くしまじょう

玖島城

長崎県大村市

別名 : 大村城、久島城
旧国名 : 肥前

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にのまる

大村公園 (2025/03/01 訪問)

JR大村駅から徒歩で向かいました。
出迎えてくれた美しい角堀から楽しい城さんぽのスタートです(^o^)/

ゆるい坂を上ると大村神社の真っ白な土塀とそれを支えるどっしりとした石垣が見えてきました。そしてカクカクの虎口門。遥々ここまで来てよかった。お城体験の思い出を重ねることができて感謝です。

見どころのひとつである空堀は草叢に覆われており一層遺構感を醸し出していました。
板敷櫓は開放期間ではなかったので入れませんでしたが、きっと素晴らしい眺めが得られるだろうと想像できます。

新蔵波止の方にくだり、板敷櫓台を見上げます。素晴らしい反りに惚れ惚れ。櫓の有無は未確定のようですが現在見せてくれるこの姿、眼福でした。
続いて井戸や穴門跡(立入制限中)を見学しました。ほかの多くのお城同様、石垣に経年による孕みや割れの問題が出てきているそうです。

大手門から再び本丸へ行き、最後に大村小学校の五教館御成門を見に行きました。駅への往復を除くと約1時間の滞在でした。

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トク

【春の長崎天草を巡る③】(3)玖島城 (2025/03/26 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(3城目)は「玖島城」です。

玖島城の築城者は、大村純忠の子「大村喜前」です。築城の経緯は前回お伝えしたので今回は省略します。しかしその前回、板敷櫓が工事中で見られなかったのが心残りだったのと、また桜の木が多かったので、その咲いた姿を見たいなと思い再訪しました。大村駅からバスで10分程のところにあります(大村公園前下車)。

桜祭りの最中で、平日にも関わらず多くの方が訪れていました。露店なども出て賑わい、ここ玖島城のある大村公園は大村市民の憩いの場所のようです。

そして念願の板敷櫓を見る事ができました。桜と扇勾配のコラボがとても美しかったです(写真①)。ここでは、大村喜前が自ら最初に築いた野面積の石垣に、加藤清正の指南を受けて増築した扇勾配の石垣、この二つの石垣を比較して見る事ができます(写真②)。またその日は板敷櫓の内部公開も行われていて、とてもラッキーでした(写真③④⑤)。他にも、清正の指南を受けて作られた大手門(写真⑥⑦)や、二ノ丸から本丸へ到る連続桝形(写真⑧)、また本丸にも大村桜が満開に咲いていて(写真⑨)とても美しかったです。日本のさくら名所100選に選ばれているとの事(写真⑩)。でもなぜこのような美しい城が、続100名城にも選ばれなかったのか? とても不思議でした🤔。

次は(4城目)平戸城に続きます。
 

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トク

清正の助言が残る270年続いた大村藩の城 (2024/12/11 訪問)

昨年の12月ですが、玖島城へ行ってきました。玖島城の築城者は、キリシタン大名で有名な「大村忠純」の子で「大村喜前」です。前回の投稿、壱岐島の勝本城築城時に名前の出た人物です。忠純亡き後に家督を継いだ喜前は、秀吉の命で勝本城の築城に携わった後は朝鮮へ出兵し、帰国後に父が築いた山城である三城城から海に近い地に築城を開始します。九州の関ケ原では東軍に付き、家康より2万7千石が与えられて大村藩を立藩し、藩は幕末までの270年間存続しました。

朝鮮での籠城経験から、城は守りやすく攻めにくい三方を海に囲まれた半島に築城し、また船蔵もあり海上交通もかなり重視していたようです。そして築城後には朝鮮で親しくなった加藤清正に助言を仰ぎ、いったん築いた城をさらに改修したとされています。大手門を南側へ移して高石垣を築き、大手門から本丸までは連続桝形とし、水堀も広く拡張し、板敷櫓などには扇勾配石垣も見られるなど、確かに清正の助言の跡を感じました。

現在の城跡は大村公園になっていて、水堀は庭園に変わり、ゆっくりと散策する事ができるようになっています。市役所と庭園の間の駐車場の所に観光案内所があり、(写真⑨)のようなパンフレットや縄張地図が無料でもらえますので、それを見ながら散策されたらいいかと思います。再建された板敷櫓と美しいと言われる扇勾配石垣がちょうど改修中で見られなかったのが、ちょっと残念でした(写真⑦:現在は終わっていると思います)。

水堀沿いは桜並木になっていたので、桜の季節はきれいだろうな~と思いました。あと3週間後ぐらいには、これらの桜は満開になっているのではと思います。

最後に「長崎ちゃんぽん+羽根餃子」を食べました。これぞ本場の味! 美味しかったです(写真⑩)。
 

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しんちゃん

大手に配された複雑な構造の石垣が敵の勢いをそぐ。 (2020/10/02 訪問)

玖島城は近世大村氏の居城で慶長3年に築かれ、幕末まで大村氏の居城であったとされて
います。現在は石の門をくぐって大手から本丸に向かいますが、石垣や塀が複雑に
配置され、折れ曲がりの箇所が多く枡形のような役割を成しているようです。南の
台所門や西の虎口門も侵入角度に対し門が直角に配置されるなどの(くふう)がしてある
ようです。本丸は大森神社になっていて、西の二の丸には堀が残ります。大手外側の
南掘沿いの高石垣の西側に板敷櫓があり、玖島城のシンボル的な存在になっている
ようです。
※以前このサイトで(ひじかた)と書いたら不適切な内容としてエラーが出ました。
今回は(くふう)と書いてもエラーが出ます。どうにかしてくださいよ‥。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
天守構造 なし
築城主 大村喜前
築城年 慶長4年(1599)
主な改修者 大村純頼
主な城主 大村氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀・水堀)
指定文化財 県史跡(お船蔵跡)
再建造物 櫓、土塀、石碑、説明板
住所 長崎県大村市玖島1
問い合わせ先 大村市観光コンベンション協会
問い合わせ先電話番号 0957-52-3605