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ぴーかる

この城か荒子城が前田利家生誕地 (2024/07/27 訪問)

【前田城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>近鉄線伏屋駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾6城目。城跡地である前田速念寺の由緒書によると、この地である海東郡前田村は前田氏発祥の地で寺伝では前田利家公はこの地で生まれ、幼少時に出城である荒子城に移って成長したとされます。前田城は長久手の戦いで秀吉方に付いたために徳川軍に攻撃され落城し、城主の前田輿十郎は蟹江で討死しました。利家の叔父前田利則は出家してここに速念寺初代となりました。
 速念寺境内に城跡碑、本堂の左脇に最後の城主前田輿十郎の墓碑があります。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

「馬出」は極上の味 (2024/06/22 訪問)

暑いですね~。9月の始めごろに庭でコオロギが鳴いていたのに、すぐに静かになりました。来年は10月ごろに出ておいで。
異常な暑さでカエルもセミもコオロギも皆、元気が無くなっています。生態系が心配ですね。
諏訪原城の投稿です。私は土の城では山中城が気に入っていますが、武田流築城術が息づいている諏訪原城も好きです。同様に武田軍の手の入っている、愛知県新城市の古宮城も好きですし、埼玉県の杉本城も好きですね(上杉・北条?)。
ただし、古宮城や諏訪原城は徳川氏によって改修を受けているようです。ちょうど小牧・長久手の合戦のあと、豊臣軍の駿府侵攻の脅威が差し迫っていた時期で、徳川方もやっきになって改修を行っていたようです。
せっかくのストイックな馬場美濃守の縄張りが「タヌキ軍団」によって、その姿を変えてしまったわけですが、これが戦国の世において「敗れる」ということだと思います。城址はおろか、「歴史」でさえ、勝者に都合の良いように変えられてしまうわけで、これも「弱肉強食」の摂理と受け入れるしかありません。
むしろ徳川方の手が入ることによって、より「高度」に進化した縄張りを楽しめると考えた方が良いでしょう。しばらく前に昇太師匠がTVで諏訪原城の「馬出」を見て、これは徳川氏による縄張りだと紹介した時は、カチンと来ましたが今はなんとなくわかります。

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トク

海を渡って松山への旅 (2024/09/05 訪問)

松山城番外編です。今回の松山への旅は、船で四国へ渡り松山城から道後温泉まで行きました。その私のたどった経路を順番に写真に沿って御紹介します。行き方は多々あるとは思いますが、今後行かれる方の参考の一つにでもなればと思います。波もなく快適な船旅でした。やっぱり海はいいですね!

【写真①②】
柳井港から、今回も「柳井松山オレンジフェリー」を利用しました。乗り場はJR山陽本線柳井港(やないみなと)駅前(徒歩3分)の所にあります。

【写真③】
出港すると周防大島にかかる橋の下をくぐり瀬戸内海に出ます。橋の右が柳井、左が先月訪問した周防大島です。前回はバスで陸奥記念館へあの橋を渡りました。ここからは瀬戸内の島々の間をぬうように船は航行します。

【写真④⑤】
陸奥沈没地点の上に来ました(この下に陸奥は沈んでいます)。はるか向こうに三つ小さく山が見えると思いますが、その山頂に「岩国城」があります。

【写真⑥】
三津浜港(松山)に到着しました。片道2時間35分の船旅です。ここはドラマで好古・真之・子規が松山を離れ、大阪の師範学校や東京の大学予備門に入るため船に乗り旅立って行ったシーンがあった場所でもあります。

【写真⑦】
三津浜港からは松山市駅行の伊予鉄バスが出ています(松山市駅まで35分)。

【写真⑧⑨⑩】
松山市駅から路面電車に乗って大街道(おおかいどう)で下車し徒歩5分、まずロープーウェイで松山城へ登城。それから崖の崩落場所や堀の石積崩落場所を視察後、坂の上の雲ミュージアムを見学しました。途中の市役所前から見上げた松山城もよかったです。それから鯛めしを食べた後、再び路面電車「道後温泉」行に乗り終点で下車。夜は道後温泉のホテルに宿泊し、リニューアルされた「坊ちゃんの湯」で湯ったりくつろぎました。そして翌朝は、正岡子規記念館を見学し、同じルートで帰途に着きました。


豪雨による松山城の崖の崩落の視察に行ったのですが、終わってみれば「快適な船・鯛めしグルメ・道後温泉」の旅で、結局は自分の癒し旅をしてきたような気がします(笑)。

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POYO58

2年ぶり (2024/08/25 訪問)

