浅井氏に仕えた海津衆の一人田屋氏の城と伝えられています。また賤ケ岳の戦いの時は丹羽長秀が改修した可能性が指摘されています。城跡は周囲を土塁で守られた五つの郭と縄張り図では捨て曲輪となっている郭で構成され、曲輪、土塁、竪堀、堀切、枡形虎口などが良好に残っています。竪堀は長く残っているものもあり、連続しているものもあり楽しませてくれました。石碑が建つ場所は櫓台と想定されています。
期待していた以上の城址でした。ぴーかるさんの「隠れた名城跡、百・続百名城に負けてない城跡」という投稿に賛同します。藪になりかけている所や伐採した木で見えにくくなっている所も一部にはありますが、登城路は整備されていて曲輪付近も雑草は歩行に支障を来すほどではなく遺構も明瞭に確認できるものが多い。気持ちよく散策できます。
「近江の山城を歩く70」を帰宅後見てみると「田屋城主体部から谷を挟んだ北東にある尾根は「馬かけ場」と呼ばれる緩斜面が続き、標高230mの地点にも城郭遺構が築かれている」と記載されていました。少し離れた場所にも遺構があったのですね。あいかわらずの予習不足です。
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