続日本100名城

たかだじょう

高田城

新潟県上越市

別名 : 鮫ヶ城、関城、高陽城、螺城
旧国名 : 越後

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高田城
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ぴーかる

高田城 (2023/11/03 訪問)

【続百名城61城目】
<駐車場他>高田城址公園第1駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀・土塁
<感想>1泊2日上越の城攻め旅1城目。上記駐車場に駐車して西側の外堀の内側から南下し散策⇒南側外堀⇒大手道北上して内堀南側から西方向⇒市立博物館見学スタンプ押印⇒内堀北側へ回るも学校になっており立入禁止⇒戻って本丸内三重櫓を見学⇒本丸内部を散策⇒本丸南の極楽橋から出て終了しました。外堀南側の幅広、本丸土塁の高さ、土の城ながら縄張りの広さは見応えがあります。本丸跡の北側半分と北の丸跡が学校になっていて立入禁止が見所を損しているのがもったいない。驚愕する遺構はありませんが、博物館見学も含めて2時間ゆったり散策しました。

<満足度>★★☆

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松平忠輝 (2023/11/03 訪問)

 久しぶりの登城です。近くまで来たので行って来ました。土塁と堀が見ごたえのある城址です。日暮れも迫っていたので、今回はさらりと散策しました。

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ヒロケン

高い土塁・広い堀 (2023/10/07 訪問)

高田城は高田平野の中央よりやや西に寄った地に築かれ、本丸の周囲を二の丸・北の丸に囲まれ南側に三の丸を配した輪郭式平城で、上杉景勝公・前田利常公・伊達政宗公ら13の大名によって、天下普請で築かれました。竣工からわずか4か月で完成させたといわれています。(所説あるそうですが)この城の特徴として、近世城郭でありながら、天守は建てられず、石垣も使われておりません。

城主は、徳川家康公の六男、松平忠輝公で越後福島60万石・信濃川中島12万石合わせて72万石の大大名です。

この城の見所は、何と言っても高い土塁と広い堀です(*^▽^*)土塁の高さは10m程で、総長は1kmにも及び、横矢掛りなどが見られます。
堀は外堀の広い所で100m程もあり、内堀の幅も40m~50m程もあります(*^▽^*)。また、絵図や古文書、発掘調査などで再建された三重櫓、木造で復元された極楽橋などがあります。

現在の高田城は、高田公園として二の丸・三の丸周辺は、陸上競技場やテニスコートのどの施設となっており、周辺には駐車場・公衆トイレが完備され困ることはありません。また、外堀には蓮の花・公園内には桜の木は植樹され、四季折々の花々が咲き誇るそうです。
続・100名城のスタンプは、上越市立歴史博物館と三重櫓前休憩所の建物内にあります。

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高田城 (2023/08/27 訪問)

続日本百名城

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城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 慶長19年(1614)
築城者 松平忠輝
主要城主 松平氏、稲葉氏、榊原氏
文化財史跡区分 県史跡(高田城跡)
近年の主な復元・整備 松平光長
天守の現況・形態 御三階櫓[3重3階/1614年築/倒壊(地震)]、御三階櫓[3重3階/1665年再/焼失]、独立式望楼型御三階櫓[3重3階/1993年再/鉄骨造復興]
主な関連施設 三階櫓、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(水堀)
住所 新潟県上越市本城町
問い合わせ先 上越市文化振興課
問い合わせ先電話番号 025-526-6903