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にのまる

小山氏城跡 (2024/08/28 訪問)

祇園城(小山城)に行った際に、祇園城・鷲城・中久喜城が「小山氏城跡」として国史跡に指定されていると知り、鷲城と中久喜城はその存在さえ知らなかったので行ってみることにしました。
小山駅から路線バスで小山総合公園へ。ほぼ土塁に沿って住宅街を歩き、外城である鷲神社への参道を通りました。時期的なこともあってか遺構パーツはあまり確認できませんでしたが、広大な城郭であったことが理解できる大きな土塁でした。

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にのまる

佐野ラーメンといもフライは持ち越し (2024/08/28 訪問)

【佐野城跡・城山公園】
18きっぷ5回目利用で出かけました。
改札口を出て右に折れるとアーチ屋根の先に広がる鮮やかな緑の芝。一瞬で時を超え、いにしえの世界へと引き込まれます。
城山公園として整備されている主郭部は三の丸から北出丸までの直線が連郭式を理解しやすく、それぞれを隔てる空堀も見事でした。特に二の丸と本丸の間の空堀は上から覗いても下から見上げてもかっこよかったです。
本丸の発掘された石垣と通路を示す石のラインは絵図や写真で想像する昔の姿を補完してくれます。本丸を抜けた北出丸では窮屈感や閉塞感を感じ、“遊び”のない空間に、本丸防御の重要な役目を果たしていたということが感覚的にも理解できました。

【犬伏の別れの地】
『真田丸』の頃から行ってみたかった新町薬師堂へ行ってきました。関ヶ原の戦いを前に、徳川方と豊臣方、どちらが勝っても真田の名が残るよう親子が分かれて戦うことを決断したとされている場所です。
佐野駅(佐野城)からは約3㎞。佐野市生活路線バス「さーのって号」の犬伏線で「犬伏薬師堂西」下車です。
薬師堂の後背に聳える山は米山古墳だそうで社殿の横に登山道らしき道が見えました。
薬師堂には犬伏の別れの説明板のほか昌幸・信幸・信繁親子の甲冑が飾ってあり、かの地に立てただけで大満足でした。また、すぐ近くに「別れ橋(があったと伝わる場所)」があり、ここでも大きな別れの感傷に浸ってきました。
「さーのって号」は1日5本しか運行されておらず、帰りはバスを待つより歩いたほうが断然早いので、例幣使街道を歩いて戻りました。暑かったです💦


#福山城×東横イン、クイズだと察してくださりありがとうございました。
お出かけ先は『ひみちゅ』の語感で『ひめじ』でしょうか?

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しんちゃん

夢幻の如く成り (2024/05/03 訪問)

笹下城は成願院周辺の高台に築かれていたようです。調査より開発が先行してしまったため「幻の笹下城」と呼ばれるようになったとか。城址あるあるですね。笹下城を築いたのは小田原北条氏家臣・間宮豊前守信元と「空堀跡の碑」には記載があります。
かつてこの一帯は山あり谷ありで幾筋もの川が流れており、このような自然の地形を利用する造りを「谷津構え」というと記載が有ります。「谷津構え」をネットでググると笹下城ばっかり出てきます。‥これは言ってみたかったってやつですか? わかります。

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朝田 辰兵衛

【お城×東横イン】今度はクイズですね…❓ (2023/03/18 訪問)

「福山城鐘櫓」×「東横イン福山駅新幹線南口」ではないでしょうか…❓
同じアングルの写真はありませんでした…<泣>。

なお,明日から2泊3日で遠征に出かけます。どこに行くかって❓
「それは,ひみちゅだ」
天気予報はころころ変わっているので,☂持って行こうかな…。

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にのまる

【お城×東横イン】

朝田さん、トクさん、東横インに反応くださりありがとうございます🙇‍♀️
下書きしたものの、何なんだこれは?と投稿をためらったのですが…、思い切ってよかったです。

お礼にもう一枚、【城×東横イン】をどうぞ!