またもや2年ぶりの掛川城に行ってきました。いやとにかく遠かったですね。名古屋駅からJRで約2時間半というところでしょうか?今までで1番遠い電車旅となりました。
掛川城は今川義元の家臣の朝比奈氏の居城でしたが、その後家康の攻略と、家康の関東移籍に伴い最終的に山内一豊が改修しました。
この城の特徴は御殿が残っていることですかね。お城で御殿が残っているのは、掛川城、高知城、川越城、二条城の四ヶ所です。これはなかなかすごいです。また掛川城は日本最古の復元天守を持ち、東海の名城と呼ばれています。
その他の遺構だとまずレアなのが、銀杏型の石垣ですね。御殿の近くにちらっと顔を覗かせていますが、当時の石垣とは思えない程綺麗に積まれています。
また十露盤堀や三日月堀などのここでしかみられないものです。
他にも太鼓櫓や腰巻き石垣などの見どころの一つです。

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しんちゃん

楠木正成像と二重橋 (2019/10/01 訪問)

江戸時代に国学の四大人の一人とされた平田篤胤によって「国学」はより宗教色が強くなり尊王攘夷の傾向が強くなっていったと思います。平田氏の思想は後の尊王攘夷志士達にも強い影響を与えているようです。
明治時代は「皇国史観」が徹底されていて、その影響もあって「楠木正成」は大人気だったようです。実はけっこうズバズバいう人で、後醍醐天皇にはちょっとケムたがられていたかもしれませんが。なんにせよ皇居を守る武将の像として正成公はうってつけだったようです。
しばらく外苑をぶらぶらしていたら陽が傾いてきたので帰ることにしました。外桜田門をくぐって出ると景色が変わってきています。大都会の中で江戸城の堀や緑は心を安らげてくれます。

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ハッスルオヤジ

松江城 (2024/07/17 訪問)

国宝

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モト

元寇と日本の為に戦った事に感激です。 (2024/09/03 訪問)

元寇からの進行に対して工事した防塁、今は分断されて点在してます。
場所によって様々な武将が携わった跡が見られます。
今まで見た事のないような武器や兵と戦った当時の武将の思いを感じて勝手に心熱くなってしまいました。
主には西新地区、今津、生の松原と残っています。
西新地区では街中の一画に残る防塁と、その側の大学の構内にも見事に保存されています。
大学は平日に見学できるようになってます。
今津では海岸に設置された防塁を見る事ができます。
当時の防塁や迫る元寇の雰囲気がかなり鮮明に想像できます。
生の松原にも残った防塁が見れます。
それぞれが積み方などの違いでどの地域の武将が工事に携わったのかがわかるそうです。
日本を守る為に戦った当時の武将の勇気、使命感の高さを想像して感激の防塁見学でした。

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伊奈忠次 (2024/09/07 訪問)

 関東郡代伊奈氏の祖、伊奈忠次の陣屋跡です。「伊奈氏屋敷跡」として説明板や案内標識が整備されています。土塁や空堀などが、いい感じで残っています。障子堀も見つかっていますが、は発掘調査後、保存のため埋め戻されています。ところが障子堀という案内標識が複数あり淡い期待を抱いて探してみました。やはり見当たりません。また藪になっている所もあり、時期的に蚊にも悩まされました。それでも十分楽しめる陣屋跡ですが、散策は冬の方がいいですね。

埼玉新都市交通ニューシャトル丸山駅からすぐの所に裏門跡があります。

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鎌倉公園 (2024/09/07 訪問)

 岩槻城主であった太田氏の家臣、松野氏の居城跡です。鎌倉公園付近が城址で遺構はありません。公園に説明板があります。

大宮駅からバスに乗り団地南バス停下車、徒歩5分くらいで行くことができます。

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北浦和東公園 (2024/09/07 訪問)

 岩槻城主高力清長の家臣中村吉照が設けた陣屋跡です。遺構はないようです。北浦和東公園にある針ヶ谷三山と天神山と記されている案内板を撮影して撤退しました。

 北浦和駅から徒歩約15分くらいでした。

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真鳥日向守 (2024/09/07 訪問)

 畠山重忠の家臣真鳥日向守の城跡と伝わっています。日向不動堂付近にあったとされ境内に石碑があります。

 南与野駅から徒歩10分くらいです。

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佐々木盛綱 (2024/09/07 訪問)

