続日本100名城

さめがおじょう

鮫ヶ尾城

新潟県妙高市

別名 : 宮内古城
旧国名 : 越後

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鮫ヶ尾城
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WEST

鮫ヶ尾城探訪 (2024/11/13 訪問)

鮫ヶ尾城を訪問しました。自動車を斐太歴史の里駐車場に停めての登城となります。
まずは近くの斐太神社にて安全祈願をした後、総合案内所を訪れました。この案内所で、登城案内図とともにルートの説明を受けました。お勧めルートは東登城道から本丸に向かい、北登城道から降りるルートだそうです。所要時間は本丸まで約25分となります。丁寧に教えていただけましたよ。
東登城道ではいくつかの堀切を越えて、東一ノ丸跡、二ノ丸跡を過ぎて本丸跡に向かいました。案内板も整備され、登城ルートは分かりやすかったです。
本丸跡からは、三ノ丸跡、井戸跡、虎口曲輪を見た後、北登城道から下山しました。1時間強の登城です。
なお、登城の際は念のため熊除け鈴を持参したほうが安心です。(案内所でも鈴の付いたストックを借りられます)

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とばつびしゃもん

上杉景虎最期の城 (2024/09/10 訪問)

斐田歴史の里の駐車場に車を駐車し総合案内所へ。案内所で続日本100名城スタンプポン。とても親切なスタッフの方に展示資料を解説していただきました。当時の炭化したおにぎりも展示されています。登城道にはスズメバチもクマも出るとの注意喚起を受け、鈴のついた杖を借りて登城開始。
東登城道を進む。それほどきつくない上りで、いくつかの堀切を越え25分ほどで東一の丸へ到達。そこから5分で二ノ丸、さらに数分で本丸へ。本丸からは上越の平野を一望、北方には春日山城もうかがえる。景虎の最期はここだったのか?
下りは北登城道を一期に下り、20分弱で総合案内所へもどる。
1日に3城攻城でヘトヘト、眠気を抑えて6時間の帰路につく。

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甚右衛門

上杉景虎を偲ぶ (2024/05/11 訪問)

中々登りがいのある山城跡。本丸からの景色は最高。

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しんちゃん

上杉景虎ここに散る。 (2019/08/13 訪問)

鮫ヶ尾城は標高187mの城山に築かれていました。御館の乱で敗れた上杉景虎が自害した城として知られ、城内の井戸の近くで自害したと伝わっています。本丸の西手に二の丸、三の丸が配され東西南の尾根上にも幾つも曲輪が配され堀切も多く見られます。
この日の登城コースは総合案内所のある東側から登城し、東一ノ曲輪や堀切を通過して本丸にたどり着きました。その後は北の米蔵や二の丸、三の丸を散策して下山しました。
御館の乱では当初は景虎側に付く武将も多かったのですが御館に放火されてからは脱走する将兵が相次ぎ、和議に向かおうとした前関東管領・上杉憲政は景虎の長子道満丸ともども四ツ谷砦で殺害されてしまったそうです。景虎は兄・北条氏政の下へ逃亡を試みるも鮫ヶ尾城主・堀江氏の裏切りと上杉景勝の追手の勢いに耐えられず城中で自害して果てたそうです。まだ26歳と若くイケメン武将だったともっぱらの評判ですが残念な話ですね。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 戦国時代
築城者 不明
主要城主 堀江氏
文化財史跡区分 国史跡(鮫ヶ尾城跡)
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、堀切、竪堀、井戸
住所 新潟県妙高市雪森字城山
問い合わせ先 妙高市教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0255-74-0035