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歴史案内活動のご案内【9月14日(土)10:00~12:00】 (2024/09/14 訪問)

こんにちは。躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。

8月が過ぎると「夏も終わりですね」とつい口にしたくなり
実際少しずつ涼しくなっていくような気もしますが
まだまだ猛暑日の予測が続いたり油断ならない今日このごろ、
武田神社では当隊による歴史案内活動を行います。

日時:9月14日(土)10:00頃~12:00頃
   雨天の場合は15日(日)10:00頃~12:00頃に延期します
場所:武田神社(史跡武田氏館跡・山梨県甲府市)
ガイド:局長・大塚與左衛門

❖境内に眠る戦国の史跡を、個性豊かな甲冑ガイドがご案内。
❖時間、コースはご都合・興味にあわせて自由に設定可能。
❖宝物殿、ミュージアムの展示施設も案内可能。
❖ガイドは原則無料(展示施設の入館料等は別途負担ください)。
❖雨天延期の場合あり(Twitter(現✗:@KoufuSamurais)で告知します)。

「原則無料」について補足します。
ガイドは境内のみならず、
武田神社内に備えられた宝物殿、
神社に隣接する信玄公ミュージアム(正しくは「信玄ミュージアム」ですが畏れ多くて「公」は外せない)こと
甲府市武田氏館跡歴史館の展示物の案内を行うこともできます。
どちらも武田氏ゆかりのアイテムが展示され、見ごたえもあり楽しい施設ですが
一部施設を除いて入館料が必要になりますので、そのご負担をお願いしています。
ただし、ガイドの分の入館料は不要です。ご自身の分だけお支払いください。
念の為書き足しておきますと、たとえ何百人案内しても
我々には1円もキックバックのないシステムになってます。

武田神社宝物殿 入館料 高校生以上300円、小中学生150円
甲府市武田氏館跡歴史館(特別展示室) 観覧料 一般300円 高校生以下無料
            ※常設展示室は無料で観覧できます

今回ガイドの局長・大塚與左衛門は、ロックなスピリッツと少年のハートを甲冑で包み、
武田氏の最新研究を積極的に取り入れ、わかりやすく伝えるガイドを行います。
今回も多くの方をご案内できることを楽しみにしています。(E)

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しんちゃん

届いた! 藤堂高虎陣・京極高知陣 関ヶ原町関ヶ原 (2024/03/30 訪問)

岐阜県関ケ原町の藤堂高虎陣・京極高知(高次の弟)陣は関ヶ原中学校の校門を入ってすぐの場所に石碑と案内板が設置してあります。東軍の第二陣として中山道の南側に位置しており、藤堂が2400、京極が3000の兵を有しており、けっこうな大部隊だったはずなのですが二人まとめて扱われています。別にそんなに仲が良いわけでもないのに、セット扱い。関ヶ原って、けっこう雑なんですよ。

一次史料や二次史料を用いての関ヶ原合戦の布陣地の論争はまだまだ続くと思います。本音を言うと、太田牛一以降に書かれた関ヶ原の史料から当時の布陣を推測するのは、難しい(不可能に近い)と思います。太田牛一の「内府公軍記」の江戸時代の本を閲覧しても、文字の解読が難しいのですが、概要はいろいろな方がネットに載せてくれています。家康公には関ヶ原の合戦に勝利した後、自らの勝利を正当化するために平野部で堂々と敵を打ち払い、徳川方の武将が活躍したというシナリオが必要だったと思うのですね。
そのため宇喜多・大谷らの主力が山中の谷から降りてきて関ヶ原の北西部に移動するという不自然な描写が生まれ、小早川隊がそれを黙って見ているという、またもや不自然な事態が起きています。正直、史実としてもエンターテイメントとしても「?」な部分が多く、
延宝元年(1672)に書かれた「武家事紀」では、その不具合を解消するように、最初から宇喜多隊は関ヶ原に向かって陣を構えています。正徳3年(1713)に書かれた「関原軍記大成」はかなり話を盛っているようで、明治時代の偉大な郷土史家が岐阜県知事の依頼を受けて作成した「関原合戦図志」は「武家事紀」を大いに参考にしているようです。

