンパクトに鑑賞する感じ。野面積み、打込み接ぎ、切込み接ぎ、算木積み、布積み、亀甲積み、面取石積など時代背景、技術表現方法、見所盛り沢山です。

これら新宮城の魅力を現地まで追いかけて来て、小冊子片手に紹介していただいた資料館の方の優しさに一番、この日感動したんです。

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ダイエティシャン

三の丸跡にニュースポット誕生 (2025/04/07 訪問)

三の丸跡にニュースポット誕生
【射楽】では弓道体験が出来るそうです。

写真⑤~⑦は、広島城南に数㎞、広島駅ニューオープンの駅ビル【ミナモア】9階テラスから見た市内の様子。遠くに見える山は、広島城の守りに貢献しいたのでしょうか?

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カズサン

奈良時代の官衙跡 (2025/04/05 訪問)

 遠州路桜と城廻り2日目、番外の遠江国分寺跡復元進捗を確認見学して自宅への帰路途中に在る長者屋敷に2年振り寄りました。

 駐車場:長者屋敷遺跡入口に数台駐車可能

 長者屋敷遺跡周辺は寺谷浄水場に成っており周辺に桜が植わって居りますが残念ながら長者屋敷遺跡には桜は有りません。
 長者屋敷遺跡は昭和44年に寺谷浄水場計画に伴い発掘調査されて遺物出土、建物跡発見されて約1300年前の奈良時代初め頃の官衙跡である事が有力なった。
 土塁規模は東西約100m×南北約80mの長方形、南と北東に出入口、土塁底幅約10m上部幅約3m高さ約3m、内部に濠が廻っており南側には二重土塁で構えてる。
 周辺には古墳時代の銚子塚古墳108mの前方後円墳はじめ古墳群、縄文旧石器時代の遺物が出土されて1300年前から2万8千年前の歴史文化が重層しています。
 

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トベシュン

長野・新潟続百名城巡り (2025/04/12 訪問)

長野・新潟続百名城巡りで、龍岡城・高島城・高田城・鮫ヶ尾城・村上城に行ってきました。

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ぴーかる

福城 (2025/02/22 訪問)

【福城】
<駐車場他>宇垣一成揮毫忠霊塔前に広い駐車場あり。トイレあり。
<交通手段>車

<感想>日帰り相生牡蠣買い旅1城目。福城は築城年・築城者ともに不明。主な城主に江見帯刀となっている。駐車場の奥からが城跡のようで堀切が見られます。主郭の手前に馬落としという堀切があります。馬が落とせる程の急峻ではありません。城跡は円形の主郭と切岸下段の取り巻く腰曲輪がある単純な構造です。主郭の背後の切岸は遺構として明瞭に残っていました。主郭が神社となっているため、少し改変されているかと感じました。

<満足度>◆◇◇

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トベシュン

長野・新潟続百名城巡りで (2025/04/12 訪問)

長野・新潟続百名城巡りで、龍岡城・高島城・高田城・鮫ヶ尾城・村上城に行ってきました。

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トベシュン

長野・新潟続百名城巡り (2025/04/11 訪問)

長野・新潟続百名城巡りで、龍岡城・高島城・高田城・鮫ヶ尾城・村上城に行ってきました。

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トベシュン

長野・新潟続百名城巡り (2025/04/11 訪問)

長野・新潟続百名城巡りで、龍岡城・高島城・高田城・鮫ヶ尾城・村上城に行ってきました。

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トベシュン

長野・新潟続百名城巡り (2025/04/11 訪問)

長野・新潟続百名城巡りで、龍岡城・高島城・高田城・鮫ヶ尾城・村上城に行ってきました。

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にのまる

初めての淡路島 (2025/02/10 訪問)

神戸駅北口の東横インに前泊し、翌朝、三ノ宮バスターミナルから洲本バスセンター行きの高速バスに乗り込みました。
……の前に、歩道と車道の段差に躓いて転んでしまい、左膝と両肘を強打(流血のおまけ付き)。お城では怪我することなくここまで来たのにこんなところでやってしまったー😭
激痛と共に淡路島初上陸しました。

