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トク

杵築城(2/2):天守を見上げて今年の最後は温泉で (2024/12/22 訪問)

杵築城の続き(2/2)です。
上から眺めると、今度は逆に下から見上げてみたくなり、お城の方に下に降りられる道を聞き、八坂川の橋の上から写真を撮りました(写真①②)。ここから見上げると、とてもいいアングルです。下りて気づきましたが、台山は海や川方向から見ると城は断崖絶壁の上に建っています。どうやら海や川から攻めるのは難しそうです(写真③)。

夜は別府温泉「ホテル清風」に宿泊しました。通常は1泊2食で2万円くらいしますが、平日限定割引クーポンをGETできたので、何と半額の1万円で泊まれラッキーでした。海の見える展望露天風呂はとても気持ちよく、この時のために朝から何も食べずに日出城・杵築城と回ったのでお腹ペコペコ。もう着くやいなや食事処へいざ出陣、新鮮刺身や豊後牛などのこれでもかという豪華バイキングに大満足でした!😊(夜は写真⑧を2回、朝も2回、風呂には3回も入りもう満腹&のぼせ状態)。1年のいい締めくくりになりました!
 

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トク

杵築城(1/2):天守から眺めた景色は抜群 (2024/12/22 訪問)

2024年今年最後の登城は「杵築城」です。

室町時代に木付氏によって八坂川の河口にある台山に築かれたのが始まりのようです。戦国時代から豊臣期にかけて木付氏は大友配下となりますが、宗麟の子義統が朝鮮での敵前逃亡の罪で改易されると、木付統直は自刃し、そこで木付氏は絶えたようです。その後、丹後細川氏の飛地となり、家老の松井康之が城代となり三重の天守を建てますが、その後に落雷で焼失します。康之は九州の関ケ原では、再起した大友義統に攻撃されるも、何とか耐えこの木付城を守り抜きました。そして援軍に来た黒田如水とともに大友義統を別府石垣原にて破ります。しかしその後に、木付城は一国一城令で廃城となってしまいました。肥後加藤家改易後に細川氏が肥後へ転封すると、木付は豊後高田藩(能見松平氏)の所領となりました。ちなみに康之の子の松井興長は、肥後では細川忠利の筆頭家老となり、八代城の城代を任されています。

1712年に幕府が誤って朱印状に「木付」ではなく「杵築」と表記したため、その後は杵築城と表記されるようになったとか(何それ🤔?)。現在は三重の模擬天守が建ち、杵築市のシンボルとなっています。

暘谷駅からハーモニーランド経由のバスで杵築駅に着き、そこから杵築バスターミナル行のバスに乗り換え10分、杵築城入口で下車しました。ここから登城開始します(写真⑦)。途中公園になっている二の丸を過ぎ、本丸への門(写真⑨)をくぐると天守が見えてきました(写真⑩)。約15分程度の軽い登りで天守まで到着しました(写真①②)。

天守内部は資料館になっています(写真⑤)。1階では木付氏・細川氏・松平氏の資料が、2階では杵築出身の著名人が紹介されていました。太平洋戦争終結時、戦艦ミズーリ号の艦上でポツダム宣言受託の署名をした教科書にも載っている、あの外相「重光葵」は杵築の出身だったようですね(写真⑥)。

そして天守最上階からは、八坂川や守江湾から別府湾が見渡せ、遠く佐賀関や愛媛県の佐多岬までかすかに見えました(写真③④)。いや~とても気持ちのいい眺めでした。

次は、下から見上げたらどう見えるのかが気になり、八坂川へ下りてから、今夜のお楽しみ(温泉宿)へ向かいます。
 

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イオ

とことん一乗谷(朝倉館) (2024/10/13 訪問)

(続き)

復原町並から一乗谷川を渡って朝倉館へ。朝倉館は一乗谷の中央部に位置する朝倉氏代々の居館で、現在見られる遺構は五代当主・義景が足利義昭を迎えるにあたって改修した姿です。三方を土塁と堀で囲み、北西隅と南西隅の土塁上には隅櫓、正門にあたる西門、北門と南門が設けられていました。西門跡には唐門が建てられていて、一乗谷の象徴ともいうべき門だけにてっきり朝倉館の遺構かと思っていたんですが、朝倉氏を供養するために江戸期に朝倉館跡に建てられた松雲院の門だったんですね。一乗谷は信長に焼き尽くされてるんだから、そりゃそうか。