陸軍参謀本部が県の協力を得て作成した「関ヶ原合戦図」が翌年発行されており、その翌年には日清戦争が勃発しています。鋭い方はもうこれでお分かりになると思います。

本来であれば神谷道一氏の書かれた内容が近代関ヶ原の草分けになるはずだったと思うのですが残念な限りです。
関ヶ原の「史実」の部分は、まだまだ不明な点が多いですが、できればこれ以上「遺構」を壊さないで欲しいですね(出城とか)。
私は「欲張り」なので江戸時代に「文化」として発展を遂げた関ヶ原も存分に楽しむつもりです。太田牛一に責があるかと問われれば無いと思います。太田氏はあくまで「武士」なので、家康公に都合の良い文章を作るのは出世の為に必要です。歴史を改ざんするのも当時の権力者(勝者)の当然の権利だと思います。もひとつ言うと陸軍参謀本部も戦うことや陣地の構築が本分で、歴史のことなど二の次です。
それでも江戸時代以降に真摯に歴史に向かい合った歴史家たちが記した書物は興味深いものが有ります。まずは「関原合戦図志」を読み解いて、じっくり「武家事紀」を楽しもうと思います。

※「戸田左門覚書」はインターネットで文字を常用漢字に置き換えたバージョンを閲覧することが可能です。文体は江戸時代のままなので解読には時間がかかりますが、関ヶ原の戦いの部分を読むことが出来ました。二次史料で間違いないと思うのですが、石田三成の布陣や小早川隊の「手返し」の経緯などが後世の作品と異なっている所が興味深いです。

※関ヶ原には絶対は無いと思います。私は太田牛一の「内府公軍記」は信憑性の点で怪しいと感じていますが、実は全て「真実」であるという可能性もあるわけです。ですから二次史料や「内府公軍記」をもとに山中決戦論を否定される方がいても必ずしも間違っているとは言えないと思います。



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トク

甲府駅前の東横イン (2024/03/17 訪問)

甲府駅前には東横インが2つあります。たぶん「にのまる」さんが泊ったのは「南口Ⅰ」の方だと思います。甲府城から見た東横インの写真の方向から推測しました。私が今年3月に甲府城を訪れた時は「南口Ⅱ」の方に泊まりました。ホテルⅡの前から見た甲府城登城口と部屋から見えた甲府城の夜景です(写真①②)。またにのまるさんが撮影したのとほぼ同じ場所(天守台)から東横インⅠと雪をかぶった山々が写っていた写真が見つかりましたので掲載します(写真③)。あと関係ない話ですが、私は東横インⅠの前の店で食べた「ほうとう」おいしかったのを思い出しました(写真④)。以上の位置関係を示した地図も作ってみました(写真⑤)。

何かよく考えたらどうでもいい話ですね(笑)。辰兵衛さんのペースにはまってしまい、東横インフォトコンテストに、おせっかいながらも思わず私もエントリーしてしまいました(笑笑)。
 

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朝田 辰兵衛

【お城×東横イン】まだ,開業前でしたが… (2022/01/09 訪問)

にのまるさんから発動(?)された,【お城×東横イン】1枚いきます。「東横イン富士山大月駅」を,岩殿山城から俯瞰しています。
「そもそも,富士山を撮る時に,写り込んだだけじゃネエか!」と言われそうですが…<苦笑>。
「東横イン富士山大月駅」ですが,開業後は重宝しています。

にのまるさんへ…
東横インのフォトコン📷にぜひエントリーしてみてください。チェックインして,にのまるさんの撮影画像があったらとても嬉しい気分になりますので。

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にのまる

お楽しみチャレンジ3つ (2024/08/14 訪問)