 平安末期佐々木盛綱により築城されたと伝わっています。名物うなぎ川魚割烹幸楽園さん付近が跡地で、遺構はないようです。看板に旧領ヶ城址とあり、撮影させていただき撤退しました。幸楽園さんのHPに旧領ヶ谷城址の説明があります。

 南浦和駅より徒歩約20分です。
 

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しんちゃん

カレーは飲み物ですか? (2013/07/21 訪問)

スイカバーは来年までお預けでしょうか? それはさておき、スギ薬局でレトルトカレーが安売りしていたので、こんなものを作ってしまいました。琵琶湖の周りに戦国期の主要な城郭を配置します。うん、これで滋賀県が、ほぼ収まった‥「滋賀県カレー」と名付けよう!
えっ? 滋賀県はもっと広い? 琵琶湖は滋賀県の六分の一? ‥‥じゃあ琵琶湖カレーでいいです。
安土城の石段には「石仏」を配置しています。うう‥細かい、でも安土城にはこれがないと。さあカレーを注水、あれっ なんか琵琶湖の形がおかしい‥。うーん、低い方に流れてしまったか、でも坂本城がギリ水没していないし、良しとしよう。

長浜城の方向から声が聞こえてきます。「俺をダシに使うんじゃない!」すみません、今からやります。長浜城は坂本城と同じく琵琶湖に面して築かれた「水城」です。正確な往時の姿は不明ですが、二重の外堀と内堀に囲まれていて、南北約1.2km、東西約0.7kmの規模を持っていたとされます。かつては琵琶湖に面し、坂本城や長浜城、安土城が築かれ、竹生城などを含めて戦国期と思えないほどの優雅さを誇っていたと思います。

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しんちゃん

広い城域を持っています。 (2014/05/17 訪問)

最近コンビニでスイカバーを見ません。スーパーにも無いです、何かの陰謀でしょうか(夏季限定?)。
それは置いておいて、少し古い写真を掲載させて頂きたいと思います。車で番所あたりまで行くことが出来るので、この日は最高所である大嶽城まで訪れています。徒歩で来られた方は、そのまま福寿丸、山崎丸を経由して下山されるのも良いでしょう。東西の尾根に曲輪が連なり、かなりの城域を持っています。また主要な部分は東側に築かれています。
この日のルートは「金吾丸」「御茶屋」「御馬屋・御馬池」「首据石」「大広間」「赤尾屋敷」「本丸」「御局屋敷」「中丸」「京極丸」「小丸」「山王丸」「六坊・月所丸」「大嶽城」の順になります。
「金吾丸」は大永8年(1525)に六角高頼が小谷城を攻めた時、越前の朝倉金吾教景がここに布陣したと伝わります。
「番所」は主要部への入り口に当たり、番所が置かれていた場所になります。この近くまで自動車で来ることが出来、温存できた体力で大嶽城までたどり着きました。
「御茶屋敷」は番所の上に配置され、名前にそぐわぬ高い防御力を持った曲輪です。「御馬屋」周辺には井戸や、池があり馬に関係する曲輪かどうかについては意見が分かれているようです。
「首据石」は黒金門の手前に置かれ、天文2年(1535)1月に六角氏との合戦の際に初代・浅井亮政は敵に内通の疑いがあった家臣の今井秀信を神照寺で殺害し、首をここに晒したとされています。
「赤尾屋敷」は重臣・赤尾氏の屋敷で、重臣の屋敷としては本丸の最も近くに配されています。天文元年(1573)9月1日に浅井長政が自刃した場所としても知られています。

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朝田 辰兵衛

ヒルにヤラレました…😨 (2024/06/24 訪問)

相生駅前~瓜生東まで,路線バス(ウイング神姫)を利用しました。交通系IC可【460円】です。瓜生東バス停から,徒歩約20分で登城口到着。バス停からは,羅漢の里を目指すと良いでしょう。
この日は雨上がりで,暑さへの心配はありませんでした。これが,油断につながったのだと思います…。
井戸跡に向かおうと少し足を進めていたら,左足に数匹のヒルを発見。慌てて払いましたが,1匹どこかに隠れていたようです。下山後に確認したら,左足のスネ付近をヤラレてました。その痕はまだ消えていません…😨
結局,井戸跡への散策は断念しました。

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トク

松山の番組紹介とミュージアムと鯛めし (2024/09/05 訪問)