唐門から館内に入ると広大な敷地を埋め尽くすように礎石が並び、建物跡が平面表示されています。説明板で位置を確認して、南門跡と武者溜・蔵跡を右手に奥に進み、義景公の墓所にしばし手を合わせます。さらに奥に進むと花壇跡があり、ということはあれが会所、ここが主殿、泉殿の向こうは小座敷で…と少し前に博物館で歩いた原寸再現された朝倉館の様子がよみがえってきました。実は、午後からだと人を入れずに写真を撮るのは難しいかな、と思って朝イチでも朝倉館を訪れていたんですが(そのため早朝の写真も混じっています)、その時は建物跡の平面表示を見ても、この辺に建物が建ち並んでいたんだなぁ…くらいの漠然とした印象だったのが、原寸再現を見た後では、イメージする必要もなく先ほど見た朝倉館が鮮明に思い浮かんできて、時間を超えて往時の朝倉館に立っているような感覚になりました。ああ、まさにこのための原寸再現なんですね。朝倉館を訪れる前には、ぜひ博物館の原寸再現を体感されることをおすすめします。

泉殿から池庭(朝倉館跡庭園)を眺めた後は、湯殿跡庭園に向かう…前に展望所から朝倉館を一望! 充分に朝倉館を堪能した上で、庭園めぐりに向かいます(続く)。
 

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todo94

お城EXPO2日後の沖縄攻城③ 【城びと未登録】北谷城(沖縄県北谷町) (2024/12/24 訪問)

越来城からの転戦です。吉川弘文館の「沖縄の名城を歩く」所収のグスクで、米軍基地内にある旨、記されています。スルーしてもよかったのですが、様子を見てみたくて立ち寄ってしまいました。全く近寄れないかと思っていたのですが、鎌倉のやぐらテイストの墓地に続く道があり、丘陵の上にあるグスクの崖下にまで取り付くことができました。

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シェル

ようこそ!!空堀の迷宮へ (2024/11/07 訪問)

 茨城に住んでいながら、なかなか行くことができていませんでしたが、ようやく訪問することができました。
 JR水戸駅北口 6番バスのりば 茨城空港行のバスに乗車し、「秋葉」で下車、徒歩約20分で到着。他に同じく6番バス停から石岡駅行のバスで「小幡」で下車するルートもあります。(両路線とも本数が限られているので、訪問の際は時刻表を必ずチェックして下さい。)
 城跡入口には駐車場も設置されています。
 入口からは堀底道を進んで本丸を目指します。空堀はかなりの深さのもので、堀が十字路のように交差する場所もあり、“空堀の迷宮”に迷い込んだような感覚に陥りました。案内表示や縄張り図が無かったら、私は絶対迷うと感じました。
 見学ルートに沿って堀底道を進むと、櫓台跡(五の郭北東端)と変形武者走りがあります。
 変形武者走りは、小幡城の特徴の一つで、土塁上の凹みを移動し、堀底の敵兵にみつからずに攻撃する機能があったと考えられているようです。
 さらに堀底道を進んでいくと、五の郭と四の郭の土橋、そしてお待ちかねのは本丸の入り口にたどり着きます。
 本丸では、高い土塁が周囲を囲んでおり、中央奥には井戸があります。空堀がもの凄い小幡城ですが、本丸の土塁も規模が大きく圧巻でした。
 城跡エリアから少し西に行き、東関東自動車道の跨線橋を渡ると土門(大手門)跡があります。ここには土塁の遺構が残存しています。(駐車場から徒歩5分ほど)
 帰りはバスの本数的な兼ね合いで、城跡から40分ほど歩き、別路線のバスが合流する「奥ノ谷」のバス停から水戸駅へもどりました。(奥ノ谷からはバスの本数が増えるので、参考になさってください。)

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ぴーかる

堀秀政の陣城 (2024/12/01 訪問)