2週間前に身延線各駅停車での完乗と勝山城訪問で行ったばかりですが、また甲府です。リニア見学センターに行ったあとに大月から移動しました。

【チャレンジ①:信玄公像と風林火山マンホールを一枚の写真に収める】
甲府に行ったらやってみたいと思いつついつも忘れてしまっていました。信玄公像は駅南口。風林火山マンホールは横断歩道を渡ったところにあります。
リュックを背負っての電車旅が常で、手回り品を少なくするべく数年前にデジイチを手放し、最近はコンデジすら持たなくなったのでカメラはスマホのみ。しかもシングルカメラのiPhoneSEなので機能に頼ることもできず。結果、裸眼で見たままで、かっこいいコラボ写真には程遠い写真しか撮れませんでした。でも目的は果たせたのでOK🙆‍♀️です。

【チャレンジ②:甲府城と東横インのベストアングルを探る】
午前中に岩殿城でも《城と東横インチャレンジ》をしたのでこの日2城目です。
真っ先に天守台に上がりました。「東横イン甲府駅前」は風林火山マンホールの少し先。遮るものもなくいい感じで収まります。銅門そばのお手洗いが視界に入りますが、このお手洗いが本丸防御の如く建つL字の隅櫓の体を成していて、瓦、壁、窓どこを見ても“たかがトイレ”と言わせない本気の作事ぶり。城のトイレのアイコンともいえる海鼠壁模様も採用しておらず景観を壊すことなく周囲に溶け込んでいるので、写り込んでも全く気になりません。
本丸に下りてみました。天守台の上からだと石垣を大きく捉えることは難しかったのですが、下からだと銅門石垣の中にちょうど収まりました。

【チャレンジ③:武田三代の銅像を一日でまわる】
それぞれ何度も行っているので同じ写真がたくさんあるのですが、振り返ってみると一日で三代すべてを撮ったことはなかったかも?ということでチャレンジです。
甲府駅北口の信虎公、南口の信玄公は余裕でいけます。勝頼像があるのは上り方面・甲斐大和駅の北口。甲斐大和は通過待ちをしたりしなかったりで停車時間も長かったり短かったり。今日はどうかな?と思いながら帰りの電車を時刻表で調べると12分の停車!12分あれば改札を出て写真を撮って余裕で戻ってこられます。(※乗り降り自由の18きっぷ利用です。)
これで難なく三代コンプリートできる(^^)と思ったのですが、折しも“南海トラフ地震臨時情報”の発表で電車は減速運転中。甲府を出てから少しずつ遅れていき、甲斐大和駅には8分遅れで到着。これにより12分の停車予定が4分になり、遅れを取り戻し定刻発車できるのは嬉しいことではあるのですが、勝頼像まで行って戻ってこられるかは微妙。ということでチャレンジは諦め、コンプリートならずでした。

また何か楽しいお城あそびを思いついたらやってみたいと思います(^O^)/

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トク

竹崎季長と蒙古襲来絵詞 (2024/09/09 訪問)

元寇防塁からの季長の話を続けさせて頂きます。
まず居城とされる熊本県宇城市松橋の「竹崎城」を訪れました。

松橋から狭い県道を4km程行き、途中の標識(写真①)の所からさらに狭い山道を1km程登った所にありました(車でも行けますが道かなり狭いです)。まったく人気のないうっそうとした山の中に、ここに城があったことを示す碑が残されていました(写真②③)。あの元寇で活躍し絵詞まで残した武将の城とは思えないような、とても荒れ果てていたのが少し悲しかったです。その本丸から見下ろすと、木々の隙間からは松橋町と八代海が見えました(写真④)。また県道の横には、季長生誕の地もありました(写真⑤⑥)。また隣の小川町の平原公園に季長の墓がありました(写真⑦⑧)。晩年はここで過ごしたようです。

鎌倉から失意の内に戻った季長ですが、この眼下(写真④)に見える松橋の地(現在の松橋町と小川町)が自分のものとなり、恩賞が無かったよりはまだましだと、心機一転し領国経営に努めます。またその傍ら幕府の命により、担当した「生の松原」に防塁を築く事にも従事します。そして完成するや否や1281年予想どおり元の大軍は再びやって来ました(弘安の役)。