月曜日だったのでスタンプは市役所で押し、西側の遊歩道が通行止めだったので、真ん中の八王子木戸へ続く道を登りました。

写真で何度も見てきた個性的な模擬天守。麓からも見えましたが、一体どんなふうに目の前に現れるのか?とても興味がありました。
いざ本丸に着いて対面すると……かわいい!
洲本城のシンボルとしての存在感を放ちながらも陽の光や海風を浴びてとても気持ちよさそうに佇んでいました。

「046カフェ」で少し休憩して足を休め、本丸や南の丸周辺の石垣を見学して西の丸へ行きました。天守を遠望できるスポットの穴場感、すごくよかったです。残念石は展示されているものの他に、これもそうなんじゃない?と感じるものがいくつもありました。
ちょうど西の丸の奥の方から戻ってこられた方がいらして「たくさん山城を見てきたがここはすごい!」と教えてくださいました。もう楽しみで、膝が痛いとか腕が上がらないとか言っていられません!
お花の時期は大勢の方がいらっしゃるのでしょうという雰囲気の中をどんどん歩いて「すごい石垣」に到着。そばに誰かいたら一緒に喜びを分かち合いたいところでしたが誰もいなかったのでひとりで興奮🤩
石垣の周囲を上から覗いたり下りられるところは下りたりしながら見て歩きました。

大手門、腰曲輪、馬屋、日月の井戸や池を経て東の丸、武者溜まりへ。東の遊歩道から下山しました。ゆっくりしか歩けなかったのですが、正に怪我の功名で下り道の石垣もじっくり観察しました。

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todo94

日帰りに予定変更の三河攻城⑤ (2025/04/12 訪問)

形原城からの転戦です。しんちゃんさんの投稿にもありますが、大河ドラマ「どうする家康」で大きく取り上げられた城です。放映から2年以上過ぎて、ようやく訪れることができました。赤日子神社の駐車場に説明板があり、リーフレットも置かれています。蒲郡市教育委員会が制作したもののほかに令和4年度蒲郡西部小学校6年生が制作した「上ノ郷城跡と鵜殿家の歴史」というリーフレットもありました。印刷所に発注した本格的な作りのリーフレットで、内容を考えた小学生にとって大きな喜びとなったのではないでしょうか。城はドラマでは家康が攻城に難渋した堅固な城と言うイメージでしたが、そこまで堅固な感じは受けません。それでも、小ぶりながらいい感じの城でした。

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Tokyobay

家康のお抱え外国人の対比 (2025/04/13 訪問)

八重洲の語源はヤン・ヨーステンというのは有名な話だが、調べてみると実際の屋敷は現丸の内(和田倉門付近)にあったらしく、現在の八重洲とは全く無関係らしい。が、八重洲の地名が戦後に別の場所で復活したことにより記念碑が建てられ町おこしに活用されているらしい。歴史というものは調べて見ないとわからないものだなと思った次第。
つまり、ヤン・ヨーステンは家康にかなり可愛がられていたと言えるだろう。他方、三浦按針の屋敷跡は日本橋の外側にあるので、当時としては扱いがよいとは言えない。で、調べてみると秀忠→家光と将軍変更に伴い不遇な扱いを受けているようで、この両者の対比についてもっと調べてみたいと思った次第

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名品でたどる名古屋城史 (2025/04/19 訪問)

 西の丸御蔵城宝館の企画展「名品でたどる名古屋城史」へ行って来ました。名古屋城は太平洋戦争の空襲で本丸御殿等が焼失しましたが、ふすまや天井板絵などの多くは取り外されて別の場所に運ばれていたため焼失を免れました。難を逃れた重文のふすま絵「竹林豹虎図」等が公開されています。このほか、城が宮内省所管の名古屋離宮だった時代に明治天皇・皇后が使用された椅子などが展示されていました。
 先週くらいだとまだ桜を観ることができたと思いますが、ほとんど散っていました。それでも多くの観光客が訪れていましたね。最近では年に複数回登城しています。天守閣は耐震性に問題があり入ることはできません。現存している遺構は、西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓、表二之門、二之丸大手二之門、旧二之丸東二之門のみで全て重要文化財に指定されています。現存3櫓(西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓)は特別公開の日を除き内部の見学は不可となっています。それでも高石垣、堀などを見て回るだけでも私にとっては魅力的な城址です。入館できる本丸御殿は往時の姿を忠実に復元したもので見ごたえがあります。
今回は主に建築物の写真を添付しました。
 ちなみに本丸空堀の中で暮らす母娘の2頭の鹿は健在でホッとしました。2頭が離れていたのでうまく写真が撮れていないので写真は今回投稿していません。

