(続き)
庭園めぐりと並行して一乗谷の他の見どころもめぐっています。一乗谷川の東岸から山手にかけては朝倉氏一族や重臣の館が多く見られます。
一乗谷文化祭
この日は唐門前広場において一乗谷文化祭が開催されていました。半日のみの滞在では時間の余裕がなく出店をひととおり見て回っただけでしたが、一乗谷散策中にもステージの音声はよく聞こえてきたので、文化祭の雰囲気だけは感じられました。
中の御殿
五代当主・義景の母である高徳院の屋敷跡で、湯殿跡庭園と諏訪館跡庭園の間に位置します。北辺は朝倉館の空堀、東辺から南辺は土塁で囲み(西辺は斜面)、南側の道路に面して南門が設けられています。屋敷内には発掘調査により礎石建物や庭園が確認されていて、礎石列や庭園の水路跡を見ることができました。東辺の土塁上には展望所が設けられ、一乗谷を一望することができます。中の御殿も諏訪館も高台に設けられていて、今も昔も町を見下ろす高台は高級住宅地なんだなぁ、と。
英林塚
覆屋の中に笏谷石の宝篋印塔が建つ初代・孝景の墓所で、法名にちなんで英林塚と呼ばれます。中の御殿の展望所からさらに登ったところにあり、英林孝景はここから自らが開いた一乗谷の栄枯盛衰をどんな思いで見守っていたのかな、400年を経て町並が復原されて多くの人が訪れるようになるなんて思いもしないよな、などと考えつつ手を合わせていました。
米津
諏訪館の西麓、一乗谷川沿いの土塁をめぐらせた地区からは発掘調査により刀装具やガラス製品の工房跡が確認されています。そういえば博物館には刀装具やガラス製品の製作工具が展示されていたような……またの機会には改めてよく見てみたいと思います。
瓜破清水
南陽寺の北麓には朝倉氏の御膳水に供したと伝わる瓜破清水が今なおこんこんと湧き出ていて、生活用水として利用されています。一乗谷城の千畳敷手前にある不動清水から銅の筒で水を引いていたという伝承もあるようです。
権殿
朝倉権ノ頭の屋敷跡とされ、発掘調査では土塁と道路で区画された中規模武家屋敷と下級武士や町人の小規模な屋敷が確認されています。ほとんどは埋め戻されていますが、わずかに築地塀跡や門跡が見られます。一乗谷城への大手道の入口脇にあり、重要な位置を占めていたものと思われます。
出雲谷
下城戸の対岸南側には魚住出雲守の屋敷跡があったことから出雲谷と呼ばれています。一乗谷古絵図には朝倉斎兵衛、佐々生光林坊らの名前も見られ、北部の守りを担っていたようですが、今回は時間に余裕がなく未訪です。
一乗谷川の西岸には復原町並を含め、城下町が広がっていますので、そちらにも(続く)。
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