蒲郡駅よりより徒歩30分くらいで、入口標識前(34.841725、137.224967)に着きました。
築城年代は定かではないようですが鵜殿氏によって築かれました。 鵜殿氏は紀伊国牟婁郡鵜殿発祥で紀伊国鵜殿城にいたそうです。
鵜殿長善の子のとき長将が上ノ郷城、長存が下ノ郷城に分かれました。 長将の子、鵜殿長持は今川義元の妹を妻に迎えています。
桶狭間合戦の後、周囲の勢力が今川氏から家康へと移るなか、長持の子鵜殿長照は今川氏方として残りました。
1562年(永禄5年)家康は上ノ郷城を攻め、このとき攻めあぐねた家康は甲賀忍者を城内に偲ばせ火を放って攻め落としたといわれています。
NHKの「どうする家康」では伊賀忍者も参加していたような。。。
その後は久松定俊が入城しました。
南下の二郭の東西両サイドから土塁が伸び中央部が開口して虎口となっています。
この土塁の上に石碑が建っています。思っていたより狭かったです。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=羽城を目指す為、JR➡名鉄電車を乗り継いで蒲郡駅から碧南駅に向かいました。
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