松山城の続きです。今度はその他情報ですいません。

NHKで明日9月8日より毎週日曜夜11時から「坂の上の雲」という番組が全26回(3月まで)で放送されます。17年くらい前にあった番組の再放送なのですが、時代は武士の世が終わり明治の近代国家へと進む日本の話です。冒頭(第1話)は、松山城で子供の頃の「秋山真之」と「正岡子規」が遊ぶシーンから始まります。二人が松山城で花火を上げいたずらをするシーンはちょっと笑えます。第3話からは「夏目漱石」なども登場してきます。全体的には日露戦争へと続く物語なので、回を追うごとに少しずつ内容に抵抗を感じる方もおられるかとは思いますが、第1話の廃藩置県直後の松山城がどんな様子だったのか、そのシーンだけでも見られたらおもしろいかと思います。主役の本木雅弘さん・香川照之さん・阿部寛さんのユーモアや、若い頃の管野美穂さん・松たか子さん・石原さとみさんのシャイな演技もちょっといいです。今回訪れた時、松山の街ではいたる所でこの「坂の上の雲」の看板やポスターが貼られているのを見かけました。伊予鉄電車の中もポスターがいっぱいで、地元はそうとう盛り上がっているなと感じました。私も前回見た時はとても元気をもらった番組なので、この再放送は松山を元気づけるためにNHKが企画したのではないかと思いました。

松山城で私は、その番組冒頭で(好古・真之・子規)の三人が写真を撮っている(写真⑤)場所がどこか探しました。でもどこかわかりません。そこで切符売場の係りの方に訪ねると、現在立ち入り禁止の良門から天守を見上げた場所だそうです(写真⑥)。自分も同じ場所から同じポーズでかっこよく撮ってみたかったのですが残念です。

松山城の前には、その「坂の上の雲ミュージアム」があります(写真①②)。松山城の登城口「大街道」電停の前です。また道後温泉には「正岡子規記念館」もあります(写真④)。私も今回両方見学してきました。松山城を訪れた際には、もしお時間があれば立ち寄っていただきたい場所です。

以上、松山に関する紹介でした。
(NHKにあっぱれ!😊)


【余談】松山名物「鯛めし」
松山と言ったら、この鯛めしが私は大好きです。帰りにロープウェイ下の「もとやま」でいただきました(写真⑨)。ここオススメです。地ビールも一緒にいただきます。まず刺身は贅沢に大盛りで注文しました(身のきれいなぷりぷりした天然鯛です。ごはんも無料でおかわりできますので二杯楽しめます)。そしてまず刺身をご飯の上にのせ、地たまごをだし醤油で溶き、ねぎなどの薬味やわさびを入れそれを上からぶっかけると、もう言葉にならない程おいしかったです😋(写真⑩)。
 

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トク

松山城の豪雨被害の状況を見てきました (2024/09/05 訪問)

松山城は豪雨による崖崩れ(2024.07.12)あれからまもなく2カ月が経ち、さらにまた台風10号による豪雨もあったので、ふと気になりJRとフェリーを乗り継ぎ訪問してきました。

松山城に到着後まず登れるようになった天守へ! 太鼓門から見上げる威風堂々とした現存天守はいつ見ても感動します(写真①)。そして天守の最上階から河野氏の湯築城を眺めます(写真②中央の小さな木々の丘が湯築城で、そのすぐ左が道後温泉です)。湯築城に籠り松山城の築城を妨害する河野氏を牽制するために、加藤嘉明は天守をこの向きにしたそうです。

そしてここから本題へ入ります。まず崩落現場を天守から見下ろしてみました(写真③)。下に見える良門櫓の右(木と木の切れ目)が崩落場所なのですが、ここからは思った程よく見えませんでした(この下は立ち入り禁止なので近づけません)。ならば次は切符売場の横から覗いてみました。ここからは左の太鼓門からだけでなく右へ良門櫓から天守へ登城する道もあったのですが、そこは危険なため立ち入り禁止になっていました。よって崩落現場の真上までは行けませんでした。そこで売り場横からできる限り近く行ける所まで行き覗いてみました。崩落上部にはビニールシートがかけられ、斜面には崩落防止のネットが張られています(写真④⑤)。ごっそりと土が削られ斜面がほぼ垂直になっていて、何やらとても恐怖に感じました。自然の力は本当に恐ろしいものです。

