続日本100名城

たつおかじょう

龍岡城

長野県佐久市

別名 : 龍岡五稜郭、桔梗城、田口陣屋
旧国名 : 信濃

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龍岡城
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とばつびしゃもん

星形稜堡の城 (2024/05/04 訪問)

であいの館の道をはさんで向かいにある駐車スペースに車を駐車し登城開始。開館直後のであいの館で資料を見学し、入口に設置された続日本100名城スタンプポン。
星形稜堡内にある遺構のお台所は10時開場のため、それまで堀沿いに星型の外側歩道を歩く。石積の高さは意外に低い。
大手門跡から稜堡内に入りお台所内部を見学後、稜堡から歩いて数分のところにある大手跡を見学し、五稜郭展望台へ向う。展望台への山道は対向困難と聞いていたので、車で行くか迷っていたところ、であいの館のスタッフの方から「展望台へ向かう車、今日は少ないよ」との助言を受け車でトライ。
林道から山道に入るところで対向車に出会うも2キロ先の駐車スペースまでは対向なしで到着。かなりの悪路で擦ったりして車を傷め、モヤモヤ感が残る。展望台からはきれいな星型が確認できました。

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あみりん

龍岡城へ朝から汗だく‼️ (2024/07/15 訪問)

佐久平に宿泊して小海線に乗車して龍岡城まで。
Google地図を見ながら迷いながら到着しました。
五稜郭であいの館のおばちゃまがとても親切で、麦茶を2杯ご馳走になりました。写真もたくさん撮りました。
スーツケースを転がしながら駅から往復したので汗だくになりました。佐久平に荷物を預け忘れて無人駅で、ロッカーが無い事に現地で気がつきました…。

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ぎりょう

付 田口城 (2024/06/29 訪問)

龍岡五稜郭をひと廻りし、ほど近い「五稜郭であいの館」を観覧後、同行した家内に五稜郭の全景を観たいので展望台に登ってくる旨を伝えて一人展望台に向いました。城館に全く興味の無い家内ですが、最近は高齢の夫を心配してか、県外遠征には同行してくれます。「往復一時間かな」と言い残して出発しました。
展望台から五稜郭を望み、写真撮影を終えて周囲を見渡すと、後方には曲輪跡が。ここは中世に田口氏・依田氏が拠った山城跡で、最高所の主曲輪から西と北の尾根伝いに多数の曲輪が連なっています。切岸のところどころには石積が残り、堀切も。遺構の残りの良さに感激し、主曲輪を中心に確認したため予定時間を30分オーバー。五稜郭展望台を目指すことにより、期せずしてこの日二城目となる田口城を目にすることができました。

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ぎりょう

信州の五稜郭に感動! (2024/06/29 訪問)

今年もはや半年を過ぎて、前半の締めとして、長野県佐久市と小諸市に。一日目の午前中は日本に二つしか無い五稜郭、龍岡城(本来は陣屋)を訪問することができました。
この城は江戸時代終わりの文久3年(1863)に大給松平氏の乗謨(のりかた)が三河国奥殿から信濃国田野口に移封、稜堡式の城郭の建設を申請し、翌元治元年3月に着工されます。慶応三年(1867)四月に建物が完成し竣工式を行ったといいますが、実際は未完成のまま工事は中断されたようです。当時乗謨は、老中格・陸軍総裁の要職についており、崩壊寸前の幕府内にあって、自領の城を完成させる余裕は無かったのでしょう。
星形稜堡の五稜郭は平野に築かれてこそ本来の機能が発揮されるのですが、城地の北側には山が控えており、もしそこが敵陣となり砲弾を浴びせかけられれば、たちまち落城してしまうことを、早くから洋学を志した乗謨には承知のことだったと思います。生涯に一度の築城のチャンスに、これまで学んできた洋式城郭の知識を集大成した思いが伝わってきます。
城内の堀や石垣、土塁、現存建物である御台所など遺構はとても良く保存され楽しめたのですが、やはり全体の姿が観たくなるのが城好きの習性です。城址の北側に位置する中世山城、田口城跡にある「五稜郭展望台」に向います。ここ数年里山でのクマ出没で休んでいる山城探訪のせいで身体もなまっており、前夜の雨でぬかるんだ、比高150mほどの登城路を息も絶え絶え登りきりました。函館五稜郭の半分ほどの規模なのですが、青空の下の五稜郭の姿にとても感動しました。




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城郭情報

城地種類 稜堡式
築城年代 元治元年(1864)
築城者 松平乗謨
主要城主 大給松平氏
文化財史跡区分 国史跡(龍岡城跡)
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、石垣、土塁、横堀(水堀)
住所 長野県佐久市田口
問い合わせ先 佐久市経済部観光課観光係
問い合わせ先電話番号 0267-62-3285