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あさやん

初登城 (2019/08/12 訪問)

この日、3つ目の登城。
続日本100名城のスタンプと御城印をゲット。

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あさやん

二度目の登城 (2019/08/12 訪問)

御城印をもらうために、二度目の訪問。

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あさやん

初登城 (2019/08/12 訪問)

早朝、8時ごろに到着し、登城開始。
整備されていたので、登りやすく、上からの眺めもよかったです。
一番上にWifiの案内があったのに、ちょっと笑えました。
下城すると、ちょうど苗木遠山資料館がオープン、スタンプと御城印をゲットしました。

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天守無しがアツい

温泉寺 (2025/08/11 訪問)

高島城一階の展示に高島藩歴代藩主の墓所が紹介されており、その場所の名前は温泉寺…とあったので訪問🚶

高島城から2km…雨の中歩いて到着☔️

本堂裏手の霊園奥に位置する墓所🪦
高島藩十代の墓が並んでる
その中の3基を撮影

二代藩主のみ小屋に覆われており、それ以外は剥き出し…
藩主が亡くなるごとに…この地に大きな穴が掘られ…棺が収められて埋葬される⚰️様子を頭に浮かべながら合掌🙏

帰り際にまず和泉式部の墓を参拝
どうしてこの地にあるのかは謎

それから本堂へ戻り、チャイムを鳴らす…出なかったらそのまま帰ろうと考えていたけど、女性の職員が出たので御朱印授与の旨を伝える

数種類あり…藩主の墓所を参拝した事を伝えると薬師如来を勧められたのでそれをいただく

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しんちゃん

判官舟かくし 源義経の伝説 (2015/08/29 訪問)

新潟県新潟市西蒲区には源義経に関わる伝承が残っているようです。文治3年(1187)源義経が奥州平泉に落ち逃れる際に、追手を避けて船を隠した洞穴とされています。当然入ることは出来ませんが(小舟があれば別)大小二つの洞穴があって、右側が奥行28m、幅4~5m、右側が奥行14m、幅2mほど有るそうです。
写真を見ると、あまり高所恐怖症の人にはお勧めできそうもないです。あと、天気の悪い日も避けた方が良いですね。

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しんちゃん

姉川の合戦場 (2013/08/23 訪問)

東海地方には多くの合戦場や城跡がありますが、中部地区までエリアを広げると、さらに多くなります。姉川合戦場は滋賀県長浜市姉川にあり、元亀元年(1570)にここで織田・徳川の連合軍と浅井・朝倉の連合軍がぶつかり合い、織田方の勝利に終わりました。
姉川は両軍の死傷者の流した地で赤く染まったと伝わり、血原・血川橋という名が現地に残っています。
合戦場周辺にはいろいろ、ゆかりの地が有るようなので、いずれゆっくり捲土重来(再訪)したいと思っています。

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しんちゃん

前田慶次廟所・堂森善光寺 無苦庵・慶次清水 (2015/05/03 訪問)

米沢市堂森は「花の慶次」で有名な前田慶次郎利貞ゆかりの里です。堂森善光寺には前田慶次の供養塔があり、多くの人が訪れています。
晩年の慶次は当地で悠々自適の生活を送り、慶長17年(1612)に死去したされています。

慶次が暮らした無苦庵跡の近くには慶次清水と呼ばれる泉があり、慶事の生き様を表すように透き通ってキラキラと輝いています。
案内板によると「前田慶次の無苦庵記」には
(中略)寝たければ昼もいね、起きたければ夜も起きる。九品蓮台に至らんと思う感心も無ければ、八万地獄に落ちる罪も無し。生きるだけ生きたらば、死ぬるでもあろうかと思う。

と書かれているようです。慶次はここで里人と交流を深め、ひっそりと亡くなったとされ、境内の供養塔は昭和45年に建てられたものです。

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しんちゃん

飛鳥の石舞台古墳 (2013/09/28 訪問)

奈良県明日香村の石舞台古墳です。城にしか興味が無いよ・・という方も一度、眼にして欲しいなと思います。巨石を用いた横穴式石室ですが、土が取り除かれ、石の部分が露出しています。
埋葬されたのは蘇我馬子とされ、土が取り除かれたのは懲罰の意味合いがあるとされています。確かに・・中大兄皇子ならやりそう。
石の断面は垂直に加工されているようにも見えます。矢穴とは異なりますが、石室内部の石には加工の跡らしきものが有るようにも見えます。蘇我氏は朝鮮とも繋がりが深かったと言われ、これらの加工技術が半島から伝わって来たものか興味があります。
私は蘇我氏の甘樫丘も丘城の様なものと考えていますが、曾我氏がどれだけ先進的な概念や技術を持っていたのか興味が有りますね。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

姫たちに 想い託して 小谷城
(ひめたちに おもいたくして おだにじょう)

訪問したのは城びと登録前なので「行った」としていません。

やはり小谷城といえば三姉妹になるのかな?
ドラマでは朝倉氏への旧恩を感じて信長を裏切ったと描かれますが、当時の状況から長政は勝つ見込みを持って朝倉に着いたのではないかと思われます。

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じゅんじん

朝の部 (2025/03/11 訪問)

開城前に行きました。

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じゅんじん

夜の部 (2025/03/10 訪問)

ほぼ独り占め

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じゅんじん

名城 (2025/03/10 訪問)

東北を代表する名城です。赤瓦の天守が美しい。

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しんちゃん

土の近世城郭 (2014/02/02 訪問)

戦国時代、本佐倉城城主である千葉氏によって、何度か佐倉城の築城が試みられましたが色々事情があって完成には至りませんでした。
慶長15年(1610)に土井利勝が入封し、元名3年(1617)に佐倉城は完成しました。
近世城郭でありながら、石垣を用いていない土の城です。ローテクバリバリな気がしますが、これはこれで良いのではないでしょうか。
土井利勝は於大の方の兄・水野信元の庶子とされますが、出自については色々な説があるようです。
城内にはタウンゼント・ハリスと、ハリスとの交渉に当たった佐倉城主堀田正睦の銅像があります。そういや、設楽の歴史資料館にも米との交渉に当たった岩瀬忠震の銅像が有ったっけ。
ペリーとトランプって何となく似ていませんか?

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じゅんじん

途中断念 (2025/03/10 訪問)

積雪のため途中撤退。次回再挑戦!

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

歴史的 模擬天守建つ 洲本城
(れきしてき もぎてんしゅたつ すもとじょう)

1928年に建てられた日本で最初の模擬天守。
模擬天守には賛否あるかとおもいますがさすがに100年近くそこにあるというのは凄いです。
眺望も良く石垣が素敵な城でした。
登城時は雨、しかも時間がなく登り石垣は目の当たりに出来なかったので再訪したいです。
近いし。

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じゅんじん

清水門復元中 (2025/03/10 訪問)

ここは写真映えするお城です。清水門復元中でした。

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赤い城

【赤色立体地図かるた】

水軍の 城から始まる 新宮城
(すいぐんの しろからはじまる しんぐうじょう)

徳川御三家紀州藩の支城ですが元は熊野水軍の城でした。
ここも未訪です。
那智の滝や速玉大社までは行ったことあるのですが・・・

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じゅんじん

3回目 (2025/02/12 訪問)

ここのお城はよきです。石垣や堀切があり城門や橋も復元されています。

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じゅんじん

主郭は公園 (2025/02/12 訪問)

結構大きめなお城でした。古墳も物見に利用とか。遺構は堀のあとがあるくらいでしょうか。

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じゅんじん

公園 (2025/02/12 訪問)

城址碑がありました。武田氏系のお城だったはず。

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