南北朝期に玉置大宣が築いた城とされ、矢筈岳北西のピークに位置し、手取城の詰の城として機能したようです。
登城ルートは北の小谷峠から登るルートと南の鷲の川から矢筈岳を経由するルートがありますが、城郭放浪記さんによれば、矢筈岳ルートは車で林道を進めず歩きだと2時間近くかかるそうなので、小谷峠ルートで登城しました。小谷峠までは小谷林道が通じていて、以前に崩落して通行止めになっていた際に整備されたようで道幅もある綺麗な舗装道でした。ただ、整備が追いつかないのか、路面には落石がごろごろ、落ち葉も堆積し、何か所か通行に支障のない程度の土砂崩れの跡も見られました…。それでも特に問題なく小谷峠に到着。道幅の広くなったところに車を駐め、林道脇のお地蔵さんに手を合わせて(無事に戻って来られますように)登城開始。
登城口には案内表示はありませんが、小谷峠の写真①の位置から入って尾根伝いに進めば、ところどころに矢筈岳への案内表示もあり迷うことはないと思います。急斜面をほぼ真っ直ぐに登るので少々きつくはあるものの、トラロープも張られていておおむね歩きやすい道でした。そして登城口から登ること35分で北尾根の堀切に到達。堀切は二重に設けられていますが、内側は浅くなっていて意識していないと見落としてしまいそうです。
内側の堀切から5分ほど登って主郭へ。東西に細長い主郭には説明板が立てられているくらいです。結構な高所(標高750m)のはずですが、樹木が生い茂っていて眺望は全くききません。北側を除く主郭の周囲には二段の帯曲輪がめぐっていて、主郭や帯曲輪の切岸にはところどころ石垣が見られます。手持ちの本には「総石垣といっても過言ではなく」とありますが、崩落していたり土をかぶっていたり藪に沈んでいたりはするんだとしても、わかりやすい「総石垣」を期待していた身にはちょっと肩透かしでした。主郭部から西にのびる尾根には二重の堀切が、東側の矢筈岳へと続く尾根にも両端が竪堀となって落ちる堀切が設けられています。それぞれ堀の側面に石垣が施されている…にはいるんですが、これも言われてみれば、という程度。同じく紀州の国人の城である安宅勝山城の五重堀切のようなわかりやすい石垣を期待していた身には(以下同文)。とはいえ東尾根の堀切は両端に土塁を伴って深さも幅もあり、これはこれで見応えがありました。
関西最後の秘境(未投稿)城であり、矢筈岳ルートでは比高600m超・片道2時間弱とのことで大いに身構えて挑みましたが、小谷峠ルートなら比高約300m・片道約40分と普通の山城程度でした(見応えも普通でしたが)。ただ、帰りは来た道を戻るだけだからと余裕ですたすたと下るうちに違う尾根に迷い込み、15分ほど山中をさまよったりしましたので、普通の山城程度の注意は必要です(当たり前)。お地蔵さん、おかげさまで無事に戻れました。ありがとうございます。
…ということで、近畿二府四県の城びと登録城投稿コンプリートです(よね?) しんちゃんさんのアシストから、あさんが清水城、鶴ヶ城を突破して田尻城でゴール! となるはずが、まさかのアクシデント発生。ボールがゴール前で転がっているところに、たまたま一番近くに(住んで)いたのが私だったという、絵に描いたようなごっつあんゴールですが、県民の責務とかほざいた手前「QBK」とも言ってられないので、GW突入と同時に登城してまいりました。ごっつあんです!(笑)
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