元の大軍は総延長20kmにも及ぶ広大な防塁に妨げられ、なかなか上陸できません(かなり効果があったようです)。ここで季長は、唯一自分を信じてくれて恩賞をくれた安達泰盛や、泰盛から前回の活躍を聞き侍大将に取り立ててくれた少弐景資(総大将で九州探題)らの恩にむくいるため、果敢にも逆に自ら夜襲を仕掛け、敵船へ飛び乗り敵首を上げるなど再度大活躍し、元軍を博多湾に釘づけにします。そうこうしているうちに台風が襲来、元軍は鷹島沖に避難するも大半が沈没、日本軍は再び勝利しました。

しかしその後に戦が終わると、鎌倉幕府の内紛で恩賞のない御家人を何とか救済しようとする泰盛と、そうされては北条家が危ないと北条を守ろうとする得宗家が対立、泰盛は暗殺され(霜月の乱)、それを助けようとした景資も討たれてしまいました(岩門合戦)。

季長はその後、絵詞(下巻)を完成させ元寇の一部始終を記録に残す事に生涯をささげたようです。その下巻はどちらかと言うと恩賞目的ではなく、自分の活躍(自慢話)や恩のある人物を後世に残したいという意味合いの方が強かったようです。自ら築いた生の松原防塁の前で、景資が見守ってくれる中を堂々と出陣する姿や(写真⑨)、元軍の船に飛び乗り活躍する姿や、自分の言い分に耳を傾けてくれている泰盛の姿などが描かれています(写真⑩)。

元寇(弘安の役)から12年後の1293年、絵詞を完成させた季長はそれを地元の甲佐神社に奉納した後、塔福寺に出家し生涯を終えました。墓はその塔福寺のそばの現在の平原公園にあります。

それから570年後の江戸後期に、絵詞は肥後細川藩により発見されて江戸幕府に献上され、ボロボロだったのでなぜか幕府から少し手を加えられて写本され(例えば前回元寇防塁での写真⑧の三人が追加されているなど)、それが現在に残っているとされています。

でも彼のおかげで、約730年後の現代に生きている我々は、元寇の様子を知る事ができるので、私はこの「竹崎季長」に(あっぱれ!+感謝状😊)をあげたいと思います。

以上長々とおせっかいな解説で、どうもすいませんでした~!
 

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テトミイア

大阪を作った男 (2024/09/07 訪問)

障害者割引あり(割引率100%) 駐車場は豊公園にあり、長浜城まで少し歩きます。 あらかじめ電話で連絡をしておけば長浜城入口まで車で来れると後から知りました。 入口にはいきなり階段がありますが車椅子のままリフトで上がれます。(インターフォンで呼ぶ) 館内にもエレベーターがあり、3階までは資料展示室になっておりエレベーターで移動が可能ですが4階5階へは階段のみ。 5階の展望台までは杖で上がり、琵琶湖を一望できました。

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テトミイア

聞き慣れた武将でも楽しめる (2024/09/07 訪問)

【信長の館】 障害者割引あり(割引率100%) 原寸の安土城の5階6階部分を再現。 5階部分は車椅子での観覧可能ですが、6階は外側は見れても中の部分は階段でしか登れません。 とはいえ、5階だけでも安土城の迫力を十分堪能できます。 【安土城跡】 障害者割引なし 車椅子では登れません。 私は、杖で試みましたが段差にかなりのバラつきがあるため、高さがある段は足が上がらず途中で断念。 それでも穴太衆の作った石垣はやはり圧巻。見る価値大です。

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しんちゃん

「キン肉マン」と「風林火山」 (2017/12/10 訪問)

「風林火山」といえば甲斐国の戦国武将・武田信玄の旗指物として有名ですが、アラフィフ世代の方ですと「キン肉マン」の必殺技を思い出す方も多いと思います。
キン肉マンが師匠であるプリンス・カメハメから授けてもらった48の殺人技の三番目にあたる技なのですが(後に52の関節技も伝授)一撃必殺の派手な技が多い「キン肉マン」の世界において、4っつの基本技の集合体という異質な技でもあります。一つ一つは地味な技でも、カメハメによって基礎体力と根性を徹底的に鍛え上げられたキン肉マンが使用することによって強烈な破壊力を発揮し、ビジュアル的にもインパクトは抜群でありました。この技をキン肉マンの技の「一押し」にあげられる方も多いと思います。