 昼飯は地下鉄名古屋城駅から徒歩約5分の場所にある山田屋さんでいただきました。老舗のうどん屋さんですが、TVやYouTubeで紹介されていたことを思い出して「かつカレー丼」を注文し美味しくいただきました。

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yoda 1253

桜吹雪のお出迎え (2025/04/19 訪問)

水堀に桜が枝垂れて風情がありました

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yoda 1253

南門が完成しました (2025/04/19 訪問)

平城京以前の1300年前の京のたたずまいが時空を超えて蘇ります

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yoda 1253

伊達政宗の愛 (2024/04/18 訪問)

戦いの為でなく泰平を築く為の城造りをしたと思います
青葉城資料展示館で青葉城復元映像を見ることをお勧めします

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yoda 1253

少年隊出発の地 (2025/04/18 訪問)

野面積みと布積みの石垣が同時に観覧できます

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yoda 1253

赤瓦が桜のピンクとベストマッチング (2024/04/18 訪問)

色々な角度から眺めて愛でることができますぐるぐるまわりましょう

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丸亀城の森と古樹

丸亀城の四季 史蹟・森と古樹 (2009/01/10 訪問)

丸亀城は丸亀市民や周辺の人々の散歩や休養の場所として終日にぎわっています。
城は標高66mの亀山にあり、天守と大手門は国の重要文化財に指定されている。
また、御殿御門も往時の姿のまま残っています。
大手三層・搦手四層の石垣は、その高さと扇の勾配の調和が美しく、日本一の石垣との声が高い。
内堀以内は史蹟に指定されており、石垣などと共に、広い森があります。
この森は自然の山林をお城にふさわしいように育てたものであります。
深い森は、城の風格を表わすとともに、城内の様子を外部から見えなくするためのものであります。
昔の人々が大切に育てた城の森は、現代の我々が大切にまもっていかなければなりません。
丸亀城には200年を越えるであろう大木が多く生育している。
香川県内には、古い森林は殆どなくなってしまいました。
丸亀城の森は、貴重な県民の財産であります。
この写真集は三年余をかけて、城の四季を撮影したものです。
城の史蹟と森が一体となった人工と自然の美を味わっていただきたいと存じます。
平成21年1月
詳細は下記ホームページ(全70頁)を参照ください。
http://marugamejyo.c.ooco.jp/index.html

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トク

【春の長崎天草を巡る②】(2)三城城 (2025/03/26 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(2城目)は「三城城」です。

三城城の築城者は、キリシタン大名で有名な「大村純忠」です。純忠は、平戸で松浦氏と不仲になり行き場を失ったポルトガル商人らを受け入れ、商人に影響力のあるイエズス会よりキリスト教の洗礼を受けて、日本で初めてのキリシタン大名となります。平戸の松浦氏や武雄の後藤氏や龍造寺配下で諫早の西郷氏などから攻められるも、わずかな兵でこの城を守り抜き、有馬晴信の甥にあたる事から、秀吉から九州平定後も存続を許されたようです。

純忠はかなり熱心な信者で、ポルトガルとの関係を深めたかったようです。寺社仏閣などを壊し、強制的に領民をキリスト教徒にしたため、大村の領民は大半が信者となり、当時の日本最大のキリスト教の街になりました。

JR大村駅からまず三城城を見上げました(写真⑤)。そして歩いて15分で本丸へ着きました。キリシタン大名の城だったにもかかわらず、なぜか現在は戦没者忠魂塔になっていました。

純忠の時代の大村は、教会があり城下には貿易や商人で繁栄している南蛮文化で栄えた街だったと思います。この丘から大村市街や大村湾を眺め、そんな事を想像してしまいました。

しかし純忠死後、子の大村喜前はいち早く棄教し、教会などは破壊して棄教しないキリシタンを五島へ追放します。そして玖島城を築城して豊臣や徳川に忠節を誓ったため、大村家は幕末まで存続できたようです。

キリシタン大名と言えば、私はこの大村純忠の他にも、有馬晴信、大友宗麟、小西行長、高山右近らの名前が思い浮かびます。彼らはキリスト教に、いったいどんな救いを求めていたのだろうか🤔? そんな事までもふと考えてしまいました。

次は(3城目)その喜前の玖島城に続きます。
 

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