【田屋城】
<駐車場他>登城口前<35.462912, 136.024851>に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>切通しの大手道・曲輪土塁・竪堀・竪堀群・堀切・主郭枡形虎口
<感想>現地説明板によると戦国時代末に高島郡北部を支配していた海津衆のうち田屋氏は子の明政を江北の浅井亮政の娘と婚姻させ婿養子に出して浅井氏の高島郡進出に大きな役割をします。田屋城はこの田屋氏の城と考えられていて、織田信長の北陸進出を押さえる拠点ともなっていました。
上記ポイントに田屋城の説明板があり、奥にゲートがありますので開けて入ります。中に東屋があったりして少し公園化されています。100m程進み右手山側に案内がありますので山道に入ります。25分程で城跡の大手虎口に着きますが、登城道の中程から城跡の旧大手道と合流するようで切通しのジグザグ折れのある登山道に入りますのでここから遺構を楽しむことができます。
城跡は巨大な曲輪が5・6個あり各々が大土塁で囲んでいます。城跡の周囲の斜面には竪堀が巡らしていて、特に三の曲輪南西斜面の竪堀群が見応えがあります。主郭は一際高い土塁で囲み、内枡形虎口が良好に残っています。主郭北側背後は巨大堀切になっており、巨大すぎて堀切東側は竪堀を3条に分けて谷に落としています。主郭北側搦手は現地縄張り図では捨て曲輪となっていますが、全然捨て曲輪ではなく、土塁囲みではないものの、尾根をかなり削った広い尾根曲輪になっています。縄張り図では白塗りになっていますが、駒返しという深い切通しの場所もしっかりと遺構が残っています。そこから更に北側は登りになっていて尾根に沿った切通し兼竪堀になっていました。そこで折り返しました。
江南に見られるような広い高土塁の曲輪が5・6個程もあるような城跡は江北では珍しいと思います。しかも江南の丘城ではなく山城なので相当な面積山頂部を削っていると思います。竪堀群、堀切も明瞭に残り、記憶に残るダイナミックな城跡でした。私が訪れた時点で投稿者がお二方しかいない隠れた名城跡、百・続百名城に負けてない城跡、お勧めです。
<満足度>◆◆◆
+ 続きを読む