アニメでは幾度となく使用され、かの「ウォーズマン」との戦いでもキン肉バスターでは仕留めきれず、この技をフィニッシュに使用しています。しかし原作ではアメリカ遠征編でのジェシー・メイビア戦で使用して以来、続編の完璧超人始祖編のピークアブー戦でフィニッシュホールドとして使用するまで長らく使われて来ませんでした。
これは「ゆでたまご」先生のアニメ「キン肉マン」とスタッグへの熱いリスペクトだと思います。すばらしいお心づかいだと思います。

「風」担当‥高天神城
第一次高天神城の戦いは60日の籠城戦でしたが、武田信玄ですら攻めあぐねた高天神城を最短で落城させることに成功したと思います。天神という名称も「風」を連想させます。
キン肉マンでは‥ダブルアーム&ダッシュ(大回転)  必要スキル「手足の強靭さ」
相手を羽交い絞めにした後、片腕を引っかけたままリング上で相手を振り回します。もしくは羽交い絞め(ダブルアーム)の体制のまま回転し相手をリングに叩きつけます。

「林」担当‥躑躅ヶ崎館
甲斐武田氏三代の居館であり平城としての機能も持っています。信玄公は普段は、ここで静かに暮らしながらも時々若衆相手に「おいた」をしていたものと思われます。
キン肉マンでは‥ローリングクレイドル 必要スキル「体のひねりの柔軟さ」
相手の下半身をホールドしてリング上を回転し、そのまま重力に逆らって空中に浮遊していきます。

「火」担当‥駿府城、浜松城&三方ヶ原古戦場
いずれも武田信玄によって侵攻を受けています。酒井忠次の機転によって、からくも浜松城は守られましたが、家康公は三方ヶ原で人生最大の敗北を喫しています。
キン肉マンでは‥パイルドライバー(ツームストンパイルドライバー)  必要スキル「体のバランス」
相手を逆向きに抱え上げ、胴体をガッチリホールドし脳天をキャンバスに叩き付けます。ピークアブー戦では両膝をキャンバスに接地するツームストンパイルドライバーを披露しています。ローリングクレイドルで空中浮遊してからの繋ぎ技なので破壊力は強烈です。

「山」担当‥要害山城、久能山城
要害山城は武田氏の詰の城であり、信玄公誕生の地でもあります。久能山東照宮は家康公の(最初の?)「墓所」でありますが、元は武田方の山城でもあります。
キン肉マンでは‥ロメロ・スペシャル(リバース・ロメロスペシャル) 必要スキル「パワーを一気に出し切る集中力」
相手の両足を自らの両足でホールドし、相手の両腕をつかみ、エビそりにして背骨を傷めつける技で、別名「吊り天井固め」。この技も仕掛けている途中で空中浮遊状態となり、高さ10m位まで上がったところで、相手が戦闘不能になります。
基本的に「風林火山」の技はニュートンにケンカを売っています。

カメハメ師匠の教えでは「この全てを日々、鍛錬することで其が出来上がる。全ての技は其に通ずる」とのことです。深いですね。

※「風林火山」のロメロスペシャルは初期の漫画版では相手の体が逆向きである「リバース・ロメロ・スペシャル」になっていましたが、後に通常のロメロ・スペシャルに差し替えられています。
「ロメロ・スペシャル」は単発技としてもラーメンマンが若き日のブロッケンJrを仕留めるのに使用しています。キン肉マンの世界では十分強力な基本技の一つです。
※※ここ重要 キン肉マンがカメハメ師匠から授かった「48の殺人技」は名称に殺人と付いてはいるものの、基本的に倒された相手は存命しており、キン肉マンと友人(仲間)になった超人も数多くいます。ネプチューンキングのような例外はいるものの、基本的にキン肉マンのテーマは「友情」「努力」「勝利」であり、「相互理解」も一貫して続いている重要な要素です。
正義超人の中でも「キン肉マン(スグル)」は特にそれが顕著で、悪魔将軍やアシュラマンのように変わらず対立関係にいる者にも何らかの変化が起きているようです。
そう心に「愛」が無ければスーパーヒーローでは無いのです。


