遺構が大きく改変されているとの認識で後回しにしてきた愛知県新城市の野田城を3月に訪問。
東三河を流れる豊川の中流域、その北側の段丘の殿田川と杉川に挟まれた比高約18mの舌状の丘に築かれた城。
伊那街道が通るポイントで、南西の三河湾や豊川平野と北東の遠江や信濃を結んだ地。
田峯菅沼氏出身の菅沼定則が1500年代初期に築いたとされる野田菅沼氏3代の居城。
1573年には武田の侵攻を受け、信玄を狙撃したことや武田金掘衆によるもぐら攻めのエピソードが伝わっており、1590年には従属していた徳川の関東移封に伴い廃城とのこと。
現在の城跡は西側が特に改変されているようだが、本丸の遺構は比較的クリアに残り、二の丸と三の丸にも周回見学路が設置されている市指定史跡。
訪問時は、本丸南西側の交差点に新設された駐車場に車を止め、三の丸からスタート。
三日月堀は古絵図とは異なる小さなもので、新設されたか堀の一部が残ったものでしょうか。
三の丸の方が二の丸より1段高く、その境で三の丸側を楕円形に削った遺構も謎。
本丸側は二の丸との境界部が最大の見どころで、立派な堀を渡る土橋には横矢が掛かる構造。
周囲の急峻な崖も印象的で、想像される守備力は事前の予想以上。
移築門が存在する法性寺も含めて滞在時間2時間越えの、私の城郭巡りの199城目でした。
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