【東野山砦】
<駐車場他>城跡まで車で行けますが、砂利道で落石も多く落ちているので、前投稿の菖蒲谷砦手前の場所に停めて菖蒲谷砦から尾根を登って行った方が砦の連結部分がわかって面白い。車で行くには菖蒲谷砦の投稿ポイントから道なりに行って分岐を左(案内板がある)、進んで着きます。2.5㎞くらいです。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅ラスト5城目。現地説明板によると東野山は別名実山ともいい、京極氏、浅井氏の配下であった豪族の東野豊前守一族の居城があったところです。賤ヶ岳の戦いでは堀秀政の陣城で行市山に陣する佐久間盛政と対陣したようです。
 砦跡は南北に主郭と副郭があり両郭を土塁と横堀で囲んでいます。副郭内部は土壇があり建物があったようです。主郭は北東隅が段状に上がっていてます。虎口は副郭の南側に枡形があり西側の主郭腰曲輪へ流される感じになっています。主郭の北側が広い削平地があり武者溜まりになっていたかと感じました。主郭西側の腰郭から尾根を下って行くと支城の菖蒲谷砦に行けます。先の菖蒲谷砦での重複記述になりますが、東野山砦~菖蒲谷砦間の尾根の遺構には竪土塁、ジグザグに折れのある切通し、▢状の土塁のある曲輪があり菖蒲谷砦との連携防御の遺構が楽しめ一見をお勧めします。これにてこの旅終了、前日に今日のスケジュールで登城しようとやって来ましたが、曇り予報のはずが湖北にやって来ると雨がどしゃぶりだったのでガソリン・高速代勿体なかったが撤退しました。翌日のこの日あらためて予定通り攻略できました。走行距離316㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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細川忠興 (2024/12/28 訪問)

 近くへ来たので新幹線の待ち時間を利用して散歩してきました。久しぶりの登城です。復興天守もいいですが、石垣と堀が気に入っています。

 朝7時半頃に登城しました。天気予報では朝は雨が降り風が強いとなっていましたが、雨は降っていなかったため城址へ向かいました。城址へ着くと断続的に冷たい雨が降り始め、強風が吹き荒れていました。その後も雨と風に悩まされ天守閣の開く午前9時を前に退散しています。午前10時頃、新幹線を待ってプラットホームに立っているときには、雨は止み青空が見えていました。ときどきあります。

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井上周防之房 (2024/12/27 訪問)

 黒田氏の筑前六端城のひとつで黒田二十四騎の一人、井上周防之房が城主でした。高石垣に囲まれた曲輪を持った豊織系城郭であったようです。現在は公園として整備され石垣が一部残っています。
 JR黒崎駅の北側に見える山が城址で徒歩約15分で行くことができます。

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藤原広嗣 (2024/12/27 訪問)

 天平12年(740)に、反乱を起こした藤原広嗣が築城したと伝えられています。中世には周防の大内氏あるいは毛利氏と豊後の大友氏の間で攻防戦が繰り広げられました。豊臣秀吉の九州平定後は黒田氏、細川氏が慶長11年(1606)に破却されるまで城番を置いていました。
 縄張り図を見ると、かなり見どころが多くありそうな城址ですが、平成30年7月の大雨による土砂崩れのため、多くの場所が立ち入り禁止となっています。登って下りてくるだけの登城になりました。事前にネット情報で知ってはいましたが、残念です。

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ホトギ山より (2024/12/27 訪問)

 標高246.9mのホトギ山(御所ヶ岳)より西に伸びる尾根の主に北斜面に築かれています。当城の北側に広がる京都平野からは旧石器時代の遺物が出土しています。また三世紀末頃には九州最大規模の前方後円墳石塚山古墳が築造されました。この地が畿内と北部九州との交通の要衝に位置していたと考えられています。城門は7カ所あり、景行神社裏には建物の存在があったことを示す礎石もあります。馬ヶ城からホトギ山を経由して登城しましたが、広範囲なため、すべての遺跡を見ることは断念して東門、中門、馬立場石塁、西門などを散策しました。中門跡の石塁は見応えがあります。第二東門跡にはブルーシートがかけてありました。古代山城は、以前はあまり興味ありませんでしたが、城門跡、水門跡など最近は結構楽しめるようになりました。