切符売場の係りの方に聞くと、わざわざ古図で説明してくれました(ありがとうございます)。昔は斜面の途中に池があったそうです(という事は地下水が流れ出ていた)。たぶんそのためそこから下の地盤が弱く、先にそこが崩れ始め(写真⑥のA)、それによって少し時間をおいて上(写真⑥のB)が耐えきれず崩れ落ちたとの事です。ボーリング調査で立入禁止区域以外の登城路は安全性が確認されているので、皆さん安心して登城されて下さいとの事でした。私はこれ以上崩れないようにと、神様・仏様・嘉明様にお願いしました(写真⑦)。

今度はロープウェイの下(大街道)から北へ10分程歩いた住宅地の中、崩落場所の崖の下に行ってみました。重機で更地にされているこの一帯には以前数件の住宅があり、そこに住んでいた3名の方が亡くなられました(写真⑧⑨)。本当に悲惨としか言いようがありません。これ以上近づく事ができず、下から見上げてみましたが、杉の木で崖はよく見えませんでした。この杉の木の向こうには高さ100mの巨大な崩落した崖があります。これをどうやって補強するのでしょうか? おそらく鉄筋で壁を作ってセメントを流し込みながら固めてたりしていくのではないかと推測しますが、でもそうすると城の景観が悪くなってしまわないかと心配です。でもぐずぐずしていると、崩落がさらに大きくなって現存天守に影響が出たり、下に住んでいる方々に再度被害が出てはもっと大変です。城を管理している松山市(役所)には、これ以上被害が大きくならないよう、かつ景観に配慮しながら何とかがんばってほしいと思います。また住民との補償交渉も始まったようで、真摯に向き合ってほしいと思います。

さらに係りの方に、今回の台風10号での被害はなかったのか聞いてみると、南堀端(市役所前)の石積が、長さ10mに渡って崩落したとの事なので行ってみました。確かに崩落があり、「通行注意」の看板がありました(写真⑩)。電車通り沿い市役所前の歩道で人通りも多い場所なので、注意してほしいと思います。

以上、被害状況の報告でした。
(きばれ松山!😠)
  

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シェル

藪に埋もれる空堀と土塁 (2024/01/19 訪問)

 JR常磐線 岩間駅から徒歩約1時間かけて登城‼(岩間駅からの道中に旧宍戸城表門が移築されていますので、セットで巡ってきました。)
別のアクセス方法はJR友部駅から茨城交通の「旭台団地経由水戸駅行」または「旭台循環」のバスで、「住吉団地入口・友部スクエア」で下車して、徒歩35分ほどです。
 城跡の北西側から県道16号を通って登城。周辺に本覚寺と工場と思しき建物があり、それを目印に向かいました。本覚寺はだいぶ荒れている様子でした。
 入り口の道は、二か所あり、一つは本覚寺(北西)から来る路地のような道と城の脇を走る市道とのT字路の少し北側にありますが、舗装されておらず分かりづらいです。二つ目は、市道沿いにある神社の鳥居の少し北側の入り口です。私は北西側の一つ目のルートで進み、道沿いに藪になっていましたが、折れがある空堀と土塁がありました。道から離れ少し南西に行ったところに本郭の北側虎口と土橋がきれいに残っています。赤い城さんやdougenさんが以前の投稿で断念されていた城址碑についてですが、この北側虎口の北東側の空堀(藪)の手前にあるのを確認できました。
 また本郭の西側の神社そばまで空堀が延びているようです。神社側は、あまり藪になっておらず、神社脇の市道などから見学できるようですが、完全に見落としました…

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しんちゃん

楠木正成騎馬像 (2019/10/01 訪問)

国会議事堂を見学した帰りに江戸城に寄って来ました。議事堂から堀と土塁を見ながら外桜田門と桜田門を経て城内に。江戸城は以前訪問したことが有るので、この日は周囲を散策して楠木正成公の銅像を見に行きました。少々いかつい顔をしておられますが非常にかっこいい。
騎馬像では楠木公と山形城の最上義光公の像が抜きんでて格好良いですね。この銅像だけでも見に来る価値が有ります。周囲は皇居外苑になっていて、とにかく広いです。周囲には高層ビル群が迫って来ていて近世と近代の狭間の不思議な空間が広がっています。

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しんちゃん

居館はどこだ? (2024/06/29 訪問)

石上城の続き。最初は城址の場所が良くわからず、登福寺背後の丘陵を散策しています。特にこれといった遺構は見当たらず、沢を挟んだ東の丘陵に大頭龍神社を見つけ、そちらも訪問してみることに。
道が分からず最初はうろうろしていましたが、集会場の脇から向かうのが正解でした。城址そのものは手狭ではあるので大頭龍神社か登福寺いずれかに居館が有ったのではないかと考えています。

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