※これは「城びと」の投稿サイトです。

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六文銭

主郭と思われる。 (2024/09/11 訪問)

標識等何も無し。国史跡とは思えない。

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しんちゃん

村岡城址公園 (2024/05/03 訪問)

暑いですね~。TVを付けたら9.11同時多発テロの番組をやってます、あれから23年もたったのね。当時も大変だったと思うけど、今よりだいぶ涼しかったような気がします。残暑ってレベルじゃない!
村岡城は現在、村岡城址公園になっています。古くは高望王の五男で坂東八平氏の祖とされる平良文(村岡良文)の居館が有ったとされ、戦国時代には玉縄城の支城であったと考えられています。城址は周囲より小高くなっており、三日月井の碑が有る以外は特に遺構は残っていないようですが、公園として整備されていることで、住宅地の中の良い遊び場になっています。
庭でコオロギが鳴いています。まだまだ暑いですが、じんわり秋になってきているんですかね。

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にのまる

新・登山道情報

山梨のリニア見学センターに行った際に大月駅で岩殿山を見上げ、「崩落の危険で強瀬ルートが通行禁止になる前に2度登った。その後畑倉登山口からチャレンジするも途中で怖くなって撤退。以後見上げるだけになってしまった。」と別SNSで呟いたところ、落石現場を通らない登山道が今秋にも整備完了予定であるという新聞記事を地元の方よりご紹介いただきました。温かいお返事と情報がとてもうれしかったです。
新設される登山道は丸山公園付近を通り、浅利ルートと合流するようです。
大月市観光協会のHPに岩殿山についてのお知らせページがあるのですが、現在のところ進捗状況等の情報は見あたりません。
来春、中央線快速(東京〜大月・E233系)にグリーン車両が連結されますが、10/13からお試し期間としてグリーン料金不要で乗れるそうです。ぜひこの期間に“グリーン車で岩殿城⛰️”という夢体験をしてみたいです。

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牛若丸

ゆっくり見たのは初めて (2024/09/07 訪問)

登城自体は4回目ですがゆっくり見たのは初めてでした。

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にのまる

巌流島

前田台場の[周辺観光]②です。
1612年(慶長17年)の武蔵と小次郎の決闘の地として知られる巌流島。ドラマや小説で諸説展開され、また決闘の聖地としてプロレスや将棋の対戦、対局の場となってきました。

巌流島へは唐戸桟橋から連絡船で10分で渡ることができます。唐戸⇄巌流島・唐戸⇄門司港一日乗り放題の『トライアングルフリーパス』(¥1,000)が便利です。
※門司港⇄巌流島は休航中。

決闘があった当時の巌流島の面積は現在の1/6。
昭和48年まで有人島で現在も私有地が占める部分が大きいですが島内観光は可能です。
いちばんの見どころは武蔵・小次郎像。どの角度から見てもかっこいい😎です。
また、海峡の真ん中から眺める関門橋は格別です。
⭐︎巌流本舗さんのどら焼き「巌流焼」はしっとりふわふわでとってもおいしいです。

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にのまる

馬関攘夷戦の火蓋が切られた。

前田台場の[周辺観光]として「亀山砲台跡」を投稿します。

亀山砲台があったのは唐戸市場の目の前の亀山八幡宮です。
幕末に長州藩によって築かれた砲台のひとつで、この場所から外国船への砲撃が開始されたそうです。(砲台の詳細については現地説明板を添付します。)

この場所で昭和33年から風雪に耐え、海峡を行き交う船を見守り続けているのが、写真②③のボール⚾️です。
投げ込んだご本人は申し訳ないと思い続けていらっしゃるそうですが、今では当地の名物として「今日も無事に嵌ってくれている」という安心感を与えてくれています(と思います)。
当地に観光にいらっしゃる機会がありましたらぜひ神額を見上げてみてください。

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