 馬ヶ城から尾根伝いに行けば高低差もなく楽ではないかなと思い馬ヶ城本丸跡よりホトギ山を目指しました。ところが一度谷を下りて上がることになり思ったより大変でした。登山道は概ね整備されていますが、下り上りとも急坂でロープを頼りに進まなければなければならない所もあります。馬ヶ城本丸跡からホトギ山山頂まで約50分かかりました。ただホトギ山よりの眺望はすばらしく馬ヶ城も観ることができます。

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カズサン

板屋根白土塀修復完了 (2024/12/24 訪問)

 木造復元天守閣の土佐漆喰壁のリニューアル完了後、昨年と今年に掛けて天守曲輪への登城路東脇の板屋根白土塀と天守曲輪東下帯曲輪の板屋根白土塀の板屋根の張替修復と白漆喰の塗替え修復が完了(今年の9、10月頃?)、先に登城側、後に東帯曲輪との二年越しの工事でした。
 板屋根は黄色く塗装、土塀は白漆喰で奇麗に修復完了、30年前の木造復元天守閣が出来上がった頃に甦ってきました。
 板屋根白土塀中心の写真投稿です。
 
  

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カズサン

祝木造復元天守閣~30周年 (2024/12/24 訪問)

 今年は掛川城天守閣の本格木造復元天守閣開門30周年記念の年です、平成6年4月公開されて30年経ったのですね、その前後して木造復元が全国的に広がり白河小峰城三階櫓、大洲城天守閣、新発田城三階櫓と城好きの私を楽しませてくれました。
 掛川城天守閣に登りましたが、まだまだ木の香り、生地の新鮮さは残って居り木造の天守閣の木組を観察し楽しめます。
 天守閣は一昨年に土佐漆喰でリニューアルされ昨年のNHK大河ドラマどうする家康に間に合い、今年の30周年の祝いにもリニューアルで華を添えました。
 今年もまだ残って居た修復工事東の帯曲輪板屋根付き白漆喰土塀9月か10月には完了し、訪ねた時には天守曲輪登城路と東帯曲輪の白土塀も奇麗に天守復元30年前と同じように光輝いて居ました。
 小島陣屋移築復原御殿書院探訪の帰路、今年4回目どうなってるかなと?寄りました。
 駐車場:掛川大手門駐車場を利用(有料)30分100円です。
  

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山麓の遺構 (2024/12/27 訪問)

 山麓には集落のある谷を守るように、隣接する尾根の東斜面に横堀、土塁、畝状竪堀などを観ることができます。ただ竪堀は浅くなっていたり藪になっていてわかりにくいです。

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黒田官兵衛 (2024/12/27 訪問)

 豊前を領地とした黒田官兵衛、長政親子が中津城に移るまで居城とした城です。
大谷登山口から山麓にある土塁、横堀、畝状竪堀群を見て登って行きました。坂は急なところもありましたが、歩きやすく整備されています。途中、堀切などを観ることができました。二の丸から本丸までは少し離れていて尾根を移動します。本丸手前に横堀の表示があり行ってみると見事な堀とそれに続く竪堀がありました。縄張り図には堀切となっています。自分も堀切の方がしっくりきます。本丸に説明板がありました。眺望はすばらしく京都平野や周防灘を見渡せます。

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石垣散策 (2024/12/26 訪問)

 予想していたよりも多くの石垣を観ることができました。捜せばもっとなるかもしれません。
期待以上に素晴らしい城址で手入れもよくされていました。時間の都合もあり回れなかった場所、予習不足だった所もありましたが、気持ちよく散策でしました。

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出丸と別曲輪周辺散策 (2024/12/26 訪問)

 出丸、別曲輪を一部ですが散策しました。城内の説明板では東側に出丸を設け、両脇を固めるように別曲輪を五つ配置していると書かれています。出丸と別曲輪の表示がありますが、主要な城域との位置関係、規模を考えると同じように思います。畝状竪堀もありました。別曲輪跡の表示のある曲輪の奥にも曲輪が展開していました。主要な曲輪はよく整備されています。奥まで行くと藪や倒木がありました。余湖くんのホームページには他にも曲輪があり、次に来た時は今回時間の都合で断念した東南にある別曲輪群も散策してみたいですね。

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主要部分周囲散策 (2024/12/26 訪問)

 広範囲に城域がありそれなりに遺構もあるために主要部分周囲の気になった所も投稿させていただきます。二の丸を下ったところに水の手曲輪がありますが、江戸時代の絵図によると近郊に大規模な堀切があったようです。今は埋まって平坦部になっています。畝状竪堀が多い城址ですが、浅くなったり藪になっていたりしていました。

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本丸付近散策 (2024/12/26 訪問)

 豊臣秀吉の一夜城伝説が残る城で、黒田氏が筑前を治めた時代は筑前六端城の一つとして位置づけられています。小石原街道と秋月街道が益富城下で交差し、交通の要衝でした。
興味深いのは縄張りで標高約190mの場所に本丸、二の丸があり、北東の尾根には別曲輪群が展開しています。その曲輪は余湖くんのホームページの図では出城となっていて9カ所記載されていました。現地の表示では出丸、別曲輪と表現されています。まずは本丸方面へ向かい水の手曲輪、二の丸、本丸、さらには馬屋跡まで散策し、戻って北東の別曲輪群を見学しました。時間の関係で東南にある別曲輪群は散策していません。それでも約2時間半かかりました。城域はかなり広いです。曲輪、枡形虎口、石垣などが残っていました。畝状竪堀が多く設置されていることは、この城の特徴のひとつです。

上の方まで車で上がれます。公共交通機関を利用される方は、桂川駅からバスが出ていて大隈バス停下車し、そこから徒歩で上まで上がります。

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まさお

千葉 佐倉城址公園 (2024/12/28 訪問)

京成本線で京成佐倉駅に戻り、徒歩20分くらいで国立歴史民族博物館入口から入りました。
あいにく年末年始の閉館でしたので、姥が池を経由し公園センターに向かいました。
ハリス像・堀田公像・正岡子規句碑より本丸跡に向かい、土塁上を通り天守跡を見学しました。
その後大手門跡を通り駅に戻りました。

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トク

日出城(3/3):ハローキティとくらすまち (2024/12/22 訪問)

日出城の続き(3/3)です。

瀧廉太郎の銅像の後ろには、かつては裏門櫓があったそうで、今では二の丸(銅像の前)に再建されています(写真①)。その二の丸には、駐車場・トイレ・案内所・おみやげ屋などがありますので、最初に立ち寄られて、地図などの情報収集をして散策されたらいいかと思います(写真②)。

また裏門跡には釣鐘櫓があり、今でも釣鐘がぶら下げられていました。朝8時になったら小学校が鐘を鳴らすそうです(写真③④)。登城ならぬ「登校の時間だよ~!」(笑)。

また城内のいたる所の電柱には、二階堂麦焼酎が宣伝されていました(写真⑤)。二階堂酒造の工場はここ日出町にあり、今ではいいちこ(宇佐の三和酒造)と並ぶ、日本で二トップの麦焼酎の会社です。

また暘谷駅に隣接する交流センターの二階には、日出城の模型もありした。時間があれば見学されたらいいかと思います(写真⑥)。私はバスの待ち時間に、ちょっと見てきました。

【周辺観光】ハーモニーランド(写真⑩)
日出町と言えば、知る人ぞ知るキティちゃんの聖地「ハーモニーランド」があります。日出城から車で北へ10分程坂を登った所、国道10号線(赤松峠)です。暘谷駅や杵築駅から本数少ですが路線バスも出ています(タクシー乗場あり)。暘谷駅は小さな駅ですがキティちゃんムードが漂う駅でした(写真⑦⑧)。平日や特に冬(1~2月)は正月を過ぎると寒くて人が急に少なくなり休園日も多いので、私は適度に人の多い春秋の週末に行かれる事をオススメします。でもGWは混雑します(笑)。かなり広い遊園地なので乗り放題のアトラクション付チケットを購入し、サンリオキャラクターが躍るステージやパレードもあるので、小さな女の子たちは1日中楽しめて大喜びすると思いますよ! ちなみに数年前ですが、私はステージに上がりバットばつまる君と抱き合った事があります・・・(何しに行ったの?😲)。

次は(写真⑨)のバスに乗り、今回ハーモニーランドは通過して、杵築城へ向かいます。
 

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